第62話:循環の行く末
「お前、結構食べるようになったよな?」
食堂は昼のピークを少し過ぎたが、まだ多くのオーダーたちで賑わい、壁面モニターには更新情報と、ミレリス各区の簡易ニュースが淡々と流れていた。
ロビンのトレーには、香草チキンのサンド、温野菜、スープ、それに追加のロールパンが2つ。以前ならサラダとスープ程度で終わっていた量だ。
アミルの肩がびくりと跳ねる。
「女の子に言う言葉じゃなくない…?」そんな顔でオーティスを見たあと、呆れたため息を落とす。
だがロビン本人は気にした様子もなく、野菜を口に運びながら淡々と返した。
「あんたのせいでエネルギーを食われてるから、お腹が空く」
「あー…俺のせいか」
「ほかに誰がいんの」
アミルは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「それなら、子猫ちゃん? 俺がお弁当でも作ろっか。愛情たっぷりの彩りサラダ、それからデザートに――」
「いらない」
「ひ、ひどい……っ」
ばっさりと斬られ、芝居がかった表情で胸を押さえる。
その様子にジョシュが小さく吹き出し、眼鏡を押し上げた。
「そうだ、先輩。ダニエルの様子は?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
話題が変わった途端、アミルは一秒で復活。
「やっと退院するって! 北区で胸をやられてたじゃん? 手術も結構ギリギリだったみたいだけど、リハビリも順調でもうすぐ本部に戻れるって」
「よかった……先週もお見舞い行ってましたもんね」
「そりゃね? リハビリも手伝ったし? マッサージもしてあげたし、ついでにNovaで癒やしの空間も演出して――」
「ダニエル…可哀そうに。療養を邪魔されて…」
「自然の癒し空間は必須でしょ!!?」
テーブルに小さな笑いが広がる。
ついさっきまで広場に満ちていた空気とは違う、束の間の穏やかな昼休憩。
そのとき、ふいにロビンの端末が震えた。
[淡砂中央総合病院:1件]
視線が一瞬だけ止まったあと、端末を伏せた。
「オーティス。午後は1人でパトロール行って。用ができた」
「ん? 何かあったのか?」
椅子を引く音が静かに鳴る。
トレーを手に立ち上がる彼女へ、アミルも反射的に視線を合わせた。
「子猫ちゃんのためなら即出動! ついでにドライブデートでも行く?」
「いい。ひとりで行くから」
振り返りもしない即答。
ロビンはそのまま返却口へトレーを置き、食堂を後にした。
自動扉が閉まると同時に、その背中は白い廊下の向こうへ消えていく。
「え~!! 今日もダメか~」
「通知が来てすぐ動いたし……もしかして、恋人とか?」
ガクン
アミルの上半身が勢いよくテーブルに沈んだ。
まるで、舞台のスポットライトでも当たったような芝居がかった絶望ぶりで、額をテーブルに押し付ける。
「そ…そんな……子猫ちゃんの周囲にはそんな男の影はなかったはずなのに…。まさか、女の子がタイプってこと……!? いや、あ、あり得るかも……?」
「北区から戻ってきてから、ずっと行方不明者の捜索とチンピラの相手で手一杯だったんだ。そんな暇はなかっただろ」
「だよね~! さすがオーティス、バディのことよく分かってるじゃん?」
「先輩から探知任されてるんだった。もう食べ終わったし、俺は仕事に戻ろうかな。ごちそうさま」
ジョシュに続いてオーティスもトレーを持って席を離れた。
残されたアミルは、小鉢の豆をフォークでひとつ転がす。
ころん、と小さな音が皿の上で転がった。
