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AionioS  作者: 無日
第六章:白の果てで、手を取る

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第55話:繋いだ炎

 金の閃光が駆け抜けた。


「かかってこい…ッ!!」


 オーティスの拳が唸りを上げ、頭部を支える首元を粉砕する。

 重い衝撃が空気を震わせ、吹き飛んだ巨体が後続の群れを巻き込みながら壁へ叩きつけられた。


 彼の拳には金色の脈動が走っている。

 骨の軋むような鈍い音とともに筋肉が膨らみ、その一撃ごとに獣の群れへ亀裂を入れていった。


 轟音が、まだ地下の広間を揺らす。

 砕けた石柱の破片が床を跳ね、燃え残ったランプの炎が赤い舌を這わせながら石畳の隙間を舐めていく。

 その揺らめく光の中で、黒い獣の群れはなおも唸り、四肢を低く沈めて四方からじりじりと距離を詰めていた。


 アミルの指先が石床に触れるたび、地面は生き物のように脈打つ。

 裂けた床から突き上がる石柱がギュネオスの胸を貫き、黒い結晶の体を串刺しにしたまま天井近くまで持ち上げる。

 天井から滴る水滴を瞬時に凍てつかせ、砕けた結晶片が雨のように降り注ぎ、その隙間を縫うようにダニエルの氷刃が走る。


 広間に満ちていた黒い密度は、少しずつ薄れていく──はずだった。


「……減り方がおかしい」


 ロビンは空中で身を翻しながら眉をひそめる。


 重力でまとめて押し潰したはずの一角。

 十数体を確かに沈め、コアごと圧壊したはずの場所に、また同じだけの黒い影が蠢いていた。


 炎の赤に照らされて揺れる輪郭が、さっきまでそこにいなかったはずの個体を映し出している。

 錯覚──そう片づけるには、数が合わない。

 奥の闇から、ぞろり、とまた新たな四肢が現れる。狼じみた顎と結晶の毛並み。目のない顔面の空洞。


 どれも同じ形をしているのに、どこか"艶"を帯びていた。


「アミルさん!! 奥からまた来てるぞ!」


「はいはい、すぐそっちも足止めするよ…、…?」


 石柱を連続で突き上げながら、アミルの目が細くなる。


 地面越しに伝わる振動、その数が妙だった。倒した数と、迫ってくる数が噛み合っていない。

 まるで群れの奥で、別の脈動が新たな生命を押し出しているような、不快な増殖音。


 ズズ……


 床の下から微かな震えが伝わった。


 オーティスは飛び込んできた一体の前肢を掴み、そのまま石床へ叩きつける。頭蓋が砕け、黒い破片が散った。


 だが、その感触に一瞬だけ違和感が走る。


「……軽い?」


 昨日まで相手にしていたギュネオスよりも、殴った感触が浅い。硬いはずの骨格が、どこか空洞じみて脆い。砕いたはずの肉体の向こうで、別の影がすでに牙を剥いていた。


 補充されている。


 その理解が脳裏を掠めた瞬間、右手の甲を鋭い爪が掠めた。火花のように結晶片が飛び、金色の光がぶれる。


「……ッ、……!!」


 疲労が、じわじわと身体に絡み始めていた。


 アミルは広範囲の地形操作を続け、ダニエルは水分を拾うため常に周囲へ意識を張り巡らせ、ロビンは群れの中心を潰すたびに大量のNova(ノヴァ)を消費している。

 オーティスの拳も、結晶を吸収した反動で内部から鈍い痛みを訴え始めていた。

 それでも、群れが止まることはない。


 炎の向こう、広間の最奥。

 目を持たぬ“長”は、まだ一歩も動いていなかった。


 寛いでいる。


 ただそこに伏せたまま、空洞の顔をこちらへ向けている。

 まるで、自分たちが消耗していく様子を静かに見届けているかのように。


 ロビンの背筋を、冷たいものが撫でた。


「……こいつら、アタシたちを削るために増殖してる」


 息が白く滲む。

 吹雪の冷気が階段の方から薄く流れ落ち、炎の熱と混ざり合って奇妙な温度差を作る。

 汗ばんだ肌にその冷気が触れ、疲労の輪郭だけをはっきりと浮かび上がらせる。


 群れの数は減っている。

 なのに、戦況は楽にならない。


