表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AionioS  作者: 無日
第六章:白の果てで、手を取る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/73

第53話:夢を抱いた

 陽が傾きかけた頃、風が急に荒れ出した。


 それまで淡く青白く広がっていた雪原の地平は、吹き上がる雪煙に呑まれ、一気に夜の帳を引き寄せる。


 視界の端から端まで白く霞み、遠近感すら曖昧になって、頬に当たる空気が鋭く変わった。


 皮膚を刺す冷気が、呼吸のたびに肺の奥まで入り込み、熱を奪っていく。温度が目に見えて落ちていくのが分かった。


「ダニー、小屋はまだ…? このままだと皆も俺も凍えちゃう……」


 先頭を歩いていたアミルが情けない声を漏らし、肩をすくめる。

 睫毛にまで雪が張りつき、金の髪先にも白が積もっていた。


「少しくらい我慢してくださいよ……っ、どこだ……?」


 ダニエルはマップを展開し、周囲を睨むように見渡す。

 吹雪に視界を削られながらも足は止めない。


「すまん……俺も、もう限界がきてる」


 後ろからオーティスが低く息を吐いた。


 普段ならこの程度の寒気で音を上げる男ではない。

 それでも戦闘直後の消耗が、じわじわと全員の脚を鈍く重くしていた。


 足取りは誰もが重い。


 ブーツが雪を踏み締めるたび、ぎゅ、ぎゅ、と湿った音が静かな焦燥を刻む。

 やがて、吹雪の向こうにぼんやりと輪郭が浮かんだ。


 遠くにうっすらと見える小屋の影。

 中継地点としてマップに記されていた、二泊目の小屋だ。


 誰からともなく小さく頷き、戦闘の余韻を引きずった疲弊した身体のまま、四人はそこへ辿り着いた。

 扉を押し開けると、木と金属が擦れ合うような重い軋みが小屋の中に響く。


 長く使われていなかったのか、蝶番が鈍く悲鳴を上げる。


 中は冷え切っていたが、外よりはずっとマシだ。


 吹き込もうとする雪を押し返すように扉を閉めると、どん、と鈍い音とともに世界が遮断される。

 外で唸っていた風の声が一段遠のいた。


 積もった雪を払いながら、アミルが肺の底に溜め込んでいた息を盛大に吐き出した。


「……っはぁ〜……助かった……もう足動かない〜〜」


 そう言いながらダウンを脱ぎ捨て、そのままソファへぼふっと身を投げ出す。


 柔らかなクッションが体重を受け止め、戦闘で張り詰めていた筋肉をゆっくりと沈めていく。

 冷え切っていた足先の血流が少しずつ巡り始め、じんわりと戻ってくる体温が指先まで熱を運ぶ。


「……もう……動けない……」


 情けなく伸びた声に、誰も茶化す余裕はなかった。


 ダニエルは何も言わず、部屋の中央に立ったまま視線を巡らせる。

 窓の強度、出入口の位置、屋根を支える柱、天井のたわみ。


 任務の癖なのか、あるいは性分か。安全確認を終えてようやく荷物を床へ降ろす。


 オーティスもまた、無言でリュックを壁際へ置き、グローブを外す。

 指先にはまだわずかな痺れが残っていた。


 結晶を取り込むため、戦闘中は手のひらと指先が露出したグローブを使っている。

 そのせいで、寒気の影響を受けやすい。


 もっとも、元々高い体温のせいで感覚はすぐに戻るが。


「やっとついた」


 ロビンは一歩遅れて室内へ入り、そのまま背を預けるようにして、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