「でも一回くらい、デートしてくれてもいいと思うんだけどなぁ……」
窓の外では、熱循環パネルに守られた中央区の光が穏やかに揺れている。
食堂の大きな窓から差し込む淡い冬の光が、彼の派手なシャツの柄を少しだけ寂しげに浮かび上がらせていた。
✧✧✧
淡砂中央総合病院──淡砂街西側に位置する、中央区でも屈指の規模を誇る巨大医療施設。
ロビンはその正面口に降り立った。
玄関の自動ドアがすっと横に開くと、消毒液と冷却空調の混じった清潔な空気が頬を撫でる。
ちょうどそのとき、入れ違いに一組の老夫婦が出てくるところだった。
車椅子に腰かけた白髪の女性と、その背をゆっくり押す皺の深い男性。
年齢を重ねた目元の形がどこかよく似ていて、長い時間を共にしてきたことが一目で伝わる。
「まったく…もうすぐあの日だと言うのに。高い所の物を取るときは儂を呼べと言っただろう…」
「だって、あなたったら新聞に夢中だったから」
「娘たちも心配していたぞ? お医者様にも言われたろう? 家のことはヘルパーさんと儂がやるから、ゆっくり休め」
「私ったらだめね…しばらくはあなたに頼りっきりになりそうだわ」
おっとりとして微笑むその表情に、老爺は照れくさそうに口元を緩めて、それでもしっかりと頷いた。
その会話が、すぐ脇を静かに通り過ぎていく。
《――Novaエネルギーは、適切な生活習慣で安定的に生成・循環されます》
待合室は静かで、どこか時間が止まったような空気を纏う。
壁面に埋め込まれた大型ホログラムディスプレイには、Nova関連の健康管理映像が穏やかな音声とともに繰り返し流れていた。
対面式の受付カウンターの奥。
スタッフの女性たちが忙しなくタッチパネルを操作しているところへ、ロビンはカウンター前に立ち、見下ろした。
「呼ばれたから来たんだけど」
「まずはお名前とIDカードを……あっ……いえ、伺っております。すでにご予約されていますので、そのまま奥の棟へどうぞ」
震える指先で通路を示される。
怯えと緊張を隠しきれていない。
返事はせず無言のまま、白い通路の奥へ歩き出す。
診察室の自動扉が開くと、白光灯に照らされた無機質な室内が迎える。
清潔に整えられたデスクの上には複数のホログラム端末が浮かび、青白い医療データが静かに明滅していた。
「受付に声をかける時は、せめて名前くらい言いなさい」
奥から聞こえたのは、聞き慣れた女医の声――彼女の名前はスーザン。
ミレリスでも指折りのNova医学研究医であり、北区病棟での一件以来、ロビンの主治医を任されている人物だ。
細フチの眼鏡を押し上げ、髪はゆるくアップにまとめている。
白衣の下に覗くインナーは医師らしからぬほど洗練され、足元にはピンヒールが輝き、機能性より美意識を優先しているのが彼女らしかった。
「顔で分かる」
気だるげに返し、用意された椅子へ深く腰を落として脚を組む。
スーザンは小さくため息をつきながら、浮かぶカルテ群へ視線を走らせた。
「仕方ない子ね。とりあえず、まずは聴診から始めましょうか。上だけ脱いで、籠の中にいれてくれる?」
胸部のボディアーマーを取りあげ、シャツのボタンを外していく。バックルが机の端に触れ、カチリと小さな音を立てた。
スーザンはその様子を眺めながら、思い起こすようにぽそりと呟いた。
「ほんと、オーダーの制服って脱がせにくいわよねー…」
「………」
「でも知ってる? この前検診に来た191期生に、私好みの細マッチョ君がいてね。その子ってば南区から帰ってくるなり――」
「聞きたくないから勘弁して」
191期生で細マッチョ…?
