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妻は今日もかわいい

城内。


最近、

ひとつの噂が駆け巡っていた。


「姫様が……婚姻を結ばれたらしい」


最初は、

ただの雑談だった。


廊下では女官達が声を潜める。


「聞いた?

姫様、ご結婚されたとか……」


「えぇっ!?

お相手は誰なんです?」


厨房では料理人達が顔を見合わせた。


「テュエル様らしいぞ」


「いや、

シャガル様って聞いたぞ」


訓練場では兵士達が動きを止める。


「……いや、

どっちもらしい」


「…………は?」


空気が止まった。


「え、待て」


「一人じゃなくて?」


「いやいやいや」


やがて。


誰かが恐る恐る呟いた。


「……つまり、

重婚ってことか?」


一瞬、

城内が妙な静けさに包まれる。


「むしろ、

よく今まで揉めなかったな……」


「いや、

揉めてはいただろ」


「確かに」


誰も否定できなかった。


だが。


次の瞬間。


「……でも、

姫様なら別にありな気がする」


「分かる」


「なんか納得してしまうの怖ぇな」


「怖ぇ」


誰も否定できなかった。


そして何より恐ろしいのは――


城内のほぼ全員が、

うっすら納得していたことである。


――――


朝。


謁見の間へ向かう回廊。


石造りの廊下に、

淡い朝日が静かに差し込んでいる。


その中央を、

銀糸の髪を揺らしながら、

レイラが静かに歩いていた。


背筋は真っ直ぐ。


凛として、

相変わらず近寄り難いほど美しい。


だが――。


「……姫様、

前より少し柔らかくなったよな」


門兵の一人が、

ぽつりと呟く。


「あぁ……

前より表情が――」


そこまで言って。


もう片方の兵士の顔色が、

さぁ……っと青ざめた。


「おい」


「……え?」


「やめろ」


「後ろ確認しろ」


「……は?」


嫌な予感がした。


恐る恐る、

兵士が背後を振り返る。


――いた。


また、

知らぬ間に。


穏やかな笑みを浮かべたテュエルと。


腕を組み、

当然のように立つシャガルが。


(出たァーーーーーー……)


兵士たちの心が死んだ。


テュエルは、

うっとりとレイラの背を見つめながら、

幸せそうに微笑む。


「あぁ……♡」


「レイラ様……

いえ、“俺の奥さん”……♡」


「今日も……かわいい……♡」


兵士たち

(悪化してる……)


反対側から、

低い声が落ちる。


「……ふん。

今さら何を言う」


シャガルは鼻を鳴らした。


「“余の妻”なのだ、

愛らしいのは当然だ」


兵士たち

(どっちも“妻”って言った……)


(いや待て)


(どっちが正妻なんだ……?)


次の瞬間。


テュエルが、

にこりと微笑む。


「……何を言っているんです?」


「レイラ様は、

“俺の奥さん”ですが?」


びりり――……


空気が軋んだ。


シャガルの眉がぴくりと動く。


「……ふん」


「余の妻だ」


びき。


回廊の壁が、

嫌な音を立てた。


兵士たち

(うわぁ………)


(最初からクライマックスなんだけど)


(しんど……)


(また聞かされるのかな……)


(……帰りたい)


だが。


逃げられない。


テュエルはわずかに目を細め、

勝ち誇るように笑った。


「最近のレイラ様、

前よりも甘えてくださるんです……♡」


兵士たち

(……始まった)


兵士たちの顔から感情が消える。


シャガルも負けじと、

満足そうに鼻を鳴らした。


「ふ……」


「余にも、

随分自分から寄ってくるようになった」


「実に、愛らしい」


「…………」


いらっ。


テュエルのこめかみに、

うっすら青筋が浮かぶ。


兵士たち

(あ、来る)


(始まる)


(長いやつだ)


テュエルが、

にこりと笑う。


「……では、

決めましょうか」


「どちらが正妻かを」


シャガルが目を細めた。


「ほぉ?」


兵たち

(え)


(決まってなかったの???)


(嫌な予感しかしない)


シャガルは鼻を鳴らす。


「ふん。

望むところだ」


びり……。


空気が軋んだ。


兵たちはそっと壁から距離を取る。


学んだからだ。


この二人、

張り合い始めると長い。


しかも今回は、

婚姻後である。


終わっていた。


テュエルはふっと笑みを深める。


「レイラ様は以前、

こう仰いました」



「“俺がいい。俺しかいない”と」


兵たち

(うわぁ……)


テュエルは当然のことと

言わんばかりに続ける。


「つまり」


一拍。


「レイラ様の意思で選ばれた夫は――」


勝ち誇ったように親指で自分を指す。


「お・れ」


どやぁ……。


兵たち

(……またやった)


