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AionioS  作者: 無日
第六章:白の果てで、手を取る

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第57話:吹雪の夜に、命を数える

 天井から砂塵がぱらぱらと降り始めていた。


 黒獣が沈んだ広間の天井から、ぱらぱらと砂塵が降り注ぐ。

 亀裂は一本では済まない。蜘蛛の巣のように細かな線が石盤を走り、そこから零れる白い粉が冷たい空気の中をゆっくり漂っていた。


 ロビンは崩れかけた壁へ背を預けたまま、浅く息を吐く。吐息は地下の冷気にすぐ呑まれ、白く霞んで消えた。

 全身の力が抜けきっていて、指一本動かすだけでも神経が軋むようだった。

 それでも、まだ意識だけは張り詰めている。守り抜いた直後だからこそ、気を抜けばそのまま倒れてしまいそうだった。


「さて、子猫ちゃん? 脱出といきますか」


 ふいに耳元で軽い声が弾む。

 次の瞬間、アミルの腕がするりと腰へ差し込まれた。

 ひょい、とあまりにも自然に身体が浮く。


「は?」


 虚を突かれ、ロビンの低い声がわずかに裏返った。


 抗議の言葉を探すより先に視界が高くなる。瓦礫だらけの石床が遠ざかり、代わりにアミルのフードの縁が目の前に揺れた。

 文句のひとつでも叩きつけたかったが、今の体では腕を振り払う力すら残っていない。肩に力を込めようとしただけで、全身が鉛みたいに重く軋んだ。


「逃げる準備はおっけー? 魔王が君を連れ去る前に、しゅっぱーつ進行!!!」


 いつもの調子でふざけた声音。

 その軽さに、逆に全身へぞわりと鳥肌が立つ。


「最悪」


 吐き捨てるように言うが、声には力がなかった。

 いつもなら即座に一発入れて黙らせているところだ。

 だが今は、握り拳を作ることすら億劫で、唇も小さく震えて続きを飲み込んだ。


 そのやり取りを見ていたオーティスが、少し離れた場所で肩を揺らしている。

 顔を背けてはいるものの、笑っているのは明らかだった。


「なに笑ってんの」


 ロビンがじとりと睨みつける。


 だが彼もまた消耗しきっていて、その笑みには安堵が滲んでいた。

 地下の冷えた空気が頬に触れ、戦闘熱の残る皮膚を静かに冷ましていく。


 ふと、ロビンの視線が瓦礫の向こうへ向いた。

 散らばった石片の隙間、崩れた床の上。

 そこには、第七小隊の面影が横たわっている。

 血に濡れた制服、裂けた布地、崩落の砂を被った肩章。

 戦いが終わってもなお、その光景だけが冷たく現実を突きつけていた。


「それで、あの人たちは?」


 ぽつりと零れた声は、さっきまでの棘を失って静かだった。

 アミルも一瞬だけふざけた空気を消し、瓦礫の向こうへ目を向ける。


「……彼女たちの体も持ち帰るよ。できるだけ、散り散りになった制服も全部。故郷に……返してあげないと」


 地下に落ちる砂の音だけが、しばしの沈黙を埋める。


 ロビンは小さく頷き、抱えられたまま左手を伸ばした。


 指先に微かな重みが宿る。

 引力が静かに広がり、亡骸を優しく包み込むように持ち上げた。乱雑に転がっていた身体が、まるで眠っているように穏やかな姿勢へ整えられていく。砕けた装備も、散った制服の切れ端も、その周囲へそっと寄り添う。


