第65話:継がれたものの上で
D.R.A基地を出たその先に伸びていたのは、浮遊島同士を結ぶ高架通路。
強化ガラスの下には、雲海がどこまでも広がっている。
まるで空の上をそのまま歩いているような感覚に、視線が自然と足元へ落ちる。
遥か下層に広がるミレリスは霞んで輪郭も曖昧で、代わりに近く感じるのは雲と光だけ。
白い波のようにたゆたう雲の向こう、遠くには別の浮遊島がいくつも連なり、銀のレールが空を縫うように走っていた。
「ネクサリスのモノレール路線だ。浮遊島はいくつもあるから、こうして全部繋がってるんだ」
慣れた口調でそう言いながら先を歩く。
ヴィンセントはロビンの歩幅に合わせるように隣へ並んだ。
「星冠街まではこの路線が最短です。商業エリアの中心に近いので、買い物には向いています。」
「そうなんだ」
返事をしながらも、ロビンの意識の半分は周囲の景色に奪われていた。
空に近いというより、空の中に街が浮かんでいる。
子供の頃に思い描いていた“雲の上”よりも現実離れしていた。
オーティスの地元トークを聞き流しながら、辿りついたホーム。
そこは、白を基調とした美しい半透明の素材で造られていて、天井のガラス張りに映る空と、点在する浮遊島や雲がそのまま装飾になっていた。
それは、このネクサリスという都市の象徴的なデザインらしかった。
ホームへ滑り込んできたモノレールが、流線型の白い車体を陽光に反射させると、アナウンスと共にドアが左右へと開く。
「やっときたか…。中央区みたいに本数が多くないのが不便なとこだな」
「人が少ないから? 駅にいるのに誰もいない」
「それもあるが、今日は特別な日だろ?」
オーティスの声に促されるまま二人は車内へ足を踏み入れる。
車内は広く、片側の壁面がほぼ全面ガラスになっていた。
発車と同時に身体へかかるわずかな浮遊感。
音もなくレールを滑る感覚に、ほんの少しだけ肩が揺れた。
窓の向こうでは、恒星光が雲海に反射して一面を白金色に染めていた。
地上の光とは違う。
遮る建物も山もなく、ただ純粋な光だけが空いっぱいに満ちている。
「…、眩しすぎる……目が痛い…」
「恒星が近いからな…慣れないうちはサングラスでもかけとけ。……ギャングの幹部みたいに見えそうだが」
「……人相悪いって言いたいの」
「言ってない。似合いそうって言っただけだ」
「同じでしょ」
そのやり取りを聞いていたヴィンセントは、ふ、と口元を和らげる。
光を反射する雲の層を抜けた瞬間。
車体が軌道を滑り、窓の外に広がるのは──空と、限りのない浮遊島。
塔のように伸びる建物群が姿を現した。
「あれが星冠街だ。淡砂街…って言うより、雰囲気が違いのは銀紗町だろうな」
「浮いてる建物ばっか……」
まるで空中庭園。
それは、“都市”というより、もう1つの異界だ。
モノレールが空を進むたび、少しずつ心の靄が晴れていくような気がしていた。
「空想してたのと違う」
「どんな空想を?」
「……雲の上に…城があると思ってた」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、オーティスが堪えきれず肩を震わせた。
「ははっ、なんだそれ! お前、意外とそういう想像するんだな」
「……っガキだったの!!」
「笑うところではありません。素晴らしい夢ではないですか。私もD.R.A基地と居住管理エリアの行き来ばかりでしたから。このように出かけるのは楽しみです。」
即座にヴィンセントがたしなめるが、そんな二人の空気に睨むように目を細めた。
任務中とは違い、この時間だけは誰も武器を持っていない。
ただ風景を見て、会話を交わすだけ。
音の少ない車内で、言葉だけがゆっくりと浮かんでは流れていく。
白い光に包まれて、言葉の輪郭までどこか丸くなるようだった。
ふと、向かいから静かな声が落ちる。
「この上着がないと、さっきまでの“王子様”とは別人みたいだね」
「からかわないでください。」
「褒めてあげてんの」
その会話の向こうで、オーティスは目を細めて真横を流れる白い浮遊ビル群を見つめていた。
何も言わず、ただ流れていく景色を眺めながら、その空気を壊さないように。
今は、それがちょうどよかった。
✧✧✧
《――次は星冠街、星冠街です。お出口は右側です》
機械音声と先頭を歩く分厚い背中を頼りに、モノレールを降りて改札を出ると、ふわりと漂ってきたのは香ばしい匂い。
