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AionioS  作者: 無日
第六章:白の果てで、手を取る

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第48話:背中を預けるには

 朝の陽射しが高層ビルのガラスに反射し、地面に複雑な光の線を描いている。


 中央区淡砂街(あわいさまち)


 午前のパトロールは、本部前から南側の高架下を見回るルート。

 オーダー本部から少し離れた、都市の血管と言える昇降路通りを、俺たちは並んで歩いていた。


 このあたりは人通りが多くない代わりに、上を滑るスカイルートや配送ドローン、業者の行き来が多いエリアだ。


 見た目には静かだが、治安はやや不安定。


 業者同士の言い争いや、ドローンの追突事故、重なると大きく膨れ上がる可能性が大きく、惨事になりやすい。


 以前、精神干渉系Novactor(ノヴァクター)をきっかけに、市民同士が衝突を始めたという事件はここで起きたと聞いている。


 報告される犯罪Novactorも他のエリアより多く、オーダーたちが交代制で見回りに入り、警戒を強めている。

 だが、191期生のオーダーが戻ってきたお陰で、張り詰めていた空気は溶け、人数が戻ったことで負担も減り、街の空気もどこか晴れたように思えた。


 空気は乾いて、遠くで列車が滑らかに走っていく。


「お前、気に入られたみたいだな」


「…気に入る?」


「アミルさんに」


 彼の名前を出した途端、ロビンは立ち止まってじろりと睨みつけてきた。


「す、すまん…!! そんなに嫌だとは思ってなかった」


 両手を上げて降参のポーズ。


 からかったことを後悔しながら再び歩き出したが、気まづい沈黙に耐えられなくなった俺は、場の空気を断ち切ろうと話題を変えた。


「あーー…えっと。で、どうだったんだ? 暫くは単独行動だったんだろ」


「……大した事件もない上に、ろくな仕事も回ってこない…最悪だった」


「社会奉仕のわりに、報告書の内容は地味に多かったけどな」


「読んだってわけ?」


「そりゃあ、バディだからな? カルロス長官から回されたものには、さっき全部目を通しておいたぞ。園児に囲まれてる写真とか。いつもは市民も投げ飛ばしかけるのに珍しい 」


「投げ飛ばしたりはしてない」


 彼女は眉を寄せるものの、周囲を警戒しながら短く吐息をつくと、少しだけ顔を背けた。


「子供に罪はないでしょ」


 その声に、どこか柔らかさがにじむ。


 言葉の選び方は相変わらず不器用で、距離感も絶妙にぎこちない。

 短いやり取りの中に、小さな変化が積み重なっていた。


 交差点で信号が青に変わる。

 横断歩道を渡り、午前の陽の中に再び歩き出した。




✧✧✧




 食堂の窓際。


 一面のガラスから、午後の光が差し込んでいる。

 鉄のフレームに吊られた植物が風に揺れていた。


 パトロールから帰ってくるなり、俺は隣から呆れる声も聞かずに食堂へ向かい、トレーに昼飯を並べていく。


 テーブルに着くと、自然と俺とロビン、そしてジョシュの3人が、ランチトレーを囲み座るようになる。


「でさ、俺らオペレーターって基本、通報者の話を最初に聞くんだよ」


「“家の地下に謎の穴が空いた”とか、“犬が喋った!”とか、“天井からナイフが降ってきた”とか。最初は笑いそうになっても、全部マジメに受け取らなきゃいけない。それを誰に回すか判断して、現場に指示出して──」