あのチャラ男ならあり得る気がする。
ロビンは頭に過る映像に吐き気を覚えながら、シャツのボタンを1つずつ外し、半眼で睨んだ。
「あんたの趣味に付き合ってる暇ないから。早く済ませて」
「はいはい。相変わらず冷たいわね」
冷えた聴診器が肌へ触れた瞬間、ロビンの肩がわずかに震えた。
「深呼吸」
言われるままに息を吸い、吐く。
数度繰り返すたび、部屋の静けさが妙に耳についた。
やがて診察を終え、ロビンは乱れた服を整えながらぶっきらぼうに切り出す。
「……で? アタシを呼んだ理由そろそろ教えて」
ボタンを留め直す指先は止まらない。
スーザンは何も言わず、静かに1枚のシートをロビンに手渡した。
そこには数値とグラフが並び、複雑なパターンが浮かんでいる。
「……こんなの見せられても分かんないんだけど」
「説明するわ。ちゃんと聞いて」
スーザンの声は、先ほどまでの冗談めいた軽さをすっかり失っていた。
彼女が指先を宙へ滑らせると、青白いホログラムが幾重にも展開される。
中央に浮かび上がったのは、ミレリス全土の地下深くに根を張る巨大結晶――デュナミス結晶の模式図。
「惑星Elysionに存在するエネルギー循環の核、それが“デュナミス結晶”よ」
結晶の周囲から粒子が土壌へ広がり、植物の根へ染み込む映像へ切り替わり――
「この結晶が大地にNova粒子…エネルギーとほぼ同義ね。それを巡らせる。そこで育った作物や水分、空気中に拡散した微量粒子を通して、私たちは生まれた時から少しずつNovaの素を体内へ取り込んでいるの」
光の粒が人体モデルの内部へ流れ込む。
「長い年月をかけて、それが体内に“器”――エネルギー循環器官の基盤を形成する。発現したNovaは能力使用時に外部へ放出され、消費分は食事、睡眠、呼吸を通して再生成される。ここまでは訓練校でも習った基本構造と同じよ」
「それは知ってる。何度も叩き込まれた」
スーザンは頷き、次のホログラムへ切り替えた。
北区の巨大氷河を示す立体地形図。
そこへ、当時ロビンが放ったNovaのシミュレーションが重なる。
「北区任務中、あなたは氷塊を崩壊させた。通常の水属性変換Ⅱ型、それも氷を精密制御できる上位個体でも、あれほどの質量を一度に崩すエネルギーは扱えない。だからこそ北区の氷河問題は長年手つかずだった」
声の温度が下がる。
「加えて、“エネルギー吸収”のNovaを持っている彼…バディにエネルギーを分け与えた。そこまで消費して、やっとあなたは限界に達して倒れた」
「それで熱の原因はなんなの? 子どもの頃は、ここまで引力を使ったことなんてなかった。使いすぎで倒れたっていうなら、もっと前から限界が来ててもおかしくない」
スーザンは少し間を置いてから、ロビンを見据えた。
「そう。問題はそこじゃない。問題は、あなたの“生成量”よ」
ホログラムが切り替わり、赤いグラフが空間いっぱいに広がった。
平均値を示す青線を、ロビンの生成曲線が大きく上回っている。
「ここ2ヶ月のデータになるわ。あなたのエネルギー生成量は、Dual適性者の平均……2.3倍。過去最高値になる」
「………それ、良いことじゃないの?」
「子供の頃から、時々原因不明の熱を出してたのよね?」
「……まあ、そうだけど。結局これは病気かなにかなわけ?」
「これは病気じゃないわ」
彼女はきっぱりと言い切った。
「その“熱”は推測するに“排出”ね。過剰生成されたエネルギーを、無意識に放出しようとする身体の悲鳴よ」
室内の空気が、ふっと音を立てて張り詰めたようだった。
「でも、ある意味では本当に幸運だった」
新たなホログラムには、ロビンとオーティスの波形相性図が表示される。
2つの線は驚くほど滑らかに噛み合っていた。
「あなたのバディ――オーティスの“エネルギー吸収”は、あなたの特性と極めて相性が良い。過剰生成するあなたと、余剰エネルギーを安全に引き受けられる彼。バディとしては理想形に近い関係。互いの限界を補い合える」
