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AionioS  作者: 無日
第七章:とこしえに触れる間際

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第68話:帰る場所のかたち

 ロビンは、考えていた。


 “祖母と二人暮らし”と聞いていたし、どこか古民家的な土壁と引き戸に軋む床板。庭は狭いがいくつかの野菜が育てられているような場所。

 そんな光景を、思い描いていた。


 けれど──


「ここが、俺の実家だ」


 オーティスが指差した先。

 街の外れに静かに佇むそれは、ロビンの予想とはかけ離れていた。


 金属と木調が融合したモダンなサイディング。

 大きなガラス張りの窓と、灯りに照らされた広いテラス。

 ライトアップされた植栽とゆったりとしたカーポートには、1台の車がさりげなく停められている。

 庭先には一本の大きな木が夜風に揺れて、その枝には黄色くふわふわとした花が咲き、風に揺れていた。


 その光景に、言葉が出なかった。


「…………帰る」


「待てって。もうばあちゃん完全に“歓迎モード”だ。連れてこなかったら俺が怒鳴られる」


 オーティスが慌ててロビンの背を押すように、彼女をアーチの中へ促す。

 重い足を踏み入れると、道の両脇には丁寧に剪定された花々が静かに咲き誇っていた。

 控えめなライトに照らされ、夜でもその輪郭ははっきりとしている。


 手すり付きのスロープを進み、指紋認証をかざすと玄関の引き戸が静かに開いた。


 その瞬間、ふわりと漂ってきたのは懐かしさを感じさせる他所の家の匂い。

 それに混ざって、香ばしいバターと甘い香り。

 食欲をそそる匂いが、夜の空腹に一気に火を点ける。


「ここでは靴を脱いでくれ。スリッパはそこにある」


 その言葉に従って、ブーツを脱ぎ、少し硬い動きでスリッパに足を通す。

 足裏に伝わる感触がふかふかと新しい。


 そのまま彼のあとについて廊下を進むと、すぐにリビングへと出た。

 大きなガラス窓の傍、月明かりと暖かな照明のあいだに、その人はいた。

 車椅子に座った年配の女性が、緩やかに流れる音楽に耳を傾けるように、静かに目を閉じている。

 窓の外には花木が揺れて、ゆるやかにカーテンを揺らしていた。


「ばあちゃん、ただいま」

「おかえり、オーティス。最後にここに来たのは……半年ぶりかしらね。さあ、もっとよく顔を見せて」


 持っていた紙袋をソファの上にそっと置き、しゃがんで女性の側へ膝をつく。

 彼女は閉じた瞳のまま手を伸ばし、何度か空振りした後、オーティスの頬を優しく撫で、指先が彼の輪郭を確かめるように動いて細い息を吐いた。


「あぁ……立派になって。男前になったねぇ……」


 目尻をそっと、皺の深く細い指で拭う。

 ロビンは紙袋を片手に持ち替えて、壁に飾られた絵に目を留めていた。


 それは彩り豊かな絵画とそこに混じる子供の絵。

 公園、家の中、遊園地らしき風景もある。

 ──たぶん、幼い頃のオーティスが描いたものだろう。


「目が見えないのに、どうして絵なんか……」


 思わず漏れた言葉に、オーティスが振り返って眉をひそめた。


「ばあちゃん、その“目が見えない”って芝居、やめてくれ。ロビンが本気で信じるから」

「まったく…背だけは伸びたのに、つまらない男に育ったわねぇ……あんなに手塩にかけて育てたっていうのに」


 クララは深々とため息をつきながら、薄い肩をすくめてみせた。

 すっかり孫の顔に戻ったオーティスはバツの悪そうに頬をかくと、ロビンの方を振り返る。


「ロビン、こっちに来い。紹介するよ」


 スリッパを引きずりながら歩み寄る。

 その視線は家具や飾り棚に散って、普段の堂々とした態度はなりを潜めていた。 


「こっちはクララ。俺を育ててくれた人だ」


「……あらあら、まぁ」


 彼女は車椅子の小型スティックを少し前に傾けると、ゆっくりと見上げた。

 閉じた瞼の先は真っ暗なはずなのに、目線がしっかり合うことに少し違和感を覚える。


「……なに?」

「その髪の色素敵ね。とても似合っているわ」

「あ、……ありがと。ていうか、本当に見えてん……ですね。透視のNova(ノヴァ)とか?」

「うふふ。ええ、そんなところね」


 彼女は軽やかに答える。


「──さぁて、早くお食事にしましょう。せっかくの料理が冷めてしまうからねえ、TEMIS(テミス)?」


 彼女の視線がガラステーブルの方に向く。

 そこにはロボットが、宙に浮いていた。

 金属製のアームが3本、てきぱきと動いてはテーブルの上を整えている。


《すぐに準備を整えます》


 オーティスは車椅子の背に手を添え、テーブルへ向かって押し始めた。

 彼女はオーティスに虫でも払うそぶりをして、「私一人で行けるわ」と言うがオーティスは「こっちのが早いだろ」と言って聞かない。


 テーブルには3つの席があり、ひとつはクララの車椅子がぴたりと収まる位置に空けてあった。

 オーティスは彼女の向かい、ロビンは彼の隣に腰を下ろす。


《ロビン様。アレルギー等ございますでしょうか?》

「今更聞く……? ないけど」

《かしこまりました》


 TEMISはそう返すと、なめらかに浮遊しながら食器棚へ向かい、順番に皿を運んでくる。


《食卓には人数分のお料理をご用意しております。今夜のTEMISお手製フルコース、手前に見えますスープには──》


 オーティスが料理に箸を伸ばそうとした瞬間、クララの声が飛んできた。


「オーティス。“いただきます”を言ってからって教えたはずよねえ?」

「い、いただきます」


 彼が急いで言い直すと、ロビンもそれに続けた。


「……いただきます」


 彼女は微笑みながら、小さくうなずく。


 食卓の上に並ぶ料理はどれも丁寧に盛りつけられていて、家庭料理とは思えないほど美しい。

 グリルで香ばしく焼かれた魚は、皮がぱりっと音を立てそうなほどで、温野菜にはハーブの香りが優しく混ざり、スープは湯気の向こうでとろりとした黄金色を揺らしている。パンはまだ焼き立ての温もりを保ち、バターがゆっくりと溶けていた。


