レイラ様は今日もかわいい
朝。
皇城の回廊には、冷えた空気と規則正しい足音だけが静かに響いていた。
銀糸の髪を揺らしながら、レイラが謁見の間へ向かって歩いていく。
背筋は真っ直ぐ。
歩みに迷いはない。
凛として、
どこか近寄り難いほど美しい姿だった。
すれ違う者達は皆、無意識に頭を垂れる。
その背を見送りながら、警備中の兵士達が小声で囁いた。
「……やっぱり姫様、綺麗だな」
「あぁ……
あれだけ整ってると、逆に現実感ねぇよな……」
「分かる。
なんというか……隙がない」
片方の兵士が、少しだけ声を潜める。
「正直、ちょっと怖い時ある」
「あー……
何考えてるか分からない時あるよな」
「最近は少し柔らかくなった気もするけど……
それでも、近寄り難いというか……」
その時だった。
「……何を言ってるんです?」
兵士達の肩が跳ねる。
いつの間にいたのか。
背後には、穏やかな笑みを浮かべたテュエルが立っていた。
だが。
目が、まったく笑っていない。
「テュエル様!?」
テュエルは小さくため息を吐いた。
「わかっていませんね」
「レイラ様のことを、
そんな風にしか見れていないなんて」
兵士達が困惑していると、今度は反対側から低い声が落ちる。
「ふん。
猿の言う通りだ」
(ふ、増えた……)
そこには腕を組んだシャガル。
呆れたように鼻を鳴らし、兵士達を見下ろす。
「怖い?
近寄り難い?」
「……何を見ている」
「い、いや……
姫様は美しいです……!」
「で、ですが……!」
「は、はい……
どちらかというと、
凛々しいとか……
そういう……」
「……は?」
空気が、冷えた。
テュエルの笑顔が深まる。
怖い。
シャガルも眉を寄せた。
「……違うな」
テュエルは真顔で言い切る。
「レイラ様は、かわいいでしょう」
(かわいい……???)
兵士達の理解が止まる。
だがシャガルも当然のように頷いた。
「あぁ。
あれほど愛らしい女を、余は知らぬ」
(愛らしい……???)
(あ、あの姫様が……???)
二人の中で見えているレイラが、
兵士達の知るレイラと違いすぎる。
テュエルはさらに続けた。
「レイラ様はですね」
「褒められたり、照れたりすると、
少し困ったように視線を逸らすんですよ」
「あと、甘味を食べる時、
口元が少し緩む」
「分かる」
シャガルが深く頷く。
「あやつ、
気を抜くとすぐ顔に出るからな」
(で、出るのか……?!)
兵士達は動揺した。
テュエルは満足そうに続ける。
「考え事をしている時もかわいいですね」
「無意識に髪を触る癖がある」
「あぁ。
あと眠い時は、
瞬きの回数が増える」
「分かります」
(なんだこの会話……)
二人の熱量だけが、どんどん上がっていく。
「風呂上がりも、危険だ」
シャガルが真顔で言った。
テュエルも即座に頷く。
「……あぁ」
「濡れた髪を払う仕草、
あれは反則でしょう」
「……うむ」
真顔で頷く妖王。
「あと、寝起きだな」
「……っ」
テュエルは思わず顔を押さえた。
「やめてください。
あれは本当に理性に悪い」
(寝起き???)
(風呂上がり???)
(どこまで知ってるんだこの人達)
兵士達は完全に置いていかれていた。
シャガルはどこか遠い目をした。
「寝起きのあいつは、
妙にぽーっとして無防備だ」
「早起きするくせに、
朝には弱い」
「分かる……!」
テュエルが勢いよく食いつく。
「いつも同じ箇所に寝癖がついていて……
かわいいっ……!」
思い出しただけで頬が緩んでいる。
シャガルも口元を押さえた。
「ふっ……
視線が定まっていないあの表情が……
たまらん……っ」
(何を聞かされてるんだ俺達は)
兵士達の顔から、完全に感情が消えていた。
そんな彼らを置き去りにしたまま、テュエルはふと目を細める。
「だが、そもそも」
「レイラ様を“怖い”などと言う時点で、
不敬だ」
静かな声音。
だが圧がすごい。
シャガルも鼻を鳴らした。
「そうだ。
あやつは、不器用なだけだ」
「信頼した相手には、
存外、甘い」
「えぇ」
テュエルは静かに笑う。
「本当に……
かわいい方です」
そして。
「あなた達は、
知らなくていいことだが」
目だけが、まったく笑っていなかった。
兵士達は思った。
(なんかもう)
(姫様よりこの二人の方が怖い)
テュエルはふっと笑みを消し、隣の妖王へ視線を向けた。
「だが、シャガル」
「お前も、
レイラ様を知っているかのような口ぶりはやめろ」
「……なんだと」
ぴり、と空気が張る。
兵士達は無言で顔を引き攣らせた。
(……うわぁ……)
シャガルは腕を組んだまま鼻で笑う。
「ふん。
余など、この前レイラと渓流へ行ったぞ」
(渓流……?)