スーザンは静かに告げた。
「もしまた限界が来たら、彼があなたの溢れたエネルギーを受け止めることで、排出熱はかなり抑えられるはず」
「………」
ロビンは、しばらく何も言わなかった。
喉元まで出かかった言葉が、唇を動かす前に飲み込まれた。
彼女はただ、静かに手元のホログラムを伏せた。
✧✧✧
診察室を出ても、スーザンの言葉は耳の奥に残り続けていた。
白く長い廊下には、床に埋め込まれた誘導ラインの淡い光が、無機質な壁をなぞるように先へ伸びている。
行き交う看護師の靴音や、遠くの病室から漏れる電子音さえ、どこか遠かった。
「……要するに、溢れてるってことでしょ」
ぽつりと独り言が落ちる。
歩きながら、さっき渡されたシートを乱雑にポケットへ押し込んだ。
「なら、熱を出しそうになったら捨てればいい。頼る理由にはならない」
言葉にしてみても、胸の奥に残るざらつきは消えない。
あの北区で、オーティスにエネルギーを渡した感覚。
確かに身体は楽になった。
けれど、それを“正解”だと認めるのは、どこか負けたようで気に食わない。
そんな思考に沈みかけたとき、廊下の隅に設置された自販機の前で、妙な動きをしている男が目に入った。取り出し口の前で中腰になりかけては止まり、また手を伸ばしては顔をしかめている。
「……何してんの」
「いや、缶が……」
言いかけて、その男の手が胸元を押さえた。屈むたびに傷が痛むのか、動きがぎこちない。
ロビンは小さく息を吐くと、仕方なく自販機の前にしゃがみ込む。
下の取り出し口から缶をひとつ取り出し、そのまま男へ差し出す。
「はい」
「あ、ありがとうございま――」
顔を上げた男の表情が、目に見えて引きつった。
「屑……っ!!」
反射的に一歩後ずさった拍子に、背中が壁へぶつかる。
鈍い振動が胸の傷へ響いたのか、彼は苦く息を漏らしてそこを押さえた。
「そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど」
「……驚いて、なんかない。傷が開きそうになっただけだ」
「あっそ」
ロビンは興味をなくしたように踵を返し、そのまま横を通り過ぎようとするが、ダニエルは声を張り上げた。
「……ッ…なあ!!」
その声に足を止める。
「まだ……文句も言ってないだろ」
「……文句? なんの話?」
脳裏に、あの光景がよぎった。
血に濡れた床。凍りつく息。止まりかけた鼓動。
〈その秒針を数えてて。くたばらないでよね〉
〈……は?〉
〈十秒でも、一分でもいい。とにかく数えて。止まったら許さない〉
〈…死にかけのやつに言う言葉かよ。これだからVoidの奴は嫌いなんだ〉
〈文句なら後で聞くから〉
「……そんなこと言ってたっけ……それで、文句ってなに?」
ゆっくり振り返った。
ダニエルは握り拳を作ったまま、少しだけ視線を泳がせる。
「……氷河。壊したんだろ。中央区に戻ってから、色々聞かされた」
「また“Vorderは物を壊す”だの言うつもり?」
吐き捨てるように返す。
けれど、ダニエルは意を決したように顔を上げた。
「ありがとう……お前は、…命の恩人だ」
廊下の空気が、一瞬だけ止まる。
金の奥の瞳孔が縮んで、喉が上下した。
答えの返されない静寂に耐え切れず、ダニエルは耳まで赤くして視線を逸らす。
「ちっ…聞こえなかったのかよ…」
「…………」
「なんか言えよ。いつも皮肉とか言い返してくるくせによ」
「……別に……助けたつもりはない」
「ああそうかよ。くそ…言うんじゃなかった…屑女なん――」
なにか返答を返そうと頭で思考しているときだった。
廊下の奥から柔らかく間延びした女性の声が滑るように届いた。
「あらあらぁ……こんなところにいたのねぇ」
にんまりと笑いながら歩いてきた。
ふわふわとした癖毛が胸のカーブに沿って落ち、ふっくらとした頬は赤らんで穏やかな印象を与える。
一目では気づかなかった。