 むしろじわじわと、こちらの消耗だけが積み重なっていく。


 アミルが低く舌打ちし、石柱の連撃をさらに加速させた。


「……まずいかもね。これ、長まで辿り着く前にみんなの体力が持たない。フラフラなところを一気に噛み殺す気だ」


 その言葉が、地下の闇に重く沈んだ。

 次の瞬間──入口側の死角で、黒い影がひとつ、大きく跳ねた。


 その跳躍は、あまりにも唐突だった。


 入口側の死角。


 アミルが石柱で抉り、オーティスがこじ開けた突破口の外縁、誰の視線も届かなかった黒の隙間から、一体のギュネオスが低く身を沈めたまま弾丸のように飛び出してくる。


 たった一瞬の隙。


 炎の赤を裂いた黒い軌跡は、一直線にアミルの背後──地面へ意識を集中させていた彼の無防備な死角へと迫っていた。


「先輩ッ!!」


 反射だった。


 ダニエルの声が鋭く響くよりも早く、彼の身体が動いていた。


 天井から落ちた冷水を掌へ集める暇すらない。


 ただ足元に残っていた薄い氷膜を蹴り、滑るようにアミルの背後へ飛び込む。髪が炎の照り返しを受けて揺れ、そのまま肩から体当たりするようにアミルを横へ突き飛ばした。


 直後、黒い爪が振り下ろされる。


 ブツリ、と嫌な音。


 肉を裂く音だった。


「──ぐッッ!!!!!」


 地下空間を突き破るような悲鳴が響き、全員の意識が一斉に入口へ引きずられる。ダニエルの身体が数メートル先まで吹き飛ばされ、石畳を擦りながら転がる。


 氷柱が彼の手を離れ、乾いた音を立てて床に落ちる。柄に残っていた水分が、広がる血に触れて薄く赤黒い氷膜を作りながら、石の隙間へじわじわと染み込んでいった。


「ダニエルッ!!」


 アミルが息を呑む。


 押し倒された勢いのまま振り返った視界の先、胸元が深く裂け、その下の肌が無残に抉られていた。獣の爪痕は肋の線に沿って斜めに走り、噴き出した鮮血が彼の脇腹から腕、石床へと勢いよく広がっていく。


 その血の匂いに反応したように、周囲のギュネオスたちの唸り声が一段低くなった。


「ロビンッ!! ダニーを上へ!!」


 アミルの声は命令に近かった。

 だがロビンの足は、一瞬だけ止まる。



 貫く光が、脳をよぎる。


 鮮血が視界いっぱいに染まる。



「……、………」



 騒ぎ声が昨日のことのように鼓膜を揺らした。


 息が、遠のいて。



「──ロビ……」


「────ロビン!!!!」


「しっかりするんだ!! 君がいるのは戦場だ!! ぼーっとしてる暇はない!!!」


 アミルの声で現実に引き戻された。


 ──でも。


 今ここで自分が抜ければ、圧力が崩れる。長へ届かないどころか、アミルとオーティスまで押し潰される可能性が高い。


 理屈は分かっていた。戦力の計算なら誰よりも早くできる。


 それでも。


 石床に倒れたダニエルの指先が、痙攣するようにわずかに動いたのが見えた。


「……っ」


 奥歯を噛みしめる。


 冷たい理性と、胸の奥を掻きむしるような感情がぶつかり合い、一瞬だけ思考を止めた。


「オーティス!! これ!!」


 風を切る音と共に投げた。


 懐に入れて置いた結晶。

 万が一の為に持っておいた物だ。


「……え」


 数は3つ。

 少ないけど、無いよりはマシ。


 オーティスは咄嗟に掴んだ結晶を見下ろし、あっけに取られたまま口をぽかんと開けていた。


「……ロビ…」


 そして礼を返す間もなく、次の瞬間には彼女の身体はもう入口へ向かっていた。


 見えない重力の糸が彼の身体をふわりと持ち上げる。ロビンは駆け寄る勢いのまま片膝をつき、ダニエルの腕を肩に回した。

 手袋越しにも伝わる体温は異様に熱いのに、その血は雪よりも冷たく感じた。


「……さわ、ん…な…」


「っ…喋るな!」


 短く言い捨てると、彼女はそのまま身体を浮かせた。


 床から数センチ、石畳を擦るように宙へ滑り上がり、階段へ向かって一直線に加速する。背後ではオーティスの拳が轟音を上げ、アミルの石柱が新たな侵入路を塞ぐように隆起していく。