 ――静かすぎる。


 戦闘の余韻が、まだ身体の奥に残っている。


 獣の咆哮も、雪を裂く攻撃音も、血の匂いも、まだ神経のどこかにへばりついている。

 壁から背を離すと、肩の雪を払い、ダウンを壁のフックへ掛ける。


 そのまま迷いなく。

 オーティスの方へ歩み寄った。


 廊下は静かで、居間から伸びた光源が床を滑り、二人の足先を分断する。


「……ねえ」


 呼びかけに、オーティスが振り返る。


「ん? どうした?」


「結晶。あとどれくらいあるの」


「まだ余裕あるぞ? 遠征だしな、たっぷり持ってきた」


「……なくなったら?」


 間を置かずに重ねる。


 その問いに、彼は一瞬だけ視線を落としたが、すぐに肩をすくめた。

 目がわずかに細められ、少しだけ周囲を気にするように視線を動かす。


「……ああ、その話か。その時は、まあ、別のやり方がある。安心しろ、あれはもう制御できてる」


 無意識に目が揺れ、その反応に彼は小さく笑う。


「あの件の後、長い検査も受けたしな。“多少であれば問題ない”って言われてる。お前が思ってるようなことにはならない」


 その笑みは、優しかった。


「違う」


 声が、わずかに強くなる。


「アタシが言いたいのは──」


「なんの話してんだ?」


 横から差し込まれた声に、空気が止まる。

 いつの間にか、二人の方を見ている。


「……なんでもない」


「話してる暇あったら、明日の準備でもしてろ。ただでさえ、お前のせいで遅れてるんだよ」


「…は? アタシがいつ遅れたって──」


 間を遮るように腕が振り下ろされる。


「今のほうがいい。結晶の数、戦闘にも関係があることを話してたんだ」


 沈黙。


 ダニエルも視線を落としたまま口を開かない。


 自分の言葉が正しいと、疑っていない顔だった。

 だがその奥に、何か引っかかるものがあるようにも見える。

 けれど、それを言葉にすることはない。


「時間の無駄」


 吐き捨てるように言い、リュックを片手で肩へ掛ける。


 そのまま踵を返し、ロビンは一室へと消えていった。

 閉じた扉の向こうに足音が吸い込まれたあとも、小屋の中には吹雪より冷たい沈黙だけが残っていた。





 時計の針は20時を回る。


 壁の向こうでは吹雪がなおも荒れ狂い、風の唸りが古い小屋全体を低く震わせている。

 時折、屋根の上を雪の塊が滑り落ちる鈍い音がして、そのたびに梁が小さく軋んだ。


 そんな夜の冷気を押し返すように、浴室の扉が開く。


 湯気をまとったオーティスが風呂から出てきた。

 濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、リュックを漁り、保存食と缶詰をいくつか取り出す。


 金属の缶がテーブルの上で軽く跳ね、乾いた音を立てた。


「お前、それで足りんのか?」


 ふと視線をやると、ソファにはダニエルがいた。


 片腕を額に乗せ、姿勢を崩したままでいる。

 風呂に入る気も起きないのか、まだ厚手のインナーのまま、疲れをそのまま体に貼りつけているようだった。


「足りると思うか? 昨日から腹が減って仕方ない。はやいとこ駐屯地に行って、第七小隊を連れて帰らないと俺の腹の方が持たない」


 そう返しながら、ソファを背もたれ代わりに床へ座り込む。

 膝を立て、個包装の袋を歯で噛み破ると、栄養バーを口にくわえたまま無造作に噛みちぎった。


 甘ったるい人工的な味が口に広がる。だが今は、胃に入るなら何でもよかった。


「……ニコラス先輩を見かけたって奴に会った。人違いかもしれないけどな」


 ふいに、低く掠れた声が落ちてきた。

 