びきっ。


シャガルの額に、

青筋が浮かぶ。


「……ふん」


「くだらんな」


低い声が落ちた。


「そもそも猿」


「貴様は、

縁談が来すぎて困っていたから、

選ばれたに過ぎぬだろう」


びきき……。


テュエルの笑顔が止まった。


「……なんですって?」


兵たち

(うわぁ……)


(踏んだ)


(でかい地雷踏んだ)


だがシャガルは止まらない。


「もしあの日、

あそこまで大量の書簡が届いていなければ」


「貴様は、

婚姻しておらんかっただろうな」


「…………」


空気が重い。


兵たちはもう帰りたかった。


だが。


テュエルはすぅ……と息を吐き、

再び笑った。


怖い。


「……さすがに、

言い過ぎでは?」


穏やかな声。


なのに怖い。


「……ですが」


「仮にそうだったとしても」


テュエルは、

ゆっくり口角を上げる。


「レイラ様は、

“俺しかいない”と仰いました」


「“本当に愛して、

ずっと支えてくれる者は”とも」


「つまり」


にやり。


「婚姻を決断する時、

レイラ様が選ぶ予定だったのは――」


「お・れ」


兵たち

(またやった……)


(もう……逃げていいですか)


ぶちっ。


何かが切れた音がした。


シャガルが、

ゆっくり笑う。


怖い。


「……ほぉ?」


「だが甘いな、猿よ」


テュエルの眉がぴくりと動く。


シャガルは愉快そうに続けた。


「貴様も知っておるだろうが」


「余とレイラは、

先に婚姻の儀を交わしていた」


「妖のな」


兵たち

(あ、まずい)


(絶対に)


(今の聞いちゃいけないやつだ)


「確かに、

あやつは無意識だったのかもしれぬ」


「だが」


シャガルはゆっくり口角を吊り上げた。


「婚姻していたと知った後」


「自らの意思で、

余を選んだのはレイラ自身だ」


「…………」


テュエルの笑顔が固まる。


シャガルは追撃する。


「“もっとお前を感じていたい”」


「そうも言われたな」


兵たち

(うわぁ……)


(まだ続くのか……)


だが。


シャガルはそこで終わらなかった。


ゆっくりと、

勝ち誇るように口角を吊り上げる。


「そして極めつけは――」


一拍。


「……あやつから、

口付けをしに来た」


静寂。


兵たち

(…………え?)


(今なんて???)


(自分から???)


空気が止まった。


そして。


テュエルの笑顔も、

ぴたりと止まる。


「…………」


兵たちは見た。


すぅ……と。


テュエルの目から、

光が消えるのを。


(あ)


(終わった)


(ぷちーーーんって音聞こえた)


びり……。


空気が軋む。


壁が、

みし……と嫌な音を立てた。


シャガルは愉快そうに笑う。


「ふっ……

あやつ、

随分可愛らしい顔をしておったぞ?」


「………………」


テュエルは無言。


だが。


笑っていない。


兵たち

(据わってる)


(目が…据わってる)


(帰りたい)


(胃が痛い……)


テュエルは、

すぅ……と笑みを深めた。


嫌な笑顔だった。


「……そもそも」


「お前だって、

力の暴走を起こさなかったら」


「レイラ様が助けてくださらなければ」


「婚姻にすら辿り着いていなかったでしょう?」


兵たち

(うわ)


(急に性格悪くなった)


シャガルの眉がぴくりと動く。


「……ぐっ……」


初めての、

明確なダメージだった。


兵たち

(効いた!?)


(初めて効いたぞ!?)


テュエルは逃さない。


にこり。


怖い。


「それにシャガル、貴様……」


「以前から、

“余の女”だの何だの言っていましたが」


「別に、

婚姻を結ぶつもりも」


「責任を取る覚悟すら、

なかったでしょう?」


「…………うっ」


地味に刺さった。


兵たち

(図星なんだ……)


(最低だな……)


シャガルは小さく咳払いをした。


誤魔化した。


「……ふん」


「形式など、

瑣末事よ」


だが。


すぐに、

にやりと口角を吊り上げる。


「そもそも猿」


「貴様も、

人のことは言えまい」


テュエルの眉がぴくりと動く。


シャガルは愉快そうに続けた。


「さも、

自分は下心のないような顔をしつつ」


「“護衛だ”」

「“支えるだけでいい”」


「綺麗事ばかり並べておったな?」


「…………」


兵たち

(あ)


(なんか嫌な流れ)


シャガルは、

ゆっくり笑う。


「そのくせ」


一拍。


「既に、

レイラへ手を出しておっただろう?」


静寂。


テュエル

「………………ぐはっ」


兵たち

(!?!?!?)


(えっ)


(テュエル様!?)


(ま、まさか……!?)


