第64話:世界を知る子供たち
セリカに先導され、見学者たちは緩やかな列を作ってエントランスホールの奥へと進んでいく。
吹き抜けの天井いっぱいに回転していたElysion全域ホログラムが頭上でゆっくりと追従し、子供たちはひよこのように首を振りながら歓声を上げていた。
「うわ、白いとこ全部ゆき!?」
「ミレリスっておっきいんだね~もっとちっちゃいと思ってた」
「みてみて、ここだけなんか赤いよ?」
裂け目観測室の中に入ると、半球状の広い室内が広がっている。
巨大な立体ホログラムが浮かび上がり、三層構造の全景が青白い光で立体投影され、その表面を無数の光点が流れる。
中央区上空だけ赤いリングが脈打つように何重にも明滅し、地上で見るような裂け目とは違う、比べ物にならない程に大きな暗黒が、その口を開けていた。
セリカは子供たちの目線まで腰を落とし、指先でリングをなぞる。
「この赤い印は“発生頻度の偏り”を示している。簡単に言うと、“ここに多く出る”という印です」
指先が光を撫でて、中央区上空のホログラムが拡大される。
青白い都市上空に、黒い亀裂を模した立体映像がいくつも開閉している。
「どうして中央区上空に集中するのか。これが今、一番議論されている問題のひとつです。地磁場の歪み、デュナミス結晶の分布、三層間の圧力差──いくつもの仮説が同時に研究されているんだ」
「あの説明でガキが分かるわけない」
「まあまあ、聞いていよう。今日は子供たちが主役だからな」
前列の子供が元気よく手を挙げる。
「はいはい! じゃあ、きた区の白いのはぜんぶ雪?」
「そうだよ、北区は極寒地帯だからね。氷雪と永久凍土に覆われていて、気温は一年を通してかなり低い。西区は長雨、南区は熱帯性気候。中央区だけが比較的安定して都市化に向いていたんだ」
「にし区ってずっと雨なの?」
「ほとんどね。だから建物の構造も排水設備…水を流してくれる設備も、他の区とはだいぶ違うよ」
子供たちが「へぇー!」と目を輝かせる一方で、セリカは穏やかな声で続けた。
「そして、この下にあるのがVoid。……ロビンさん」
不意に名前を呼ばれ、ロビンは小さく肩を揺らす。
「君は実際にそこにいた。“図”ではなく“場所”としての話を少しだけ聞かせてもらえませんか」
「……なんで知ってんの。オーダーはネクサリスじゃ珍しいんじゃなかった?」
「あー…たぶん、任命式にいた人から伝わったんだろ。あの時はD.R.Aの人たちもいたしな」
一瞬、室内の空気が静かになる。
子供たちのキラキラの視線が一斉に集まった。
セリカ博士の眼差しには好奇も偏見もなく、ただ“知っている人の言葉を聞きたい”という純粋さだけ。
ロビンは短く息を吐き、ホログラムへ視線を戻した。
「……Voidって一言で言っても、全部が同じ場所じゃない」
指先で黒い層をなぞる。
「場所によって、生活圏も勢力圏も違う。上に近いところは物資の流れがあるけど、深くなるほど治安は悪いし守ってくれるオーダーもいない。昔はオークションもあって、人も物もNovaも、全部値段がついてた。でも、Voidに裂け目が発生しないのは唯一よかったところ。もし発生してたら、今頃とっくに全滅してた」
ざわ、と見学者の一部が息を呑む。
だが子供たちは、恐怖よりも純粋な驚きで目を丸くしていた。
「じゃあ、おねーちゃんはなんでそこから出てきたの?」
観測室の空気が一瞬だけ沈む。
悪意のない、まっすぐな言葉に喉が一瞬だけ詰まる。
「……今は…、分からない。強くなるため…かな」
視線の先で、ホログラムのVoidが黒く脈打っていた。
落とした声は、自分でも驚くほど静かで迷いがある。
誰かが小さく息を吸い、別の誰かが足先で床を擦る。
静寂には浅く、ざわめきというには弱い、行き場のない間がその場に滞った。
その沈みかけた流れを、横から軽く押し戻す声が遮った。
「こう見えて、俺たちはオーダーなんだぞ?」
「おーだーってなに?」
「街と人を守る仕事だ」
オーティスは、肩の力を抜きながら口を開いた。
壁に寄りかかっていた身体を起こし、子供たちの目線へと視線を落とす。
「ロビンはVoidからミレリスに来て、訓練課程を終えてオーダーになったんだ」
