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AionioS  作者: 無日
第六章:白の果てで、手を取る

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第58話:噴き出す熱

「……暑い」


 唇の隙間から、熱に溶けたようなかすれ声がこぼれた。

 意識の底からゆっくりと浮かび上がるように、重たいまぶたを持ち上げる。

 薄く開いた瞼に映ったのは、見慣れない天井。

 真っ白な梁の間に、淡い暖気がゆらゆらと揺れている。


 天井近くの空気孔からは低い唸り音とともに温風が絶えず流れ、北区らしい厳しい冷気を室内から押し返していた。

 静まり返った個室には、その機械音と自分の浅い呼吸音だけが小さく響いている。

 身体がひどく重い。まるで全身の骨に鉛を流し込まれたような鈍さがあり、指先を動かすだけでも遅れて感覚がついてくる。


「寝れば治ると思ってたのに…」


 起き上がるだけで背筋にじわりと汗が滲む。

 喉の奥は乾ききっていて、胃の内側は空虚に軋み、鈍い空腹が遅れて押し寄せてきた。

 ふと、まだ自分の力が残っているのか確かめたくなって、ベッド脇の本棚へ手を伸ばす。


 すると──


 指先をわずかに曲げた瞬間、無造作に差し込まれていた数冊の本が、音もなく棚から滑り出した。空中でゆるやかに頁を震わせながら回転し、また同じ並び順で揃っていく。見えない引力の糸が本の背を撫でる感覚が、まだ指先の神経に確かに返ってきた。


