表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AionioS  作者: 無日
第七章:とこしえに触れる間際

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/73

第70話:残り火に祈りを

「ミレリスの人に、殺された」


 夜風が吹いた。


 ランタンの光が一つ、遠くで揺れて、闇の中へ溶けていく。

 あれだけ星の数ほどあった灯りが今は数を減らし、ベランダの唯一の照明は室内から伸びたランプひとつ。


 言葉が、遅れて落ちてくる。


 頭に入ってきた言葉を処理するのに時間がかかった。

 口からでた声は自分の想定していたより一段低い。


「…だから、オーダーに入ったのか」


 わずかな沈黙。

 ロビンは、ゆっくりとこちらを見た。

 その動きに無駄はなく、ただ視線だけが真っ直ぐに刺さる。


「オーダー育成プログラムなんて、大層な名前してるけど」


 淡々とした声音。


「いい制度だよね。地下でくたばるしかなかったガキが、地上に出られる。力も、身分も、金も──全部揃う」

「……ロビン?」


 呼びかけても、返ってくる気配はない。


「ミレリスに近づく理由としては、十分」


 その目は、笑っていなかった。


 任命式で見た、あの視線。

 獲物を値踏みする猛禽のような、冷え切った光。


 逸らせない。


 視線が絡んだまま、空気だけが冷えていく。


「あんたみたいなのと組まされたのも、都合がよかった。……いくらなんでも、Voidのやつを招き入れるなんて不用心すぎるけど」


 次の瞬間、胸ぐらを掴まれた。

 布が強く引かれ、視界がぶれる。

 ぐっと引き寄せられ、踵がわずかに地を離れた。


「……ッ」


「そういえば、あんたってミレリス出身だったよね」


 指先に、力がこもる。


 逃げ場はない。


 空気が、張り詰める。


「なら、──あんたが一人目」


 その言葉と同時に、重力が歪んだ。

 床に押しつけられる感覚と、逆に引き剥がされるような違和感が同時に走る。

 ほんのわずかでも力が増せば、身体ごと叩きつけられる距離。


 けれど──


 オーティスは動かなかった。


 抵抗もせず、ただ正面からロビンを見ている。

 その沈黙の中で、何かを確かめるように。


「……復讐するやつが」


 一歩、踏み込む。

 その手首を掴んだ。


「そんな顔するわけないだろ」


 ぴたり、と動きが止まる。

 ロビンの目が、見開かれる。

 ほんの一瞬だけ、仮面がずれたように。


「……」


 力が抜ける。

 指先から、重力から、視線から。

 張り詰めていたものが、するりとほどけていく。


 小さく、息が漏れた。

 構えも何もかも崩して、肩を落とす。


「冗談」


 ぱっと手が離れる。

 さっきまでの圧が嘘みたいに、軽い。


「でも忠告は本当。あんたは人を信じすぎ」


 夜風が、もう一度吹く。

 ランタンの光が、二人のあいだをかすめていった。


「それで……犯人はどうなったんだ。ちゃんと捕まったのか」

「………事故だった。地上にでたときに、頭を撃たれて」

「そう、か」


 何も言えなかった。

 ロビンの横顔はもう笑っていない。けれど泣いてもいない。

 ただ、あまりにも静かで、その静けさがかえって胸を締めつけた。


「ディルが…オーダーになってたら」


 ロビンがぽつりと続ける。


「きっと今みたいになってない。地上の人たちも味方につけてたと思うし、アタシよりよっぽどオーダーに向いてた。Voidも明るい所になってたかもしれないし、オーダーになりたいって奴がいるなら、もっと受け入れてくれるようにできたかもしれない」