「で、あとで“対応が遅い”って怒鳴られるんだろ?」


「そ、ほんっと板挟みだよ! オーダーも市民も、両方の機嫌取るとか無理難題だ…」


「ジョシュが対応してくれた時は、安心できるけどな」


 オーティスの素直な言葉に、ジョシュは苦笑しながら水を飲む。


「ありがと。お前そういうとこ、ズルいよなー」


 ロビンはスープを啜りながら、空を見上げていた。

 ぼんやり何かを考えている顔。


 いつもそうだ。


 自分の考えていることを彼女は滅多に口にしない。


〈オーティスくん、バディにとって何が一番大切かわかるかい?〉


〈バディは背中を預ける仲間であり、コミュニケーションはバディにとっての命綱。ってことで、今日は僕の行きつけのレストランに連れて行ってあげよう〉


 ニコラス先輩の言葉を思い出した。


「………飯…か。いや…好みも知らないしな……」


「なに、あんたまだ食べる気?」


 そのとき──


「なになに、なんの話してんの? 俺もここ座ってい?」


 眩しさそのものみたいな声が響いた。


 例の季節外れなトロピカルシャツをユニフォームの上から羽織ったまま、ランチトレー片手に現れると、当然のようにテーブルに身を寄せてくる。


「椅子はもうないから」


 ロビンが冷たく言うも、アミルは近くの席から椅子をガガガッと引きずってきて、彼女の隣に機嫌よく座る。


「これでいいよね! じゃ、いただきまーす!」


 引き攣り、青ざめる。


「…………食べる気失せた」


 彼女は音を立てて立ち上がると、トレーを持って無言で返却口へ向かった。


「え!? ちょ、まってまって! せっかく見つけ……あれ……? 動けないんだけど……?」


 アミルが身を起こそうとするも、まるで見えない鎖に縛られたように、体がびくともしない。


 視線すら向けられず、足はぴったりと地面にくっついたまま固まっている。


「ちょっと、先輩……」


「……っふ…」


 ジョシュが吹き出し、俺も釣られて息が漏れた。

 アミルさんは必死にもがくが、まるで何かの“重圧”に抑えつけられているようだった。


 ロビンの引力だろう。


「えー! なんか動けないんですけど!? なんでなんでー!」


 そのとき、後ろから誰かの声がした。


「アミル先輩、やめた方がいいですよ? あの女、Vorder(ヴォーダー)ですから」


 何気ないような声色だったが、その言葉が空気を変える。


「ヴォー……? なにそれ、中央区の流行り?」


「先輩たちは南区に居たから知らないかもしれませんけど、“オーダー育成プログラム”ってありましたよね? Void出身の屑どもを引き上げて鍛えるってやつ。今その卒業組、Vorderって呼ばれてるんですよ」