「……無くなると思ってた」


 Novaはまだある。

 奪われてもいない。消えてもいない。

 あの瞬間、全部なくなってもいいと本気で思っていた。

 自分を犠牲にしてでも身を削るあいつを止められるなら、それでいいと。


 けれど、もし本当に失っていたら──

 きっと、あいつは一生自分を許せなかっただろう。

 危ない橋を渡らせた自覚はある。


「……ちょっと、強引すぎたかも」


 できることはあれくらいしか思いつかなかった。


 ぽつりと呟いて、ベッド脇に置いていた制服へ手を伸ばす。

 袖を通す動作ひとつにもまだ身体は重たかったが、ボディアーマーまで着込む気力はない。

 今日はこれで十分だ。


 まだ完全ではない体を引きずるようにして、部屋の扉を開けた。

 そこには、北区の朝が静かに広がっていた。

 高い位置に並ぶ縦長の窓から白い陽光が差し込み、磨き上げられた床を濡れた氷のように鈍く光らせている。

 外ではまだ雪が降っているのか、窓の向こうに白い粒がちらつくのが見えた。


 洗面所へ向かう途中、数人の女性オーダー隊員とすれ違う。

 彼女たちはアタシを見るなり一瞬だけ足を止め、金色の瞳と目が合った途端、びくりと肩を揺らし視線を逸らしていく。

 気まずそうに小声で何かを交わしながら、そそくさと廊下の向こうへ消えていく。


「……睨んだわけじゃないんだけど」


 思わずぼやき、少しだけ背を丸めた。


 高い身長も、鋭く見えやすい目つきも、Voidで生き延びるには都合がよかった。舐められない外見は、そのまま盾になる。

 けれど地上、とくにこういう整いすぎた空間では、その輪郭が妙に浮いてしまう気がした。


 共用洗面所の扉を押し開ける。

 白いタイルの壁と床に朝の光が反射し、水面のような明るさが揺れていた。

 鏡の前にはすでに一人、白い制服姿の少女が立っている。


 その隣に並び、少し低すぎる洗面台に顔を寄せて水をすくった。冷たい水が火照った頬を流れ落ちていく。顔を上げた瞬間、鏡の中の自分と目が合う。

 金色の瞳が、朝の光を受けて鋭く光っていた。


「この洗面台、低すぎでしょ……」


 誰にともなく呟いたその時だった。


「タオル、使いますか?」


 隣から差し出された柔らかな声に視線を向ける。

 少女の手には、丁寧に畳まれた白いタオル。

 受け取ると、ほんのり甘い香りが鼻先をくすぐった。北区の冷えた空気の中で、その匂いだけがやけに柔らかい。


「ありがと」


 顔を拭きながら礼を言い、改めて隣を見やる。


 明るい茶色の髪が肩先でふわりと揺れ、髪と同じ色の瞳がこちらを見上げていた。

 制服はきっちり整えられていて、細身の身体つきも相まってどこか儚い印象がある。


「ロビンさん? こんな所で会えるなんて!」


 嬉しさを隠しきれない声。

 けれど、頭には、その顔がまったく引っかからない。


「……」


 沈黙が答えになってしまった。

 少女はそれでも懸命に笑みを保ったまま続ける。


「昨日は忙しそうだったから、声をあまりかけられなくって……たしかクイルと同じ中央区配属でしたよね?」

「……あんた誰?」


その一言で、彼女の表情がぴたりと止まった。

目に見えて肩がすぼまり、声がしぼんでいく。


「え、えっと……同期です、私たち。……エレーナです。訓練校の時も回復のお手伝いとか、その……いつも杖を持ってて……」


 視線を落とすと、彼女の背後の壁際に細身の杖が立てかけられていた。

 飾り気は控えめだが、手入れは丁寧で、使い込まれた艶がある。


「ああ、あのダサい杖の」

「……そんなぁ」


 言った瞬間、音が聞こえそうなくらい分かりやすくエレーナの肩ががっくりと落ちる。

 瞳に涙がにじみ、しゅんとしたまま静かに洗面所を出ていこうと背を向ける。


 その後ろ姿に、いたたまれなくなり声を投げた。


「……エレン、だっけ? ここ詳しいでしょ。検査に行かなきゃいけないんだけど、案内してくれる?」


 一拍の静寂のあと、彼女は勢いよく振り返った。


「もちろんっ!!」


 暖かい日差しのような明るい笑顔だった。

 差し出された手は細く華奢で、それでも指先には人を支える仕事の確かな温もりがある。


「あと、私の名前はエレーナです」

「……似たようなもんでしょ」


 その手を見下ろして、手に取ることこそしなかったが、ほんのわずかに口元を緩めた。

 洗面所の窓の向こうでは、朝の雪が静かに降り続いていた。







 北区オーダー機関の医務室は、無機質な白が支配していた。


 壁も床も天井も、雪よりなお白く磨き上げられ、消毒液の鋭い匂いが乾いた空気に溶けている。

 天井の照明は影を許さないほど明るく、中央に据えられた診察台の金属フレームを冷たく光らせていた。


 診察台の側面では、Nova簡易測定器の環状フレームが低い電子音を立てながらゆっくりと彼の身体を走査している。

 青白い光のラインが胸元から喉、こめかみへと滑っていき、内部の粒子波長を可視化していく。


「……問題はなさそうですね」


 白衣の男が端末に映し出された波形を見つめながら呟く。


歪流(わいりゅう)症状も確認されない。以前から痺れがあったというなら、吸収した歪流粒子が君の体内Nova粒子と局所干渉を起こして、神経伝達にノイズを生んでいた可能性が高いでしょう。とはいえ、ギュネオスも歪流粒子についても、研究は進んでいないから正確なことは言えないけどね」


 淡々とした口調のまま、男はグラフを拡大した。

 幾重にも重なっていた不規則な赤い波形が、今はほとんど消えている。


「でも今回の検査では、その歪流粒子の乱れが見当たらない」

「あー…残ってる、ってことか?」

「少なくとも、“害のある状態ではない”」


 男はNova波長の立体モデルを空中に投影した。

 青白い粒子群の中心に、銀色にも似た淡い光が細い筋となって走っている。


「興味深いのはこっちだ。外部のNova粒子が再配列されている」

「……副作用?」

「逆ですよ」


白衣の男は即座に否定した。


「適応です。しかも極めて理想的な」


 端末の表示が切り替わる。

 以前まで神経系に散発していた歪流粒子の反応点が、今は器の内部に沿って規則正しく整列していた。


「本来、ギュネオス由来の歪流粒子は人間のNova粒子と相性が悪い。だから痺れや幻覚の前駆症状が出る。だが今回はそこに、極めて純度の高いNova粒子が流れ込んでいる」


 端末の表示が切り替わる。

 以前まで神経系に散発していた歪流粒子の反応点が、今は器の内部に沿って規則正しく整列していた。


 男の指先が、銀色に近い波長へ触れる。


「おそらく君が最後に吸収したロビンさんのエネルギーだ。これが歪流粒子の波長を中和し、君の器に適した構造へ再編している」


 脳裏に、あの瞬間がよぎった。


 ロビンの体から流れ込んできた奔流。

 冷たさと熱を同時に孕んだような、不思議な感覚。


「外部粒子が安全圏まで適応させた。痺れの副作用が消えているのもその証拠でしょう。一度、過去にエネルギーを吸収して“不安定”になったことがあるなら、免疫ができたと考えてみるといい」

