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AionioS  作者: 無日
第七章:とこしえに触れる間際

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第63話:星の秘密に最も近い場所

 陽はまだ低く、薄暗さが続く朝。

 冬光を帯びた日差しが、高層ビルの隙間から差し込む。


 わずかに開いた窓から入り込む光の帯が、彼女の太腿をそっと撫でていく。

 陽光はフローリングの線を追いかけるように室内を横断し、テーブルの上の散らばった書類の端を照らした。


 ――比翼町(ひよくちょう)


 淡砂街から少し離れた中央区の中でも一番小さな町。

 マンションの15階という高さからでも、林立する高層ビルの隙間を配送ドローンが忙しなく往来しているのが見え、小さな町からでも中央区の人口の多さと効率至上の都市構造を物語っている。


 ソファの上で丸くなった塊が何度目かの夢を辿った後、眩しさに目を覚ました。

 のそりと気だるげに起き上がると、流れた視線の先に数字とグラフの束が侵入してくる。


 検査結果、診断書の数々──無造作に投げられた紙きれ一枚一枚が現実を突き付けていた。病室の光景が不意に脳裏をよぎる。

 静まり返った部屋にいると、別世界の出来事だったように思えてしまう。


 ピコン


 ため息と同時に、端末が軽やかな電子音を立てた。


[Amir:写真が送信されました]


 オーダーの仕事は多い。

 迷子や行方不明者の捜索、軽犯罪Novactorの対応、子裂け目発生に備えた巡回強化。


 北区から戻ってきた5人にも、あれから休みはほとんどなく、慢性的な過密任務を緩和するため、北区と南区から選抜されたオーダーが交代制で本部に派遣されることになった。

 カルロスの指示で、中央区のオーダーは数日間の休暇が与えられたのが、病院から戻ったつい三日前のこと。


 アミルは有給が出たその日のうちに次なる旅行先のチケットを予約し、浮足立つまま休暇に出たらしい。

 返信もろくにしていないのに、気にせず写真だけは送られてくる。


 画面をタップすると、風景写真が表示された。

 どこの区かもわからないその街並みは色とりどりの光と人で溢れている。

 どれも色鮮やかだ。


 打ちかけた言葉を途中で消し、端末を閉じる。

 ──今、考えるべき問題は他にある。

 でも、その前に。


「……お腹すいた」


 呟いた声だけが部屋に跳ね返る。

 立ち上がりかけたところで、また通知音。


[Otis:今日、予定あるか?]


「こいつ…、いつもタイミング悪い」


 無視を答えにし、フローリングの冷たさを足裏で感じながらキッチンへ向かう。

 冷蔵庫を開けると、中には冷えたミネラルウォーターが1本あるだけだった。


「なんにもない…」


 自分のために作るとなれば話は別だ。

 食材を買うのも、キッチンとシンクを使ったあと掃除するのも、他の家にはロボットだかなんだかいるかもしれないけど、そんなものに頼りたくもない。

 自分の手があるうちは、自分の手でやりたい。

 

