表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/40

【過去編】二人部屋に来た新入りが何でもできるせいで、俺の生活が全部整えられていく話

兵舎、寮。


この二人部屋には、

俺と、もう一人住人がいる。


昨日、

西部族から移ってきたらしい。


黒髪で長身の、

五つ下のガキ。


しかも、顔までいい。


なんかこう、

妙に整っている。


女官なら絶対好きそうな顔だ。


……腹立つ。


せっかく二人部屋を一人で満喫していたのに、

厄介なのが来たな――

それが第一印象だった。


しかもこいつ、

愛想がない。


年下のくせに媚びないし、

群れないし、

無駄話もしない。


なのに、

変に目立つ。


静かなやつほど、

逆に目につくことってあるだろ。


あれだ。


あとから聞いた話だと、

こいつは西部族長――セルガの息子らしい。


「あぁ……

なるほどな」


とは思った。


あのセルガの血筋なら、

あの異様な体格も納得だ。


最初に会った時点で、

あいつは妙にデカかった。


十二歳で兵舎入りしたと聞いていたが、

どう見ても同年代の体格じゃない。


細身ではある。


だが、

手足が長く、

骨格が出来上がりすぎていた。


並ぶと普通に圧がある。


思わず聞いた。


「……お前ほんとに十二か?」


するとあいつは、

真顔のまま答える。


「十二ですが」


「絶対嘘だろ」


「本当です」


可愛げがない。


だが不思議なことに、

本人は“族長の息子”って肩書きを、

一度も口にしなかった。


威張らない。


偉ぶらない。


むしろ、

そういうものに興味がないようにすら見えた。


ただ黙って、

やるべきことをやっている。


それが余計、

気に食わなかった。


そいつは、

俺が目を覚ます頃にはもう居ない。


どこへ行ったのかと思ったが、

いつも通り支度をして稽古場へ向かうと、

もう剣を振っていた。


朝靄の中。


黙々と。


ひたすら。


誰より早く来て、

誰より長く剣を振る。


「……おい、新入り」


声をかけても、

返ってくるのは短い返事だけだ。


「……なんでしょう」


愛想がない。


無駄口も叩かない。


だが、

妙に目立つ。


剣筋が――綺麗だった。


無駄がない。


最初から形が出来ている。


完成している、とすら思えた。


それなのに。


まだ上があるみたいな振り方をする。


癖もない。


迷いもない。


ただ“正しい”だけを積み重ねているような動きだった。


……腹立つ。


普通は、

どこか崩れるものだ。


癖が出る。

迷いが出る。

力に引っ張られる。


だがこいつは違った。


最初から最後まで、

一切乱れない。


何より、

集中力が異常だった。


普通なら疲れで崩れる時間になっても、

あいつだけ動きが鈍らない。


むしろ、

後半の方が鋭い。


「お前、寝てんのか?」


ある日、

思わず聞いた。


するとそいつは、

少しだけ考えてから答えた。