「……免疫、か」


 小さく息を吐いた。

 胸の奥にわずかに残っていた不安が、少しだけ軽くなる。


「あとは疲労回復です。結果は中央区のカルロス長官にも共有しておきます」

「ありがとう」


 診察台から降りると、膝に体重が戻る感覚。

 だるさはまだ残っている。

 けれど以前のような痺れはない。指先まで、驚くほど澄んでいた。


 医務室の外では、暖房の唸りと壁掛け時計の秒針だけが響いていた。

 待合ベンチに座るジョシュはデバイスを弄り、隣ではアミルが長い脚を組んでつまらなそうに天井を見上げている。


「ねぇねぇ、オーティス遅くない?」

「先輩が早すぎたんですよ。血圧も脈もNovaも“問題なし”って自慢してたじゃないですか」

「だって俺って、今まで超健康で骨折とかもなかったんだし?」


 上裸の背中をベンチに預けながら笑う。

 北区の医務棟は暖房が効いているとはいえ、金属製の椅子は冷たく、浅黒い肌がぴたりと張り付いていた。


「もう超退屈~! あ、そうだ。その間ゲームでもする? “オーダーで一番モテる人は誰?”」

「はいはい、先輩ですよ」


 その時、カチャリと扉が開いた。


「終わったのか? 長かったな…もう腹減ったよ」


 検査着姿のオーティスが現れる。

 ジョシュは立ち上がりながら腹をさすった。


「待っててくれなくてよかったのに。一人で行けばよかっただろ?」

「お前が女性だらけの食堂で飯食えるとは思えなくて、友達として待っててやってたんだよ」


 冗談めかした言い方だが、その声音はどこか優しい。

 オーティスが不器用に礼を言いかけた、その瞬間だった。


 ガラッ


 医務室の扉が横へ滑るように開き、消毒液の匂いを含んだ冷たい空気が廊下へ流れ出した。


「はっ!!!! 子猫ちゃ──」


 ドゴッ!!