 ざわ、と軽いざわめき。

 空気に、ほんの少し棘が混じる。


 ダニエルの視線が、食堂から出ていくロビンの背中に向けられた。


「お前な……」


 トレーを置いたまま、立ち上がった。


「ロビンは“屑”じゃない。お前の後輩でもあるし、俺と組んでるバディだ」


 わざと威圧感を与えるように視線を落とす。


 食堂の空気が一瞬止まり、ざわめきが収まっていく。

 ダニエルが口を開きかけるも、それを止めたのはジョシュの柔らかな声。


「ダニエル、知らないならなにも言わない方がいい。偏見ってやつは眼を曇らせるよ」


 銀縁メガネを拭きあげ、レンズ越しにダニエルを覗き込む動作は以前のジョシュより、どこか芯があるように見えた。

 ロビンとの直接の会話は少ないだろうが、オペレーターとして、彼はマップ上から動きを見てきた。


 その上で、言葉を並べてくれている。


「………平和ボケしてっと、足元すくわれるぞ」


 苦い顔で席を外していく後ろ姿。

 残されたテーブルに、再び静けさが戻る。


「おーい、俺のこと、そろそろ解放してくれない?」




✧✧✧




 誰にも視線を向けず、廊下を歩いていた。


 足音だけがやけに大きく響く。


 規則的なはずのそれが、妙に不揃いに聞こえるのは、自分の呼吸が乱れているせいだと気づくのに少し時間がかかった。


 トレーを返却してから、そのままあの賑やかな作戦部へ戻る気にはなれなかった。

 背中に残っている視線も、耳の奥にこびりついた言葉も、全部が煩わしい。

 振り払うように歩調を早め、人気のない旧資料管理フロアへと足を向ける。


「Vorderか」


 ぽつりと呟いた声が、薄暗い廊下に吸い込まれていく。

 乾いた靴音が、無機質な床に反響していた。


 居場所を失った自分にとって“Void”は過去でしかない。


 その一言は、ただの呼び名のはずなのに、皮膚の内側に棘のように刺さって抜けない。

 忘れたはずのものを、勝手に掘り返してくる。


 靴底が床を擦るたびに、遠い記憶がじわじわと滲んでくる。

 濁った空気、湿った鉄の匂い、視界の端で蠢く影。


 資料室の扉を押して中へ入ると、外に出たのかと思わせるほど冷えた空気が肌を撫でた。


 室内は照明が落ちていて、ブラインドの隙間から差し込む午後の光だけが、斜めに細い線を引いている。

 空気は静まり返り、音を吸い込むように重い。


 Voidには恒星の陽は届かない。


 植物は育たず、空気も視界を濁し、喉を焼くほど汚れていて、寒さばかりが沈殿した地の底。


 この寒さはまるでVoidにいるように感じさせる。


「……っ」


 喉の奥が引き攣る。


 身体が勝手に覚えている。

 どれだけ地上で過ごしても、どれだけ時間が経っても、染みついたものは簡単には剥がれない。


 肩がわずかに跳ねた拍子に、棚の支柱に背中がぶつかる。

 どれだけこの寒さが故郷に似ていても、ここは地上だ。


 あそこはもう帰る場所じゃない。

 とっくの昔に無くしてしまった。


「夢を…、叶えるんだ」


 寒さに震える喉から、かすれるように声が漏れる。

 それは自分自身への言い聞かせであり、戒めのようでもあった。


 たとえ罵られても。

 石を投げられても。

 人間として扱われることがなくても。


 くたばるまで。


 暗い室内でそっと膝を抱えた。

 指先は寒さで凍りついてしまって、感覚が次第に遠くなっていく。


 ブラインドからこぼれ落ちた光の斜線が瞼の上をなぞり、夢と現実の境界をあやふやに滲ませた。


 ──視界の奥の影が滲む。



〈──探したぜ〉



 抱擁とは程遠い声。

 聞き間違えるはずがない。


 "少年"はポケットに手を突っ込んだまま、気だるげに首を傾げている。


 記憶の中と、何ひとつ変わらない姿。


 胸の奥が軋む。



〈──遊びに行く約束、だったよな〉



 少年が生傷だらけの手を伸ばす。

 あのときと同じ仕草。


 いつもの誘い文句。


 灼熱のように感じさせる、乾いた手のひら。

 その感覚が懐かしく責め立てる。


「……ちがう」


 ゆっくりと膝に力を込め、震えながらも身体を起こす。


 視線の高さが変わる。


 さっきまで見上げていたはずの“少年”を、今度は見下ろす形になる。


 喉が焼けるように痛む。


「あんたが……ここにいるはずないんだ」


 言葉は静かだった。


 けれど、その奥に滲むのは、拒絶だけじゃない。

 わずかな躊躇と、拭いきれない寂しさ。


 それでも。


 一歩、後ろへ下がる。