 その音が遠ざかるたび、地下の戦場から一歩ずつ切り離されていく実感が胸を締めつけた。


 湿った石階段を駆け上がる。


 ランプの炎が遠くなり、代わりに地上から吹き込む凍えるような空気が頬を刺す。


 ようやく地上階へ辿り着き、半壊した扉を引力で押し飛ばした。

 吹雪の唸りが室内へ雪崩れ込み、冷えきった空気が一瞬で肺を締めつける。


 そのままラグの上へダニエルをそっと横たえるが、毛足は瞬く間に血を吸い、黒ずんだ赤をじわじわと広げていった。


 胸元の傷は、想像以上に深い。


 ボディアーマーでは耐えきれなかった爪痕がユニフォームまで届き、裂け目から覗く肉が呼吸に合わせて微かに震え、そのたびに血が新しく滲む。


「……、っ……」


 躊躇なく彼の上着を裂き、扉の横に置いていたリュックから包帯と止血剤を引きずり出した。

 指先は正確だった。

 傷口へ圧迫を加え、止血剤を押し込み、布を巻きつけていく。


「死ぬな……ッ……死ぬな、……!!」


 だが、布はすぐに赤く染まる。


「……血が……っ多すぎ」


 低く漏れた独り言に、ダニエルが苦く笑った。

 唇の端に血が滲み、息をするたび喉がひゅう、と細く鳴る。


「珍しく……焦ってんな」


「……ッ…黙って」


「……足手まといだろ」


「あんた、このままじゃ…っ」


「それ…でもいい。こんな傷じゃ……順風満帆だったオーダー人生も、戻れるか…ゲホッ…怪しい……ッ…」


「……オーダーだけが道じゃない」


「はは……、Voidから這い上がって……オーダーになった奴が、それを…っ…言うのか?」


 一瞬だけ手が止まりかける。


 だが彼女は何も返さず、さらに強く包帯を締め上げた。

 ダニエルが小さく呻き、肩を震わせる。


「ど、うすれば」



 耳鳴りがする。



 視界がぼやけて、冷えた指先が震える。



〈───っ…誰か助けて!!〉



 どうすればいい。


 どうすれば助けられる。



〈友達が…っ……友達が怪我して、……!!〉



 考えろ。


 何度も考えてきたはずだ。

 思考を止めるな。



〈なんで……、〉



 ────無駄にするな。



 風の唸りと地下から響く微かな振動。

 その二つの音に挟まれながら、通信機へ手を伸ばした。


「……ジョシュ!!!  重症者一名と……っ死者6名!! 至急、救急ヘリを!!」


 返答を待つ数秒が、異様に長く感じられた。


 地下ではまだ二人が戦っている。その時間が秒単位で削れていく。


『……了解! ただ、駐屯地裏手は氷河で着陸スペースがない!! 現状では降ろせないんだ…! だから今は──っ…』


 その一言で、ロビンの視線が窓の外へ突き刺さる。


 吹雪の向こう、白く膨れ上がった巨大な氷壁が、夜の雪原に怪物のように横たわっていた。


「……ないなら」


 立ち上がる。


 血のついた手袋を見下ろし、それを強く握りしめた。


「アタシが作る」


 ダウンを脱ぎ、それをダニエルの身体にかけてから立ち上がった。


「ここで待ってて。すぐ戻る。……ジョシュ! 今すぐヘリを寄越して」


『え……っ!? でも──っ……』


「アタシの言う通りにして!!!! 時間がない!!」


『……っわかった! 15分……15分だけ持たせてくれ!!』


 ダニエルの目が薄く開く。


 止める言葉を探すように唇が動いたが、ロビンはもう振り返らなかった。彼女の視線は、氷河の向こう──救える時間だけを見据えていた。


 返事を待たず、ロビンは窓際へ踏み込む。

 割れ残っていたガラス片を肘で弾き飛ばすと、吹きつける白が一気に室内へ雪崩れ込む。


 凍てついた風が頬を切り、濡れた前髪を瞬く間に白く染めていった。

 肺へ流れ込んだ冷気は針のように鋭く、息を吸うたび胸の奥を薄く裂く。

 床を蹴るより早く重力を反転させ、その身体は夜の吹雪へと吸い上げられるように飛び出した。


 外は、世界そのものが白に閉ざされていた。


 空も地も境界を失い、吹き荒れる雪が視界のすべてを塗り潰している。

 風は唸り声をあげながら雪原を薙ぎ払い、駐屯地の石壁に叩きつけられて渦を巻いていた。


 夜の暗さすら飲み込むその白の中で、ロビンだけが黒い影のように進む。ダウンを脱いできたせいで、肌に触れる寒気は容赦がなかった。露出した首筋に雪片が触れるたび熱を奪われ、指先は手袋越しにもじわじわと感覚を失っていく。


