第66話:記録される一瞬
「ロビンさん!! ……っロビンさん! 降ろしてください!!!!」
青空に悲鳴が響いた。
星冠街の高層ビル群を足場にするように、三人の身体が宙を滑っていく。
遥か下方、石畳の通りを行き交う人影が豆粒のように遠い。
背筋に、遅れて冷たいものが走る。
引力場に包まれたまま、足先に感じるべき地面は空振りし、素通りしていく感覚にヴィンセントの顔色は見る見るうちに青ざめていった。
「もう着くから黙ってて」
「黙っていられる状況では……ッ」
風が頬を叩く。
下では人々が足を止め、空を見上げている。いくつもの指先が、こちらをなぞるように向けられていた。
一方で、オーティスは片手を頭の後ろに回し、欠伸を噛み殺す。
「今日はいつもより丁寧な飛び方だぞ? 飛空艇で慣れてるだろ。高い所は」
「飛空艇と空中散歩はわけが違います…っ!!!」
足元へ石畳の感触が戻った瞬間、ヴィンセントはよろめくように一歩退いた。
咄嗟に口元を押さえ、近くの街路樹へ手をつく。
「……っ、う……」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫に……見えますか……」
しばらく街路樹に手をついたまま、しばらく顔を上げられなかった。
その様子にオーティスが堪えきれず吹き出してしまう。
ロビンが呆れたように脇腹を小突くが、それすら止められないほど彼は楽し気に笑っていた。
「……貴方たちは、いつもこうなんですか?」
「まあ、大体こうだな。最近はバイクも使ってないし、こいつ頼りで現場に向かってるから、慣れたもんだ」
「……次回は、もう少し穏当な移動手段でお願いしたいものです。」
先ほどより、少しだけ声が和らいでいた。
ロビンは前を向いたまま、視線だけを上げる。
視界の先に広がるのは、遊園地の巨大なゲートだ。
「着いたよ」
✧✧✧
遊園地のゲートをくぐった瞬間、視界が一段明るくなる。
淡く揺らめく虹色の光が空中を舞い、恒星と競うようにきらめいて。
頭上には透明なチューブ状のコースが曲線を描き、その中を滑空するライドが風を裂く。遅れて、子供たちのはしゃぐ声が降ってきた。
遠くに見える観覧車には豪華な星飾りの装飾が施され、昼の日差しの下でさえ輝きを照り返し、思わず目を細める。
──まるで誰かの夢の中を歩いているような、不思議な浮遊感がここにはある。
「……これは……思っていた以上ですね。」
アトラクションの合間に浮かぶ“浮遊庭園”を見上げながら感嘆の声を漏らした。
その庭園には花々が咲き乱れ、小さな池が静かに煌めいていた。
花びらが宙に舞い、ふわふわとした重力の緩い空間に吸い込まれるように消えていく。
「……この場所、元は何かの施設だったようです。廃止後にリノベーションして、区画に繋げたとか。」
《星環遊戯園――ルミナ・パーク》
荒れ果てていた場所が、今は“楽園”と呼ばれている。
指先でパネルを弾くと、過去の映像が浮かび上がる。灰色の無骨な施設。
今とはまるで別物だ。
「早く行かないと待ち時間が長くなる。どうせ来たなら全部乗るぞ」
オーティスが指を差した先には、高速で滑っていくアトラクション。
上下左右にひねりながら、空の端を飛んでいるようなスリル満点のコースだと見て取れる。
「ちょっとまって」
「ん?」
「どうされました? ロビンさん。」
彼女は首を傾げて帽子のツバを軽く持ち上げる。
「あんたがここに誘ったのに、来たことないの?」
問いかけに、オーティスは視線を逸らし、頬のあたりを掻いた。
ほんのわずかに間が空く。
「連れてきてもらったことはあるぞ? でも、あのときは……クララと一緒だったし、パレードを見ただけで終わってな…」
歯切れの悪い言い方に、ロビンは小さく息を吐く。
そのままくるりと背を向け、数歩だけ歩いてから近くのベンチへ腰を落とした。
ふわり、と視界の端を虹色のシャボンが横切るのを追うでもなく、ただ視線でなぞる。
「あんたたちで行ってくれば? アタシはいい」
さっきまで近くにあった歓声が、ひとつ膜を隔てた向こう側へ遠のいたように感じさせる。