承和色の髪色が照明の下に晒されて初めて理解できた。
「私の“愚弟”は」
まさか――
「姉貴……ッ」
振り返った瞬間、ゴッ、と鈍い音がした。
「………!!? いッッッ!?」
「“姉貴”じゃなくて“お姉ちゃん”でしょぅ?」
ダニエルの頭に拳骨が落ちる。
涙目で頭を押さえる弟をよそに、彼女はロビンへと視線を向けた。
「はじめましてぇ。私はダニエルの姉のフレデリカっていうのぉ。よろしくねぇ」
「……あ、………よろしく」
「ところで、あなたがVoidのお嬢さんかしらぁ?」
「たぶん……そうじゃない…? 二人いるから分かんな――」
その時、視線が彼女の首元で止まる。
首から顎にかけて、薄く残る火傷の痕。
胸がひやりと冷えた。
「それ……いつの火傷」
声が、自分でも分かるほど震えた。
「これぇ? 任務中に助けた子供にやられちゃったのよぉ」
「俺の姉き…、姉ちゃんは、救助任務に紛れてたVoidのガキにやられた」
言い切ったはずの声がわずかに掠れて、視線は定まらないまま床の一点に落ちる。
氷の匂いと、焦げた空気。
伸ばせなかった手。
「――そのせいでオーダーを辞めたんだ」
あの日のことを思い出すたびに、胸の奥が軋む。
✧✧✧
――6年前、中央区。
「ダニエルってばもう、そんな訓練じゃ身に入らないのにぃ」
隣でのんびりとした声がする。振り向けば、厚手のコートに身を包んだ姉貴が、いつも通りの緩い笑みでこちらを見ていた。
「ちゃんとやってるよ。姉貴はいつも口うるさ…い、いや、何でもない」
「やってる“つもり”ねぇ。氷を扱う時はもっと大胆なくらいがいいわぁ。ダニエルはいつも慎重すぎるのよぉ」
ぐさり、と刺さる。
姉貴はいつも釘を刺すように、最後に耳の痛いことを言ってくる。
腹の立つときもあるが否定できないのは、図星だからか、弟の宿命だからなのかは定かじゃない。
言い返したい言葉が喉を押し上がりつつも、結局は舌打ちを飲み込み、視線を前へ戻す。
その先では、崩れた施設の残骸から、オーダーたちが次々と人を引き上げていた。構造物は半壊し、内部に取り残された一般人の救助が急務だった。
「いい? 今日は見学なんだから絶対に前に出ないこと。分かってるわねぇ?」
「分かってるって」
「ほんとぉ? ダニエルってばすぐ無茶するから心配なのよねぇ」
軽く肩を叩かれる。その手は相変わらず柔らかいのに、不思議と逆らえない重みがのしかかる。
「じゃ、見てなさい。これが実戦よぉ」
昨日は雨が降っていたお陰で地面はまだ濡れている。
それが功を奏していた。
周囲の温度が下がった。
彼女の足元から、透明な氷が音もなく広がる。
氷はひび割れた地面を覆い、崩れかけていた足場を一瞬で固定する。
さらに指先を払えば、鋭く伸びた氷柱が梁を支え、天井の揺らぎを防ぐ。
無駄がなく最短の動きだ。
「こっちよぉ。逃げ遅れた人たちがいるわぁ」
閉じ込められていた女性を、氷で作った滑らかなスロープで外へ導く。その動きには一切の迷いがない。
救助された市民たちは何度も礼を言い、仮設避難所へ案内されて行く。
「いいのよぉ。怪我がないか確認しにいってねぇ」
ああいうふうに、なりたい。
胸の奥で、何かが強く灯った。
オーダーに必要なのは、Novaの扱いだけじゃない。
訓練校に入ってから学んだこと。ああやって、声ひとつで人を落ち着かせて、触れるだけで安心させてしまうような“何か”も必要だ。
あいつのように。力はあっても俺にはないもの。
そのときだった。
瓦礫の影から、小さな影が飛び出したのは。
「っ、まだいたの」
フレデリカの視線がそちらへ向く。
子どもだ。年端もいかない少年。
だが、その手には不釣り合いなものが握られていた。
鈍く光る核晶武装――コアリス。
「……ぼく…? どこでそれを――」
言葉の途中で、空気が裂けた。
――炎。
小さな刃のように圧縮された熱が一直線に放たれ、周囲が赤に染まった。