 アミルのみぞおちに鋭い拳が突き刺さり、言葉は見事に途中で折れた。


「──ッ……うっ……!」


 淡々とした声とともに姿を見せたロビンは、検査用の薄いシャツの襟元を指先で少しだけ引き、こもった熱を逃がすように喉元へ風を通した。


「あんたも検査だったんだ」

「お前もか?」


 検査着を脱ぎ、シャツを着直しかけていたオーティスが振り返る。

 その横でジョシュは、腹を押さえてくの字に折れているアミルの背を呆れたようにさすった。


「……先輩、いい加減懲りたらどうですか?」

「ぐ……っ、い、痛い……でも、そんな強気なとこもタイプ…」


 半泣きの声でうめきながら顔を上げたアミルの視界に、不意に小さな影が映り込む。

 開ききっていない扉の向こう。

 フレームの陰から、そっと半分だけ覗く少女の顔。

 ロビンとは対照的に小柄な体。

 柔らかな焦げ茶の髪が肩先で揺れ、同じ色の瞳がこちらを見た瞬間、びくりと揺れた。


「……おっと」


 さっきまで悶絶していたとは思えない軽やかさで、アミルはするりと身を起こす。

 壁に片肘を預け、まるで最初からその姿勢で決めていたかのように口元へ笑みを乗せた。


「ダサいところを見せちゃったね、お嬢さん。君の名前は?」


 廊下の白い照明が彼の浅黒い肌をなぞり、どこか芝居がかった影を作る。

 だが、少女――エレーナはその言葉にさらに頬を赤くし、慌てて目を伏せた。


「ロ、ロビンさん……よくそんな堂々と……」


 か細い声にロビンが眉を寄せて振り向く。

 その瞬間、アミルはすべてを察したように「ああ」と小さく頷いた。


 なるほど。

 この反応はつまり――


 検査直後のオーティスもアミルも、まだシャツをきちんと着ていない。

 医務室特有の清潔な空気に晒された筋肉質な上半身に、エレーナだけが過敏に反応している。


「え〜! 超かわいいじゃん」


 得意げに片目を細めるアミル。

 しかしエレーナは耳まで真っ赤に染めると、ぱっと身を翻し、壁の影へ半身を隠してしまった。

 杖の先端だけが、困ったように小さく揺れる。


「ん〜、ところでさ。君は平気なの? 俺たち、男だけど」


 白い廊下の空気が一瞬だけ静まる。

 けれどロビンはまるで動じなかった。

 むしろ不思議そうに目を細め、少しだけ首を傾げる。


「男の体なんか見慣れてるし」


 その一言は、あまりにも遠慮がなかった。


 ……ズンッ


 世界が崩れ落ちる音がした。

 さっきまで余裕たっぷりだったアミルが、その場で膝から崩れ落ちる。

 廊下の照明が妙に白く、まるで一人だけ舞台の中央に取り残されたようだった。


「……嘘だ…信じてたのに……君は純粋で、美しい太陽の遣いだって……」

「ロビン。お前、言い方選んだ方がいいぞ」


 シャツの袖を整えながら、オーティスが苦笑混じりに呟く。

 一方でロビンは、もうアミルに興味を失ったようにエレーナへ視線を向けた。


「エリナ、もう戻っていい。仕事でしょ」

「……エレーナです」


 壁の陰からそろそろと姿を見せた彼女は、杖を胸元へ抱えるように持ち直し、小さく言葉を続けた。


「いいえ。ここで待ってます。なんだか心配ですし…」


 その声は控えめなのに、不思議と芯があった。

 長い杖の石突きが床を軽く打ち、白い廊下に小さな音を落とす。

 その慎ましい決意に、ロビンはわずかに目を細める。


「あっそ」


 次の瞬間、ロビンの周囲の空気がふわりと揺れた。

 微かな引力のうねり。

 待合ベンチに掛けられていたワイシャツと上着が、見えない手に摘まみ上げられるように宙へ浮く。


 そのまま――男三人へ一直線に飛んだ。


「うおっ──!?」「ちょっ!」「わっ、何!?」


 バサッ!!