「私も、少し休ませてください。先ほどの浮遊で胃がひっくり返ってしまいそうなので。」
ヴィンセントの口調は淡々としていたが、その静けさの中へ空気を軽く弾くような笑い声が落ちた。
「しょうがない奴だな──」
次の瞬間、視界が傾いた。
抵抗する間もなく、身体が持ち上げられる。
「いじけてないで行くぞ。どうせ来たなら、ちゃんと楽しもう」
視界が突然高くなり、丸太を運ぶように持ち上げられる屈辱。
「はぁ…、あんたはそういう奴だよね」
目が合ったヴィンセントは既にベンチに座って、明らかに「ご愁傷さまです。」とでも言いたげな目をしていた。
彼の後ろで回転する観覧車が、変わらないリズムで時を刻んでいた。
アトラクションゲート前の広場では、星を模した光粒がゆるやかに宙を漂って、子供たちの視線を釘付けにしている。
その中心で、丸いフォルムのマスコットが愛嬌たっぷりに手を振っていた。
《こんにちは! ぼくはイロロン! みんなの笑顔がだーいすきっ! お星さまのエネルギーを育てるのがお仕事なんだよ!》
「なにあれ」
「このパークのマスコットだな。ああいうの好きそうな顔してるぞ」
「してない」
短く返しながらも、ロビンの視線は一瞬だけそちらに引き寄せられる。
イロロンくんはその視線に気づいたようで、こちらへ手を振り、くるりと一回転してみせた。
その横をすり抜けるように、二人はゲートをくぐる。
すぐ先に並ぶアトラクションの入口。
オーティスが迷いなく歩み寄った、その一歩手前で、キャストが柔らかく手を差し出した。
「ゲストさん、申し訳ございません」
「どうした?」
「こちらのアトラクションは身長制限がありまして……」
そう言われた瞬間、オーティスの表情が固まる。
今になって、やっとあの時乗りたかったアトラクションに乗れるというのに。
「だめなのか?」
周囲の待機列がざわりと揺れた。
「でっけぇ!! ママ! 俺もあの人みたいにでっかくなれる!?」
「さすがに、無理じゃないかしら……お父さんは背が低いからね…」
「酷いこというなよ~…」
無遠慮な声に、苦笑が混じる。
見上げる目線は、好奇と憧れで満ちていた。
「こちらで測定をお願いいたします」
キャストに促され、隣のパネルへ。
オーティスは緊張した面持ちで、軽く息を吐いてからその前に立つ。
細い光のラインが、足元から頭頂へとゆっくり昇っていき──止まった。
一拍の間。
キャストは帽子のツバをつまみ上げ、ぱっと表情を明るくする。
「193センチ、クリアです!!」
「……また伸びたのか? 膝も痛いわけだ」
うなだれるオーティスの背中を、キャストがぱしっと励ますように叩く。
「お兄さん、ご安心ください! ルミナ・パークは195センチまでOKです! 夢を諦めないで!」
その勢いに、周囲からぱらぱらと拍手が起こり、笑いが滲んだ。
ゲートを抜けた先、視界が開ける。
すでに家族やカップルが座っている中、ロビンはもうベルトを締めながら搭乗席に座っていた。
「一緒に喜んでくれてもいいだろ……」
「乗れなかったほうが、絵的には面白かった」
気怠げに言いながらも、その口元はわずかに緩んでいた。
《……搭乗準備よし、発進準備よし!》
キャストの明るい声が響く。
ロビンはそのまま外のレールに視線を向けた。
風が少し強くなり、機体の外殻が振動する。
《それでは──ゴーゴー・ライド、出発進行!!》
ガシャンという音とともに、機体が動き出す。
次の瞬間、風が爆発した。
重力に逆らうような浮遊感が身体を持ち上げ、急旋回と反転、ねじれたレールが次々と視界を奪う。
子どもたちの歓声と絶叫が混ざりあい、機体は空を滑りながら駆け抜けた。
離れた観覧席で、ヴィンセントは二人の様子を見守る。
風を切る声が、遅れて耳へ届く。楽しそうだ、と思う。
そう感じているはずなのに、その感覚がどこか自分のものではないような気がして、わずかに視線を伏せた。
失った記憶の奥底で、何か。
名を呼ぶ声を思い起こしながら。
アトラクションの出口。
足取り軽く降りながら、オーティスは大きく背筋を伸ばした。
「思ったより早かった…! ロビンの帽子が吹き飛ばされかけたぞ」