「……寝てますよ」


「少なくね?」


「必要な分は」


必要な分。


なんだその答え。


だが実際、

俺は一度もあいつの寝顔を見たことがなかった。


夜中に目を覚ませば、

部屋の端で小さな灯りが揺れている。


本を読んでいる。


紙へ何かを書き込んでいる。


時には裁縫道具まで広げていた。


……何をしているのかと思えば、

刺繍だった。


しかも、花の。


意味がわからなかった。


兵舎でやることじゃない。


剣の手入れでも、

訓練の復習でもない。


ただ黙々と、

針を動かしている。


かと思えば翌朝には、

誰より早く稽古場に立っている。


意味が分からない。


しかも。


兵たちは毎日、自分たちの昼飯を自分で用意する必要があった。

いわゆる簡易の炊事当番制で、火起こしから調理までを順番に回す、面倒な雑務だ。


普通は渋るし、できれば避ける仕事だった。


なのにこいつは、

当番でもないはずの日まで、そこにいる。


気づけば当然のように、

一番手際のいい位置で火を扱っていた。


薪を組むのも早い。

火種を扱うのも迷いがない。


まるで最初から、

段取りが頭の中に入っているみたいだった。


「お前、料理できんの?」


「多少は」


またそれだ。


多少どころじゃない。


「……うま」


誰かが呟いた瞬間、

周囲の空気が変わる。


焼いた肉は柔らかく、

煮込みは妙に深く染みている。

火加減も異様なほど安定していた。


兵士の野営飯とは思えない。


「待てこれ誰作った?」


「新入り」


「は???」


ざわつく声の中でも、

本人は淡々としていた。


「おかわりありますので」


怖ぇよ。


しかも、

それだけじゃ終わらない。


ある日、

稽古を終えて部屋に戻った時だった。


膝のあたりが裂けているのに気づく。


「……あー、最悪だ」


ため息を吐きながら座り込んだ、その時。


後ろから声が落ちる。


「先輩」


振り返ると、

いつもの無表情。


「服、貸してください」


「……は?」


唐突すぎる。


「縫います」


「お前、裁縫までできんの?」


「多少は」


またそれか。


半信半疑のまま渡した数刻後。


返ってきた服を見て、

俺は絶句した。


綺麗すぎる。


どこが破れていたのか分からない。


「……お前ほんと何なんだ?」


「?」


本人は不思議そうに首を傾げる。


その顔を見て、

なんかもう聞く気も失せた。


そんなある日だった。


夜。


部屋で、ふと自分の髪を触る。


後ろで一つにまとめているだけの髪が、少し伸びてきていた。


「……そろそろ切るかー」


誰に向けたわけでもない、ただの独り言だった。


だが。


珍しく、

あいつの方から声をかけてきた。


「先輩」


「なんだ?」


「髪、切らないで欲しいんです」


「……は?」


思わず聞き返す。


突然何を言い出すんだこいつ。


「ちょっと、

調髪の練習台になって頂きたくて」


「…………は?」


調髪?


聞き間違いか?