しかし、モノレールから見ていた景色とは違い、街の様子は思っていたよりも平凡に見えた。
同じ規格の店が等間隔に並び、白いフレームと半透明のパネルで統一された外観が一直線に続いている。テントのような無骨さはなく、どの店も簡易設備でありながら、どこか洗練された印象を保っていた。
小さな店舗が隙間なく連なって、通路は人の流れでゆるやかにうねり、頭上の広告もどこか低く、近い。
調理の音は確かにある。肉の焼ける音、油の弾ける音。
けれどそれらは不思議と耳障りにならず、通り全体に薄く均されたように広がっている。
呼び込みの声はなく、ただ人の流れに沿って、客が自然と足を止めていくだけ。
ぐるりと見回す。
空の都市――もっと、隙のない光景を想像していた。
都市部であるなら尚更だ。
「まあ、駅前はこんなもんだ。物資の出入りも多いし、人も集まるからな」
「この先へ進めば、景観は大きく変わりますよ。星冠街の中心部は、もう少し“らしい”場所です」
「外に出たことないんじゃなかった?」
「ここに来るまでに情報収集を行いましたので。道案内はお任せください。」
「じゃあ、期待しとく」
ヴィンセントの補足に、ロビンは小さく鼻を鳴らした。
ふと、香ばしい匂いに鼻先をかすめられて、オーティスが肩をすくめる。
「そういえば、朝から何も食べてなかったな」
時刻はちょうど昼前。どこか気の抜けた空気が街に満ちていた。
オーティスは少し笑って顎をしゃくると、近くの屋台へ向かった。
「よし、まずは腹ごしらえだ! ここで少しいれとこう」
そう言うとオーティスは屋台の1つに駆けていった。
「おっちゃん、串焼き3本くれ」
「あいよ!!」
屋台の男は豪快に笑い、金網の上にジュウとパックの中から取り出した串を並べていく。端に並べられた壺からタレをくぐらせては数度返すと炭火の良い香りが広がった。
「ほぅら食いな! 一本と言わずもっと頼んでくれていいんだぜ?」
威勢のいい返事とともに、艶のあるタレを潜らせた串が手渡される。
鼻先をくすぐる甘辛い香り。
一口かじると、口の中で柔らかくほどけた。
肉汁とともに複雑な香辛料の風味が舌へ広がり、口端から零れ落ちそうになるほどタレの染みこんだ肉は舌先にピリリと辛味を残してから喉の奥へ流れていく。
後から追いかけてくる刺激に覚えがある。
「おじさん、これなに入れてるの」
「おお、嬢ちゃん味がわかるねぇ! これは爺さんから代々受け継いだ秘伝のレシピでなぁ、各地を回って、やっとこさこの味にたどり着いたんだってよ!」
店主の顔がぱっと明るくなる。
嬉しそうに笑った店主が、オーティスとヴィンセントを見て豪快に肩を揺らした。
「後ろの男どもはなーんにもわかっちゃいねえ顔してるけどな!」
「俺にだって少しは…」
「その通りかもしれません。」
温度差のある二人の返しに、店主はますます機嫌を良くする。
「教えてやんよ、嬢ちゃん別嬪だしな! 俺がもう少し若けりゃぁアタックしたもんだぜ!! がっはっは!」
店主はへへ、と照れ臭そうに鼻の下をこすると、ぺらぺらとタレのレシピを語りだした。
“秘伝のレシピ”とはいったい何だったのか。
ロビンはポケットから手早く小さなメモ帳を取り出し、店主の言葉を真剣な顔で書き留めていく。
「南区のスパイス……また? 香りはまぁ、確かに…」
呟きながら書き留める背中を、二人が覗き込む。
メモ帳の中には、聞き覚えのある調味料と並んで、南区のスパイスの名や食材が細かく記されていた。
「お前、料理が趣味だったのか?」
「とても精密に書かれていますね……」
背後からの声に、ロビンはハッと我に返る。
すぐにメモ帳を閉じてポケットへと仕舞い込み、じろりと睨みつけた。
「……なに」
「もうバディを組んで4か月だってのに、料理が趣味とは知らなかったな」
「貴方が注意不足なだけでしょう。」
「趣味なんかじゃない。知らない材料とか…メモしてるだけ」
そう吐き捨てて、彼女はすたすたと歩き出してしまう。
二人は一瞬だけ顔を見合わせる。
置いていく背中を見てから、ほんの少し遅れて歩き出した。
屋台の並びを抜けた途端、さっきまで鼻先をくすぐっていた炭火と香辛料の匂いが、嘘みたいにすっと消えた。
代わりに押し寄せてきたのは、目を細めたくなるほどの光だ。
建物の壁面という壁面に無数のホログラム看板が踊っている。
最新ファッションの広告、話題の映画、人気歌手のリリース情報、期間限定の空中庭園イベント――。