「貴方は子供のように叫んでいましたね。野太い笑い声がここまで届いていました。」
「そりゃあな、やっと乗れたんだぞ? 楽しみにしてたんだ」
肩を回しながら笑って、ふと隣を見る。
……いたはずのロビンの姿がない。
「ロビンはどこだ? まさか吐いてないよな?」
「まさか。引力を操る彼女がアトラクションで体調を崩すとは思えません。」
だがそのとき、出口のスロープからゆっくりと降りてくる人影が見えた。
目は遠くを見て、肩がどこか揺れている。
「引力なんて好きに操ってるし…こんな、ただの子供だましって思ってたのに――」
小さく零れる独り言。
足取りはわずかに揺れている。
だが――
次の瞬間、ぱっと顔を上げた。
「つぎっ! 次あれ乗ろう!! 行こう、早く!!」
弾けるような声。
そのまま駆け出していく背中は無邪気で、さっきまでとは別人みたいに軽かった。
迷いも、躊躇いもない。
一瞬だけ目を丸くして、それから肩をすくめる。
「はは、なんだあれ」
「乗る前とは随分変わりましたね。」
呆れ半分なのか、感心半分なのか。
その背中を目で追いながら、オーティスは少しだけ視線を細めた。
「……あいつ、ああいう顔しないんだ」
一拍置いて、口を開く。
「北区から戻ってきてから、前よりはマシになったけどな。任務以外だと、どっか抜けてるっていうか……ずっと別のこと考えてる顔してた」
風が吹き抜ける。
「だから、まあ……」
視界の先で、ロビンが振り返って手を振った。
「なにしてんの! 早く!!」
「…来てよかったな」
「連れてきた甲斐はあったようですね。少しだけ貴方を見直しました。」
「“少し”か。手厳しいな」
二人は視線を合わせ、小さく笑った。
✧✧✧
ロビンは地図アプリのホログラムをぐいっと引き伸ばし、指先で次のアトラクションを示す。
その勢いに、オーティスは汗を拭いながら軽く息を吐いた。
「…っはぁ、お前まだ乗るのか…?」
「まだ来たばっかでしょ。もうへばってる?」
彼女は次の目的地へ歩幅を広げてに進んでいく。
その背を見送りながら、ヴィンセントはゆるやかに首を振った。
「……はまってしまいましたね。」
「完全に火がついたな…。お前は乗らないのか? ずっと待ってるだけなんてつまらないだろ。せっかく来たのに」
ふとオーティスが振り返ると、ヴィンセントの顔色がどこか曇っている。
「私はアトラクションの安全ベルトに恐怖を覚えます。」
「くっ…はは……つまり無理なんだな、絶叫系」
「絶対に、とは言っていません。」
「無理ってことだろ」
アトラクションラッシュは続いていた。
ジェットコースター、重力スピン、逆走型ダイブマシン──
なんなく制覇していく彼女を、ヴィンセントは観覧席からコーヒーを啜りつつ眺めていた。
「十分休憩させていただきました。そろそろ、静かなアトラクションを希望したいです。」
「お、そうだな…ロビン!! そろそろ、みんなで乗れるやつ探そう!!」
「いくつか見回ったけど、あんたでも乗れそうなのがあるよ。のろいやつだから平気でしょ」
その視線の先。
巨大なコーヒーカップ型のアトラクションが虹色の光を浴びてゆっくりと回転していた。
星屑を閉じ込めたような透明素材のカップがいくつも並び、中心のクリスタルタワーから淡い光粒が噴水みたいに舞い上がっている。
軽快な音楽に合わせて、子供たちの笑い声とカップルのはしゃぐ声が弾けていた。
「いいな! たまにはそういうのも」
「……回転系、ですか」
「あんた、コーヒーが好きなんでしょ。ぴったりだよ」
「からかってますか?」
ヴィンセントの声にほんのわずかな警戒が滲む。
だがロビンは肩をすくめて気にした様子もなく、キャストに三本の指を立てて中へ入っていた。
案内されたのは、夜空色のカップ。
内側に小さな星の模様が散りばめられ、中央には回転を制御する銀のハンドルがついている。
「真ん中のハンドルを回すと早くなるそうです。キャストの方がそうおっしゃっていました。」
「へえ。じゃあオーティス、お願い」
「なんで俺なんだよ」
ガシャン、と安全バーが下りる。
《それでは、スター・スピン、まもなく開始します!》