 だが、その先にあるものだけははっきり見えていた。


 駐屯地の裏手。


 吹雪の向こうに、巨大な氷壁が雪を抱え込むようにそびえ立っている。地盤の歪みと長年の吹雪で形成された氷河。

 表面は青白く鈍く光り、内部には幾重もの亀裂と気泡が眠っている。


 ヘリが着陸できる余地など、どこにもない。まるでこの土地そのものが、助けを拒絶しているようだった。


 ゆっくりと氷原へ降り立つ。


 吹雪が頬を打つ。


 けれど、それよりも冷たいものが胸の奥を撫でていった。



〈──その目はなんだい?〉



 言葉は、風の音に紛れて誰かの声のように聞こえた。


「……うるさい」


 吐き捨てるように呟いた。吐いた息がすぐに白く千切れて吹雪へ溶けていく。


 忘れたと思っていた。いや、忘れたふりをしていただけだ。

 力を使うたび、何かを壊すたび、その声は胸のどこかでずっと残響していた。


 けれど今、血を流しているダニエルがいる。

 限界を削られながら前に立つアミルとオーティスがいる。


 ここで立ち止まれば、また失ってしまう。


 壊れるのは氷河じゃない。助かるはずの命そのものだ。


 ゆっくりと氷壁へ歩み寄った。

 吹雪が髪を巻き上げ、黒い髪の先に白い雪が絡みつく。


 片手を前へ伸ばす。指先が震えているのは寒さのせいだけではない。体内を巡るNovaが、すでに地下戦でかなり削られている。


 けれど、それでも足りないなら、絞り出せばいい。


「……場所がないなら、作ればいい」


 その瞬間、足元の雪がふわりと浮いた。


 重力の向きが変わる。


 地下から響くような低い唸りが氷原全体を震わせた。周囲の雪片が一斉に舞い上がり、自分を中心に渦を巻き始める。


 氷河の表面に薄い亀裂が走り、ぱき、と鋭い音が夜気を裂いた。一本、二本、三本。蜘蛛の巣のようにひびは瞬く間に広がり、青白い内部構造が剥き出しになる。


「……これじゃ足りない…」


 肺が冷気と熱で焼けるように痛い。だが止めなかった。両足が氷面から離れ、身体はゆっくりと宙へ浮かび上がる。


 螺旋を描く銀の光が、全身から溢れ出す。


 それはいつもの冷たい重力制御ではなかった。

 もっと荒々しく、もっと根源的な“圧”だ。



「……っ、……もっと」



 もっと早くこうしていれば。


 あの6人だって、もっと早く見つけてあげられる手段があったかもしれない。


 ダニエルが傷つく前に、アタシがもっと注意深く周りを見ていれば。


 あいつならどうした?