フレデリカは咄嗟に体をずらし背後にいた別の被災者を庇うが、その結果、軌道はわずかに逸れ――首元を焼いた。
焦げた匂いが、冷気の中で異様に際立つ。
「っ……!」
「…………ッ姉貴!!」
遅れて、やっと声を絞り出した。
身体がのろい。
今更地面を蹴っていた。
「すごぃだろ……! 強いやつが上に立つんだ!! Voidは不滅なんだぁ!!」
どこか歪んだ、信仰にも似た目。
足が止まる。理解が追いつかない。
「ふざけんなよ……お前、…」
声が震える。
その隙に、少年はもう一度腕を振り上げた。
だが、今度は。
「そこまでよぉ」
地面から立ち上がった氷が、少年の足元を一瞬で絡め取る。続いて腕、胴体の動きを完全に封じた。
彼女は首元を押さえながらも、いつも通りの調子で息をつく。
「危ないあぶない…もうちょっと大人しくしててねぇ」
「離せ!! はなせ!」
「きっと、地上に出てこれて、はしゃいじゃったのねぇ」
悪い事をした子供に叱る調子は周囲の唖然とした空気を塗り替える。
少年の抵抗が止まるその間に他のオーダーが駆け寄り拘束を引き継いでいった。
終わった。呆気なく。
けれど――
拳は震えていた、何もできなかった。
目の前で、姉が傷ついたのに。
俺は何もせず見ていただけだ。
「ダニエル?」
呼ばれて顔を上げる。
姉貴はいつも通り目尻を緩ませて笑っていた。
首元には痛々しい火傷が残っているのに、手当に近づいてきた医療班に首を振り、被災者を優先するように微笑んで。
「そんな顔しなくていいのよぉ。これくらい、たいしたことないわぁ」
「たいしたことあるだろ……! あんなガキに……!」
「ガキだからよぉ」
あっさりと返される。
「間違えることもあるし、止めてあげるのが大人の仕事でしょぉ?」
「でも……、あいつVoidの悪ガキだろ。大穴の警戒が薄いからこうなるんだ…規制して地上に出られないように閉じ込めておけばこんなことに……」
言葉が続かない。
悔しさと、怒りと、どうしようもない無力感が喉を詰まらせる。
「本当に、ダニーは優しいわねぇ。自分のことより、他人の傷でそんな顔できるんだもの」
ぽん、と頭に手が置かれる。
「でもねぇ、それだけじゃダメ。いつかわかる日がくるわぁ」
それから半年後に姉貴はオーダーを辞めた。
オーダーだった間も、任務の数は徐々に減っていたと聞いてる。
訓練校にいる間はほとんど外出許可は出ない。
Voidに関連するニュースや情報が画面に流れる度、胸の奥は荒み、壊れていく。
会いに行って近況を詳しく聞くこともできず、時間が流れていくばかりで、あの時手を伸ばせなかった自分に失望する日々の繰り返しだった。
✧✧✧
「……6年前」
ようやく、敵意の根を理解することができたかもしれない。
「姉貴は、怪我が理由でオーダーを辞めたんだ。Voidのガキのせいで、全部が壊されておかしくなった。あの一件で核晶武装の取り扱いは厳しくなったが、Voidのやつらはつけあがる一方で何も変わらないしな」
吐き出すような言葉だった。
長い間、胸の奥に溜め込んできたものを、そのまま掬い上げたみたいに。
廊下に、ほんのわずかな沈黙が落ちる。
その視線の先で――フレデリカが、ゆるく首を傾げた。
「……あらぁ」
困ったように、柔らかく笑っている。
その反応は怒りでも悲しみでもなく、まるで拍子抜けした顔。
ダニエルの眉がわずかに寄る。
「なんだよ、姉貴」
「ちゃんと聞いてなかったのねぇ。怪我が原因? 誰がそんなこと言ったのよぉ」
問い返した声は、さっきよりも低い。
フレデリカは一歩だけ距離を詰め、弟の顔を覗き込むようにして――
「私がオーダーを辞めたのは、結婚するからよぉ?」
「――――え、…?」
やわらかく、そう言った。
その言葉が落ちたあとで、ようやく本題に触れる。
「貯金もある程度溜まってたし、その後すぐ妊娠してることが分かったからぁ。ちょうどいいタイミングだったのよねぇ。子育ては母さんとダニエルを見てきたから憧れがあったし、いまの旦那さんをこの手に捕まえてからは願望が爆発してねぇ」