兵士達が困惑する横で、テュエルの動きが止まった。
「……は?」
「二人で魚を釣った」
シャガルの口角がゆっくり吊り上がる。
「“お前抜き”でな?」
「…………」
ぴき。
空気が凍った。
(今、なんか鳴ったぞ)
兵士達の頬が引き攣る。
だがテュエルは、すぐににこりと微笑んだ。
怖い。
「……まぁ」
「それくらいで、
随分嬉しそうですね?」
「ほぉ?」
「ボクはレイラ様と、
釣りなど幾度となく行っていますので」
「なに?」
シャガルの眉がぴくりと動く。
テュエルは勝ち誇ったように続けた。
「木に登って果物を採ったこともあります」
「腕枕をして、
一緒に昼寝したこともありますね」
(腕枕!?!?)
兵士達が目を剥く。
シャガルは一瞬だけ沈黙した。
だが、すぐに鼻で笑う。
「……ふん」
(あ、なんか来る)
兵士達は反射的に身構えた。
シャガルはにやりと笑う。
「だが、猿」
「貴様は、
長く一緒に居すぎたことが
弊害になっているのではないか?」
「……どういう意味だ」
テュエルの笑顔がわずかに引き攣る。
シャガルは愉快そうに目を細めた。
「簡単な話だ」
「“新鮮さ”を与えられるのは、
余ということだ」
「照れた顔も」
「困惑する顔も」
「貴様には、
もう見れまい?」
完全なるドヤ顔だった。
「…………」
ぴく。
テュエルのこめかみが引き攣る。
シャガルはさらに追撃する。
「余が少し触れるだけで、
あやつはすぐ顔を赤くする」
「実に、初々しい」
「…………はっ」
テュエルが笑った。
怖い。
「まぁ」
静かに息を吐く。
「新鮮さという点では、
お前に分があるのかもしれませんね?」
(認めた!?)
兵士達が驚く。
シャガルは満足そうに鼻を鳴らした。
だが次の瞬間。
「――ですが」
空気が変わった。
テュエルの声が、静かに落ちる。
「レイラ様が、
本当に疲れた時」
「無意識に向かう場所は、
ボクの隣ですよ」
シャガルの表情が止まる。
テュエルは穏やかに続けた。
「警戒も、
緊張も、
何もない」
「ただ安心しきって、
寄りかかって眠る」
「昔から、ずっとです」
(重い重い重い)
兵士達の顔が死ぬ。
テュエルはゆっくり目を細めた。
「レイラ様が、
本当に気を抜いた顔をするのは」
「……ボクの前です」
黒い笑みが、
ふわりと広がる。
「守るのは、俺です」
「触れるのも、俺です」
「安心させるのも――」
そこで一拍。
そして。
「……全部」
親指を立て、
自らを指した。
「お・れ」
(子供?????)
兵士達が真顔になる。
シャガルの額に青筋が浮かんだ。
ぴき。
空気が軋む。
だが次の瞬間、
シャガルの口元がゆっくり吊り上がる。
「……ふ」
「貴様」
「レイラに、
本気で平手打ちされたことはあるか?」
(平手打ち!?)
兵士達が再びざわついた。
テュエルは一瞬、理解が止まる。
「…………は?」
シャガルは腕を組み、
堂々と言い切った。
「余はある」
「頬をな」
(なんでそんな誇らしげなんだ)
兵士達は困惑した。
だがテュエルの目は大きく見開かれる。
「…………っ!!」
「ま、まさか……!」
シャガルは完全勝利顔だった。
「余が少々、
煽りすぎた時にな」
「見事に叩かれた」
「なかなかだったぞ……」
恍惚とした表情で語る妖王。
テュエルの拳が震える。
(羨ましい……!!)
(俺も……叩かれたい……!!)
