表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/14

【過去編】姫を守るために、すべてを排除した護衛の話


兵として巡回中の宮内の回廊は、いつも通り静かだった。

――少なくとも、何も“異常”はなかった。

 


しかし――



「……気味が悪いんだよな、あの姫」


その言葉を聞いた瞬間、足が止まった。


「目が合うと、全部見透かされてる気がする」

「氷の姫、だろ?笑わないし」


――何を言っている。


理解するより先に、

胸の奥が焼けた。


気づけば、踏み出していた。


「……今の、誰の話だ」


声が低い。


抑えたつもりだった。

だが、抑えきれていなかった。


「あ?なんだ――」


言い終わる前に、掴む。


壁に叩きつける。


鈍い音。


「もう一度言ってみろ」


指に力が入る。

逃がさない。


「だ、だから……あの姫が――」


最後まで言わせなかった。


殴る。


一発。


二発。


止められるまで、

何度も。



「やめろ、テュエル!!」


肩を引かれる。


腕を掴まれる。


ようやく、動きが止まる。


荒い呼吸の中で、

視界だけがやけに冷静だった。


床に転がる男。

怯えた目。


――違う。


こんなことをしても、

意味はない。


分かっている。


だが。


(許せない)


それだけは、どうしても消えなかった。



その日から、

耳を澄ますようになった。


どこで、

誰が、

何を言っているか。


巡回のついで。

雑談の端。


すべて拾う。


「氷の姫がさ――」

「またあの目で見られて――」


そのたびに、

同じことを繰り返した。


だが――


(足りない)


殴っても、

止まらない。


一人潰しても、

別の場所でまた湧く。


(こんなやり方では……)


拳を握る。


血が滲む。


(守れない)



やがて気づく。


殴るのではなく、

近づけなければいい。



立場を得た。


護衛。


レイラの、傍に立つ権利。


それは同時に――


“排除する理由”を得たということだった。



「その件はこちらで処理します」


先に動く。


「レイラ様には不要です」


関わらせない。


「それ以上近づく必要はありません」


線を引く。


穏やかに。

丁寧に。


だが、確実に。



気づけば、

人は離れていった。


女官も、

家臣も。


必要以上に、

近寄らなくなる。


噂も、

減った。


完全ではない。


だが――


(届かない距離には、なった)



「レイラ様」


声をかける。


振り返るその顔は、

いつも通りだった。


変わらない。


何も。


(……足りない)


胸の奥で、

小さく何かが軋む。



茶を出す。


温度を合わせる。


予定を整える。


衣を整える。


触れる前に、

すべて終わらせる。


隙をなくす。


他の誰も、

必要としない形に。



それでも。


(まだ、足りない)



廊下の向こうで、

小さな声がした。


「……最近、近づくなって言われるんだよ」

「護衛のあいつに」


足を止める。


気配を殺す。


「……関わらない方がいい」


――正しい判断だ。


そう思う。


同時に。


(遅い)


もっと早く、

徹底するべきだった。



視線を上げる。


レイラが歩いている。


いつも通りの歩幅。

いつも通りの姿。


変わらない。


何も。


(……本当に、これでいいのか)


疑問がよぎる。


だが。


答えは出ない。



夜。


部屋の外で、気配を整える。


中は静かだ。


物音は少ない。


不要な声もない。


(……静かだ)


だが――


(これで、安心できているのか?)


分からない。


聞いたことがない。


聞く必要もないと思っている。


――いや。


(聞くべきではない)



「本日はお疲れ様でした」


形式通りに頭を下げる。


そのまま離れるつもりだった。


「……テュエル」


呼ばれる。


一瞬だけ、息が止まる。


「はい?」


振り返る。


レイラがこちらを見ている。


何かを言いかけて――


「……なんでもない」


そう言った。



一拍。



「かしこまりました」


それ以上は、踏み込まない。


踏み込むべきではない。



扉が閉まる。


静寂。



(……何を言おうとした)


思考が、そこに留まる。


だが。


答えは出ない。



回廊を歩く。


音は少ない。


人も少ない。


声も、ない。



(……まだだ)


足を止める。


天井を見上げる。



(この程度で)


(守れているなどと)