淡々とした言い方だったが、声音にはどこか誇らしげな響きが混じっている。
わざとらしくない程度に、空気を持ち上げるための言葉。
「なんであんたが自慢げなの」
ロビンがすかさず睨む。
けれどその一言で、張りつめていたものがふっと緩んだ。
子供たちの視線がぱっと明るくなる。
重さよりも“すごい話”として受け取ったらしい。
「ヒーローさんなの!? ビュンビュンってする!?」
「Novaすごい!? みせてみせてー!!」
次の瞬間、子供たちが一斉にロビンの周りへ集まった。
袖を引かれ、裾を掴まれ、無邪気な瞳が見上げてくる。
「ち、……近い」
「おねぇちゃんつよい? このおっきい人たおせる?」
「ひ、引っ張んないで!!」
思わず強めに返した言葉に、子供たちはきゃっと笑い声を上げる。
眉を顰める横でオーティスが吹き出す。
「もうだめだ、…はは…っ…似合ってるな」
「なにが」
「子供に囲まれてるの」
「うるさい…っこういうのはあんたの仕事でしょ」
けれど、その声にさっきまでの棘は少しだけ薄れていた。
次に案内されたのは、観測室のさらに奥にある標本保全ラボ──ギュネオスアーカイブ。
自動扉が開いた途端、空気の温度が変わる。
薬品と金属の混じった冷たい匂いが漂っている。
「……くちゃい」
「へんなにおいー! ここやだ!」
薄暗いラボの壁面には、人型・浮遊型ギュネオスの標本ケースが規則正しく並んでいる。ケースの中で揺れる四肢、破損したコアの断面、半透明の膜の模型。
子供たちは最初こそ「うわぁ!」と興奮していたが、その異質さに少しずつ声を潜めていった。
「手前が浮遊型で、奥に見えるのが人型になります。現在までに確認されている代表的な個体群です」
「子供に見せるもんじゃないかもな」
「そう?」
「こわいよ…」
「動かないよな…?」
静止した異形に、先ほどまでの無邪気な声は自然と小さくなる。
その見学者たちの反応を視界に捉えると、セリカはあえて浮遊型の前で足を止めた。
「では、こちらから説明しましょうか。これは浮遊型ギュネオス。見た目は単純な球体構造ですが、内部は高密度の分解再構築層で構成されていると考えられています。動きはすばしっこく、背後を取られると危険ですが、防御は人型ギュネオスより遥に脆い。………ただし、本当に注意すべきはそこではないんです」
セリカは一度、言葉を切った。
子供たちの視線が集まるが、彼らは少しだけ身を引く。
「浮遊型は単体では完結せず、“呼ぶ”習性があると確認されています。確認された行動では、浮遊型は人間を発見すると一定距離を保ちながら追跡し、別個体の人型ギュネオスを誘導する。そして、応戦するように攻撃を開始し、逃げ道を塞ぐ」
「攻撃には向いてないから連れてくるってこと?」
「そう。言い換えれば、偵察と誘導を兼ねた“前衛ではない脅威”と言えますね」
一瞬、室内の空気が静まる。
「ですので、D.R.Aでは浮遊型を最優先で排除する。見逃せば、状況が一段階悪化することになりえるので」
「……まんまるなのに、こわいね」
「そうだね。“形”では判断できない。それがこの星の難しさです」
子供たちは先ほどのように騒がない。
ただ、じっと標本を見上げていた。
「さて、次は人型ギュネオスの説明に移りましょう。人型ギュネオスの弱点は胸部にあるコアにあります。この位置は人間の心臓とほぼ同じ位置にあり、研究者の中には“模倣”しているのではと考える説も――」
セリカ博士の説明を聞き流しながら歩いていたロビンの足が、不意に止まった。
ラボの外れ。
半透明のシャッターが下ろされた封鎖区画。
一般見学者から距離を置くように、一体だけ他とは違うものが置かれていた。
「……まって」
骨の継ぎ目には明らかに異形化した硬質な皮膚が絡みつき、体内には無理やり埋め込まれたような液状のなにかが“再現”するように流れていた。
――獣の骨格。
北区にいた獣と同じ。
「………ッあれはギュネオスじゃない。獣を無理やりそうしただけでしょ」
子供たちの先頭を歩いていたセリカ博士は静かに振り返る。
見学者たちも意味が分からず、子供たちもきょとんとして見上げているが、オーティスだけはシャッターの中を見つめ目を細めていた。
「正確には“獣型ギュネオスの残骸”。現在もっとも研究が進んでいない分野です」
