【未来編】姫を溺愛しすぎる護衛が落とした“宝物”の中身がヤバすぎた件
朝の柔らかな光が、居間を満たしていた。
レイラは長椅子に腰かけ、静かに茶を口へ運ぶ。
その傍らでテュエルは、無言のまま彼女の指先を丁寧に揉みほぐしていた。
力加減は完璧。
温度も位置も、すべてが過不足なく整えられている。
そこへ、初任の若い女官が緊張した面持ちで近づく。
「姫様……本日のお召し物の――」
「もう、整えております。^^」
柔らかな声音。
だが、その奥にある拒絶は刃のように鋭い。
「あっ……で、では髪の――」
「今朝、ボクが結いました。^^」
言葉が詰まる。
「……えっと……では、お部屋の香りの――」
「ボクが選んで焚きました。^^」
逃げ場はなかった。
女官の顔から、すうっと血の気が引いていく。
レイラはわずかに微笑み、彼女へ視線を向けた。
「……ありがとう。今日はもう良い。テュエルがすべて済ませてくれた」
「……っ、かしこまりました……」
女官は深々と頭を下げ、逃げるように退出する。
その背に、テュエルの穏やかな声が重なった。
「レイラ様、今日の予定もボクが管理しています。何かあればボクに言ってくださいね^^」
柔らかい。
だが、その実――
(俺に、だ。他の誰でもなく)
その場に残ったシャガルだけが、その意味を正確に理解していた。
シャガル
(……相変わらずだな、お前は)
(着付けも髪も香も、すべて完璧に仕上げている。女官の入る隙がない)
(職人か……いや、それ以上か)
(厄介な男だ)
⸻
レイラは何も気づかぬまま、穏やかに呟く。
「……今日も、穏やかだな」
テュエルは静かに微笑んだ。
(全部、俺が守る)
(誰にも触れさせるものか)
⸻
――その直後だった。
ほんの一瞬。
護衛服の乱れを整えるため、胸元に手を入れたとき。
小さな“それ”が、するりと指から離れた。
そう――
それは小さな小物入れ。
レイラの髪や乳歯、細かな“痕跡”を収めた、
テュエルにとって命より大切な宝物だった。
気づかないほどの、わずかな感触。
床に落ちたそれは静かに転がり――
開いた障子の隙間から入り込んだ黒い影が、すばやくさらう。
「カァ」
一声。
そして何事もなかったように空へ消える。
――誰も、気づかない。
⸻
数刻後。
(※レイラのそばで護衛中)
テュエルの指が、わずかに止まる。
(……?)
違和感。
(…ない)
(…ない)
(…ない!!)
鼓動が一拍だけ遅れる。
(どこだ……!!)
表情は変わらない。
動きも完璧なまま。
だが思考はすでに戦場だった。
(落としたのはいつだ…)
(この場か……いや違う…)
(移動していない…)
(なら回収範囲内だ…)
(いや……“回収範囲内のはずだ!”)
(……違う、落とすような状況は……あの時か……?)
背中に、じわりと嫌な汗が滲む。
(……落ちてから、まだ時間は経っていないはずだ!)
指先が一瞬だけ、ほんの僅かに強張る。
(まずい…!!)
(……あれが無い!!)
(……あれには)
(レイラ様の……)
(“全て”が……)
視線は動かさない。
しかし頭の中だけが、必死に世界を組み直していく。
(必ず……回収する)
⸻
レイラは、気づいていた。
ほんの僅かな違和感。
視線の戻りが、わずかに遅い。
思考が、どこか別へ向いている。
(……何か、探しているな)
だが、何も言わない。
ただ、いつも通りに振る舞った。
――――
――その日一日。
テュエルは“完璧”だった。
護衛として、従者として、隙は一切ない。
だがその内側は冷え、同じ思考だけが回り続けていた。
(どこだ)
(誰が触れた)
(いつ消えた)
そしてその合間に。
レイラが厠へ席を外した瞬間。
あるいは、来客に呼ばれた瞬間。
その“数刻”だけが、空白になる。
その隙を、逃さなかった。
⸻
皇族の庭。
昼下がり。
日差しの下、シャガルはいつも通り“特等席”の大岩の上で仰向けに寝転び、ぼんやりと空を見ていた。
(少し休むか……)
その時。
ふと、影が落ちる。
(……?)