ゆっくりと、目を閉じる。



(思い上がるな)



胸の奥で、

何かが静かに沈む。



(まだ、足りない)


(全く――足りない)



「――あの方は、何も知らないままでいい」



その結論だけが、

迷いなく残った。



――――――――――――――



宮内の回廊は、いつも通り騒がしかった。


笑い声。

囁き声。

足音。


――そして。


「……気味が悪いんだよな、あの姫」

「目が合うと、全部見透かされてる気がする」

「氷の姫、だろ?笑わないし」


レイラは、足を止めなかった。


聞こえている。


全部、聞こえている。


耳を塞ぐこともできず、

遮ることもできず、

ただ流れ込んでくる。


(……うるさい)


胸の奥で、小さく呟く。


だが、それ以上の感情は浮かばない。


怒りも、悲しみも。


ただ――


(……疲れる)


それだけだった。



「……おい」


低い声が、割り込んだ。


次の瞬間、空気が変わる。


「あ?なんだ――」


鈍い音。


壁に叩きつけられる気配。

荒い呼吸。


「……今の、誰の話だ」


声が低い。


抑えているはずなのに、

抑えきれていない怒気が滲んでいる。


レイラは、振り返らなかった。


(……また、だ)


知っている。


この声も、

この気配も。


まだ護衛ではない。

ただの少年。


それでも、何度も見てきた。


(……無駄なのに)


小さく、息を吐く。



それからしばらくして。


回廊の空気が、少しだけ変わった。


同じ場所を通っても、

声が――減った。


完全に消えたわけではない。


だが。


(……静かだ)


ほんの少しだけ。


ほんの少しだけ、

楽だった。



やがて、彼は護衛になった。


レイラの傍に、常にいる存在。


テュエル。


「レイラ様、お茶をどうぞ」


差し出される器。

温度は、ちょうどいい。


「こちら、本日の予定です」


簡潔で、無駄がない。


「お召し物は、こちらで整えておきました」


触れられる前に、

すべてが整っている。



気づけば。


誰も、近寄らなくなっていた。


女官も、家臣も。


必要最低限しか、

関わってこない。


(……静かだ)


耳に入るのは、

風の音と、

衣擦れと。


それから――


「レイラ様」


すぐ近くで響く、

落ち着いた声だけ。



ある日。


廊下の向こうで、

小さな声がした。


「……最近、近づくなって言われるんだよ」

「護衛のあいつに」

「目をつけられると面倒だって……」


「……関わらない方がいい」


レイラは、足を止めなかった。


(……そう)


知っている。


全部。


あの少年が、

何をしていたか。


何をしているか。


(……でも)


視線を少しだけ横にやる。


そこに、テュエルがいる。


いつも通りの距離。

いつも通りの姿勢。


何も言わない。


何も誇らない。


何も求めない。


ただ――


そこにいる。



(……うるさくない)


ふと、思う。


(……楽だ)


胸の奥が、

わずかに緩む。


こんな感覚は、

初めてだった。



夜。


部屋に戻る。


灯りは控えめで、

静かだった。


「本日はお疲れ様でした」


テュエルが、頭を下げる。


そのまま、自然に離れる気配。


「……テュエル」


呼ぶつもりはなかった。


けれど、声が出た。


「はい?」


振り返る。


いつも通りの顔。


穏やかで、

何も隠していないように見える表情。


――何も言わない。


言えない。


(……知ってる)


(全部)


でも。


「……なんでもない」


それだけを、返した。



テュエルは、一瞬だけ目を細めたが、

すぐにいつもの微笑みに戻る。


「かしこまりました」


それ以上は、踏み込まない。



扉が閉まる。


静寂。


レイラは、ゆっくりと息を吐いた。


(……言わなくていい)


理由は分からない。


ただ。


(……このままでいい)


そう思った。



耳に入る声は、もう少ない。


誰も、騒がない。


誰も、踏み込まない。


――静かだ。


(……うるさくない)

(……安心できる)

(……だから、きっと)


(この人は――大丈夫だ)



ぽつりと、胸の奥で言葉が落ちる。


それが何を意味するのか、

レイラはまだ知らない。


ただ。


その静けさの中で――


初めて、

力を抜いて目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