「……まさか、全部このAIが作ってるわけ?」

「TEMISはあくまで助手よ。味つけや工程は、私が全て記録させたの。昔はこの手で作っていたけど、今は手間が減って助かっているわ」

《クララ様のレシピには、精密な分量と手順が刻まれております。私のアルゴリズムの中でも“最高峰”な領域です》

「うちのTEMISは褒められるのが大好きなのよ。ロビンさん、お魚は骨が少ない部位を選んだから安心して?」

「……そう」


 ロビンはややこわばった表情を浮かべたまま、箸を少しぎこちなく動かす。

 だが、ひとくちスープを啜った瞬間、その表情が僅かに緩んだ。

 その反応を見過ごすことなく、クララはにこりと微笑みを深める。


「気に入ってもらえたなら何よりだわ。オーティス、あなたも食べなさい。あまり喋らないで」

「喋ってないだろ。食べてただけだし」


 口を動かしながらオーティスは素早くパンをちぎって、口に放り込む。

 そのサイズなら、いつも二口で食べ終わるだろうに。


「どうせ、私の前だからってお行儀よく食べてるんだろうけど私にはお見通しだからねえ」

「…………ぐ」

「立派に躾けたつもりだったのに。テーブルマナーに、歩き方に……」


 そのやり取りを眺めながら、ふっと肩の力を抜いていた。

 まだ緊張は残っていたが、クララの声には不思議と人の心をほどく力がある。


「ロビンさんは、お料理はお好き?」

「…えっと……、好きな方だとは、思う。でもあんまり細かい事は分からない……習ってないし」

「レシピとか調味料とかメモとってたぐらいだし、趣味だろ」

「あら、そう」


 クララは箸を止めて、小さく首をかしげる。


「じゃあ今度、私が料理を教えてあげるわ。こう見えても資格も持ってるのよ。昔はネクサリスのホテルで料理長もしていたくらいだしね」


 ロビンはふと手元を見下ろした。

 指先はどこか強ばっていたが、クララの言葉がじんわりと胸に残る。

 しかし、彼女は首を横に振った。


「……遠慮します。流石にそこまで世話になる訳にいかない」

「バディなんでしょう? 家族ぐるみの付き合いがあったって可笑しくないわ。」

「遠慮しとく」

「なら、覚える気になったらまた来なさい。オーティスに連れてきてもらうといいわ。いつでも歓迎するもの」

「ばあちゃん、勝手に予定組むなって」

「どうせあなた、しばらく帰ってこないんでしょう?  次に来るのはまた半年後かしら?」

「ばあちゃんが帰ってくるなって言うからだろ? 俺だって帰ってこいって言われたらいつでも…」

「食事中に話さないの。お行儀が悪いわ」


 湯気と笑い声に包まれた食卓には、さっきまでとは違う、穏やかな夜が流れていた。







 食後、食卓に残る湯気がすっと引いていく頃。

 クララの飲み干した紅茶のカップがソーサーに置かれた音を合図にロビンは立ち上がった。


「皿洗い、アタシにやらせて」

「いいよ、やる必要ない。お前は客人だ」


 オーティスはスープを最後まですすりながら眉だけを上げる。

 だが、クララは微笑みながら、手をぱたぱたと扇ぐように振った。


「せっかくロビンさんが申し出てくれているのに。あなたはお風呂にでも入りなさい。もう温めてあるわ」


 まるで邪魔者扱い。

 長いため息を吐きながら彼は立ち上がり、渋々脱衣所の方へ向かっていく。

 その背を見送りながら、キッチンへ向かい、TEMISから食器を受け取った。


「洗剤とスポンジ、これで合ってんのかな」

「そのままで大丈夫よ、助かるわ。実はTEMIS最近ちょっとミスが増えていてね。古いのか、疲れてるのか……」

《私は至って正常です。ミスの数は学習の数、成長の余地があります》


「……アタシが調べようか? できるか分かんないけど……」