 布の束が顔面へ直撃し、視界を奪う。

 その一瞬の隙を逃さず、ロビンの引力は三人の体をまとめて廊下の外へ押しやった。


 よろめきながら後退する男たちの前で、ロビンはエレーナの手首を軽く掴む。


「じゃ」


 短く言い残し、そのまま彼女を連れて医務室の中へ戻る。

 バタン、と扉が小気味よい音を立てて閉まり、白い廊下には服を抱えた男三人だけが取り残された。

 しばしの沈黙のあと――


「……俺、泣いていい?」


 アミルの情けない声が、暖房の低い唸りに溶けていった。





 白い壁の廊下に、三人分の足音が規則的に響いていた。

 暖房は十分に効いているはずなのに、空気のどこかに病棟特有の無音の冷たさが残っている。

 さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かで、その静けさがかえって耳に痛かった。


 先頭を歩くオーティスの背中は、いつもよりわずかに沈んで見える。

 肩幅の広い男なのに、今はその輪郭だけが妙に小さくなっていた。

 隣を歩くジョシュは何度か口を開きかけては閉じる。

 慰めるべきか、放っておくべきか。言葉を選びかねているのが横顔だけで分かる。


 やがて、病棟から出た廊下の先に、食堂のガラス扉が見えてきた。


 その向こうでは、北区のオーダーたちが昼の休憩に入っているのだろう。

 明るい笑い声と食器の触れ合う乾いた音、女性オーダーたちの華やかな声色が幾重にも重なり、閉じた扉越しでも賑わいが伝わってくる。


 その光景を視界に入れた瞬間――オーティスの足が、ぴたりと止まった。

 だらだらと首筋に汗が流れる。


「すまん」

「やっぱ、ダメそうだな」


 ジョシュが小さく呟く。

 アミルはそんな空気をものともせず、ひらひらと手を振った。


「気にしすぎだって~! 腹減ってる時に悩むのって、超もったいないよ」


 そう言って軽い調子で扉を押し開く。

 途端に、食堂の熱が三人を包み込んだ。


 焼きたてのパンの香ばしさ。

 温かなスープの湯気。

 煮込まれた肉料理の濃い香りが鼻腔を満たし、凍えた体の芯へじんわりと染み込んでくる。


 中央区とほとんど同じ配置のカウンターに、オーティスは半ば習慣でトレーを滑らせていく。

 けれど、その手が取ったのは少量のサラダ、薄いスープ、そして小さなパンが1つだけだった。

 いつもの山盛りとは比べものにならない。

 あまりにも少ない。


「それだけで足りるのか?」


 ジョシュが遠慮がちに尋ねる。

 オーティスは答えず、少し迷ったあとでもう1つパンを取ろうとして――やめた。

 代わりに最初の1つをトレーの端へ寄せただけで。


 三人は食堂の奥、人目につきにくい窓際の席へ腰を下ろす。

 窓の外には北区の空が広がっていた。

 白い雪原の稜線が昼の淡い陽光を受け、薄青い影を落としている。

 遠く吹雪が和らぎ、空の境界だけが柔らかく光っていた。


「……そういえば」


 ジョシュがスプーンをスープへ沈めながら口を開く。


「ダニエルのこと。あと三日で、中央の病院に移送されるらしいよ。それに合わせて、俺たちも中央に戻るんじゃないかな?」

「そうだな。カルロス長官からも通知が来てた」


 いつも通りに答える。

 だが、その視線はトレーの上に落ちたまま、サラダにもスープにも一切伸びない。

 ジョシュはその様子に眉を寄せた。


「食わないのか? いつも山盛りなのに、お前らしくない」

「検査後だし、あんまり腹が減ってないんだ」


 そう答えてパンに手を伸ばしかけた指先が、途中で止まる。

 数秒だけ宙を彷徨い、そのまま静かにテーブルへ落ちた。


「……大丈夫だって」


 慎重に、壊れものに触れるみたいに言葉を選ぶ。


「お前のバディは強いし。さっきだって、引力で男三人まとめて部屋から放り出すくらい元気だったろ?」

「……検査で、なにか異常があったら」


 低い声が、食堂のざわめきに沈みそうになる。


「俺とは違って、副作用だって……あるかもしれないだろ」


 その独白に、数秒の沈黙が落ちた。

 ざわめく食堂の中にいるのに、三人の席だけが切り離されたみたいに静かだった。

 頬杖をついていたアミルが、珍しく真面目な目を向ける。


「オーティスって、見た目のわりに繊細くんって感じ? 戦闘中は率先してみんなの壁になるくらい度胸あるのに。長くオーダー続けたいなら、もっと図太いくらいがちょうどいいって」


 その言葉に、オーティスの視線がほんのわずかに揺れる。

 ニコラスの顔が脳裏をよぎった。

 あの日、力を奪ってしまった直後の、あまりにも静かな横顔。


 ――また同じことを。

 胸の奥が鈍く軋んだ、その時だった。


 ガチャン!!


 食堂の扉が、けたたましい音を立てて開かれた。

 賑やかな空気が一瞬で凍りつき、周囲の視線が一斉に入口へ集まる。

 そこに立っていたのは、小柄な少女――エレーナだった。

 肩で息をし、杖を握る手を震わせながら、必死にこちらを見ている。


「みなさん!! ロビンさんが……っ!!」


 その言葉が耳に届くより早く、オーティスは立ち上がっていた。

 椅子が床を擦る鋭い音が響く。


「どうしたんだ」


 鋭く問いかける声は、さっきまでの沈んだ空気が嘘のように張り詰めていた。

 エレーナは涙を堪えるように唇を震わせる。


「さっき、手が触れた時すごく熱くて……先生に言った方がいいって伝えたんです! でも、ロビンさん、関係ないって…言うなって……でも、さっき…急に……!」


「熱を……出したのか?」


 低く、重い声。

 その瞬間、オーティスの脳裏に別の光景が閃いた。


 ベッドに沈むニコラス。

 空になった器。

 二度とNovaを使えないと告げられた、あの静かな絶望。


「今は……病棟に運ばれてます!!」


 ガタンッ!!


 勢いよく立ち上がった拍子に椅子が倒れる。

 けれど、そんな音を気にする者は誰もいなかった。

 オーティスはもう走り出していた。


 誰よりも早く。


 食堂の温かな空気を切り裂き、白い廊下へ飛び出していく背中は、恐怖から逃げるようでいて、それでも守るためにしか進んでいなかった。


 彼の足音だけが、しばらく食堂の床に強く残り続けていた。

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