「そのまま伸ばして頂きたいんです」


真顔だった。


怖い。


「給料半分差し上げますので」


重い。


「いや待て待て待て」


「なんでそこまで本気なんだよ」


「必要なので」


即答。


意味が分からない。


だが、

こいつはこういう時、

絶対に引かない。


「……いや、

金はいらねぇよ」


「伸ばせばいいんだろ?」


ぱぁ、と。


初めて年相応の顔で笑った。


「ありがとうございます!」


ちょっと嬉しそうだった。


その数日後。


「痛っ」


「……すみません」


手は止まらない。


動きは慎重で、妙に丁寧だった。


「……まだ終わんねぇの?」


「……まだです」


少し間があって、また手が動く。


「……いて」


「すみません……」


テュエルはすぐに謝る。


だが、やめない。


やめるという選択肢が最初から入っていないみたいだった。


「じっとしててください」


「してるって」


「もう少しで掴めそうです」


「何がだよ……」


静かなやり取りだけが続く。


テュエルは時々、小さく息を吐きながら、

角度を変えたり、手を止めて考え込んだりする。


「……難しいですね」


それでもまた、

同じように手を動かす。


まるで誰かの髪を扱っているみたいに。


しかも、

調髪だけでは終わらなかった。


「先輩」


「今度はなんだ」


「帯を結ばせてください」


「……は?」


「着付けの練習を」


「なんで???」


「必要なので」


またそれだ。


必要ってなんだ。


何を目指してるんだこいつ。


だが。


不思議と、

嫌ではなかった。


「先輩」


「今度はなんだ」


「化粧も、試していいですか?」


「嫌だが???」


だが押し切られた。


数十分後。


鏡を見た俺は、

しばらく固まった。


「…………」


妙に、

顔がいい。


なんか、

優男っぽくなってる。


腹立つ。


テュエルは真剣な顔で顎へ手を当てていた。


「なるほど……

目元を少し変えるだけで印象がかなり……」


「お前何を目指してんの?」


「? 護衛ですが」


……分からない。


本当に分からない。



そんな生活がしばらく続いた頃だった。


ある日、

部屋へ戻ってきたあいつを見て、

俺は思わず眉をひそめた。


「……お前、伸びたな」


テュエルは、

きょとんとした顔でこちらを見る。


「そうでしょうか」


いや、

そうだろ。


前より視線が高い。


というか、

普通に見下ろされている。


「……お前、

どこまでデカくなる気だよ」


「さぁ」


興味なさそうに返しながら、

あいつは平然と本を開いた。


……腹立つ。


それからしばらくして。


気づけば、

俺の髪は以前より少し長く整えられていた。


後ろでまとめられた髪は、

以前よりもきっちりと形が決まっている。


結び方も、妙に崩れない。


「……お前、それ自分でやってんのか?」


稽古場で言われた。


「いや、あいつ」


「……え?」


一瞬、周りが止まる。


「新入りだよ」


「は?髪までいじれんのかよあいつ」


「何でもやるな」


「器用とかの範疇じゃねぇだろ」


ざわつく声の中で、

俺でさえ思った。


(……あいつ、ほんと何してんだ)



ある日、

俺は熱を出した。


身体が重く、

起き上がれない。


稽古も休み、

部屋で寝ていた。


昼頃だった。


扉が開く。


「失礼します」


テュエルだった。


手には湯気の立つ椀。


「食べれますか」


粥だった。


しかも、

めちゃくちゃ良い匂いがする。


「……お前、

昼休憩じゃねぇの?」


「そうですよ」


当然のように返す。


水を置く。


窓を少し開ける。


濡らした布を置く。


「体拭いてください」


着替えを置く。


「こっちの方が楽ですよ」


そして。


「布団、替えておきますね」


手際が良すぎる。


俺はぼんやり思った。


……俺、

愛されてる?