 最後の尊厳を守るための、弔いだった。


「でも……この人数は抱えきれないぞ。ロビンも引力で運べるほど、もう力はない」

「アタシなら──」

「無理するな」


 即座に遮ったのはオーティスだった。

 疲労で掠れた声なのに、不思議なくらい強く響く。


「俺が無理するのを責めるなら、お前が無理するのも許さないからな」

「……」


 ロビンは一瞬だけ彼を睨みつけた。だが反論する気力もなく、やがて視線を伏せる。

 アミルの腕の中で、少しだけ身体を縮こまらせた。


「もう崩れるし……ここを往復してる時間もないよ」


 アミルが天井を見上げた、そのとき。


「────私が、貴様らごと連れて行こう」


 透き通った、よく通る声が地下の入口から響いた。

 振り返る。


「アリシア長官……?」


 落ちる砂塵の向こう側に、アリシアが立っていた。

 微塵の焦りもない。


 瞼を静かに閉じた。


 次の瞬間、視界が反転した。

 足元の感覚が消え、冷たい地下の空気が一瞬で遠ざかる。

 光が瞬き、世界が切り替わる。


 ──気づけば、そこは地上。


 肺に流れ込む空気が違う。


 かつて氷河がそびえていた場所。

 だが今そこにあるのは、ヘリが二機並んで待機できるほどの広い平地だった。

 砕け散った氷塊が周囲に無数に転がり、薄青い破片が曇天の光を鈍く反射している。

 北区オーダーたちが慌ただしく走り回り、救護班が担架や医療機器を運び込んでいた。


「オーティス!!」


 聞き慣れた声が風を切って届く。

 ジョシュがヘリから飛び降りるように駆け寄ってきた。


「無事でよかった!! アミル先輩も無じ……ロビンは…なんで抱っこされて…?」

「見なかったことにして」


 ロビンが不満そうなのに対して、アミルは妙に満足げな様子だ。

 だが、ロビンの意識は別の場所へ向いていた。


「アリシア、ダニエルは……?」


 アリシアは言葉を返さず、静かにヘリの方へ視線を向ける。

 その意味を理解した瞬間、ロビンはアミルの腕から無理やり飛び降りた。


「おい、無理するな」


 足はまだ痺れたまま。まともに動くはずがない。

 それでも脚を引きずり、転びかけながら前へ進む。

 オーティスが慌てて肩を支え、そのまま体重を預けさせる。

 人混みの間を縫うように歩き──ようやく、辿り着いた。


「……ダニエル」


 ヘリの担架の上で、ダニエルは新しい包帯に胸を巻かれた状態で横たわっていた。

 手の中には腕時計が握られている。


「よぉ…21分、大遅刻だな」


「…はぁ…よかっ……た……」


 その一言と共に、全身の力が抜けた。

 膝が崩れ落ちる。

 今度は安堵に負けた脱力だった。

 オーティスが小さく呟く。


「友達を…、救ってくれて、ありがとな」


 オーティスが小さくつぶやく。

 その声に応えるように、風が冷たく吹いた──



 一方で少し離れた場所。

 アミルは平地を見渡しながら首を傾げていた。


「うーん? ここってさ、たしか氷河がそびえてた場所じゃなかったっけ?」

「彼女がヘリを止められる場所を作ってくれたようだ。……氷河を壊してな」

「……え…?」


 思わず、二度見する。


 確かに周囲には、粉々になった氷塊が飛び散っていた。

 氷塊の量を見れば、冗談ではないと分かる。


「いやいや、まさか……」

「強い子だよ。訓練生時代の記録を見て、北区に向かえ入れたかった。……でも、あの男に負けてしまってね」


 アミルが本当に驚いていたのは、その破壊力ではない。

 本当に驚いていたのは──

 これほどの力を使った後でなお、暴走しかけたオーティスへ自らエネルギーを渡し、それでもNovaを失っていないという事実。


 アミルの視線の先で。

 ロビンはオーティスに肩を支えられたまま、静かに目を閉じていた。

 戦いの熱が抜けた身体は、北区の風に撫でられながら穏やかに眠りへ沈んでいく。