音楽が高まり、足元の床ごとアトラクションがゆっくりと回り始めた。
広場の景色が緩やかに流れ、浮遊庭園の花々やガラスチューブを滑るライドが視界を横切っていく。
「意外と問題ないかもしれませんね。」
「景色もいいし、ベンチで座ってるよりこっちの方がいいよ」
「だろ? 絶叫系より全然平気そうだな」
オーティスが軽くハンドルに手をかける。
「いいな! これくらいなら、ちょっと回しても──」
ぐるんっ
「……は?」
「ちょっ──」
思った以上に軽く回った。いや、腕の力が強すぎたのか。
その勢いのまま、カップが一気に自転を始める。
「おい待て、こんな回るのか!?」
外周の回転と内側の回転が重なり、視界が一気に虹色へ溶けた。
「オーティスさん!! 止めてください!!」
「あんた何やってんの」
「止めてる…! つもりなんだ──ッ!」
だが一度ついた勢いは簡単には収まらない。
半端に手を離したことで、逆に不規則な回転が加わる。
「っ、これ……予想以上に……!」
ヴィンセントは眉間を押さえ、視界を細めた。
オーティスもすでに片手で口元を押さえている。
「ま、待っ……星が……増えて……」
「それは元からですよ……っ」
対照的に、ロビンだけは涼しい顔だった。
流れていく光景を、ただ静かに目で追っている。
「……ふつうに回ってるだけでしょ」
コーヒーカップはBGMと共に停止し、キャストの明るい声がアナウンスされると乗客たちはポップコーンの匂いを辿りながら降りていく。
その流れに遅れて降りてきたのはあの二人で、オーティスはふらつきながら、ヴィンセントは白い肌をさらに青白くさせながら浅い呼吸を繰り返していた。
ぐわんとした回転の余韻がわずかに残る。
地面は動いていないはずなのに、視界の奥がまだ遅れて揺れる。
「……気持ち悪い」
「三半規管が、反乱を起こしています……」
深く息を吐きながら、二人はしばらくその場に立ち尽くす。
ロビンだけが平然と一歩踏み出し、振り返った。
「なにしてんの。行くよ」
「………なんでこんなことになるんだ」
「あんたの自業自得」
その一言に押されるように、額を押さえたまま歩き出す。
ヴィンセントも間を置いて続いた。
幸いなことに、冷えた風が冷やしてくれるおかげか、足を進めるたび揺れは少しずつ引いていく。代わりに、遠くから流れてくる音が輪郭を持ちはじめた。
軽やかで、どこか懐かしい旋律。
先ほどまでの喧騒とは違う、柔らかく弾むようなリズム。
顔を上げると、視界の先で光がゆっくりと円を描いていた。
「あれなら、勝手にスピード上げる奴もいないでしょ」
「すまん……」
星獣や翼を持つ幻想生物を模した乗り物たちが、光の輪の中を穏やかに巡っている。
先ほどまで身体を振り回していた激しい回転とは対照的に、時間そのものが緩やかに流れているようだった。
白と金の光がゆるやかに巡るメリーゴーランド。
それを一瞥して、ヴィンセントはわずかに眉を寄せた。
「……あれは、子供向けの乗り物ではないでしょうか?」
「そうでもないぞ」
顎で示した先。
同じ星獣に、大人の男女が並んで座っていた。笑いながら言葉を交わし、ゆったりとした回転に身を任せている。
「……。」
わずかな沈黙のあと、今度はロビンへ視線を向けた。
「ロビンさん。あちらにショップもあることですし、オーダー機関の皆さんにお土産でもいかがでしょうか。きっとお喜びになられますよ。」
同意を求めるような言い方。
だがロビンは特に考える様子もなく、あっさりと返した。
「どうせ来たんだし、乗るならあれにすれば」
中央に配置された白馬に視線が移る。
短く息を吐いて、観念したように歩き出した。
「……なるほど。では、乗る以上は中途半端はやめましょう。」
「お、いいなそれ」
「最初からそうすればいいのに」
「お前が言えることか?」
「うるさい」
半ば押されるようにして、彼は中央の白馬へ案内された。
純白のたてがみ、金の装飾、宝石を埋め込んだ鞍。
たしかに驚くほど似合ってしまう。
案の定、周囲の子供たちが小さく歓声を上げた。
「まぁまぁ…絵本の中の王子さまみたいだわねぇ…」
「ままー、王子様いるよー」