勘違いしそうだった。


だが。


「じゃあ戻ります」


そこで終わる。


妙に距離感は淡白だった。


世話は焼く。


だが、

踏み込みすぎない。


その線引きが、

逆に慣れてる感じで怖い。



最初は気味の悪い新入りだったはずなのに、

気づけば普通に話していた。


相変わらず無愛想で、

妙に静かで、

寝てる姿も見たことがない。


なのに。


こいつと居ると、

妙に生活が整う。


ある日。


戻ると、

脱ぎ散らかしていた服が綺麗に畳まれていた。


「……おい」


「なんです?」


「俺の服触ったか?」


「皺になりそうだったので」


怖い。


だが。


飯は出る。


服は直る。


部屋まで綺麗になっていく。


もはや兵舎のおかんだった。


そんなある日。


稽古の休憩中、

兵士達が笑いながら噂話をしていた。


「また女官が姫様に泣かされたらしいぜ」


「あー、目を見られて心読まれたとか?」


「俺もこの前、宮内の巡回で見たけどよ」


「あの目やばくねぇ?」


「分かる。

 宝石みてぇなのに、なんか怖ぇんだよな」


「魂抜かれそう」


「分かるわ」


「下手に目合わせたら石にされるとか聞いたぜ」


「しかも全然笑わねぇしな」


「カラクリ人形みてぇだった」


兵士達はケラケラ笑っていた。


ただの噂話。


ただの悪ふざけ。


誰も本気で言ってるわけじゃない。


……だからこそ、

余計に質が悪かった。


流石に言いすぎだろ、と俺でも思った。


その瞬間だった。


空気が変わった。


「……それ」


低い声。


全員が振り返る。


少し離れた場所に、

あいつが立っていた。


黒い目だけが、

妙に冷えている。


「……誰の話だよ」


兵士達が顔を見合わせる。


「なんだ新入り」


「お前、

 西部で鬼才児って呼ばれて調子乗ってんじゃねぇだろうな?」


「……誰の話だって聞いてんだろ」


声は静かだった。


だが。


怖い。


空気が、

ぴり、と張る。


「……このクソガキ、

 大人の話聞けねぇのか?」


そこで、

さっきまで噂話の中心にいた失礼な先輩兵士が口を開いた。


「姫がカラクリなら」


一拍。


「こいつはガラクタだな」


「――っ!!」


ぶちり。


何かが切れた音がした。


次の瞬間には、

乱闘だった。


いや、

乱闘なんてもんじゃない。


一方的だった。


あいつは終始、


ほとんど無表情のまま殴っていた。


怖かった。


本気で。


「やめろ、テュエル!!」


と、止めに入った俺まで殴られそうになったくらいだ。


結局、

族長にこってり絞られたらしい。


だが、

侮辱した側に問題があるということで、

大きな処罰にはならなかった。


……まあ。


半殺しになっていた兵士達が、

既に十分な罰だったとも言える。


夜。


部屋へ戻ると、

あいつは黙って手を洗っていた。


拳の皮が破れている。


「……お前さ」


声をかける。


あいつは振り返らない。


「なんでそこまで怒ったんだよ」


沈黙。


しばらくして。


小さく、

声が落ちた。


「あの方は」


静かな声だった。


「……そんな風に言われていい人じゃない」


その言葉だけで。


なんとなく、

分かった気がした。


あぁ。


こいつにとって、

姫は。


そういう存在なんだな、と。


だからなのか。


それ以降、

俺は妙なことに気づき始めた。


こいつ、

やたらと宮内の巡回番を取りたがる。


兵士達の間では、

宮内巡回はそこそこ人気がある。


稽古漬けの時間よりも拘束が緩く、

門番のように同じ場所に縛られることもない。


ただ見回って歩くだけで済む分、

気分的にはずっと楽だった。


飯も少し良い。


だが、

テュエルの執着は少し異常だった。


空きが出れば入る。


変更があれば代わる。


気づけば、

かなりの頻度で宮内へ行っている。


ある日、

さすがに気になって聞いた。


「お前また宮内巡回希望してんのか」


書類を書いていたテュエルは、

顔も上げずに答える。


「はい」


「好きだなお前」


「……近いので」


「何が?」


そこで初めて、

あいつの手が止まった。


ほんの一瞬だけ。


それから、

何事もなかったように紙へ視線を戻す。


「……色々です」


「なんだそれ」


適当にはぐらかされた。


だが。


その時だけ、

こいつが少しだけ機嫌良さそうに見えたのを、

俺は見逃さなかった。



その夜も。


俺が目を覚ますと、

部屋の端には小さな灯りが揺れていた。


あいつはまた、

本を読んでいる。


静かに。


淡々と。


机の上には、

また見慣れない本が積まれていた。


剣術書ではない。


薬草。

人体図。

法律書。


兵士の部屋とは思えない。


俺は半分呆れながら聞いた。


「……お前さ」


「何をそんなに勉強してんの?」


テュエルはさらりと答える。


「医療、とか」


紙をめくる。


「法、とか」


また一冊開く。


「身体構造、ですね」


「…………」


俺は黙った。


……こいつ、

何になりたいんだ。


兵士じゃないのか?