 その横でオーティスは、何も言わずただ立っていた。

 失わなかった命と、繋ぎ止めた力を確かめるように。





 ヘリのエンジン音が、腹の底に響くような重低音を鳴らしながら、夕の北空を裂いて進んでいた。

 小さな丸窓の向こうでは、果てのない白い雪原が月明かりを淡く跳ね返し、暗雲の切れ間に覗く星と、遠くの基地灯が点のように瞬いている。

 激戦の熱がまだ身体の奥に残っているからか、機内へ満ちる空気は不思議なほど静かだった。


 暖色の照明が低く落とされ、金属の壁に橙色の影を揺らしている。

 任務を終えた者たちの疲労と、生きて帰れた安堵と、まだ言葉にしきれない喪失が、狭いキャビンの中でゆっくりと混ざり合っていた。


 並んだ座席には、アリシア長官、ジョシュ、アミル、そしてオーティス。

 その隣で、ロビンは毛布に包まれたまま深く眠っていた。地下ではあれほど張り詰めていた呼吸が、今は小さく規則正しく上下している。

 機体がわずかに揺れるたび、力の抜けた身体が隣へと傾き、いつの間にかその額がオーティスの肩口へそっと預けられていた。


 彼は一度だけ薄く目を開ける。


 朝焼け色の瞳が、肩にもたれたロビンの寝顔を静かに映した。

 起こそうと思えば起こせる。だが、そうする理由が見つからない。


 あれだけ無茶をして、ようやく手に入れた眠りだ。

 少しくらい、このままでいい。


 そう結論づけるように、彼は肩を微動だにさせず、再び目を閉じた。


 その光景を向かいから見ていたアミルが、肘を膝に乗せながら、口元を膨らませる。


「そこ今日いちばんの特等席じゃん?」


 いつもの軽薄さはある。けれど声量は抑えられ、どこか本当に安堵したような柔らかさが混じっていた。


「代わって〜ってお願いしたいとこだけど、さすがに今それやったら起こしちゃうか」

「アミル先輩、今さら言っても遅いですよ。せめて、乗る時点で言ってください」

「こんなに無防備に寝てるんだよ? さすがに割り込むほど野暮じゃないって」


 アミルは優しげに目を細めながら、毛布に包まれたロビンを見つめた。

 その視線にいつもの茶化しはあっても、不思議と下心めいた軽さは薄く、事実そのものを眺めているようだった。

 ふと、アミルの視線がオーティスへ滑る。


「でも意外じゃん? オーティスって、そういう距離感って苦手な感じかと思ってたのに~」

「距離? なにがですか?」

「いや、ほら。女の子とか、そういう系?」


 ジョシュも、あえて端末に目を落としたふりをしながら聞き耳を立てていた。時折、レンズを拭きながら、さりげなく視線を流して表情を読む。


「俺ってそんなに分かりやすいか?」


 思わず組んでいた腕を緩めたが、肩で眠っている気配を思い出し、体勢を元に戻す。


「まぁね〜、ニックさんとバディを組んでた時は、やたらとファンの子たちを避けてたし? 女性の多い支援部もジョシュ通して連絡したりさ。丸わかりっしょ?」


 短い沈黙。

 機体の振動が、足元から微かに伝わってくる。

 やがてオーティスは、肩に預けられた重みを確かめるみたいに、ほんの少しだけ視線を落とした。


「まあ、そうだな。苦手は苦手だ」


 左手で首筋を軽くさすりながら、静かに続ける。


「でも、こいつは違う気がする」


 その言葉に、アミルとジョシュが同時に目を瞬かせる。

 本人に気負いはない。

 ただ事実をそのまま口にしただけ。


 地下で手を重ねた熱。

 奪わないと決めた意志。

 あの感覚が、まだ肩に残るこの重みとどこか繋がっている気がした。


「へえ」


 アミルはそれ以上からかうことなく、少しだけ楽しそうに笑った。


「分かるよ。そういう特別枠ってあるよね」


 珍しく、それだけで引いた。

 アリシアもまた何も言わず、窓の外へ視線を向けている。

 雪雲の合間を縫って飛ぶヘリの機体が、時折わずかに揺れた。


 そのたびにロビンの身体が小さく傾くが、オーティスは肩を動かさない。

