32.曲者
曲者。
つまり、怪しいやつのことだ。
時代劇で、よく武士や商人の屋敷に忍びこんでいる、あれだ。
ときどき、悪事を暴かれた代官などが、上様やご老公を曲者呼ばわりして亡き者にしようとすることもあるが。
曲者と言われて、わたしの頭に真っ先に思い浮かんだのは、あの、真っ白でふわふわした蛾の姿だった。
しかし、もしも彼女がその曲者だったとしたら、一体どちら側なのだろう。
ほんとうの、曲者か?
それとも、曲者よばわりされているだけなのか?
いや、そもそも、あのリアルな夢は、現実だったのだろうか?
わからない。
わたしは、ごしごしと目をこすった。
「そんなこと、急に言われても。
わたし、寝てたし。
熟睡してたんだよ。
だいいち、そんな怪しいやつに気づいたら、真っ先に叫ぶってば。」
小リスは、何度直しても遅れ続ける時計の中身を見るように、わたしの目を覗きこんだ。
「それは、どうだかね。
ともかく、そのくせものは、間違いなくここに来たはずなんだよ。
ここに、証拠もある。」
小リスは、小さな指先で、サイドテーブルの上をぬぐった。
「ほら。」
その指先には、白く輝く粉がついているようだった。
「——えっ?
小麦粉か何か?」
「——違うよ。
まだおなかがすいてるの?」
小リスは、ため息をついた。
「鱗粉だよ。
ただし、蝶のじゃない。
ここの蝶の鱗粉は、一度にこれほどたくさんは、落ちない。
これは、蛾の鱗粉だ。」
ふむ。
そういうものなのか。
知らなかった。
「蝶と蛾って、どう違うんだったっけ?」
たしか、生物学的には、蝶と蛾は同じ仲間で、その中のごく一部だけが蝶と呼ばれていた、はずだ。
それぞれ別の名前で呼ばれているけれど、はっきり区別できる特徴があるわけではないと聞いたことがある。
昼行性か、夜行性か。
とまっているときの羽が、開くか、立つか。
果ては、羽がきれいか汚いかなど、いろいろそれらしいものはあるが、どれも例外があって、一口には言えないらしい。
考えこむわたしに、小リスは、ぎょっとしたように目をむいた。
「そのセリフは、蝶のみんなの前では言わないでね。
おねがいだから。
大変なことになるから。」
「クワガタの旦那の前でもな。」
音もなく部屋に入ってきたのは、カタツムリだった。
当然のように、アルマジロもいる。
「おい、ほんとにたのむぜ。
俺、まだ、命、惜しいから。」
アルマジロなどは、すでに背中が丸まりかけている。
「レディの部屋に断りもなく入りこんで、悪ぃな。
でも、ちょいと緊急事態なんでな。」
カタツムリは、ちらりとサイドテーブルの上の時計を見た。
言われてみれば、花と蝶のあしらわれたクラシックな置き時計にも、粉雪のようにうっすらと、白い鱗粉がかかっているようだった。
時計の針は、きっかり二時をさしている。
午前か午後かは分からないが、たぶんこの眠さからすると、午前のほうだろう。
草木も眠る、丑三つ時だ。
できればわたしも眠らせてほしいのだが、どうやらそれは無理そうだった。
しかし、あれか。
やはり、彼らの言うくせものとは、わたしの思っている存在で間違いない、ということだろうか。
「でも、わからないんですよ。」
わたしは目をしばしばさせながら、カタツムリに訴えた。
わたしが蛾に会ったのは、森の中だったはずなのだ。
ここに鱗粉が落ちているのは、おかしい。
「だいたい、わたし、普通に寝てたはずなのに……、」
そうだ。
あのとき森で、マダムも言っていたではないか。
今も、客室のカメラで確認しているわ、と。
あの子は確かに眠っているわ、と。
わたしは、はっとあたりを見まわした。
あの森であったことがほんとうなら、この部屋のどこかに、カメラが仕込まれているはずなのだ。
「何を、探してるんだ?」
カタツムリが、ゆっくりと、こちらへ這い寄ってきた。
なぜだろう。
あんなに、信じていたのに。
助けてくれた、恩人のはずなのに。
背筋が、ぞわぞわする。
「……これ、かな?」
思わず身をこわばらせたわたしの頬の横を、カタツムリの長い触手が通り過ぎていった。
ひゅっ、と音がなる。
わたしののどを通り過ぎる、空気の音だ。
カタツムリの長い触手が、わたしに突きつけたのは、さっきの置き時計だった。
あしらわれた蝶と、目が合う。
黒く、きらきらした、ガラスの目だ。
「あっ。」
これか。
これが、カメラだったのだ。
「あんた、あの森にいたな?」
カタツムリの声は、確信に満ちている。
もう、わたしには、否定するだけの気力は残っていなかった。
こくりと頷くと、カタツムリの声色が、すこし緩んだ。
「そんな顔すんな。
別に、責めてるわけじゃないんだ。
あんたは、何も悪くない。
悪いのは、あんたを勇者に仕立て上げたマルセイの連中さ。」
「わたし、気がついたら森にいて。
みんな、わたしが寝静まった後に、こっそり集まってたみたいだったから。
なんだか、裏切られたみたいな気分になって。」
カタツムリは、目と目の間を触手でぽりぽりとかいた。
「まあ、そうだよな。
ごめんな。
実は、俺たちにも、それぞれ、事情があってな。
話すと、長いんだが。
あんたをはめようとか、そういうことは、断じてない。
俺のこの殻に誓うぜ。」
カタツムリの瞳は、真摯だった。
「マスターのことは、信じてます。
本当に。」
あの森でも、わたしのことを気遣うような発言をしてくれていたのは、カタツムリだけだった。
「そうか。
ありがとな。」
カタツムリは、置き時計をサイドテーブルに戻すと、にゅるにゅると近くのソファに乗った。
「しかし、まあ、気づかなかった俺たちも俺たちだ。
さすがは勇者だな。
あんた、一体どこにいたんだ?」
「木の上です。
葉っぱが茂ってて、それで見えなかったんだと思います。」
「ははあ。
なるほどな。」
カタツムリは、感心したようだった。
小リスは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
自分なら気づけたかもしれないのに、ということだろうか。
「しっかし、けっこう高い木ばっかりだったがな。
よく登れたもんだ。
怪我しなかったのか?」
「実は、その、木の上に乗せてくれたのが、たぶん、蛾だったんです。
真っ白で、ふわふわしてて。」
「あの森に、蛾がなあ。
蝶じゃなくて、か?」
「自信はないですけど、触覚の形からすると、蛾かなあ、って。」
「何ですって!?」
ばたんとけたたましい音を立てて、ドアが開いた。
そこにいたのは、蒼白な顔をした、マダムだった。
次回の更新は、25日の予定です。
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