39.朝だよ。
「朝だよ。」
朝。
朝とは、一体なんだろう。
この問題については、じっくりと考える必要がありそうだ。
わたしは、重々しくかぶりを振った。
「ユーシャ。
朝だってば。
起きてよ。」
ううむ。
わたしは、苦悩した。
なぜだ。
なぜ、朝になったら起きなくてはならないのだ。
一体、いつ、誰が、そんなことを決めた?
みな、固定観念に縛られすぎているのではないか。
もっと頭をやわらかくして、ものごとを柔軟にとらえなおす必要がある。
そう、ちょうどこの、顔のまわりをふわふわとくすぐる何かのように。
重い腕をどうにか持ちあげ、わたしの眠りを妨げるふわふわを押しのけようとする。
しかし、ふわふわがふわふわすぎるせいで、ふわり、ふわりと腕から逃れ、なかなか顔から引き剥がすことができない。
「ううむ。」
うなり声をあげる。
小さなため息が、鼻の頭に吹きかけられた。
「まったく、もう。
どうしてこう、緊張感がないんだろうね。
しっかりしてよ。
僕だって、本当ならもっとゆっくり寝かせてあげたいんだけど。
いまは、時間がないんだ。」
時間。
「時間とは?
一体、なに?」
再び、ため息の音が聞こえた。
「興味深い問題だけどね。
今は、限られた時間を有効に使うことについて、考えてほしいな。」
ばし、ばし、と小さな手に鼻先を叩かれる。
「ちょ、いた。
痛い。
痛いったら。」
観念して、薄く片目を開けると、呆れも一周したのか、真顔の小リスと目が合った。
ふわふわの尻尾が、顔の後ろで揺れている。
「っていうか。
本当に、朝って、なに?
外、暗いじゃん。」
わずかに開いたカーテンの隙間から見える空は、まだ十分に暗い。
わたしにとっては、これは、朝ではない。
「暗く見えても、もう夜は明けてるんだよ。」
取りようによっては希望に満ちた台詞を喋った小リスは、べりっとわたしの掛け布団をひっぺがした。
「あっ、寒っ!」
「ほら、着替えるんだよ。
そのあいだに、あったかいお茶入れてあげるから。
早く。」
仕方がない。
のろのろと起き上がり、ベッドから降りる。
ふわりとベッドから飛び降りた小リスがバーカウンターにかけのぼるのを横目で見ながら、わたしは、大きなあくびをした。
見ると、ソファの上に、私の着ていた服が綺麗に畳まれて置いてある。
わたしはこんなにきれいに畳んだ覚えはないから、きっと小リスがやってくれたのだろう。
なんだか、お母さんみたいだ。
「ほら、ぼんやりしないで。
早く。
早く。」
コーヒーカップをセットしながら、小リスはわたしを急かす。
これもなんだか、お母さんみたいだ。
言われるがままに、つるつるしたシルクのパジャマのボタンをはずす。
「あ。
そういえば。」
「なに?
どうかした?」
ふりふりと、インスタントコーヒーの袋から粉を入れながら、小リスが聞き返した。
「あの蛾、きっと、カイコガだ。」
等身大の姿になっていたせいで、気づかなかった。
けれど、あのふわふわと白く、美しい姿には見覚えがある。
シルクの原料となる糸を吐く、蚕の成虫だ。
昔、教科書で見たことがある。
「……そっか。」
小リスは、短く頷いた。
ポットに飛び乗り、給湯ボタンをぎゅっと踏みつける。
じょぼぼぼ、と音を立てて、コーヒーのいい香りが広がった。
つるつると手からすべり落ちるシルクのパジャマを見ながら、わたしはなんだか心配になった。
前の世界では、確か、蚕の繭は、煮て柔らかくした後、糸をほどかれていた。
その時、当然だが、蚕の幼虫は死んでしまう。
この世界では、シルクはどうやって作られるのだろう。
あの蛾は、マイペースではあったけれど、そこまで邪悪な存在ではなさそうだった。
彼女たちの仲間が、熱湯で茹でられて糸をほどかれているところを想像すると、かなり気の毒な感じがする。
コットンのシャツに袖を通すと、なんだか少しほっとした。
うん。
もう、考えるのはやめよう。
着替え終わってソファに座ると、小リスがコーヒーを持ってきてくれた。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
シュガーポットのふたに腰掛けながら、小リスはどこから取り出したのか、硬そうな木の実をがりがりとかじった。
「僕らの仲間はね。
今もみんな、森に住んでいるんだ。
世界がおかしくなってから、森を出て、町で暮らす種族も増えたんだけどね。
なにしろ、森は危ないから。
町はマルセイの連中が本気で守っているからね、安全ではある。
奴らが権力を握っていることを除けば、そこまで悪い場所じゃない。
かもしれない。」
小リスは、苦々しげに顔をしかめた。
「というわけで。
当面の避難先は、森にしたらどうかと思うんだ。
せっかくだから、神殿跡も見ておくといい。」
「神殿跡?」
「昔森にあった神殿は、町に移動したんだ。
蝶たちは、蝶たちで、自分たちの新しい神殿を別に作ってる。
今は二つに分かれてるんだよ。」
「へえ。」
そうなのか。
いずれにせよ、今のわたしには、小リスたちに従うよりほかに選択肢はない。
今この時点でマルセイ陣営に鞍替えするのはリスクが高すぎる。
あまりにも、わたしはこの世界のことを知らなさすぎるのだから。
「わかったよ。」
今のわたしに必要なのは、いろんなことを、知ることなのだろう。
たぶん。
コーヒーを飲み終わる前に、皆がやってきた。
小リスとマダムとの短いやり取りの後、予定通り、皆森へと移動することが決まった。
次回は16日に更新予定です。
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