次の瞬間。
「っ!!」
シャガルは跳ね起きた。
「……おい!!貴様!!」
「何度も言わせるな!居るなら居ると言わぬか!!」
テュエルはそこに立っていた。
「…………」
その目は、いつもと違う。
静かだが――焦点が合っていない。
シャガル
「……して、何の用だ」
(嫌な気配だ……)
テュエル
「あなた、何か拾いませんでしたか?」
シャガル
「何か、とはなんだ」
テュエルは一拍置き――
「ボクの、命よりも大切な物ですよ」
笑っている。
だが、笑えていない。
シャガルは察した。
(あぁ……あれか)
「……知らぬ」
テュエル
「……本当か?」
シャガル
「なぜ余が疑われておる」
テュエル
「……羨ましいと、思ったんでしょう」
シャガル
「は?」
テュエル
「レイラ様との関係を聞いて」
「ボクのものを……」
シャガル
「違う!!!!!」
テュエル
「……羨ましかったんだろう?」
「レイラ様が十三歳の時に折った鶴」
シャガル
「何の話だ」
テュエル
「初めての俺への贈り物だ……」
シャガル
「余ではないと言っている!!」
テュエル
「……あぁ……」
「レイラ様が十一の時の……喉に刺さった魚の骨も……」
シャガル
「そんなもの余が取るわけないだろう!!!」
「むしろなぜそんなものを取っておいてあるのだ!」
テュエル
「レイラ様との思い出です……。いくら魚の骨といえど捨てられるわけがないでしょう……?」
シャガル
「とにかく余ではない……!」
テュエル
「ほんとうに……???」
もはや恐怖すら感じる視線。
シャガル
「ほ、本当だ……」
(こ、こやつの価値観はどうなっておるのだ……)
――空気がじわじわと重くなる。
だがその瞬間――
(まずい)
テュエルの目が切り替わる。
レイラが戻る気配。
⸻
テュエル
「……時間がないですね」
シャガル
「……なんだ……?逃げるのか」
テュエル
「違います」
にこり。
「“保留”です^^」
⸻
そして、何事もなかったように消える。
⸻
――残されたシャガル
「…………」
(なんなのだ、あの男は)
(しかし……)
視線を落とす。
(余が疑われるのも癪だ)
「少し探すか……」
ぽつりと呟く。
――――――
夕刻。
人気のない時間。
レイラは湯殿へ向かう短い回廊を歩いていた。
テュエルは湯殿の外で警護にあたっている。
ほんの短い間だけ、護衛の目が途切れる時間だった。
その静けさの中で、ふと足を止める。
(……?)
微かに、鼻をくすぐる匂い。
(……この匂い……)
テュエルだ。
だが――位置が、おかしい。
視線を上げる。
回廊の外側、露天風呂へ続く庭の方。
木の枝に、黒い影が止まっていた。
カラス。
くちばしには、小さな何か。
(……あれは)
目を細める。
(テュエルの……)
一歩、後ずさる。
(無理だ)
(鳥は……無理だ……)
だが、視線は逸らさない。
(……あれは、テュエルのものだ)
小さく息を吐く。
レイラは、ゆっくりと一歩踏み出した。
「……返せ」
声は低い。
だが、わずかに震えている。
カラスが鳴く。
威嚇するように羽を広げた。
「……っ」
びくり、と肩が跳ねる。
それでも、引かない。
「……それは、ダメだ」
もう一歩。
距離が詰まる。
カラスが羽を広げようとした、その瞬間──
「っ……わぁぁ!!」
レイラが両手を広げ、思い切り威嚇をし返した。
その勢いに、カラスが一瞬だけ怯む。
(……今だ)
レイラはその隙を逃さず、素早く手を伸ばした。
奪い取る。
「……っ」
カラスは一声鳴いて、屋根の奥へ飛び去った。
⸻
「……はぁ……」
小物入れを胸に抱き、息を吐く。
「……こ、怖かった……」
小さく呟いたあと、周囲を見回す。
(誰にも……見られてないな)
ほっと肩の力を抜く。
そしてもう一度、小物入れを確認して──
「……よかった」
ほんの少しだけ、誇らしそうに笑った。
⸻
夜。
風呂上がりの静かな居間。
湯の余韻がまだ残る中――
テュエルは、静かに項垂れていた。
表情は穏やか。
だが、その内側は完全に崩壊している。
(……失った)
(十年分……)
(レイラ様の、痕跡が……)
(思い出が……)
拳が、わずかに震える。
(全部……)
(消えた……)
(……残らない)
――――
その時だった――
「……テュエル」
顔を上げる。
そこに、レイラが立っていた。
「……これ」
差し出されたものを見た瞬間。
思考が、止まる。
「お前のだろう?」
テュエルは反射的にそれを受け取った。
両手で、大事そうに抱きしめる。
「……っ……!」
(あった……)
(戻ってきた……!!)
全身から、力が抜ける。
だが――次の瞬間。
(ハッ……)
(まさか……)
背筋に、冷たいものが走る。
(中身を……)
(見られた……?)
(終わった……)
恐る恐る、顔を上げる。
レイラは、いつも通りだった。
「よかった……やっぱり、お前の大事な物だったのか」
一拍。
「お前の匂いが染み付いていた。気づけて、よかった」
やわらかく、微笑む。
(見られてない……!!)
(……助かった……!!)
シャガル
(……なぜ中を見ぬのだ……)
(惜しいな……)
(あの猿がどこまで壊れるか)
(見てみたかったが)
(……まあよい)
(余まで盗人扱いされかけたからな)
(少しばかり探す羽目になったが……)
⸻
テュエル
「レイラ様……!!」
半ば泣きながら、深く頭を下げる。
「本当に……本当に……!」
「ありがとうございます……!!」
――その時だった。
ポトッ。
胸元から、何かが落ちる。
ぱさり、と開く。
それは――
使い込まれた、小さな手帳。
静寂。
そこに記されていたのは――
あまりにも詳細すぎる、レイラの記録。
体調、食事、睡眠。
そして。
ページの中央に、大きく。
――“周期管理”
「…………」
テュエル、停止。
レイラ、無言。
シャガル、絶句。
⸻
一拍。
二拍。
⸻
レイラは、静かにそれを見下ろし――
「……やっぱり、把握していたんだな」
ぽつりと、そう言った。
⸻
テュエル
(終)
⸻
その夜。
一人の護衛が、静かに膝を抱えていた。
守りきったはずの秘密が――
最悪の形で露見したことにより。
⸻
……だが。
その後も。
その護衛が、手帳を手放すことはなかった。
震える指で。
何事もなかったかのように――
記録を、書き足し続けていた。