「元はただの生き物だったはずなのに…こんなところで展示させるなら北区で回収なんかしなかった…。そもそも、こんなことができるのは裂け目を研究してるあんたらの技術なんじゃないの」
「……そうか。君たちが北区で獣型ギュネオスに遭遇したオーダーか…話は聞いているよ。……その反応も、もっともだ」
セリカ博士は一拍だけ間を置いてから、静かに言葉を選んだ。
「まず、前提として言っておく。D.R.Aは生体を意図的に異形化させるような実験は一切行っていない。倫理規定の最上位で明確に禁止されているし、仮に試みた時点で組織として成立しなくなる。それに──現時点で、我々は“生物をギュネオス化する技術”そのものを持っていない。再現も、制御も、逆転もできない。だからこそギュネオスは未知で研究を続けているんだ」
ゆっくりと、問題の標本へ視線を移す。
「君が見ているそれは、北区で回収された“変質後の残骸”だ。発見時点ですでにこの状態に近く、内部構造も通常の生物とも既存のギュネオスとも一致しない。……つまり、“過程が観測されていない例外”なんだ」
「…見世物と変わらない」
「我々はこれを“創った”のではなく、“起きた現象として拾った”に過ぎない。ただし──君の言う通り、見世物と受け取られても仕方がない側面はある。だが、未知の現象を“見なかったことにする”方が、結果的に多くの命を危険に晒す可能性もある。この個体がどうしてこうなったのかを解明できなければ、同じことが別の場所で起きた時、誰も対処できない。…これでも配慮をしたつもりだよ」
「……配慮って、誰に対して? それを見てる側? それとも、これになった“元の生き物”? 少なくとも、後者には尊厳も何も残ってなんかない」
獣が無理やり異形にされた。
そして、異形と化した獣は6人の人間の命を奪った。
生存本能でもなく、創られた殺意によって。
その残酷さは、誰より彼女の胸に刺さる。
唸る言葉に、ラボの冷気がまた一段深くなった気がした。
「こんなの、ガラス越しに整えて並べた時点で“ただの現象”になる。どこで見つかって、何が起きて、どう死んだのか──全部切り落として。それで“次を防ぐため”って言われても、実感なんか湧くわけない。上から見れば“例外”でも、下じゃそれが現実になる。あんたたちは“起きた現象”って言うけど、こっちにとっては“起きたこと”でなにも終わらない」
ロビンの言葉が落ちたあと、空気は動かなかった。
子供たちのざわめきも消え、ただ保存液の微かな揺れだけが視界の端で揺れている。
その沈黙の中で、オーティスが一歩だけ前に出た。
「現場で見るあれは…こんなに静かじゃない……だから俺たちは止めるし、回収もする。研究を辞めろと言ってるわけじゃないんだ。ただ――それをどう扱うかはよく考えてほしい」
それから、セリカの言葉は続かなかった。
ただ視線を落とし、切り替えるように子供たちへ体を向けるが、その表情にさっきまでの暖かさはなく、二人の言葉を深く咀嚼しているように見えた。
「………ロビン、行くぞ」
返事をするのも苦しく、喉は枯れ、足は鉛のように重かった。
ガラス越しの獣型残骸を最後に、ゆっくりと拳を握りしめていた。
✧✧✧
ギュネオス標本保全ラボを抜けると、セリカは見学者たちを先導しながら長い回廊へと歩き出す。
冬の淡い陽光がバリアとガラスを通して幾何学模様を落とし、子供たちの足音がそこを跳ねるように駆けていく。
「次は、皆さんお待ちかねの“創世譜”開拓初期記録のある原典保全区画へ向かいましょう」
その言葉に、子供たちから一斉に歓声が上がる。
「そーせふってなにー?」
「え、知らないの? むかしのやつ!」
「わたし知ってるよ! 星きたときのやつでしょ?」
思い思いの声が飛び交う中、セリカは柔らかな笑みを浮かべた。
「そう。人類が最初に降り立った時代――入植当時の記録だよ」
「へえ……どれくらい前?」
「ここにいるみんなが生まれるよりずっと昔の出来事です」
少しだけ間を置いて、視線を前に戻す。
「今回はその一部を公開しています。普段は厳重に管理されていて、一般には出ない資料です」
「なんでー?」
「興味を持ってもらうためだよ。……人手が足りないからね」