一瞬、本音が顔に出た。
だが。
すぐに、すぅ……と真顔へ戻る。
(……戻った)
兵士達が冷静にツッコむ。
テュエルは静かな声で問い返した。
「……つまり」
「レイラ様に、
平手打ちされるようなことをした、と?」
「…………」
シャガルの眉がぴくりと動く。
テュエルは深いため息を吐いた。
「はぁ……」
「やはり、ただの獣ですね」
(始まった)
兵士達が遠い目をする。
「ボクは、
レイラ様にそのようなことを
させたことはありません」
「レイラ様は優しい方です」
「本気で怒らせるなど、
論外でしょう」
「……ほぉ?」
シャガルの眉が上がる。
だがテュエルは止まらない。
「叩かれたことを誇るなど、
正直理解できませんね」
(正論だ……)
(……でも、さっき羨ましそうにしてたじゃん)
兵士達だけは知っていた。
シャガルは鼻で笑った。
「……ふん」
「浅いな、猿」
「……なんです?」
テュエルの笑顔がさらに深くなる。
怖い。
だがシャガルは気にした様子もなく続けた。
「本気で感情をぶつけてきたということだ」
「余に対してな」
「…………」
ぴく。
テュエルの眉がわずかに動く。
シャガルはどこか誇らしげに目を細めた。
「怒りも、
苛立ちも、
羞恥も」
「すべて隠さず、
余へ向けた」
「……実に愛らしかったぞ」
「………………」
空気が重い。
兵士達はそっと目を逸らした。
(また空気悪くなった)
テュエルは黙ったまま、
じっとシャガルを見つめる。
その目が、
すぅ……と据わった。
(うわ)
(目が据わった)
やがて。
テュエルは静かに一歩前へ出た。
「つまり、お前は」
「レイラ様を怒らせたことを、
自慢しているわけですね?」
「違うな」
シャガルは即答した。
「“余だからこそ”、
あやつは感情を隠さなかった」
「それだけだ」
「……は?」
テュエルの笑顔が引き攣る。
シャガルは追撃するように口角を上げた。
「貴様の前では、
良い子でいようとしているのではないか?」
「…………」
ぴたり。
テュエルの動きが止まる。
兵士達は悟った。
(あっ)
(地雷踏んだ)
次の瞬間。
「随分と、
好き勝手言ってくれますね?」
黒い笑みが浮かぶ。
だがシャガルも退かない。
「事実だろう」
「余の前では、
あやつは実に表情豊かだ」
「怒る」
「照れる」
「呆れる」
「実に、忙しい」
「……なるほど」
テュエルがにこりと笑った。
怖い。
「つまりお前は、
レイラ様に“手のかかる男”認定されてるわけだ」
(うわぁ……)
(これ、いつまで続くの……?)
兵士達の心が遠くへ行き始める。
シャガルの額に青筋が浮かんだ。
「……ふん」
「貴様こそ、
保護者面が過ぎるのではないか?」
「甘やかしすぎだ、猿」
「甘やかしているのではありません」
テュエルは即座に返す。
「大切にしているんです」
「同じことだ」
「違いますね」
(どっちでもいいよもう)
兵士達が心の中で泣いた。
びり、と空気が軋む。
回廊の壁が、
みし……と嫌な音を立てた。
(え)
(今、壁鳴った!?)
(やばいやばいやばい)
だが当の二人は気にしない。
テュエルは冷ややかに目を細めた。
「だいたい、
お前は距離感が近すぎるんですよ」
「貴様にだけは言われたくない」
「レイラ様が困っているでしょう」
シャガルは平然と言い放つ。
「困った顔も可愛い」
「分かります」
(分かるんだ……)
兵士達はもうツッコむ気力もなかった。
シャガルは鼻を鳴らす。
「だが余は、
嫌がることはせぬ」
「……そんなことは突然ですよ」
テュエルがにやりと笑う。
シャガルの眉が動いた。
「……なにか言いたげだな?」
テュエルは勝ち誇ったように口を開く。
「……レイラ様は、
ボクに触れられるの嫌がりませんので」
「…………」
ぴき。
また空気が鳴った。
(また鳴った)
兵士達は反射的に壁から距離を取る。
シャガルは低く返した。
「……余にもだ」
「……ですが」
テュエルは一歩も退かない。
「レイラ様から自然に寄ってくるのは――」
「余だな」
「俺です」
「余だ」
「俺です」
「余」
「俺」
(子供????)
兵士達が真顔になる。
その時だった。
――ぴたり。
二人の言葉が、
同時に止まる。
「?」
兵士達が目を瞬かせる。
テュエルがふと視線を横へ流した。
シャガルも同じ方向を見る。
一瞬の沈黙。
そして。
「……謁見が終わったようですね」
テュエルが穏やかに呟く。
シャガルも鼻を鳴らした。
「ふん。
こちらへ来るな」
(分かるの!?)
兵士達は戦慄した。
まだ誰の姿も見えていない。
足音すら聞こえない。
だが二人は、
当然のようにその気配を察していた。
さっきまで壁を軋ませていた空気が、
嘘のように霧散する。
テュエルは乱れ一つない笑みに戻り、
シャガルも何事もなかったかのように腕を組んだ。
(戻った……)
怖い。
いろんな意味で怖い。
やがて。
回廊の奥から、
銀糸の髪が姿を現す。
レイラだった。
テュエルは穏やかに微笑む。
「……まぁ」
「結論として、
レイラ様はかわいい、ということです」
「うむ」
シャガルも真顔で頷いた。
「それだけは真理だ」
(そこは一致するんだ……)
兵士達はもはや疲れ切った顔で頷くしかない。
そして二人は、
当然のようにレイラの方へ歩き出した。
「レイラ様♡」
「レイラ」
(切り替え早っ)
去っていく三人の背を見送りながら、
兵士の一人がぽつりと呟く。
「……なぁ」
「なんだ」
「姫様って……」
一拍。
「案外、
すげぇ人なんじゃないか?」
「いや、
今さら???」
なお。
その日以降、
回廊で姫について語る兵士は減った。
主に、
後ろから現れる二人が怖すぎるためである。