 咀嚼する動きを止め、視線だけを上げる。


「いつ?」


「半年前に見たって。……お前は連絡とってないのかよ」


「……あれっきりだ」


 短く答え、残りを二口で飲み込む。


 手の中で小さく結んだ包装を、指先のスナップだけでゴミ箱へ放った。

 だが狙いはわずかに逸れ、包装は床にカサッと軽い音を立てて落ちる。


 拾う気にもなれず、そのまま次に缶詰の蓋を開けた。


 続けざまに缶詰の蓋を開け、フォークで魚の身をほぐし、ほとんど噛まずにかき込む。

 塩気の強い保存用の味が、空腹の胃には妙に沁みた。

 数分も経たずに食べ終え、空になった缶をテーブルへ置く。


 そのまま腕をソファの座面に預け、背中越しにダニエルの気配を感じた。


 沈黙を破るように、その声がまた背を叩く。


「……俺、ニコラス先輩に憧れてオーダーになったんだ。誰にも言ったことないけどな」


「あー…。先輩がどうだったかは知らないが、バレバレだったと思うぞ?」


 少しだけ肩を竦めて返すと、ソファの上で鼻で笑った。


「そんなわけあるか。ひた隠しにしてきたんだぞ。……はぁ、あの人はどこに行ったんだか」


 ニコラス先輩がどうなったのか。

 どこへ行ったのか。


 その真実を知る人間は、あまりに少ない。


 あの件は俺とカルロス長官、ロビンとジョシュ、ルイスさん。

 そしてカルロス長官が信頼する一部のキーパーだけ。


 居場所に至っては、その中でもさらに限られている。

 本当は、ダニエルにも話そうと思ったことがある。


 だがカルロス長官は首を横に振った。


 念には念を押す。

 情報が広がるのは避けたい――そう言われれば、従うしかなかった。


「……お前が羨ましかった」

「羨ましい? …俺に?」

「……そういうとこがムカつくんだよ」


 ダニエルは腕を額から外し、ようやくこちらへ目を向けた。

 その目には疲労と、少しばかりの苦味が滲んでいる。


「俺は漠然と、ニコラス先輩とバディを組めるもんだと思ってた。結局、1つしか違わないチャラ……アミル先輩と組まされて、最初の半年間は散々に終了だ」


「だからあの時、やたらと当たりが強かったのか?」


 わざとらしく視線を逸らして言うと、ダニエルは苦笑を零した。


「なるほどな。任命式の日、お前先輩ばっか見てたしな。あの時は何見てるんだ? って気づかなかったけど」


「……っあの時は浮かれてたんだよ。お前だって、人のこと言えないだろ」


 ほんの一瞬だけ、空気が緩む。


 訓練校からの同期としては、6年が経つ。

 ここまで本音に近い言葉を聞くのは、初めてかもしれない。


「なあ、ダニエル」


「なんだよ」


 少しだけ、慎重に声の調子を落とした。


「ロビンは、お前が思ってるようなやつじゃない」


 その一言で、空気がひりついた。

 小屋の中の温度が、また一段下がったように錯覚する。


「さっきのギュネオスとの戦闘。あいつは、俺のために時間を稼いでくれた。バディとして二ヶ月以上一緒にいたんだ。少なくとも、お前が思うような“好んで危害を与えるようなやつ”じゃない」


 ダニエルの口元が、冷たく歪む。


「はっ…! それはあの屑女がVoid出身だからじゃないのか? ミレリス市民なら同じ評価をしてたかよ? Voidの奴にしてはまともってだけだろ、お前が言ってんのは」