「もう……違うから」


 伸ばされた手は、触れることなく空を切る。


 輪郭が、揺らぐ。


 ガタッ


「ロビン? お前ここで何してるんだ?」


「……ッ…」


 瞳が、大きく見開かれた。

 夢が覚めて、目の前は崩れ、嘲笑うように影に消えていく。


 部屋のスイッチが押される。


 パッ、と光が走り、蛍光灯が数度明滅したあと、資料室を白く照らした。


 乾いた息遣いが資料室の中を埋めていく。


「おい…、どうした?」


「……っ…平気」


 よろけた身体が支柱に寄りかかり、頭上の箱がぐらりと傾く──。


「……っ…危ない!!!!」


 ガシャンッ


 乾いた音が室内に響いた。


「………」


 大きな体が覆い被さる。


 箱の中身は飛び出し、擦り切れた分厚いファイルや紙の束が床一面に散らばっている。


「っ…痛いな……誰がこんなギリギリのとこに置いたんだ…。中身が工具だったら、怪我してたぞ」


 彼はほっとした表情のまま、落ちた資料を丁寧に拾い上げる。


 なんで、こいつは。


「こんなの、アタシ一人でどうとでもなる」


「……意地っ張りにもほどがあるな。さっきのお前、完全に変だったぞ。守ったんじゃなくて、人として動いただけだ」


 拾い終えた資料を箱に戻すと、それをひょいと持ち上げて、棚の奥のほう──今度はきちんと安定した位置へと収めた。


「……ほら、サボりはもう十分だろ? 午後のパトロールに──」


 ドンッ


 鈍い衝撃音が、静まり返っていた資料室の空気を震わせた。


「……っ、なにすんだ」


 背中を押された勢いで、オーティスの肩がわずかによろめく。

 だが彼は踏みとどまり、振り返った先で荒い呼吸が白く滲むのを見た。


 冷えた室内に、吐息だけが妙に熱を帯びている。


「ヒーロー気取りはやめて」


 低く絞り出された声は、怒鳴るというより、喉の奥で無理やり押し潰した感情そのものだった。


「あいつらから庇うのも全部ッ……! バディだかなんだか知らないけど、アタシは一人でも──」


 言葉が途中で詰まる。


 一人でも。


 そう言い切るはずだった喉が、焼けるように痛んだ。


 暗い棚の隙間に、さっきまで見ていた幻の残滓がまだこびりついている気がした。


 あの伸ばされた手。


 あの懐かしい声。


 置いてきたはずの地下の湿った空気。


 全部を振り払うみたいに、拳を握りしめる。

 爪が掌に食い込み、じわりと熱を持った。


 張り詰めた沈黙が落ちる。


 蛍光灯の微かな唸り。

 ブラインドを叩く細かな雨音。

 遠くの空調が送る冷たい風。


 その全部が、次の言葉を待つみたいに止まっていた。


 オーティスのこめかみに青筋が浮かぶ。


 普段なら笑って流すような軽口も、今はどこにもなかった。

 金と群青の瞳が、真正面からロビンを捉えて離さない。


「それなら、もっと強くなってから言え」


「……っ」


 息が詰まる。


 言い返したいのに、言葉が出てこない。


 悔しさとも怒りとも違う、もっと別の感情が胸の内側で暴れていた。


「俺は“庇ってる”んじゃない」


 一歩、オーティスが近づく。

 その足音が無機質な床に重く響いた。


「ただ、あいつらの言い草に腹が立つから言い返してるだけだ」


 視線がぶつかる。


 逸らせなかった。


「俺はもう、腹を括った」


 その言葉に、ロビンの肩がわずかに揺れる。


「もしそれが気に食わないって言うなら、お前が自分で対処しろ。それができるなら、俺は黙る」


 資料室の冷気が、肺の奥まで刺さる。


 肩は震え、視線は揺れ、口元にはまだ言葉にならない感情が滲んでいた。


 静かに唇を噛みしめる。

 薄い皮膚に歯が沈み、じわりと鈍い痛みが広がった。


 俯いたまま拳を握る。

 その手は、さっきより少しだけ強く、確かな力を込めていた。


 オーティスはそれ以上なにも言わず、支柱から手を離して踵を返す。


 大きな足音が、資料室の奥に反響しながら遠ざかっていく。

 扉が閉まる音は、不思議なくらい静かだった。


 残された冷気の中で、しばらく動けなかった。

 雨粒がブラインドを細かく叩く。


 ぽつ、ぽつ、と規則的な音が、張り詰めた神経を少しずつほどいていく。


 やがて、喉の奥からかすれた声が零れた。


「……、…わかってる」


 窓を叩く雨音が少しだけ強くなる。

 湿り気を帯びた空気が、冷えきった頬をそっと撫でていった。


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