 あいつなら、きっと。



 なんで、アタシは──、



「いつもいつも……ッ……!!!」



 空間そのものが軋み、見えない質量が氷河の中心へ一点集中していく。氷壁の内部から、ぎしぎしと悲鳴のような軋みが響く。


「──ッ、ぐ……!!」


 こめかみが脈打つ。


 視界の端が白く滲む。


 体内のNovaエネルギーが急速に削れ、指先の感覚が遠のいていく。それでも掌を氷河へ向けたまま、さらに力を絞り上げた。



〈使えるものならなんでも使え〉



〈お前が触れれば、全てが武器になる〉



〈オレが、お前の道を作ってやる〉



 ───そうやって、人に作ってもらった道ばかり選んでるからこうなるんだ。



 自分で選べ。


 自分で探せ。




✧✧✧




〈地上にはオーダーっていう、強ぇ奴らがいるんだぜ〉


〈変な名前だね。どんな人?〉


〈人じゃねぇよ。警備ロボットとも違う。オレ達みたいにチーム組んで、上のやつらは守られながら呑気に暮らしてる〉


〈それなら、なんでVoidにはオーダーがいないの?〉


〈…………〉


 純粋な疑問のせいで、返答に困らせてしまった。


 何も知らなかった。


 地上に出たこともない、世間知らずなガキだったから。


 空も、海も、飛ぶ鳥の存在も、地に咲く花だって。


 なんにも知らなくて。


〈オレがオーダーになる〉


〈……オーダーに?〉


〈Voidの悪ガキが、平和を守るオーダー……それだけで面白そうじゃねぇか。そうなれば、ガキ共にも腹いっぱい食わせられるし、仕事も増える〉


〈あはは……でも、Voidのみんなはオーダーにはなれないんだよね?〉


〈……あぁ。嗤われて、奈落に逆戻りだぜ〉



〈それならさ───〉




 あの後、アタシは何を言ったんだっけ。


 よく思い出せない。


 誰の声か、胸の奥で、その記憶だけが凍えた心をわずかに温める。


 夢を語り合ったあの日々。

 あれになりたい、これをしたい。


 奈落の中で唯一許された宝物はそれだけで、仲間達だけが支えだった。



 でも、もう──あいつはいない。



「…あんたが生きてたら、この世界はもっと良くなってたはずなのに……ッ…」




〈《――オーダー連盟は新たに、Void出身者をオーダー候補として受け入れる方針を発表》〉


〈《ただし、Nova、犯罪歴、適性を基準に厳正な選抜が行われる予定です――》〉


 モニターの前に集まった上の人達は興味津々でいたけど、大半はモニターに向けて空き缶を投げたり暴言の嵐だったのを覚えてる。


〈ふざけんな!! Voidの連中をオーダーにするなんて馬鹿かよ!!!〉


〈あんな薄汚れた犯罪者予備軍にこの街が守れるのかしら!〉



 それでも、あの時は運命のように感じた。



 馬鹿げてるのは頭では理解していたけど、これが唯一の弔いになると思った。

 アタシにできることなんか、それくらいしか無かったから。



 だから、あいつの代わりにアタシがオーダーになった。



 それだけを理由に地上へ持っていった。



 ────でも今は。



「違う」


「いつまで、亡霊に頼って生きてんの……っ…」


 死なせたくない。


 失うのはもう十分だ。


「アタシが、道を作るんだ」


「もう、あんたに作ってもらわなくていい!!!! アタシは……ッ……アタシは自分で…!!」


 もう誰かに道を作ってもらわなくていい。


 他人のためじゃない。



 ───アタシはアタシで自分を作る。



 歯を食いしばり、最後の一押しを叩き込んだ。



「────砕けろッ!!!」



 音ではなく、圧力そのものが世界を揺らした。


 氷河の中心が見えない拳で殴り抜かれたように陥没し、次の瞬間、内部から一気に破裂する。


 青白い巨塊は無数の氷片となって空へ弾け飛び、吹雪と混ざり合いながら白い爆煙のように広がった。雪原を揺るがす衝撃波が駐屯地の壁を打ち、遠くの木々に積もった雪を一斉に払い落とす。