この星の始まり。
人類が捨てた惑星の、その先。
そして、今の世界を形作った最初の選択。
「創世譜は、この星の歴史の始まりそのものです。今、皆さんが暮らしているネクサリスも、ミレリスも、そしてVoidでさえ、その時代の出来事が基盤になっています。期待していてください。きっと世界の見え方が少し変わりますよ」
セリカ博士がそう告げた、瞬間だった。
ゴオオオオッ――――
突如、回廊全体を揺らすような重低音が響き、連結ゲートから猛烈な風が吹き込んできた。
「きゃあっ!」
「わああっ、なんだ! 何の風だ!」
子供たちと見学者たちの歓声が一気に弾ける。
隣接する簡易ドックエリアへ一隻の大型飛空艇がゆっくりと降下していた。
機体各所の推進ノズルが青白い光を噴き、雲を巻き込むようにして着艦態勢へ入っていく。
その姿を見上げて、オーティスがふと目を細めた。
「ん? あれ、イプシロン隊じゃないか?」
「イプ……なにそれ」
聞き返したロビンの横で、子供たちの列が一気に崩れる。
「かっこいい……!」
「ねえ見て、あれ降りてくる!」
「近くいける!?」
ひとりが走り出すと、つられるように数人が崩れた。
わっと駆け出した小さな背中たちが、ドックへ向かって一斉に走り出す。
「おい、危ない――!」
オーティスが咄嗟に手を伸ばす。
だが、その声より早くロビンの指先がわずかに持ち上がった。
空気が、きゅ、と軋む。
走り出していた子供たちの身体がふわりと浮き、まるで見えない糸で引き戻されるように、その場でぴたりと静止した。
子供たちの身体はそのままゆっくりと集められ、ふわりと床へ着地。
ロビンは額に青筋を浮かべながら、しゃがんで視線を合わせる。
「……っ危ないって言ってんでしょ。勝手に走るな」
「ねえ今のなに!?」
「浮いたよ!?」
「もう一回ふわふわしてー!!」
叱られているはずなのに、子供たちは目を輝かせてきゃっきゃと跳ねている。
一瞬言葉を失い、それから深くため息を吐いた。
「……このガキ共、聞いてない」
「助かったのは確かだ」
横でオーティスが肩を揺らして笑う。
その間に、飛空艇は完全に着艦を終えていた。
重いロック音が鈍く響く。
機体下部のハッチが油圧音とともにゆっくりと開き、圧縮されていた空気が白い霧となって吐き出される。
冷えた風が一気に流れ込み、見学者たちの足元をさらっていった。
その霧を裂くように影が落ちる。
「うわ、見学会やってんじゃん。ちびっ子多っ」
声がした時には、もうそこにいた。
床を蹴った軌跡すら残さず、ハッチの直下から見学者の列の前へ――一瞬で距離を詰めて。
キャラメル色の髪が外気に揺れ、開いた襟元から覗く喉元に冷気が触れる。制服はどこか着崩れていて、けれどその下にある身体のしなやかさが、それを“だらしなさ”ではなく“余裕”に変えていた。
彼は軽く口角を上げ、八重歯がちらりと覗く笑みを浮かべる。
「見学ツアーと鉢合わせとか、タイミング悪いな」
ぼやきながらひらりと手を振ると、その距離の近さに子供たちの反応が一拍遅れて弾けた。騒ぎが広がる中、彼は気にも留めず肩をすくめる。
その背後で、もうひとつの足音がゆっくりと重なった。
「ラック。まず襟を閉めなさい」
落ち着いた声が、霧の向こうから差し込む。
規則正しい歩幅でハッチを降りてきたのは、長い金髪をひとつに束ねた女性。翡翠の瞳が周囲を一度だけ見渡し、それから自然と見学者たちへと向けられる。
場の空気を測るようだったが、すぐに柔らかな笑みへと変わった。
「ごめんなさい、騒がしくしてしまって」
子供たちの高さに合わせるようにわずかに視線を落とす。
その仕草だけで、ざわついていた空気が不思議と落ち着きを取り戻していく。
「だってメル艦長、戻ってきたら目の前にこれですよ? びびるだろ普通」
「“普通”の行動ができるなら、あなたに毎回注意はしてないわ」
「はいはい。あとでやりますって」
「今、しなさい」
「えぇ……」
しぶしぶと襟元に手をかける様子に、子供たちからくすくすと笑いが漏れる。
そんなやり取りの奥で――“気配”が動いた。
ハッチの内側、光の届かない影の中でゆっくりと一歩を踏み出す。
雑踏の中でも、彼の足取りだけは流麗な旋律を奏でているかのようだ。