「あら、それは嬉しい申し出ね。じゃあ、お願いしようかしら」



 金属が擦れる音がリビングに響く。

 部屋の中は静かで、クララが紅茶を飲み込んだことすら、視線を向けずとも捉えられるほどだった。

 ローテーブルにはTEMISが転がり、軽く分解し始めるロビンは膝を立てながら姿勢の悪い体勢でパネルを探している。


「……あった。これだいぶ古いんじゃないの。最近のモデルじゃなさそう」


 ボディを慎重に持ち上げ、接続パネルのカバーを開ける。


《くすぐったいです、ロビン様》

「……なんか、妙に人間味あるAI」

「それは、そうよ。当時の最高級品だったからねえ。まだ“人格モジュール”って概念が出始めた頃に導入されたのよ」


 中を覗き込みながら配線を確認し、小さな絶縁ツールで接触点を調整する。

 手つきは迷いがなく、次々と修復作業を進めていく。


「手際がいいのねえ。慣れてるの?」

「Voidじゃガラクタを直して使うのが当たり前だったから、嫌でも覚えるんだ。誰かが使えるようにしなきゃって。……基礎的なことなら、少しはできる」

《私はガラクタではありません。立派な家庭用ロボットです》


 ぱちん、と最後のパネルをはめ込むと、TEMISの体の光が一定のリズムで点滅し始めた。


《むず痒かったのが取れました! ありがとうございます、ロビン様!》

「……よし。これで、たぶん直ったと思う」

「良かった。そろそろメンテナンスにでも出さなくちゃって思っていたのよ」

「このモデルを治せるところなんて早々ないでしょ。あってもぼったくられる」


 クララはくすりと笑うと、ゆっくりと車椅子を移動させ、ロビンの座る1人がけソファの隣についた。

 しかし、淡い灯りの中で、彼女の表情にはどこか悪戯めいた光が宿っていた。


「でもね、この子、TEMISは昔……聖譜会で働いていたAIを持ち出したものでメンテナンスに出そうものなら私が捕まっちゃうのよ」


「────え?」


 ロビンは思わず身を引いた。手のひらにはまだTEMISの内部の感触が残っている。


「ってことは…盗んだってこと? ……聖譜会から?」

「そうよ? あらあら! 私としたことが。ということはTEMISを治した貴女も共犯ということになるわね」

「……笑えないんだけど」

「まぁまぁ、そんなに緊張しなくても。これでTEMISが壊れても直してくれる人ができたわけだし。よかったわ、本当に」

「初めから…そのつもりで……」


 震える指でクララを指すロビンに、彼女は涼しい顔で一言。


「なんのことかしら。私、老い先短いのよ? 大目に見てちょうだいな」

「完全に……罠……」


 ロビンはぐったりと、クララの策略に嵌ってしまったことに掌で顔を覆う。

 聖譜会からの持ち出し品、TEMISの修理。知らずに手を貸してしまったことに肩の力が抜ける。

 Voidじゃこんな手口よくあることなのに油断した。

 見た目で判断するなとあれほど学んだのに。


「あの子もまだ戻ってこないでしょう? 少しだけ、遊びましょうか」


 そう言うと、車椅子の肘掛けに細い腕を預け、片手をゆっくり持ち上げて見せる。

 歳月が刻んだ皺。その皮膚には厚みがあり、彼女の人生が滲んでいた。


「私ね、占いや手相を見るのが趣味なの。良ければ、貴女のも見せてくれる?」

「……はぁ…騙されたあとに手相見せる馬鹿がいると思う…?」


 ロビンは腕を組み、つっけんどんに返す。

 だが、クララは心底楽しそうに、その柔い口角をあげてにこにこと笑ったまま、何の動揺も見せずこう続けた。


「ただのお遊びじゃない。せっかく出会えたんだもの。もう少し、この老耄(ろうもう)の息抜きに付き合ってくれないかしら?」