「しーっ! 失礼でしょう?」
「似合ってるな」
「たしかに。どっかの撮影みたい」
「……聞こえていますよ。さぁ、お2人も乗ってください。私だけでは目立ちます。」
「じゃあアタシはこれ」
「空いてるのは…俺はこっちだな」
ゆったりと回り始めるメリーゴーランド。
優しい音楽、流れる光、降り注ぐ陽光。
回転するたび、三人の姿が光の中を巡っていく。
浮遊庭園の花びらが風に乗って、視界の端を横切っていく。
すれ違うたび、互いの姿が一瞬だけ重なり、また離れていく。
──不思議と、時間の流れが遅く感じられた。
やがて音楽が緩やかに収束していく。
回転が少しずつ遅くなり、光の流れが形を取り戻す。
動きが止まると、次のBGMへの切り替えの間に静けさが残った。
代わりに、遠くのアトラクションの歓声と、風の音だけが聞こえる。
「……もう夕日が昇り始めてる」
「早いな。さっきまで朝だったのに」
「それは言い過ぎです。」
どこかしんみりとしたその“間”の中で、オーティスはふと思い立ったように顔を上げた。
「なあ、せっかくだし──写真、撮らないか?」
「写真?」
「今日の記念だよ。こういうのは残しとくもんだろ」
言いながら、周囲を見渡す。
ちょうど近くを通りかかった親子と目が合った。
「おや、写真かい?」
「え? あー、そうなんだ。思い出を残したくて」
「いいですね。思い出は宝ですから。我が子との写真をもっと撮っておけばよかったと今になって後悔している…よければ撮りましょうか? 時間はある」
「よろしいのですか?」
「ええ、もちろん。…そこのお嬢さん、もう少しくっついてくれるかい? そっちのお兄さんはもう少し気楽な感じで。こういうのは自然体がいいと思うよ」
幼い子を連れた父親が、快く端末を受け取る。
「もっとくっつけって言われてるぞ」
「気楽、というのはどう演出すればよいのでしょうか。」
「笑っとけばいいんじゃない?」
次の瞬間、オーティスの腕が伸びた。
がばっと左右から引き寄せられて、体温が一気に近づく。
肩が触れ、服の擦れる音が小さく鳴った。
「………っちょっと!」
「力任せがすぎますよ。」
「ほら、笑わないと映りが悪くなるぞ!」
「いいですね。はい、いきますよ」
パシャッ
その瞬間、風がひとつ通り抜けた。
花びらが、遅れて視界を横切る。
光が反射して、ほんの一瞬だけ色が滲む。
シャッターの音は、小さかった。
けれど確かに、その一瞬を閉じ込めてくれた。
中央にオーティス、その左右にヴィンセント、ロビン。
父親が画面の中の三人を見つめ、何か言いかけ、考えるように口を閉じた。
「微妙らしい」
「良いことを思いつきました。ロビンさん、ご協力願えますか?」
そして、二人の作戦会議の後、オーティスの踵は地面を離れていた。
気付いた時にはもう遅く、犯人はほんのわずかに指先を動かしているだけ。
「うお…っ! おい、何すんだ!!」
「コーヒーカップの仕返しです。」
「ヴィンセント、Novaでなにかできない? 憂さ晴らししたいんだけど」
「私のNovaで出来る事と言えば、オーティスさんを別の場所に移動させることくらいですね。あまり実用的ではないでしょう。」
「聞こえてるぞ……っ!! ロビン、早く下ろしてくれ…!」
「もう一枚、いきますよ」
それから、シャッター音は何度も重ねられた。
眩い、思い出の数秒。
画面の中には十数枚の写真が残り、見返せば“自然体”の三人がそこにいた。
「……悪くないかも」
「悪くないどころか、すごくいいぞ!」
「いい写真ですね。」
シャッターの余韻がようやく落ち着いた頃、父親は端末を軽く振って画面を切り替えた。
「はい、こんな感じで何枚か撮っておいたよ。あとで好きなのを選ぶといい」
差し出された画面に、写真が数枚浮かび上がる。
並んだのは、さっきまでの騒がしさがそのまま閉じ込められた断片だった。
笑いきれていない微妙な表情と、眉を寄せて驚く顔。
そして、空中で慌てているオーティスの姿まで、しっかり残っている。
「……ちゃんと撮れてるな」
「いい顔をしているね。こういうのは後から効いてくるんだ。撮ったときよりも、ずっと。記憶というのはそういうものだよ」