誰もが言葉を失い、その完璧な造形が通り過ぎるのをただ見送るしかない。
白に近い淡金の髪が外気に触れて、整えられた制服と無駄のない立ち姿には派手な動きはなにもないのに空気は自然と変わる。
見学者たちの声が、今度は別の意味で波立つ。
その中心で彼はただ静かに周囲を見渡すと、ある一点で止まった。
「お久しぶりです、オーティスさん。」
「すごい偶然だな! まさか会えるとは思ってなかった、巡航帰りか?」
「ええ、そんなところです。ネクサリスに来ていたんですね。」
そのやり取りを横で聞いていたロビンは、二人の間に流れる妙に慣れた空気に小さく眉をひそめた。
するとヴィンセントの視線が、今度はゆっくりと下がる。
透き通る宝石のような紫の瞳。まっすぐ見つめられるだけで、どこか見透かされるような感覚があった。
「貴女がロビンさんですね。」
「……え、なんで名前知ってんの? こいつ誰?」
「いや、……お前、任命式で会ってただろ? お前も壇上にいたし、参列席から見えた限り、目が合ってたような気がしたけど違うのか?」
「オーティスさんからお話は聞いています。」
「聞いてるって……何を」
「バディになったことと、普段の会話で困っていることも。どうバディとして接すれば良いか、何度か相談を受けました。」
「おいっ! ヴィンセント!!」
慌てて声を荒げ、このあまりに融通の利かない杓子定規の口を塞ごうとするも、もう遅い。
ロビンは無言のまま一歩近づき、にこりともせずに拳を作る。
ドスッ
「……っと、危ない。…腹に食らうとこだった…」
鈍い音とともに、彼のガードした両腕に一撃が入る。
「人のこと勝手にペラペラ話してたわけ?」
「違う!! いや、違わないが…」
「全て本当のことですが。特に誘引装置の一件の後は端末の振動が止まらず、困り果てたものです。」
ヴィンセントは首を傾げただけだった。
本気で何が悪いのかわかっていない顔である。
「ところで、ロビンさん。あの時は、喧騒の中でしたし……覚えていないのも無理はありません。私は、D.R.Aイプシロン隊所属。ヴィンセントと申します。」
そう言って、彼は優雅にお辞儀をして見せた。
隙はなく、教科書通りの動きと言ったところだ。
だが、あまりに洗練された仕草に、ロビンは好意的な印象を持つこともなく、眉をひそめた。
「──あんた、どこの人間?」
その一言に、場の空気がぴたりと止まる。
オーティスも、ヴィンセントも表情を強張らせた。
鋭い。Voidという裏の世界で生きてきた彼女の勘が働いたのだろう。
「……どこの人間って…? 何のことだ」
「どう見てもVoidの人間じゃないし、地上の奴らとも違う。天空の人間のことはよく知らないけど、……平和ボケしてるようにも見えない」
「私が話すわ」
腕を後ろに組み、笑みを浮かべながら輪に入ってくる人物。
メルはにこやかにしながら、口を開いた。
「初めまして、私はイプシロン隊艦長のメルよ。あなた、任命式のとき目立ってた子ね? あの時のあなたの演説、心に響いたわ。面白い子だと思ってたの。こうしてまた会えるなんて嬉しい」
「演説って……別にあれは…口が滑っただけで。………はぁ…それで?」
「そうね。彼については分からないことも多くて……、実は彼…記憶喪失なの。ネクサリスのどこに住んでいたのか、調べてあげてるところ」
その言葉に、ロビンの視線が鋭くなる。
「記憶喪失?」
「ええ。検査を進めてるけど、最近は誘引装置の調査でD.R.Aは手いっぱいで……。彼の記憶回復までは手が回らないのよ」
語りながらメルは困ったように眉を寄せた。
しかし、疑いはまだ晴れていない。
「……記憶喪失、ね。都合よすぎない?」
「ロビン。ヴィンセントは誘引装置とは無関係だ」
「あんたもなんで信用できんの?」
オーティスは口をつぐみ、メルに視線を移す。
「ええ、突然すぎる話に聞こえるのは分かるわ。あなたもVoidで幼少期を過ごしていたなら知っているはず。“ピュシス”──あれを見てきたなら、“記憶が抜け落ちる”くらいは不自然じゃないはずよ」
沈黙。
やがて、ロビンはわずかに唇を噛んで、吐息をもらした。
「確かに…そうかも。ヴィンセント…だっけ…? ごめん。気、悪くさせた」