「レトルトのスープでいいか……どうせここにはほとんどいないし」


 急に休みになっても困る。

 仕事が終わった後ですら、この部屋にいてもやることもなく、ただ夜空を見上げていただけなのに。

 特に眠れない日は酷い。睡眠に逃げる事も、起きていることも退屈で、逃げ場がないから。


 洗面所の扉を押して、髪を一つにまとめる。

 壁際に並ぶ歯ブラシ、タオル、小さなケース。必要最低限の生活用品。

 棚には〈Halo Film(ヘイローフィルム)〉と書かれた予備の箱が並び、3つの空き箱は処分を忘れさられている。

 どれも整然としていて、ここに来て4か月が経とうとしているのに、何も変わっていない。


 蛇口を捻ると冷水が流れ出す。背中を丸めて冷水を手の中に溜めて顔を浸けると、寝ぼけた意識がやっと覚めた。

 顔を伏せたままタオルへ手を伸ばし、何度か空振りしながらも鷲掴む。

 身体を起こすと鏡に映る未だに慣れない、別人に思えるその顔があった。


 Voidで生きた自分は捨てた。

 あれ以上長くいることはできなかった。


 手持ちは何もなく、抱えたかったのは存在を証明できる名前だけ。

 過去を持ってくる気はなかったけど、それだけは、唯一“あの場所”を生きられた証だったから。


 ピンポーン


「宅配便でーす」

「……宅配?」


 また、隣人の荷物が誤って届いたんだろうか。

 ハンガーにかけていたシャツを着て扉を開ける。


「はぁ…荷物なんか頼んでないんだけど。また隣の奴なんじゃない……の」


 ぬっと伸びる大きな影。

 視線が下から上に昇っていく。

 すぐに、視界は真っ暗に覆い隠された。


「お前、上層にはいったことあるか?」


 いつもの制服姿とは違ってグレーのパーカーの上にはダウンを着たラフな格好。

 ただでさえ筋肉の盛り上がりで大きい上半身が、さらに大きく見える。


「な、なんであんたが……。まって、そもそもここオートロックでしょ…住所とか……どうやって…」

「顔パスだ。警備員の人が俺のこと知ってたみたいで入れてくれたんだ」

「ザルすぎるでしょ…使えない警備…これだからオーダーは…」

「俺もお前も休暇だろ? せっかくだし中央区の“上”でも見に行くかと思ってな」


 警備はなんの信頼を得てるんだか、なんて考えても無駄だ。

 いよいよ次の行動パターンを予測でき始めていることが癪に障る。

 思考を停止し、そのまま無言で扉を閉めようとした。


 ガッ


 ドアの隙間に靴先が差し込まれ、勢いを止められる。

 そう来ると思った。


「ちょっ…と…閉めさせて……」

「どうせ暇だろ? 準備していくぞ」

「暇じゃない。アタシにだって予定ぐらい……」

「お前、ミレリスに友達いないだろ」


 その一言で、ぴたりと動きが止まる。


 隙ができた瞬間に扉が完全に開かれ、無遠慮な侵入者の顔がそこにあった。

 人の心の境界線なんて軽々と踏み越えてくる奴だ。





「……その格好で行くのか?」


 視線が頭のてっぺんからつま先まで見下ろす。


 白シャツに、色落ちしたデニム。

 ただそれだけなのに、背の高さと鍛えた体格が手伝って、それなりに“様になって”しまっている。

 だがオーティスは、その表面的な見栄えではなく──彼女のクローゼットの中身を想像して、すぐに“答え”にたどり着いた。


「……これしかない」


 ロビンはわずかに頬を引きつらせながら答える。

 オーダーの制服以外で外出することなんて、ほとんどなかった。

 今になって、過去の自分の選択を少しだけ恨んでいる。

 その後悔をよそにオーティスはしゃがみこんで腹を抱えて笑い出した。


「く…っははは……!」

「仕方ないでしょ! 仕事以外で外に出る事なんかほとんどないし…!」

「…ははっ…上層は空にある。寒いからな、向こうに着いたら上着を買おう」


 背を向けて歩き出すその震えた背中を黙って睨みつけた。

 そのまま拳を握り、彼の横腹に一撃を入れてやる。


「いて…本当容赦ないな」


 静かすぎる部屋に戻るくらいなら、この騒がしい男に連れ回される方がまだマシ。

 そんな風に思えた自分が、少しだけ意外だった。


 そして、何よりも――そういう“侵入者”が、今の自分にはどうしようもなく煩わしく、そして少しだけありがたかった気がした。