 その場違いな笑みにしばらく黙っていたが、やがてため息とともに肩を落とし、掌を差し出した。


「オーティスが誰に似たか分かった。……ったく、少しだけだから」


 皺の深い手の平が、差し出された手を優しく包み込んだ。

 その触れ方にはどこか迷いが同居している。

 しばらくは細い指先や爪の形、手のひらの柔らかさ、皺の位置を見ていたようだが、ふと気づけばクララの顔からは、笑みが消えていた。


「……あぁ、そう。……こんな……」


「……何?」


 クララは返事もせず、そっと手を離すと顔を覆い小さく肩を震わせた。

 閉じた瞼の隙間から滲む湿りは、すぐに老練な指で拭われたが、ロビンの目には焼き付いた。


「ちょっと、大丈夫……? 占いで泣くってアタシの手相そんなに悪いの?」

「 …よく、ここまで絶やさずに……ひとりで背負うにはあまりに長すぎる時間だわ」


 ガタッ


 一瞬、息を飲んだ。


「───まさか、あんた心を読めるの……?」


 ロビンは立ち上がった。拳を握りしめ、鋭い目でクララを見下ろす。


「……ッこんな騙し討ちみたいなやり方よくも……」


 その顔に浮かぶのはもう心配でも同情でもなかった。心の中を勝手に覗かれ暴かれ踏み荒らされたような、見下ろす瞳はただ、痛みを抱え怒りと入り交じっていた。


「生命線が、こんなにも短いだなんて」


「…………は?」


 唐突な言葉に、一瞬、思考を止める。

 クララは再び手を取り、その掌を見つめながら柔らかく語りかけた。


「捨てたつもりのものに、足を引かれる前に……誰かに預けなさい」

「な、なに……急に」

「貴女はもう分かっているはず。あの子を見ていたなら尚更ねえ。一人で立つことと、独りで耐えることは違うの。抱えるものの重さは、分けても減らないようでいて……ちゃんと軽くなるものよ」

「………今日は諭されたり…こんなことばっか…。勘弁して」


 ロビンは小さく毒づくが、その声音にはもはや鋭さはない。


「ひとりで抱えている顔をしているけど……本当は、ずっと“ふたり分”で生きてきたのね」


「……っ、…」


 視界が滲んだ。

 その瞳孔の奥で何かが揺らぐ。


「諭されているんじゃないわ。……”縁”が、貴女を止めているのよ」


「……なにそれ」


「抱え込んだままでもいつか失う時は来る。大丈夫。誰かに預けたからって、貴方が消えるわけじゃないわ」


 そう言って車椅子を引きながら、彼女はサイドテーブルの引き出しを開けると、出てきたのは、『初心者必見、手相の見方が5分でわかる! 重版』と書かれた分厚い冊子だった。


「………………」


 からかうような微笑みだった。

 だが、もう言い返す気にはなれなかった。

 喉が乾いて、声が出なかったから。

 膝を抱えるようにソファに座り直し、小さくまるまるだけ。


 クララは小さく満足気に息を吐くと、本を読み始めた。

 その先の言葉はない。

 ただ、ページをパラパラとめくる音だけが空間に響いた。


 ガラッ


 脱衣所からオーティスが戻ってくる。

 スウェット姿で、濡れた髪をタオルでごしごしと雑に拭いている。


「ロビン、あがったぞ。クララは最後だから、次はお前が入れ。服は来客用のがあるから」

「……あんたのおばあさん、かなりの変わり者だよ」


 そう呟き、ふらりと脱衣所の方へと姿を消していった。

 彼はぽかんとしながら、クララの方を見る。


「ばあちゃん、なに言ったんだ……?」


 ぱたんと本は閉じられる。

 クララはドライヤーの音に耳を傾けながら背もたれに身体を預けた。



「もう、私には視えなくなってしまったわね」


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