 スノーグローブを握る指先に、わずかに力が入る。

 ガラスに反射する表情が視界の隅に入る。

 目尻が、少し赤く滲んでいるように見えた。



「でも、アタシは……何も…、できそうにない」


「あの任命式に立ったとき、石を投げる奴らを見て、なんのためにオーダーになったのか分かんなくなった」


「Voidのためなのか、復讐のためなのか。アタシは結局どっちつかずにここにいる」



 いつの間にか、仮面は地面に置かれていた。

 冗談のために被ったはずのそれを、今はもう必要ないとでもいうように。


「何言ってる。お前は俺を変えただろ」


 手すりからは手を離し、真正面から言葉を繋いでいく。

 いつもの少し抜けた空気ではなく、芯の通った表情が浮かび上がった。


「先輩のことで塞いでた俺を引き上げたのは、お前だ。あのままだったら、俺はオーダーを続けてても、心はとっくに砕けてた」


 ロビンの瞳が、はっきりと見開かれる。

 金色の奥が揺れて、瞬きの回数が多くなる。


「それを、お前が変えたんだ」


 彼女の喉が小さく上下する。

 何かを言い返そうとして、でも言葉にならないまま止まった。


「そのディルってやつ、ボスだったんだろ?」

「……うん」

「最初は一人でも、仲間を増やしてみんなでやり遂げてたんじゃないか? なら、お前も同じだ」


 その目には、確信だけがあった。

 少しだけ口元を緩める。



「俺がお前の仲間の一人目になる」



「…仲間?」

「俺には、お前が復讐をしたくてオーダーになったとは思えない。俺だって4か月もの間、お前を見てきたんだ。ほぼ毎日だぞ?」

「……………たった4か月で人となりなんてわかりっこない」

「わかる」


 彼は堂々と断言した。

 よほど自身があるらしく、腰に手をあてて。 


「まあ……かと言ってだな。さっそくVoidを何とかしたいとこだが、まずは……食堂からにしよう」

「…食堂?」


 彼女は背を丸めた。

 次にはもう困惑も、哀しそうな表情も奥へ引っ込んでいた。


「ぷはっ…あはは…ふふ…」


 笑いながら、目尻にうっすら滲んだものが光る。


「……っ、はぁ……やっぱり、あんたはイカれてる」

「そうか? こういうのは順序があるだろ? ラスボスは最後に取っておくもんだ」

「食堂ってことは、ラインナップから変えんの」

「ああ。肉を増やしてもらいたい」


 ロビンは堪えきれず、もう一度笑う。


「バカなやつ」


 そう言った彼女の声は、今まで聞いた中でずっと柔らかかった。


 ロビンの声が夜気に溶けたあとも、二人のあいだには不思議と気まずさは残らなかった。

 むしろ、張りつめていたものが少しだけほどけて、ベランダを渡る風まで柔らかくなったように思えた。


 空を見上げれば、さっきまでいくつも浮かんでいたランタンがほとんど消えていた。

 星帯の向こうへ吸い込まれていく光は、願いを運ぶというより、誰かの記憶をそっと空へ返していくようにも見えた。

 彼女の手に包まれていたスノーグローブは、いつの間にかガーデンテーブルに置かれて、そのガラスの表面に星を映してる。


「……ごめん」

「ん?」

「ランタン。あんた飛ばし損ねたんじゃないの? さっきもアタシ…態度悪かったかもしれないし、クララには明日謝る」


 ランタンを拒んで、せっかくの年越しの空気を壊してしまったこと。

 そして、それでもここまで追いかけてきてくれたこと。

 言葉には、その全部が滲む。


「いいよ。クララが気にしてると思うか? 今頃TEMISと占いでもしてるだろ」


 下の階に目をやるように顎をしゃくる。

 短いやり取りなのに、胸の奥にじんわりと温度が残る気がした。


 しばらくの沈黙。


 遠くで新年を告げる都市灯の色がゆっくりと切り替わり、ネクサリスの空が淡い群青から銀色へと表情を変えていく。


「それに、まだ間にあう」


 置いたままだったドローンランタンを持ち上げた。

 薄い膜の中で、まだ起動していない光源が静かに眠っている。


「年が変わるっていうのは、別に何かが急に変わるってことじゃない。日付が変わったからって、昨日の傷が消えるわけでもないし、明日もきっと同じように任務があって、面倒な報告書を書いて、食堂のメニューに文句を言う」