✧✧✧




 オーダー機関本部から離れた淡砂街中心部。


 淡砂街の高層群を抜けた先で足を止めた。

 視界いっぱいにそびえ立っていたのは、天へ伸びる一本の巨大塔。

 地表ミレリスと天空ネクサリスを繋ぐ、超高層型宇宙エレベーター。


 塔の先端は、光の屈折と雲に呑まれて見えない。

 ただ白く淡い冬空へ、まっすぐ突き刺さっているようにしか見えなかった。

 “上へ行く”というより、空そのものに吸い込まれているような。


「ひさしぶりだな。ここに来るのも」


「実家があるんだっけ」


「それもそうだが、前にD.R.Aの任務に同行したんだ」


「オーダーが? なんのために」


 しまった。

 オーティスはそんな顔をして一瞬固まる。


「え、っと、検査のついで…みたいな感じだ」

「あんたって嘘が下手すぎ。まぁいいけど」


 否定しなかったところを見るに、本当に嘘なんだろう。

 まぁ、関係ないことだし。

 巻き込まれたくもないから、それ以上は聞かないことにした。


 彼は気まずげにしながら、塔を囲む円環状の構造へ迷いなく入っていく。

 その背を追って足を踏み入れた。


 中は拍子抜けするほど静かだった。

 壁面モニターでは、イリスターミナルの帰省ラッシュがニュース映像として流れている。年末の地上の交通網は車で埋まり、ホームでは乗客たちが幾重にも列を作っていた。


《年末年始を故郷で過ごす人々の帰省ラッシュはピークを終えましたが、交通機関は未だ混雑しています》


《イリス・セントラルターミナルでは朝早くから、キャリーケースを引いた家族連れで賑わい、去年に比べ予約席は3%上昇。過去最多を記録しました》


 だが、それとは対照的にネクサリス行きの宇宙エレベーターは人が少ない。

 広いロビーには上質なコートを纏った数人の利用客が静かに行き交うだけで、足音さえ床に吸い込まれていく。

 そのせいか、天井に吊られたままの星灯りの装飾もどこか取り残されたように、銀糸のオーナメントが空調の風に揺れて小さく光を散らしていた。


「人が少ない。もっといるかと思ってた」


「上は住んでる人がほとんどだ。地上みたいに気軽に来る場所じゃない」


 ゲートへIDをかざしながら頷いた。

 青白い認証光が全身を一瞬でなぞり、透明扉が左右へ静かに開く。


 その先には、ガラス張りの昇降キャビンが待機している。

 床から天井まで透明な曲面ガラスで覆われた円形のポッドは、まるで空へ打ち上げられる観測室のように見える。

 一歩踏み込むと、足元に淡い光の輪が走り、遅れて入ってきたオーティスは背後のドアに寄りかかった。


 ほどなくして重厚なロック音が響き、キャビン全体が低く震えると、身体が持ち上がるような感覚とともに、エレベーターは音もなく上昇を始めた。

 窓の外で、ミレリスの摩天楼がゆっくりと沈んでいく。

 高層ビル群、本部の白い構造物、ついさっきまで自分がいた街並み。

 すべてが上へ昇るたびに縮み、やがて都市全体が掌に乗る模型のように見え始めた。

 あれほど巨大で、自分の日常そのものだった場所が、今はただの光の集合体にしか見えない。


 その中には大穴――Voidもあった。

 視界が広がるたびに、自分を縛っていたものまで少しずつ小さくなっていく気がした。


「もうすぐ雲を抜ける」


 その言葉の直後、キャビンは白い雲海へ滑り込んだ。

 視界が一瞬、真っ白に染まる。


 次に彼女が見る景色は、空の上。

 重力すら変わる、もうひとつの世界――ネクサリスだ。




✧✧✧




 耳の奥に残っていた圧が、ふっと抜けた。

 減速の振動とともにキャビンの外周を走っていた光の輪が静かに消え、透明扉の向こうに新しい景色が開く。


 思わず、息を呑んだ。


 そこに広がっていたのは、空の上に築かれたもうひとつの都市だった。

 白銀と硝子で組み上げられた曲線を描く高層塔群が、雲海の上に根を張るように立ち並んでいた。

 塔と塔のあいだを結ぶ透明歩廊には淡い光のラインが流れ、流線型の小型輸送艇が静音だけを残してゆるやかに横切っていった。


 胸が鼓動する。


 地上の中央区が密度と効率を極めた都市なら、ここは静謐と洗練を極めた別世界だ。