数秒の沈黙。
「そろそろ、三人目ができてもいいと思うのよねぇ」
ダニエルは、彼の人生の中で一番間の抜けた顔をした。
廊下の奥から、ぱたぱたと小さな足音が響く。
「ママーー!!」
「こらー! 病院で走っちゃいけないよ! ダニエル君のお見舞いに来ただけで、遊びに来たわけじゃないんだ!」
元気いっぱいの子どもが二人、病棟のほうから駆けてくる。
その後ろを、困った顔の弱気そうな男が追いかけていた。
頬には子どもが貼ったシール。服はあちこち引っ張られて伸びているが、フレデリカはその姿を見つめても、幸せそうに赤い頬を緩ませ微笑んでいた。
「ほらぁ、私が辞めた理由よぉ」
「ダニエルおじちゃーん!」
「おみぃ…おみっ…おみまっい! きたよー!」
姉のほうが5歳くらいだろうか。
明るい髪を高い位置で結び、弟の手を引きながら一直線に駆けてくる。
弟は姉より少し小柄だが負けじと声を張り上げていた。
「結婚……が、理由…?」
ダニエルは未だに状況がつかめてないらしく、その声色はさっきまでの棘をすっかり失っていた。
フレデリカはころころと笑い、両手で子どもたちの肩をやさしく押す。
「せっかくだし、病室でゆっくりしましょぉ。根性なしな弟の傷がまた痛んでも困るものぉ」
「いや…ア、アタシは……」
ロビンがそう返した時には、すでに姉の子が彼女の手首を掴んでいた。
「おねーちゃんもくるの!」
「……は?」
「ママがね、ダニエルおじちゃんを助けてくれたすごい人だって言ってた!」
きらきらした目で見上げられ、言葉を失う。
「ほらぁ、恩人を立たせたままっていうのも変でしょう?」
✧✧✧
フレデリカに促されるまま、病室へ足を踏み入れた。
個室の病室は明るく整えられ、窓際からは淡砂街の高層群が一望でき、柔らかい光が斜めに壁を滑る。
ベッドに腰を下ろしたダニエルを中心に、自然と周りを囲む形になると、子どもたちはさっそくベッド脇へ駆け寄り、弟のほうが得意げに共有端末を掲げた。
「みぃみて! ぼく、おえかきした!」
表示されたのは、青い空の下で笑っている家族の絵。
端にひとりだけやたら小さく描かれた人物がいる。
「これ、ダニエルおじちゃん!」
「なんで俺だけこんな小さいんだよ」
「えへへ…! 弱っちいから!」
「くそガキ…姉貴に拭きこまれたな…」
「そんな言葉聞かせちゃダメだよ! ダニエル君!!」
病室に小さな笑いが広がる。
その隣で、姉の方はロビンをじっと見上げていた。
「おねーちゃんは?」
「……なに」
「なんで病院にいるの? ダニエルおじちゃんのお見舞い?」
「診察にきただけだけど、…まぁ、そんなかんじ」
「ふぅん、おねーちゃんのお迎えは? ダニエルおじちゃんはねぇ、退院したらママが迎えに行くっていってたの」
喉が一瞬だけ詰まる。
「……誰も」
子どもは意味が分からないまま首を傾げる。
だがフレデリカは、その一瞬の沈黙を見逃さなかった。
「ロビンさん、弟に何か酷いこと言われてなぁい? 昔から思い込みで突っ走るのが悪い癖でねぇ? 子供の頃は家に引きこもってばかりで私がよく連れ出していたものなのよぉ」
にこにこと笑いながら、弟――ダニエルの額を指で小突く。
「私がオーダーを辞めた理由も、勝手にこの火傷のせいだと思い込んじゃってぇ」
「そ、それは……! 誰でもそう思うだろ…」
「心配してくれたのは嬉しいけどぉ、ちゃんと聞かなきゃだめよねぇ? オーダーに怪我なんて付き物なのにぃ」
ダニエルは悔しそうに唇を噛み、視線を逸らした。
ロビンはその様子を見ながら、胸の奥に小さな引っかかりを覚える。
「お互い様かも」
「は?」
「あんたもアタシも、勝手に決めつけてた。あんたはアタシに。アタシは……オーティスに」
数秒の間。
やがてダニエルは、ふっと肩の力を抜いた。
「……どうだかな」