「謝らないでください。気にしていませんから。こうして言葉にしてもらえた方が、私はありがたいです。」
「早く思い出せるといいね。覚えてる事とかないの?」
「そうですね……。コーヒーを好んでいた…ことくらいです。」
「それ記憶と関係あるわけ?」
ロビンの視線が逸れたのを見て、オーティスは小さく息を抜く。
その隣で、メルもまた気づかれない程度に肩の力を落としていた。
──ヴィンセントが「裂け目」から発見されたことは、今も極秘とされている。
今はまだ、真実の一部だけを見せることで遠ざけておくしかない。
その張り詰めかけた空気を、横から雑に踏み崩す足音があった。
乾いた靴音がやけに早い。振り返るより先に、声が飛び込んでくる。
「オーティス、元気してたか! ん、誰だ?」
「ロビンだ、俺の新しいバディ。こっちはラック、イプシロン隊の──」
「イプシロン隊の隊員かなんかでしょ? もう聞き飽きた」
ラックはその悪態に目を丸くしたあと、腹を抱えて大笑いする。
「あっはっはっ!! なんだこいつ態度悪いな、昔の俺みたい!」
「……………」
ロビンは答えず、視線だけをラックに向けた。
値踏みするように一度だけ上から下まで見て、それきり逸らす。
「よろしくなー、ロビン! さっき見てたけどNovaはなんだ? 俺は加速! 猛スピードで敵の背後に回ってズドンと攻撃し、一件落着ってのを何度となく繰り返してきたベテラン航宙士」
「……どうも」
「いやー、でもマジですげぇな。さっきのひよこキャッチ、あれ超ウケてたよ」
ラックが子供たちをあやすように両手をぶらぶらさせると、近くで見ていた子供たちはまた笑い出す。
その笑い声の余韻を裂くように、冷たい風が5人の間を割り込んできた。
金属の匂いを含んだ冷気が一気に肌を撫で、ロビンの肩がびくりと揺れる。
その小さな震えを、ヴィンセントは見逃さなかった。
視線を落とし、それから迷いなく自分の上着を脱ぐと、静かに彼女の肩へ掛ける。
「ここは寒いです。少しでもいいので、それを着てください。遠慮なさらずに。」
「あ、…ありがと。あんた気が利くね」
「ネクサリスはミレリスと違って風が強いですから。地上の感覚でいると体温を奪われます。」
柔らかな重みと、まだ残る体温。
ロビンが一瞬言葉を失っていると、ヴィンセントの視線がゆっくりとオーティスへ流れる。
責めるように。
「……貴方は分厚いダウンを着ていて、彼女にはシャツ一枚ですか?」
「いや、その……あとで買いに行こうと思ってたんだよ」
「はあ、貴方って人は……」
静かな呆れ声が、逆に妙な圧を持っていた。
オーティスは珍しく言い返せず、誤魔化すしかない。
その様子が少しだけおかしくて、ロビンは肩に掛かった軍服の襟を指先でつまみながら、小さく白い息を吐いた。
この空の上の冷たい空気の中で、不思議とそこだけは温かかった。
そして、その空気を切り替えるようにオーティスがぱん、と手を打つ。
「よし。せっかくここで会ったんだ」
「……嫌な予感しかしない」
「このままネクサリスの街を皆で回らないか? ロビンの上着も買わないと」
ヴィンセントは少し考えるように目を伏せ、メルと視線を合わせる。
「彼が、ここから離れることは──」
メルが抗議しかけるが、オーティスが先に口を開いた。
「オーダーが2人もいるし、なんの問題もないだろ。それにヴィンセント、この基地の外には出たことあるのか?」
「……任命式の後は、ないですね。」
「ほらな」
「確かに……一理あるわ。外に出ればなにか変わるかもしれないし…」
「俺もさんせーい!!」
「だめよ、ラック。あなたにはこの間の始末書を書いてもらう」
一気に話が進んでいく。
ロビンだけが取り残されたように目を瞬かせたが、すでにオーティスは街へ続くゲートへ身体を向けていた。
「……」
一度振り返る。
何があるのか。
知りたい気持ちは、確かにあった。
――なぜ、Voidは嫌われるのか。
あの扉の先に、その理由があるんじゃないか。
子供たちは手を振りながら、部屋へ入って行ってく。
扉の、奥へと。
「ロビンさん」
「ロビン! 行くぞ!」
「………うん、今行く」
その扉は、またしても開かれない。
けれどその代わりに、空の都市で新しい縁が確かに形を持ち始めていた。