 眠りを妨げないよう、呼吸すら浅くしているようだった。

 やがて誰も言葉を発さなくなる。


 重低音のエンジン音と、規則正しいローター音。

 その隙間を縫うように、ロビンの寝息だけが静かに響いていた。


 それはまるで、命がちゃんとここにあると知らせる小さな証明。

 地下で繋ぎ止めた火が、まだ消えていない。

 その安堵が、ようやく全員の肩から力を抜いていく。


 そうして、北区基地までの30分は、誰にも壊されない静かな時間として過ぎていった。

 ロビンの寝息だけが、機内の心拍のように響いていた。





 やがて機体がゆっくりと高度を下げ始める。

 窓の外には北区基地の屋上が浮かび上がり、交差するサーチライトが雪煙を白く染めていた。

 ジョシュが端末を確認し、小さく息を吐く。


「……長い一日だったな」


 スキッドが床越しに衝撃を伝え、機体の振動が徐々に弱まっていく。

 アリシアが立ち上がりながら、短く告げた。


「ダニエルは先のヘリで到着済みだと報告を受けている。医療班は下で待機している。確認後は、食事をとり休養をとれ。明日の朝に検査を行う」


 小さく頷くと、肩に預けられた少女へ視線を落とした。

 起こすべきだ。分かっている。

 けれど、この穏やかな寝顔を崩すのが少し惜しい。


「ロビン、着いたぞ? 起きろ」

「……ん、…もうちょっと寝かせてくれてもいいでしょ」


 毛布の中でくぐもった声が漏れる。

 その気の抜けた返答に、機内の空気が少しだけ和らいだ。


「だめだ。北区は冷える」


 ヘリの後部扉が油圧音とともに開き、北部の夜気が鋭い刃みたいに機内へ流れ込んだ。

 着陸した北区の屋上は、一面が薄く雪に濡れ、鉄床にはサーチライトの白い光がぬめるように反射している。

 吹き込んだ粉雪が足元をさらい、ブーツが踏みしめるたびに細かな氷の粒がきしりと鳴った。

 後続のヘリから運び出されたダニエルの担架が、慌ただしく医療班の手へ渡される。


「治療室を先に開けて! 輸血ライン維持、体温もまだ下がり切ってません! 血圧が落ちてるから昇圧剤の準備もお願い!」


 張りのある明るい声が夜気を裂いた。

 振り返れば、細身の杖を握った少女が、担架の脇を小走りでついている。肩までの髪を揺らしながら、ひとつひとつ確認を飛ばしていくその口調は、慌ただしいのに妙に的確だった。


 その途中、ふと彼女の目がロビンたちを捉える。

 一瞬、表情がぱっと明るくなる。けれどすぐに、何かを堪えるように唇をきゅっと結び直した。


「え、えっと……! お仲間さんの状態なら、ひとまず山場は越えてます。失血量は多いですけど、循環が戻ってきてるので、ここからはちゃんと繋ぎ止められます。私が責任を持って診ます!」


 少し早口で言い切ったその声に、後方から別の医療員が鋭く飛ばす。


「宣言してる暇があったら手を動かして! 脈拍の再チェック!」

「は、はいっ!」


 少女は杖を抱え直し、慌てて担架の後を追っていった。

 その背を見送りながら、ロビンが首を傾げる。


「知り合い?」


 オーティスもまた小さく眉を寄せた。


「見覚えは……あるような、ないような」


 名前が喉元まで来て、するりと抜け落ちるような感覚だけが残る。

 そのまま一行は、屋上から続く屋内通路へ足を踏み入れた。

 冷えきった鉄の扉が閉まり、外の風音が遮断された次の瞬間。吹き抜けを持つ支部ロビーの下層から、胸を抉るような怒号が突き上げてきた。


「妻はいつ帰ってくるんです!?」

「娘はどこなんですか!? 三日よ、三日も待ってるのに……!」

「連絡が取れないって、…っどうしてそんなことになるんですか!」


 夜にもかかわらず一階ロビーの照明はすべて点灯していて、白い床と壁が冷たく光っていた。

 受付前には何人もの人影。コートを羽織ったままの男、マフラーを握りしめた女性、まだ制服姿のままの若い少女。眠れず、着替える余裕すらなく飛び出してきたのだと分かる姿ばかりだった。