 巨塊だった氷河は、跡形もなく崩れ去っていた。

 残されたのは、雪を吹き飛ばした平坦な大地。ヘリが十分に降りられるだけの、白く開けた空間。


 身体がゆっくりと地面へ降りる。


 膝が氷へ沈み込み、片手をついて荒く息を吐いた。喉が焼ける。腕が鉛のように重い。身体の芯から熱が抜け、代わりに外気の冷たさが骨まで染み込んでくる。


 けれど、その視線の先には確かに“助かる場所”が生まれていた。


「……これで、……ッ、…降りられる」


 吹雪はまだ止まない。けれど、さっきまで怪物のように立ちはだかっていた氷壁はもうない。そこにはただ、誰かを救うための空白だけがある。


「………終わってない…。立て…まだ……」


 ゆっくりと立ち上がった。


 膝は震えていたが、その瞳だけは地下へ向いている。まだ終わっていない。助けた命を、繋ぎ切るまでは。


 白い息を長く吐きながら、踵を返した。


 吹雪の向こう、灯りの漏れる駐屯地へ──そして再び、地下の戦場へ戻るために。




✧✧✧




 吹雪に背を押されるように、ロビンは駐屯地の窓から再び室内へ飛び込んだ。割れた窓枠から雪片が舞い込み、薄暗い廊下に白い筋を引いていく。

 冷気はそのまま血の匂いと混ざり、肺の奥に鈍く沈んだ。先ほどよりも濃くなった鉄臭さに、胸の奥がざわつく。


 視線を落とした先、ラグの上には赤黒い染みがさらに広がり、毛足の長い布地を重たく濡らしていた。


「ダニエル……!」


 膝を滑らせるように駆け寄り、その胸元へ手を伸ばす。

 裂けたユニフォームの隙間から覗く傷口はまだ生々しく、止血剤で抑えたはずの包帯の端がじわりと赤く滲んでいた。


 呼吸が止まりそうになる。

 すぐに耳を胸へ押し当てた。


 ──トク、トク


 弱々しいが、まだ聞こえる。

 吐き出した息は安堵というより、押し潰されそうだった恐怖の残骸だった。強張っていた肩から力が抜ける。


 だが、次には頭上からかすれた声が落ちてくる。


「……勝手に、人の胸に耳当てんな……」


 顔を上げると、彼は薄く目を開けていた。

 血の気を失った唇は青白く、呼吸のたびに痛みで眉が寄る。それでも、その口元にはかすかな皮肉が残っている。


「目、瞑ってただけだ…」

「そのまま寝たら、殴るから」


 ロビンは吐き捨てるように言いながらも、声の奥には隠しきれない安堵が滲んでいた。

 彼の額に張り付いた汗と血を袖で乱暴に拭い、左手で通信機へ触れる。


「着陸地点は確保した。すぐに降ろして」


『了解! ヘリには救護に長けたオーダーも乗せてる! あと8分で到着するよ!! それまで、もたせてくれ』


「持たせる」


 即答だった。


「あと……っ、…8分か…長いな……」


 ロビンはダニエルの左手を取り、腕時計をそっと外す。傷ついていない方の掌へそれを握らせ、指先を閉じた。


「その秒針を数えてて。くたばらないでよね」

「……は?」

「十秒でも、一分でもいい。とにかく数えて。止まったら許さない」


 ダニエルは痛みに顔を歪めながらも、かすかに口角を上げた。


「……死にかけのやつに…言う言葉かよ。これだからVoidの奴は嫌いなんだ」

「文句なら後で聞くから」


 彼の指先の中で、腕時計の秒針が小さく震える。カチ、カチ、と規則正しい音が血の匂いに沈んだ空間へ小さく響いていた。


 それは命の残り時間ではなく、救いが近づいてくる音にも聞こえた。


 立ち上がる。

 膝がわずかに揺れたのは、さっき氷河を破壊した反動がまだ残っているせいかもしれない。

 だが、止まっている暇はない。

 地下ではまだ2人が戦っている。


 特に――オーティス。


 さっき別れる直前に見えたあの金の光。限界を超えてなお無理やり身体を動かしているような、危うい熱。胸の奥に嫌なざわめきが残っていた。


「すぐ戻る」


 その一言を残し、踵を返す。

 背後でダニエルが小さく笑った。


「……Vorderが……全部持っていきやがるな」


 振り返らなかった。

 けれど、その言葉に口元だけがほんのわずかに緩む。


 廊下を駆け抜け、割れた窓から入り込む吹雪を横切り、地下へ続く石階段へ足をかける。さっきまで冷たく感じた石の感触が、今は妙に熱を帯びて思えた。


 いや、違う。


 下から伝わってくる振動だ。


 ズン――

 ズズン――


 まるで地の底で巨大な心臓が脈打っているような重低音。壁に積もった古い埃が細かく震え、天井の隙間から砂粒がぱらぱらと落ちてくる。


 足が止まった。


 この揺れは、アミルのNovaの影響だけじゃない。

 もっと重い。もっと荒々しい。

 石段の奥、闇の底から時折走る金色の閃光。


 そのたびに獣の咆哮が遅れて響き、地下空間全体が軋んでいる。


「……オーティス?」


 胸のざわめきが、確信へ変わっていく。


 あれは戦況が押している音じゃない。

 限界を超えた何かが、無理やり暴れている音だ。


 彼女の身体は重力を切り、石段を飛ぶように地下へ滑り降りていった。


「アミル!! 状況は……!!?」


 ロビンの声に、入口付近で息を整えていたアミルが振り返る。


「それが……ちょっとね…」


 彼の足元からは土の波が押し寄せ、獣の脚を絡め取っていた。

 地面を破るように隆起した石柱がギュネオスの腹を貫き、爆ぜるように弾ける。


 その光景の先。


 アミルの視線が向けられていたのは──オーティス。


 広い背中。


 立ち尽くすその拳に、もう金色のNovaは灯っていなかった。

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