肯定とは言い切れないが、その空気を察したのか、子供がベッドによじ登ろうとしてフレデリカに慌てて引き戻される。
「こらこらぁ、ダニエルはまだ怪我人なんだからぁ」
「えー! あそべないのー? また氷の滑り台で遊びたい~」
「それはお家で私が作ってあげるでしょぉ?」
「ママの滑り台はぼこぼこなんだもん~」
ダニエルが苦笑しながら子供の頭を撫でる。
その光景を少し離れた場所から見ていたロビンは、窓の外へ目を向けた。
温かいはずなのに、胸のどこかが少しだけ冷える。
敵意の理由だと思っていたものは、ただの思い込みだった。
決めつけていたのはダニエルだけじゃない。
自分もまた、勝手に“理由”を作っていたんだ。
✧✧✧
病室を出ると、さっきまでの賑やかな笑い声が扉一枚向こうへ遠ざかった。
廊下に戻った瞬間、空気が急に薄くなったような気がする。
病院の正面口を抜けると、淡砂街の午後は柔らかな陽光に包まれていた。
ガラス張りの外壁に街の光が反射し、停車帯には搬送車両や一般車が静かに並んでいる。
その中で、一台だけ異質な車があった。
黒い高級車。艶のある車体が光を吸い込むように鈍く輝いている。
「あの車……」
低く呟いた直後、車は目の前に滑り込み、後部座席の窓が静かに下がる。
見えたのは派手なスカーフと、冬の車内にも関係なしにかけたサングラス。
「おや、こんな所で会うなんてデスティニーだネ」
――ジュリアーノ。
相変わらずの革ジャン姿で、長い指先が窓枠に優雅にかかっている。
病院の無機質な風景の敷地内で、その存在だけが妙に絵になりすぎていた。
「ずっと待ってるのに、連絡が来ないからサ。名刺、見てくれたカナ?」
「捨てた」
「アハ、正直で結構」
車のドアが静かに開く。
尖がった革靴が地面に降り立ち、彼はロビンの前へ歩み寄った。
近づくと、微かに上質な香水と紙の匂いが混ざる。
「今日の君は少し浮かない顔をしているネ! 若いからってスキンケアを怠ると、将来恨むのは過去の自分だヨ? 若さの秘訣は継続の力なんだからネ」
「人の顔色読むのが趣味?」
「仕事柄だよネ。ちょうどいい。君に一つ正式にお願いしたいことがあるんだヨ」
「断る前提で。聞くだけ聞く」
「ふーん、イイね! 素晴らしい心構えだ」
ジュリアーノは胸元から薄いホログラムカードを取り出し、指先で展開させた。
そこには勝手に作られたVorderのロゴと、いくつかの企画資料が浮かび上がる。
「Void出身のOrder。君の日常と任務を追う密着取材をしたい」
「は? 馬鹿にしてる?」
「凝り固まった常識とやらを壊すには、“顔”が必要なんだヨ。人は概念には怯える。でも、名前があって、表情があって、誰かを助ける姿を見れば、少しずつ認識は変わってく。昼間の事件みたいにネ」
「………見てたわけ」
「もちろん、打算もあるヨ。世論は数字になる。数字は策を動かす。顔のある物語は、一番動かしやすい。でも、善意が混ざっていないわけでもない。偏見は誤情報ってコト。壊せるなら壊したいんだよネ」
「興味ない」
「そう言うと思ったヨ」
次の瞬間だった。
「――え、ちょ、何して」
ジュリアーノの手が、驚くほど自然な動きでロビンの端末をさらった。
細い指が素早く画面を滑る。
認証ロックすら、彼の権限か技術か、まるで意味をなさない。
数秒後、彼は満足そうに端末を返した。
画面には新規登録された名前。
[Giuliano:よろしくネ]
「連絡先、入れておいた。今度は破らずに済むネ。サラ、出発していいヨ」
意味深な笑みを残し、ジュリアーノは踵を返す。
黒い車のドアが閉まり、静かに停車帯を滑り出した。
磨かれた車体は午後の街並みに溶け込みながら、やがてビル群の向こうへ消えていった。
その場に残されたロビンは、端末画面を見下ろしたまま立ち尽くしていた。
偏見を壊すための“顔”。
その言葉が、妙に耳に残る。
いくつもの感情が絡まり合い、答えはまだ出ない。
ただ端末の画面に残る名前だけが、やけに鮮明だった。