 星灯りの装飾が通路脇の欄干に揺れて、淡い蒼白の光が雲の白さに溶け込んでいる。


「……すごい」


 地位差kう開いた口から零れた声は、自分でも驚くほど素直だった。

 隣ではオーティスが慣れた足取りでキャビンを降り、そのまま歩き出している。

 地元に帰ってきた人間の、それこそ呼吸みたいな自然さ。


「ほら行こう。ぼーっとしてると置いてくぞ」


「ちょ、ちょっと待って……」


 慌てて後を追いながらも、視線はどうしても空と街のあいだを滑っていく。

 雲の向こうに沈んだミレリスはもう見えない。

 ここは本当に、重力すら別の場所なのだと肌でわかった。


 透明歩廊へ出たところで、ロビンはようやく隣を歩く男を見上げる。


「で?」

「ん?」

「“ん?”じゃない。なんでアタシをわざわざ上層まで連れてきたの」


 問いかけに、オーティスは一瞬だけ視線を逸らした。

 それから首の後ろをぽり、と掻く。


「あー…まあ、思い付きだ」

「……百歩譲ってそれでいいとして。それで、具体的には?」

「行きたいとこあるか?」

「は?」

「お前の家で考えるつもりだったんだが、先に来ちまったな」

「……はぁ!? 無計画にもほどがあるでしょ!」


 思わず声が歩廊に響き、すれ違った市民が小さく肩を震わせて振り返る。

 オーティスは悪びれもせず、むしろ少し笑っていた。


「でも、結果的に来てよかっただろ」


「……っ景色の話と計画性のなさは別問題」


 言い返しかけた、その時だった。

 前方の広い接続ホールから、子供たちの賑やかな声が流れてくる。

 視線を向けると、防寒コートに身を包んだ小学生くらいの子供たちが二列になって歩いていた。

 引率の大人に連れられながら、誰もが期待に目を輝かせている。


「みんなこっちだよ! 迷子になったらめっ! だよ!」

「ひょーほんしつもあるって! ひょーほんしつってなに?」

「博士ってあたまいいんでしょ? IQどれくらい?」


 会話に耳を傾けて、ふと足を止めた。

 ちょうどホール壁面に、広告が浮かび上がっている。

 雪の結晶の流れる青白い演出の中央に、明滅する文字。


 《D.R.A 冬季一般公開見学会──》


 《裂け目観測室・標本保全ラボ・開拓初期記録一部公開中》


 これだと言わんばかりにその広告を指を差す。


「ほら! ロビン見ろ!」

「……なにが」

「D.R.A見学って書いてあるぞ!」

「今見つけたでしょ」

「このために来たんだ!!」


 盛大にため息を吐いた。

 けれど、子供たちの弾んだ声と、空の都市に漂う祭りの残り香のような高揚感が、思ったより悪くない気分を胸に残していた。


 世界の仕組みを暴く場所。

 裂け目を追い、異形を研究し、この星の秘密に最も近い機関。


 その一般公開に紛れ込むようにして、二人は子供たちの列の後ろへと足を向けた。




✧✧✧




 ひよこのように、てくてく歩く子供たちについていく形で向かった先。

 家族連れやカップルまで、流れに沿うように合流した。


 だが、ロビンの表情は疑わし気だった。

 ここに着いてからというもの、誰とも目が合わない。

 妙な違和感が確信に変わる。


「……ねえ」

「ん?」

「……なんで誰も、何も言わないの」


 ミレリスではありえない光景だった。

 視線は刺さるものだったし、露骨に避けられることは日常茶飯事。

 “そういうもの”として、受け入れてきた。


 けれどここでは違う。

 ただの一人の人間として、風景の中に溶けている。

 その違いが、落ち着かなかった。

 オーティスは一瞬だけ考えるように視線を向けて、それから肩をすくめた。


「場所の問題だな」

「場所?」

「ネクサリスは、ミレリスみたいに五区が混ざり合ってる場所じゃない。上に住んでる人達は基本ここから動かないし、犯罪もかなり少ない」


 前を歩く子供たちの列を目で追いながら続ける。


「だからオーダー機関自体がない」

「……は? じゃあ、犯罪Novactorが出てきたらどうしてるの」

「代わりに幅利かせてるのがD.R.Aだ。ほら、今から行くとこな。もし通報があればD.R.Aの部隊が対処してるらしいが、俺は見たことない。こっちじゃ“危険に対処する組織”より“危険を解明する組織”の方が有名なんだ」


