30.そのようね。
「そのようね。
——まさか、本当にうまくいくとは思わなかったけれど。」
マダムのくるりと丸まった口吻からこぼれ落ちた呟きは、ふわりと柔らかな風に乗って、わたしの耳もとまでやってきた。
視界の端で、白い羽根がかすかに揺れるのが見える。
そうか。
風を使って彼らの声を拾っているのは、さっきのきれいな蛾だ。
どうしてわたしを助けてくれたのかは、よく分からない。
だが、ともかく助かった。
「もう、隠し事はないんだろうな?
正直これでも、まだ混乱してるんだぜ。
何も知らないまま、あんたたちの手伝いをさせられるのは気が進まないな。」
「おや。」
カタツムリの言葉に、意外そうに小首をかしげたのは、小リスだった。
「あなたは全部納得ずくで、協力してると思ってたんだけど。
おとうさんから、何も聞いていないの?」
「何も聞かないうちに、殺られちまったからな。
俺が聞いたのは、親父をやったのは政府の連中だった、ってことだけだ。
だから、あの磯臭い政府の連中に一泡吹かせるために、あれこれやってきた。
ただ、それだけだ。」
「なるほどね。」
小リスがうなずく。
「でも、僕は何も隠そうなんてしていないよ。
僕たちの共通の目的は、政府を打倒すること。そうでしょ?」
「ああ。そうだ。」
カタツムリが、頷いた。
アルマジロは、カタツムリの後ろで背中を丸めながら、ただ黙って佇んでいる。
ええと。
つまり、まとめると。
小リスほか、ここに集っている皆は、いわゆる、反政府組織の皆さん、ということでいいのだろうか。
一気にきな臭くなってきた。
「ほかにも、みんな、それぞれ望むことがあるのは知ってるよ。
でもそれは、それぞれのこと。
お互い、不利益をこうむらない限りは、口出し無用。
それで、いいんだったよね?」
小リスが、ちょうどわたしたちの隠れた木の下で立ち止まった。
どきりとしたが、蛾が、うろたえるなというように、わたしを捕まえる腕に力をこめた。
息が苦しい。
こくこくと、音を立てないようにうなずく。
幸い、誰かがこちらを見上げてくることはなかった。
小リスは、ぐるりと皆を見回して、自分の言葉に反対する者がいないことを確かめた。
「今、僕たちがすべきなのは、勇者をかくすこと。
できれば、次の勇者選びが成功してること自体、知られなければなおいい。
その上で、勇者には、浄化をすすめてもらう。
なるべく、やつらの目が届かない場所で。」
「おいおい。
ちょっと待て。
隠すって、どれくらいだ?」
カタツムリが、ぷにょんと片方の触手を持ち上げ、話を遮った。
「今のホテルにも、限度があるぞ。
宿泊名簿は、マルセイに提出してるんだろ?」
マダムが頷く。
「ええ、毎週末に。
でも、そう頻繁にではないけれど、臨時で警邏部から問い合わせがあることもあるの。
逃走中の犯罪者の捜査のため、とか言ってね。」
「たとえば、正直に答えなければいいんじゃない?」
小リスの言葉に、クワガタムシが気色ばむ。
マダムがひらりと片手を振って、それを抑えた。
「虚偽の報告がばれたらどうなるか、分かって言ってんのか。」
クワガタムシの代わりに、口を開いたのは、カタツムリだった。
「殺されるんだろうね。
たぶん。
今まで、みんながそうされてきたみたいに。
別にあなたたちだけじゃないんだよ、命をかけてるのは。」
鼻の頭に皺を寄せながら、小リスは冷淡に言い放った。
不穏な沈黙が、あたりに満ちる。
正直、わたしはもうついていけていなかった。
本当に、わけがわからない。
誰を信じればいいのかすら、だんだんわからなくなってきた。
どんどん剣呑になる空気の中、ぱん、とマダムが手を叩いた。
「いいでしょう。
一度は、虚偽申告することにするわ。
でも、二度目は少し、間を置いてからにしたいわね。
無駄かもしれないけど、もしばれたとしても、単純な手違いでって言い逃れできるようにしたいのよ。」
カタツムリがうなずいた。
「あんたたち、向こう側のほうも、できることは協力してくれよ。
俺たちは奴らの目と鼻の先で、我が身を危険に晒してるんだから。」
「それは、お互い様だね。
僕たちだって、取り憑かれる危険にさらされながら生活してるんだから。」
しばらく、カタツムリと小リスは無言で見つめ合った。
しかし、やがてカタツムリのほうが、諦めたようにかぶりを振った。
「ともかく、週末まではホテルで、ってことでいいのか?
それから先は、もう一度話し合いだな。」
「うん。いいよ。」
小リスも、マダムも、頷いた。
そこで、ふと、クワガタムシが触覚を震わせた。
「お待ちください。
——何か、気配がします。」
ぎち、ぎち、とクワを鳴らしながら、クワガタムシがゆっくりとあたりを見回した。
えっ。
まさか、ばれたのだろうか。
今度こそクワに挟まれて、死ぬまで放してもらえなくなるのか?
再び背中を冷たい汗が伝った時だった。
がさり、と、近くの茂みで音がした。
目にも止まらぬ速さでクワガタムシが身をひるがえし、その手で首の根を抑え込んだのは——。
小さな、うさぎだった。
二本足で立ち、言葉を話すうさぎではない。
わたしがかつて暮らしていた世界にいたような、ごく普通の小さな野うさぎだった。
「まったく、人騒がせな。
——迷い込んできたのですか。
お行きなさい。」
いつになく優しい手つきで、クワガタムシが手を放す。
かちこちに硬直していた野うさぎは、はっと我にかえると、一目散に茂みの中へと逃げ去っていった。
「失礼いたしました。」
再びマダムの背後に控えたクワガタムシに、小リスはかぶりを振った。
「今日は、このへんにしておこう。
誰の気持ちも変わっていないことがわかったから、大丈夫だよ。
勇者の隠し場所については、また日を改めて話しあおうか。
みんな、今日はありがとう。
ゆっくり休んでね。」
そして、小リスたちは、再び元きた方角へと、歩き去って行ったのだった。
次回の更新は、16日の予定です。
ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます!