だがテュエルは、

そんな俺の困惑など気にした様子もなく続ける。


「知らないと、対応できませんから」


「何に?」


「色々です」


色々ってなんだ。


しかもこいつ、

本を読むだけで終わらない。


気になったことは、

実際に試す。


検証する。


失敗して、

また試す。


何を目指しているのか、

本当に分からない。


だが。


本人だけは、

至って真面目だった。


「見たことのない理屈は信用しません」


「だから試します」


それが、

こいつの基準らしい。


百聞は一見にしかず。


その言葉を、

こいつほど実践している人間を俺は知らない。


そして。


その検証癖は、

日常生活にも現れていた。


ある日の風呂場。


俺が湯に浸かっていると、

テュエルが入ってきた。


桶で湯を被る。


洗う。


流す。


終わり。


そのまま湯船へ飛び込み――


沈む。


「…………」


浮いてきた。


そして出ていった。


多分、

二分くらいだった。


俺は思わず呼び止める。


「お前それちゃんと洗えてんのか?」


テュエルは振り返る。


「匂いますか?」


「……いや、

別に平気だけどよ」


「なら問題ないですね」


「…………」


こいつ、

生き方が合理主義すぎる。


後で聞いたら、


「不要な工程を削ってるだけです」


と言っていた。



兵舎で過ごすうち、

俺は段々理解していった。


こいつは、

全部“必要だから”覚えている。


“必要だから”削っている。



料理も。


裁縫も。


医療も。


調髪も。


化粧も。


全部。


誰かを守るために。


その“誰か”が誰なのか、

その時の俺はまだ知らなかった。



それからしばらくしてのことだった。


あいつは珍しく、

少しだけ浮ついた様子で兵舎に戻ってきた。


「姫の護衛試験が実施されるらしい」


そう聞いた時の顔は、

ほんのわずかだが――興奮していた。


だが次の瞬間。


募集要項を見て、

静かに固まった。


「……17歳から」


今のあいつは16。


それだけで、

すべてが分かってしまった。


たぶんこいつは、

これのために生きてたんだろう。


珍しく、

その日あいつは稽古場にも来なかった。


夜になっても灯りはつかず、

部屋の端で不貞寝していた。


あいつがそんなふうになるのは初めてで。


正直、

ちょっとだけ気の毒だと思った。


……まぁ、

言わないけどな。


そういうのは。


それから数日後。


宮内で護衛試験が行われたと聞いた。


「今年、合格者なしだったらしいぞ」


その報告を聞いた瞬間、

俺は妙に急いで部屋へ戻った。


「おい!!」


「今年、合格者いなかったらしいぞ!!!」


珍しく、

あいつの手が止まる。


「……え?」


声が少しだけ崩れる。


「……どういうことだ!?」


「いや、そのまんまだよ……」


「姫様が、“この中からは選べない”ってさ」


「陛下も困惑してたけど、

 また一年後に持ち越しになったらしい」


一瞬の静寂。


そして。


――次の瞬間。


「――っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


「っ……!!?」


思わず肩が跳ねた。


あいつが、

そんな声を出すのを初めて聞いた。


珍しく崩れた顔。


むき出しの感情。


……あぁ。


こいつは。


本気で、

姫の護衛になりたいんだ。


そう思ったら、

なんか妙に納得した。


それからの一年。


俺はなぜか、

率先してあいつの手伝いをするようになっていた。


と言っても大したことじゃない。


調髪の練習台になったり、

着付けをさせたり、

化粧の実験台になったり。


……ほぼ被害者だ。


それでも、

不思議と悪くはなかった。


そして一年後。


あいつは、護衛になった。


―――――


二人部屋には、

もう誰もいない。


灯りも揺れない。


妙に静かだ。


「……おかんが居なくなっちまったな」


そう呟いた時、

少しだけ笑ってしまった。



―――――


宮内巡回の帰りだった。


廊下の向こうから、

見覚えのある顔が見える。


……テュエルだ。


黒髪だった髪は赤くなり。


顔つきも変わった。


いや、

“変わった”というより――


俺の知ってるあいつじゃないみたいだった。


昔は無愛想で、

必要最低限しか喋らなかったくせに。


今は違う。


姫の隣では、

妙に柔らかい顔をしている。


前までの無表情が嘘みたいに、

穏やかに笑っていた。


……おい。


そんな顔できたのかよ、お前。


今じゃ、

姫直属の護衛。


姫の半歩後ろを歩く姿は、

兵舎にいた頃とは別人みたいだった。


隣には、

銀糸の髪を揺らす姫。


自然と視線がそっちへ向く。


……なるほど。


あぁ。


こいつが、

全部“必要だから”覚えてた理由。


ようやく分かった気がした。


俺はなんとなく、

軽く手でも上げようとして――


やめた。


テュエルは前を向いたまま歩いている。


相変わらず愛想もない。


……ちっ。


なんだよ。


もう俺のことなんか、

どうでもいいってか。


少しだけ、

寂しく思った。


その時だった。


すれ違いざま。


テュエルが、

ほんの少しだけこちらを見る。


そして。


「お疲れ様です、トウジ先輩」


何事もない声だった。


いつもの、

静かな声。


だが。


その瞬間。


俺は思わず立ち止まった。


テュエルはもう振り返らない。


ただ当然みたいに、

姫の半歩後ろを歩いていく。



――あぁ。


なんだよ。


……覚えてんじゃねぇか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