「……っ…」


 言葉が詰まる。

 その沈黙こそが、何より雄弁だった。


「ほらな、図星だろ。お前もジョシュもアミル先輩もみんなそうだ。俺やクイルみたいな反応が普通なんだよ。……なに平和ボケしてやがる」


 吹雪が壁を叩く音が、やけに大きく聞こえた。


 せっかく緩みかけていた空気が、また硬く凍りついていく。

 訓練生から同期として過ごし、6年。


 ようやく少しだけ開きかけたはずの扉は、音もなく再び閉ざされた。

 それどころか、今度は前よりもさらに厚い氷に覆われたようだった。





✧✧✧




 夜が明けても、空は晴れなかった。


 厚く張りついた鉛色の雲が空一面を覆い、朝だというのに雪原には薄闇が沈んでいる。

 雪は止んでいたが、そのぶん空気は不気味なほど静まり返っていた。


 昨日の吹雪が嘘のように風すら弱い。

 冷えだけが深く、肺の奥へ吸い込むたびに胸の内側を薄い刃で撫でられるようだった。


 昨日の戦闘の疲労は、体だけでなく心にも影を落としている。

 口数は少なく、歩調だけが静かに揃っていた。


 先頭はアミル。

 肩越しに時折後方を確認しながら、慎重に雪原を進んでいく。

 その少し後ろをダニエルとロビンが並び、最後尾にはオーティスがついて全体の動きを見ていた。


 やがて、白く広がる氷原の先に黒い裂け目が現れる。


 地上や上空に見える裂け目ではない。

 雪と氷に閉ざされた大地にぽっかりと開いた岩の亀裂。

 駐屯地へ続く最短ルートとして地図に記されていた天然洞窟だ。


 入口脇には古びた標識が一本だけ斜めに埋もれている。

 注意喚起のために立てられたものだろうが、雪と長年の風化に晒され、刻まれていた文字はほとんど消えていた。


「ここを抜ければ駐屯地まで早いって。予定通り行こうか」


 アミルの声に、短く頷く。


 洞窟へ一歩足を踏み入れた瞬間、外気とは違う冷たさが肌を撫でた。

 風の流れが止まり、代わりに岩肌から滲む湿気がじっとりと気配をまとわりつかせる。


 内部は思っていた以上に広い。

 天井は高く、上を見上げても闇に溶けて輪郭が掴めないほどだ。


 ロビンが指先を動かす。


 彼女のNovaに引かれるように、リュックへ引っ掛けていた携帯ランプがふわりと浮かび上がった。

 淡い光が先頭を照らし、濡れた岩肌に反射してぼんやりと揺れる。


 足音が洞窟の奥へ吸い込まれ、遅れて反響して返ってくる。

 まるで、自分たち以外の誰かが少し後ろを歩いているような錯覚を生んだ。


 誰も口にはしなかったが、4人の神経は昨日よりも鋭く張り詰めていた。


 昨日の“ギュネオスもどき”の存在が、彼らの中の“常識”を崩したのだ。

 次に何が出てくるか分からない。


 足音ひとつにも、天井から落ちる水滴にも、思わず身構えてしまう。


「アリシア長官、聞こえる? こちら洞窟ルートに侵入中、これより駐屯地へ到着予定ってとこ」


 通信機から短いノイズが走る。

 ややあって、女性の落ち着いた声が返ってきた。


『……周辺地形に大きな変動はない。第七小隊の最終反応地点は駐屯地内部だ。警戒を怠るな』


「内部…それなら、ゾーイ隊長の地脈感知が機能しないはずがないな」


 オーティスの独り言のような声が、洞窟の壁に鈍く返る。


 ゾーイのNovaは元素系地属性Ⅱ型――地脈感知。

 雪崩、氷床亀裂、地下空洞の異変を読む北区屈指の災害救助向きと言える。


 洞窟、地下施設、崩落兆候。

 本来なら、この地形で最も力を発揮するはずの人材だ。


 なのに、壊滅した。


「他のメンバーは? 全員災害救助向きってわけじゃないでしょ」


『その通りだ。クロエは身体操作系の腕力強化に長けている。瓦礫突破と搬送担当。レイヴンは氷壁形成を得意とし、ダーラは温熱維持。ケイコは視界補正、タリアが反響探査』


 救助に特化した、北区らしい編成。

 吹雪、崩落、地下捜索。

 この環境において、これ以上ないほど噛み合った小隊だ。


 オーティスが後方から低く息を吐く。


「視界補正と反響探査までいて全滅……か。普通の遭難じゃ説明つかないな」


「昨日の“群れ”」


 ぽつりとロビンが言った。


 三人の視線が彼女へ向く。


「昨日のやつ……まるで、狼みたいだった。あいつらは正面から来ない。暗い場所ならなおさら、通路の上下や死角から分断して一番弱った奴を先に潰す」


 淡々とした声だった。

 けれど、その言葉には確かな実感が滲んでいる。


 Voidで生きてきた彼女だからこそ知っている“獣の狩り方”か。

 ダニエルは一瞬だけ口を開きかけ、何も言わずに閉ざした。


 重い沈黙のまま、四人はさらに奥へ進む。


 洞窟の空気が少し変わった。


 冷たいだけではない。

 岩の奥から流れてくる風に、わずかな生臭さが混じる。


「……この匂い」


 獣臭――血と湿った毛皮を思わせる、嫌な匂い。


 アミルが片手を上げ、全員を制止した。


「出口だ。慎重に行こう」


 洞窟の先に、灰色の光が見え始めていた。

 四人は岩壁に身体を寄せ、足音を殺しながら狭い出口へと歩を進める。


 そして、最後の岩陰を抜けた瞬間。


 視界が一気に開けた。


 曇天の朝、その下にようやく駐屯地が姿を現す。


 だが――そこに広がっていたのは、あまりにも静かすぎる光景だった。


 鉄製のフェンスは半ば埋もれ、ゲートは半開き。

 積もった雪の上には足跡も車輪の跡もなく、ただ静寂が支配していた。


「……妙だな。ここまで静かなのは、いくらなんでもおかしい」


 人の気配はない。煙突からも煙は出ておらず、灯りも、声も、まったく感じられない。


 アミルは声を落とす。


「ジョシュ。目的の駐屯地に到着したよ。また何かわかったら連絡する」


 通信の向こうは雑音混じりだったが、わずかに返答が聞こえた。


『…了解。以後の行動は任意判断に一任するってことになってる。もちろん、こっちからもサポートを続けるけど、気をつけて──』


 通信が途切れる。


 アミルは短く息を吐くと、背後を振り返った。


「よし、行こう。……彼女たちを見つけるんだ」


 ただ四人は、目の前の駐屯地を見つめていた。


 風が吹き抜けた瞬間、さっき洞窟で感じた臭いが、駐屯地の中から濃く流れ出てくる。


 この沈黙の先に、何が待っているのか。

 まだ、誰も知らないまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