色とりどりの文字列と映像が空中に浮かんでは流れ、街そのものが巨大な情報の河に見えた。
《ようこそ、都市の楽園へ》
《この空は、あなたの未来を映す》
《一番高い場所で、一番輝く自分へ──》
人工的なはずなのに、不思議と冷たさはない。
むしろ眩しすぎるほどの熱量が空へ放っているようだった。
「…眩しい上に、目が忙しい」
「まずはロビンの上着だな。あの店に入ろう。ばあちゃんもあそこで買ってた」
そう言いながら、彼は通りの一角を指差した。
視線の先には、クラシックな金装飾を施された婦人服店。
落ち着いた深緑の看板とアンティーク調のショーウィンドウ。
たしかに上質そうではある。
だが、その一歩前でヴィンセントはすかさず首を横に振った。
「ロビンさんには、まだ早いです。」
「ん? そうか? ぴったりだと思ったんだけどな」
眩しさから目を守ることに徹しているロビンの背中へそっと手を添える。
押す、というより導くような柔らかな力だった。
「こちらの方が、動きやすく実用性もあります。」
向かいにあったのは、都会的なセレクトショップ。
ガラス張りの店内には柔らかな照明が灯り、マネキンたちは洗練された冬服を纏って並んでいる。
ヴィンセントの手に導かれるまま、店内へ足を踏み入れると、店に入った瞬間、暖かな空気が全身を包んだ。
外の風で冷えていた指先がじわりと解けていく。
壁一面には洗練されたカジュアルウェアが整然と並び、頭上にはホログラムのマネキンが今季の新作をくるくると回転させながら着こなしている。
指先で、近くに掛かっていたジャケットの袖を軽くつまむ。
思っていたよりもずっと軽い。指の腹に触れる生地は滑らかで、戦闘用の装備とはまるで違う感触だった。
こういうものを、毎日着るんだ。
ほんの一瞬だけ、周囲のざわめきが遠のいた気がした。
空間全体は、温かな照明とほのかな木の香りに包まれており、初めて訪れたはずなのにどこか“心地いい”と感じさせる空気を纏う。
店員たちは忙しく他の客を相手していて、奥のほうからは甲高い笑い声や試着室の呼び出し音が飛び交っている。
棚には色ごとに整然と並べられたジャケットやニット。
機能性より“見せ方”を意識したデザインが多く、正直どれも動きにくそうに見えた。
「このあたりの服、生地が軽いな。サイズも自動で調整されるし動きやすそうだ」
「そのぶん値段も高いけどね。ミレリスの服が5着は買えそう」
オーティスがざっと目を流していると、その視線がカウンターに並んだサングラスに向かう。
彼は背だけを少し丸めて、ひとつずつ手に取っては戻し始めた。
ロビンは適当なジャケットを見ては、気に入らず元に戻す。
そんな彼女の前に、ぶわっと視界を隠すほどの布が広がった。
柔らかな素材に肩には細いリボン、胸下の絞られた、膝下へ流れる上品なラインが靡く純白のワンピース。
「こちらはいかがでしょうか。きっとお似合いになられますよ。」
ロビンは数秒それを見つめ、それから顔を歪めた。
首を横に振り、後ずさりするほどには拒否反応を示している。
「なに、その動きにくそうなのは」
「ワンピースです。」
「見ればわかる」
「貸してみろ。ほら、こうしてみると────」
オーティスはヴィンセントの手からそれをひったくると、そのままロビンの肩へ純白を押し当てた。
一拍。
彼は何とも言えない表情で頷く。
「……なに」
「まあ……、いや、これは酷いな。絶望的に似合わない」
「はぁ…」
だがこれ以上の反論をする代わりに、彼女はくるりと背を向けた。
取ったのはレザージャケット。
寒さには実用的な一着と、さらにブーツを抱え込む。
「アタシはこれでいい」
虫でも払うように二人へ手の甲を向けると、そのままレディースコーナーの試着室へ消えていった。
一方で、メンズコーナーは店の奥。
少し照明が落とされ、シックな空気が漂い、マネキンには細身のコートや無機質なカラーパレットのトップスが並び、壁際にはNova対応の特殊素材スーツまで取り揃えられている。
「ヴィンセント、お前も何か買っておけ」
今度は別の棚からキャメル色のコートを引き抜く。
差し出された暖かなメルトン素材のコート。
「いえ、私は……」
「いまの服だと“D.R.A関係者です”って顔して歩くことになる。このコートを着れば少しはマシになるんじゃないか?」
「………その通りですね。今の恰好だと目立ちすぎてしまいます。それに、そちらのコートは暖かそうです」