「最後のはあんたの都合でしょ」


 思わず混ざったツッコミに、オーティスは小さく笑う。


「まあな。でも、そういうことだ。年越しのこの日は、今も昔も変わらず、生きてここまで来られたって確認する日なんだよ」


 その言葉に、ロビンの指先がかすかに止まった。


「来年も隣にいてほしい人達を、ちゃんと大事にするためのな」


 風が吹く。


 願い。祈り。節目。


 Voidで生きてきた彼女にとっては、どれも遠い言葉だ。

 陽の届かない地下では日付なんて曖昧で、今日を生き延びることだけで精一杯だったあの頃に、そんな余白はなかった。


「生き延びたことを祝っていい夜なんだ」


 ロビンの目がほんのわずかに揺れ、彼は真正面から続けた。


「ロビン、お前もみんなと同じだ。自分のために願うのが難しいなら、その親友のためでもいい」


 ――ディルのためでも。


 その言葉の外の意味を、ロビンは確かに受け取った。

 しばらく思考を噛み砕くように、彼女は何も言わなかった。

 空へ昇る最後のランタンが、都市の灯りの向こうで小さな点になる。


 やがて、小さく息を吐く。


 彼女の視線が、分厚い手の中のランタンへ落ちた。

 内側で眠る光は、まだ何も願いを乗せていない。

 今はただの器だ。


「……じゃあ、やってみるか!」


 そう言って、ランタンの起動パネルに親指を滑らせる。

 ぴっ、と軽い電子音。


 ――のはずが。


「……あれ?」


 ランタンはうんともすんとも言わない。


 もう一度。

 ピッ……沈黙。


「まさか、もう故障か?」


 パネルを軽く叩いてみる。反応なし。

 角度を変えて、底面のユニットを覗き込み、配線を確かめる。やっぱり動かない。


「……何してんの」

「見て分からないか。機械に嫌われてる」

「そこじゃなくて」


 オーティスは少し焦ったようにランタンを抱え直す。

 せっかくの機会。ここで締まらないのはあまりにも自分らしい。

 だが、だからこそ今だけは、ちゃんと形にしたかった。


「こういう大事な時に限って動かないんだよな……」


 ぼやいた声に、ロビンは数秒黙ったあと、ふっと肩を揺らした。

 笑っている。


「あんたって、いつもこうなわけ?」

「方向音痴の次は機械音痴も加わるのか…?」

「方向音痴?」


 彼女は手すりから背を離し、オーティスの方へ歩み寄った。

 髪の先に霜が散って、ひと粒ひと粒が星屑みたいに瞬いて見える。


「貸して。ドローンがなくてもランタンは浮かばせられるでしょ」


 その言葉と同時に、ランタンはひょいと取り上げられた。


「あ、おい!」

「見てて」


 引き留める間もなく、彼女のつま先がふわりと床から浮いた。

 重力を忘れたように軽やかに、夜のベランダから空へ踏み出す。


 息を呑んだ。


 この家はネクサリスでも高層区画に近く、窓の外はそのまま宇宙に手が届きそうな高さへと開けている。

 星帯が遠くに瞬き、都市灯の海が眼下に広がる。

 その境界線に立つように、彼女は宙に浮かんでいた。


 星に、誰より近い。


 彼女は片手でランタンを掲げる。

 指先から零れた引力の波が、光の器をそっと包み込んだ。

 起動しないはずのランタンが、彼女のNovaに反応するように淡く灯る。

 柔らかな光が彼女の横顔を照らし、その輪郭を夜の中に浮かび上がらせた。


 まるで、空そのものに選ばれたように見えた。

 次の瞬間、ランタンは音もなく夜空へ放たれる。


 ふわり。


 昇っていく光は、ドローンの無機質な軌道よりもずっと自由でずっと優しい。

 彼女の細い指先から離れた願いは、星々のあいだへ吸い込まれるように高く、高く昇っていく。

 宇宙に近いこの場所で。

 星空の只中に浮かぶのは、地下育ちの荒々しさでも、任務中の鋭さでもない。


「それで、あんたの願いは?」


 不意打ちみたいな問いに、言葉を探した。

 けれど、出てきたのは取り繕いのない本音。


「人類の平和ってとこだ」


「でっかい夢」


 夜空に浮かんだまま、彼女は少しだけ目を細める。


「でも、あんたらしい」


「お前は、何を願ったんだ?」


 問い返すと、ロビンは少しだけ黙った。

 星を見上げるように視線を上げて、それからこちらへ振り返る。

 風が髪をさらい、彼女の表情を一瞬だけ隠した。


「秘密」


 空に消えていく一つの願い。


 いたずらっぽく笑うその表情に、聞き返すことはしなかった。

 願いの内容は、聞けなくていい。

 ただ、この瞬間が何より大切だった。


 その瞬間を切り取って写り込むガラス。


 ベランダの小卓に置かれたままのスノーグローブ。

 夜風に揺れたカーテンの影を受けて、かすかに濁る。


 二人は、空を見上げたまま、その小さな揺らめきに気づくことはない。

 ガラスの内側で灯った青は、誰にも知られないまま、静かに揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