 受付に立つ女性職員は、何度も頭を下げている。


「現在も確認を……」


 その言葉は、最後まで続かない。

 目の前の女性が、震える両手で一枚の写真を差し出していた。

 そこには笑顔の少女が映っている。まだ幼さの残る顔立ちで、北区の制服を誇らしげに着ていた。


「あの子、昨日誕生日だったのよ……ケーキ、冷蔵庫に入れたままなの……帰ってきたら食べようって……」


 声が途中で崩れ、女性は口元を押さえてしゃがみ込んだ。

 その隣では、年配の男が拳を震わせていた。


「娘はな、寒いのが苦手だったんだ……北区に配属された時も、毎日文句言ってた。それでも人を守れるならって、笑って行ったんだぞ……!」


 怒りと悲しみと、祈りをまだ捨てきれない声。

 ロビンは思わず足を止めた。

 その横でアミルの手が、何も言わずそっと彼女の肘を支える。


 ジョシュが低く呟く。


「……第七小隊の、ご家族だよ」


 ヘリから降ろされたのは、五つの包まれた亡骸。

 崩落と戦闘で損傷は激しく、布越しでも誰が誰か判別できない。

 祈り続けた家族たちに返せるものが、あまりにも少なすぎる。


 アリシアは一度だけ深く息を吸い、階段の手すりへ視線を落とした。


 戦場で見せていた鋭利な冷たさはもうない。

 そこにあるのは、組織の長として背負うべき責任だけだった。


「……私は少し席を外す。あの鉄面皮には連絡済みだ。君たちはこの北区で療養してもらう。数日は絶対安静だ」

「俺も行くよ。……彼女たちを助けられなかった」


 アミルの声には、いつもの軽さが一切ない。

 しかし、アリシアは静かに首を横へ振る。


「貴様らが出発した時点で、彼女たちはもう空へ飛び立っていた。これはアミル…貴様の責任でもない……私の責任だ」


 そのまま彼女は階段を下りていく。

 ロビーへ姿を現した瞬間、家族たちの視線が一斉に集まった。

 誰かが、答えを悟ったのだろう。

 空気が凍りつく。


「……嘘よ」


 最初に崩れたのは、写真を握っていた女性だった。


「嘘よ、だってあの子、まだ20歳にもなってないのよ……」


 泣き崩れる者。

 その場に立ち尽くし、ただ天井を見上げる者。

 怒りで肩を震わせる者。

 そして次の瞬間、ひとりの女性が叫びながら駆け寄った。


「なんで……なんで、あの子が……!」


 バチンッ


 乾いた音がロビー全体へ響き渡った。

 アリシアの片眼鏡が床へ落ち、硬質な音を立てて砕ける。

 唇の端が切れ、赤い筋が顎先を伝って白い制服に落ちた。


 それでも彼女は顔を逸らさなかった。

 言い訳も、反論も、自己弁護もない。


 ただ真っ直ぐ背筋を伸ばしたまま、その痛みごと受け止めて頭を深く下げる。

 亡くなった六人分の未来。

 待っていた家族の三日分の祈り。

 そのすべてを、自分ひとりの背に引き受けるように。

 階段の途中で立ち尽くしていたロビンたちは、その姿を見下ろしていた。


「……俺たちは、向こうから行こう」


 誰も異を唱えなかった。

 静まり返った別通路を通り、寮棟へ向かう。

 廊下の照明は最低限まで落とされ、疲れ切った彼らの影だけが細長く床を這っていた。


 時刻は18時を回っている。

 食堂には、誰の姿もない。


 保温プレートの上には栄養士が用意した温かなスープと食事が整然と並び、まだ湯気を立てている。

 誰かが無事に帰ってくることを信じて、時間通りに準備された食事だ。

 けれど、その湯気だけが空虚に漂い、余計に胸を締めつけた。


 誰ひとり手を伸ばさないまま、各々の扉の奥へ散っていく。

 ドアがひとつ、またひとつと閉まるたび、広い寮棟の静けさだけが深くなっていった。


 その夜。


 窓の外では吹雪が荒れ狂い、氷の粒がガラスを絶え間なく叩き続けていた。


 北区の夜は、救えた命の安堵と、救えなかった命の重みを抱えたまま、どこまでも長く更けていった。

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