シャガルは勝ち誇ったように笑う。


「……違うか?」


テュエル

「…………」


沈黙。


やがて、

テュエルはふぅ……と息を吐いた。


「……たしかに」


「“それ”は事実ですが」


兵たち

(事実なんだ……)


(否定してほしかった……)


白目。


だが。


テュエルは、

にこりと微笑む。


「ボクはお前と違って」


「責任なら、

いつでも取れますので^^」


兵たち

(うわぁ……)


(煽る煽る)


シャガル

「ふん……」


空気がびりびりと軋む。


だが。


テュエルは、

ふと思い出したように首を傾げた。


「あぁ、

責任といえば」


兵たち

(嫌な予感)


テュエルは、

にっこり笑う。


「お前では、

レイラ様を完全に満足させることはできまい」


静寂。


シャガルの眉がぴくりと動く。


「……何が言いたい」


テュエルは、

わざとらしく首を傾げた。


「あぁ、すみません?」


「ですが、

レイラ様のためによく耐えているとは思いますよ」


「そこは素直に尊敬しています」


「俺なら、

絶対耐えられませんので」


兵たち

(え)


(認めた?)


(いや何の話???)


びききき……。


シャガルが舌打ちする。


「……随分楽しそうだな、猿」


テュエルは、

くすりと笑った。


「いやだなぁ」


「本当に思っていることですよ?」


「ですが……」


ふっと目を細める。


「お前も、

“あの時のレイラ様”を見れないのは」


「少し気の毒ですね?」


シャガル

「…………」


ぴく。


兵たち

(え)


(待って)


(俺たちこれ聞いていいやつ???)


テュエルは、

うっとりした顔で続ける。


「レイラ様……

最初はお身体がひんやり冷たいのに」


「反応を返してくださるたび、

少しずつ熱を持っていって」


「最後には、

すごく熱くなるんですよ」


完全にアウトだった。


兵たち

(…………)


(終わった)


(俺たちの人生終わった)


だが。


シャガルは、

どこか遠い目で笑う。


「……ふっ」


「分かるぞ」


兵たち

(分かるんだ……)


シャガルは静かに頷いた。


「冷えているくせに、

次第に熱を帯びていく」


「あれが堪らんのだ……」


兵たち

(聞いちゃいけない)


(本能がそう言ってる)


テュエルは満足そうに頷く。


「あとは、

首筋に顔を埋めると――」


「分かる」


「背を撫でた時の反応が――」


「分かる」


なぜか理解し合っていた。


夫二人。


レイラの可愛さについてだけは、

異様な連携力を発揮する。


兵たち

(なんなんだこの人たち……)


だが、その時。


ふと。


テュエルが我に返ったように瞬きをした。


「……あ」


シャガルが眉を寄せる。


「なんだ、猿」


兵たち

(……?)


(終わった?)


テュエルは、

すっと笑みを浮かべた。


「いけませんね」


「まだお前との勝負はついていませんが」


「この先は、

ボクの奥さんの秘密ですから^^」


「聞かせる理由がありません」


シャガルは一瞬黙り――

ふっと笑う。


「……なるほど」


「それは、その通りだな」


その瞬間。


二人の視線が、

すぅ……っと兵士たちへ向いた。


兵たち

(え)


(待って)


(なになになに!?)


テュエルは、

どこか誇らしげに目を細める。


「……まぁ」


「あなた達が、

知っていてもいいことがあるとすれば」


「ボクの奥さんが、

とてもかわいいということくらいです^^」


シャガルも鼻を鳴らした。


「あぁ」


「余の妻は愛らしい」


「以上だ」


兵たち

(そこだけは一致するんだ……)


テュエルは、

にこりと微笑んだ。


テュエル

「では……すみません^^」


シャガル

「悪く思うな」


じり……。


二人が距離を詰める。


兵たち

(ヒィィィ!!!)


そして――


その先の記憶は、

なかった。


気づけば、

兵たちは回廊に倒れていた。


「……ぅ……」


「生きてるか……?」


「なんとか……」


互いに身体を起こし合いながら、

兵士たちは深いため息を吐く。


「……俺たち、

ただの被害者じゃね?」


「あぁ……」


「一応あの人たち、

王配殿下であり王なんだよな……?」


沈黙。


そして。


「酷くない???」


「あぁ、酷い」


再び沈黙が落ちる。


やがて。


片方の兵士が、

遠い目でぽつりと呟いた。


「……で」


「結局、

どっちが正妻なんだ?」


「…………」


もう片方の兵士は、

少し考えてから――


真顔で言った。


「……もう、

どっちでもいいだろ」


一拍。


「ていうか、

どっちもでいいよ」


「……分かる」


疲れ切った顔で、

兵士たちは静かに頷き合った。


もう、

考えるだけ無駄だった。



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