 知られていない。

 それは安全でもあり、同時に、妙な空白でもあった。


「それに、Voidも遠い。物理的にも感覚的にも」

「……」

「中央区の真下にあるのがどれだけ近いか、ここにいる人たちは実感してない。知識として知ってるだけだ」


 視線の先で、子供が笑う。

 何の曇りもない声だ。


「だから、お前を見ても“そういう反応”にならない」


 その言葉を受けて、もう一度だけ周囲を見渡した。

 誰も怯えていない。

 誰も、遠ざからない。

 それが当たり前みたいに、ここにはある。


「そのうち慣れる。ほら、置いてかれるぞ」


 ロビンは小さく息を吐くと、何も言わずに歩幅を合わせた。


「着いていくだけだったし、迷わずに済んだな」

「美術館かなにかなの。D.R.Aって」

「D.R.Aを志望したい学生についてきたんじゃないか? ほら、あそこの恋人同士なんかが例だろ」


「ほんとにここに入りたいの? ギュネオスと戦うんだよ…危ないよね?」

「父さんもここで働いてるし、子供の頃から見てきたんだ。“俺もいつか”って夢だったからさ」

「……でも、でも私っ! ジャン君と離れ離れになっちゃうのは、いやだよ!!」

「そうだよね…俺もキャシーと離れたくないよ!!!!」


 人の視線も知らず、恋人達は抱き合う。

 ぴた、とオーティスの指がずれた。


「あー…、えっと、早く行こう」

「……同感」


 現れたのは、巨大な外壁で囲まれた研究区画。

 高い外壁に囲まれた場所。その正面ゲートには、硬質なプレートでこう刻まれていた。


 ≪D.R.A≫


 次元烈界(じげんれっかい)機関──この惑星に存在する裂け目の調査と管理を担う組織。

 見上げれば、無数の六角形が組み合わされたバリアが全体を覆っていた。

 バリアの一部が開閉され、飛空艇が中へと出入りしている。

 静かに脈動する“生きている施設”のようだ。


「……これ全部、D.R.A?」

「本部兼研究基地だな。裂け目観測から異形解析、星層環境の調査まで大体ここでやってる…らしい」


 オーティスは慣れた様子で子供たちの列の後ろにつく。

 半歩遅れてその隣へ並びながら、巨大施設を見上げ続けた。


 天空都市ネクサリス自体、自分の人生とはまるで縁のない世界だと思っていた。

 地下の錆びた鉄骨と剥き出しの配線に囲まれた記憶とは、あまりにも遠い。


 ……思い描いていた稚拙な想像とも、かけ離れてる。




 エントランスホールへ入った瞬間、空気は変わった。


 吹き抜けの天井いっぱいに、Elysion全域の立体ホログラムがゆっくりと回転している。

 三層構造の全景が青白い光で描き出され、子供たちから一斉に歓声が上がった。


「皆さん、お待たせしました」


 澄んだ男性の声がホールに響く。

 子供たちの前へ進み出たのは、白衣の上に厚手のケープを羽織った男性研究員。

 髪を後ろでゆるく束ね、知的な印象の眼差しに柔らかな笑みを浮かべている。


「本日の冬季一般公開見学会を担当する、D.R.A 裂界研究局 主任研究官のセリカです。今日はこの星のこと、裂け目のこと、そして皆さんが暮らす世界の“まだ知らない顔”を一緒に見ていきましょう」


 歓声と拍手が起こる。


「子供向けの説明なら、お前でも分かりやすいんじゃないか?」

「……人前じゃなかったら殴ってる。感謝して」


 セリカ博士の視線が見学者たちをゆっくりと見渡し、ふいに止まった。

 一瞬だけ、その瞳に色が宿る。

 だが、彼は何も言わず、穏やかな笑みのまま子供たちへ向き直った。


「では最初に、裂け目観測室へ向かおうか」


 ホログラムのElysionが静かに頭上で回転を続ける。


 天空都市ネクサリス、地上五区ミレリス、そして地下に蔓延るVoid。

 この星の全貌を見渡せる場所で、胸の奥では小さなざわめきを覚えていた。

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