「だろ? 俺の目利きってやつだ」
さらにオーティスはスラックスまで放ってよこす。
その時──
「よかった。まだ会計してなかったんだ」
その一言とともに、ロビンはメンズコーナーに姿を現した。
振り向いた二人の目に映ったのは、フライトジャケットと、細身のパンツにブーツを合わせたロビンの姿だった。
動きやすそうなシルエット。
純白のワンピースより、よっぽど様になっている。
「いいんじゃないか?」
「とてもお似合いです。」
「ヴィンセント。あんたも着替えてきたら? 待ってるから」
その口調には、ほんの少しだけ機嫌の良さが滲んでいた。
ギイ
扉を開けて、服を抱えながら小さく息をつく。
あたたかな照明が、彼の頭上に柔らかい影を落としている。
スラックスに履き替えて、コートの袖に腕を通す。
鏡に映った自分は、まるで“別の役割を与えられた”のように見える。
しばらく、その像から視線を外せなかった。
ぼうっとそれを見つめていると、何やら向こう側から言い争いが聞こえてくる。
「…なんの騒ぎですか?」
試着室から出ると、店員の間であの二人が言い合いをしていた。
「お前は外にでてろ! ここは俺が払う!」
「こっちが払ってあげるって言ってんでしょ」
「お客様……! 店内ではお静かにお願いいたします……っ…!」
二人とも財布を出してカウンターの前でバチバチと火花を散らす。
店員が涙目で制止に入るが、ロビンは引力でオーティスの腕を止めて、オーティスは彼女の前に肩ごと抑えている。
4か月バディをしていたとは思えないその光景に、ヴィンセントは頭痛がする思いだった。
「お2人とも……」
「服なんて買ってる余裕あるわけ? いつも食堂で済ませてる奴が貯金できてるとは思えないんだけど」
図星だったらしい。
オーティスは歯噛みし、言葉を詰まらせる。
「いや、それは……」
続きが出てこない。
そのわずかな間に、ロビンはカードを店員へ差し出していた。
「────あ」
「はい、あんたの負け」
「あ、えっと、お会計ありがとうございました……」
店員はそそくさとカード情報を読み取ると彼女に返す。
ふん、と自慢げに財布をポケットに入れると、声をかけるタイミングを失ったヴィンセントと目が合った。
「………どっかの俳優みたい」
「あー、悪くないと思うが余計に……」
オーティスが口ごもったのも無理はなかった。
店内の視線がすべてヴィンセントに集まっていたからだ。
周囲を見渡すと店員も騒ぎを聞きつけ、レディースコーナーから覗き込む女性客も彼に見惚れていた。
ヴィンセントはそれに気づきもせずにロビンが腕に掛けていた制服を手に取る。
「この上着は邪魔になりますね…どうしたものか。」
「あ、あの……こちらでお預かりしましょうか?」
「よろしいんですか?」
ヴィンセントが振り向くと、その後光に目がくらんだのか、店員は顔を赤らめて目を塞いでしまう。
「も、ももも、もちろんです。D.R.Aの方ですよね? こちらとしてもお世話になってますし是非……」
「ありがとうございます。では帰りに寄りますので。」
外へ出ると、星冠街の光が身体を包み込む。
ロビンは新しいジャケットの袖口を軽く引き、馴染みを確かめた。
周囲の喧騒とは裏腹に、二人の間には妙に静かな間が流れている。
「ロビンさん、来た時に着ていた服はどうされたんですか?」
「処分してもらった。Voidから地上に出てきた時に着てた服だし、もう丈も合わなくなってたから」
辺りを見回す。
「……で、あいつは?」
「さっきから見当たりませんね」
ヴィンセントも周囲に視線を巡らせたが、オーティスの姿はどこにもなかった。
「記憶喪失でしょうか? 道に迷っているのかもしれませんね」
「……」
「笑ってください。冗談ですから。」
その時だった。
「忘れてただろ」
突然、何かが頭に乗せられる感覚。
反射的に頭を上げようとすると、上から軽くぐりぐりと抑えつけられた。
「なに…っすんの」
「帽子だ。そっちの方が楽だろ」
被せられたそれは黒の帽子だった。
どうやらオーティスがさっきの店で買ってきたらしい。
日差し避けにはちょうどいい。
「それで、どこへ行く気ですか? 無計画とは言わせませんよ。」
ヴィンセントが問いかけると、オーティスはすでに背を向けて歩き出していた。
けれど、ふと立ち止まり──
「遊園地だ」
振り返ると同時に、親指をぐっと立ててにやりと笑う。
あまりにも場違いな一言に、二人は顔を見合わせた。