父親のその言葉に、ヴィンセントだけが一瞬だけ目を細めた。
「だから、現物としても残しておくといい。忘れたくないものほど、人は忘れていくからね」
「………。」
視線を落とした彼の背に、手を置いた。
そっと、触れるだけの軽さだけ。
「…お優しいですね。」
「なんのこと」
データが転送される。
小さな通知音とともに、三人の端末に同じ記録が保存された。
「助かった。俺が撮ってたらこんなにいい写真にはならなかった」
「いいえ、いいものを見せてもらったよ」
子どもに呼ばれて、父親は手を振りながら去っていく。
その背中は、人混みの中にすぐ溶けていった。
少しだけ、静けさが戻る。
オーティスはもう一度、端末を開いた。
そこに並ぶ何枚もの“今日”を、指先でゆっくりとスライドする。
「……変な顔ばっかりだな」
苦笑混じりに言いながらも、指は止まらない。
ロビンは隣で、一枚の写真の前で動きを止めていた。
「これは?」
「俺もそれが気に入った」
「ええ、記録としても良いと思います。」
言い方はいつも通りだったが、その声はどこか柔らかい。
風がまたひとつ、通り抜ける。
遠くでアトラクションの歓声が上がり、光がゆっくりと流れていく。
この一日が、どこまで続くのかは分からない。
けれど少なくとも、この瞬間だけは確かにここにあった。
それが、少しだけ可笑しくて――
同時に、理由の分からない重さを持っている気がした。
だから彼は、何も言わずにポケットへそれをしまい込んだ。
✧✧✧
気づけば、空の色がゆっくりと変わり始めていた。
恒星の光がやわらぎ、浮遊島の輪郭を淡い紫と藍が包み込んでいく。
パーク内の街灯がひとつ、またひとつと灯り始め、昼とは違う夢の時間が訪れようとしていた。
頭上を見上げたオーティスが、ふっと笑う。
「……そろそろ、夜のメインだな」
「メイン?」
「ルミナ・パークの夜のパレードのようです。」
いつの間に手に入れていたのか、パンフレットがそこにある。
遠く、パレードルートの方角から試験点灯らしき光が走った。
まるで流星群が地上へ降りてくるように、虹色の粒子が空へ昇っていく。
昼間の賑やかな笑い声に代わって、どこか胸を高鳴らせるようなざわめきが広がっている。
家族、恋人、子供たち。
誰もが同じ方向を見つめ、これから始まる“夜の夢”を待っていた。
ルート沿いには柔らかな光を放つ街灯が並び、街灯と街灯を繋ぐ装飾には星屑の小さなランタンが淡く揺れている。
見上げれば、浮遊庭園から垂れ下がり始めた光の蔦が夜空に溶け込み、まるで空そのものがこのショーの舞台装置のようだった。
「結構、人が多いな」
「人気イベントですから。中央広場より、この辺りのほうが見えやすいかと。」
やがて、照明が一斉に落ちる。
ざわめきが静まり、世界が一瞬だけ息を顰めた。
次の瞬間──
パンッ
空に星が弾けた。
「……っ」
思わず目を見開く。
花火ではない。
粒子が夜空へ打ち上がり、そこから光の花弁が幾重にも広がっていく。
青、紫、金、白。
恒星の残光を取り込んだようなきらめきが、空の都市そのものを巨大なプラネタリウムへ変えた。
《ルミナ・パーク ナイトパレード、開幕です》
優雅なアナウンスとともに、遠くから音楽が流れ始める。
まず現れたのは、星環を模した巨大なフロートだった。
輪のような光の装飾が幾重にも回転し、その中心ではキャストたちが銀の衣装を纏って踊っている。
足元にはホログラムの花々が咲き、通り過ぎるたびに光の粒となって舞い上がった。
続いて、空中へ浮かぶ第二フロート。
それはまるで小さな浮遊島そのもので、白い塔、光の滝、星屑の橋まで再現されていた。
ネクサリスの空をそのまま切り取ったような幻想的な演出に、観客席から歓声が上がる。
ルミナ・パーク――星環遊戯園の名をそのまま象徴する、夜だけの奇跡。
今日という一日が、確かにここに残っている。
そんな感情を、こんなにも素直に受け取れたのはいつぶりだろう。
胸の奥に、静かに灯った熱が消えない。
それはたぶん、この空の夜景よりも、もっと長く残る光だった。




