29.マダムがわたしに用意してくれたのは、
マダムがわたしに用意してくれたのは、ダブルベッドのある広い客室だった。
333号室に比べて、内装はやや落ち着いた雰囲気だ。
色合いも、やわらかなアイボリーを基調に整えられていて、ゆっくり休めそうだ。
「それじゃ、俺たちは隣にいるから。
なんかあったら、いつでも入ってきていいからな。」
カタツムリとアルマジロは、隣のツインの部屋に泊まることになった。
部屋と部屋の間には、両側から鍵のかかるドアもあり、コネクティングルームとしても使えるようになっていた。
カタツムリとアルマジロは、彼らの側の鍵をあけておくと言ってくれた。
「ありがとうございます。
でも、あの、本当にいいんですか?
やっぱり、マスターが一人部屋にしません?」
親切なカタツムリを、その卵を産みたいなどと公言している存在と同じ部屋に押し込めるのは、例えツインの部屋だとしても気が引けた。
カタツムリの防御力と戦闘力が並外れているのは、ついさっき目の当たりにしたばかりだ。
だが、たぶん、そういう問題ではないと思うのだ。
何というか、うまく言えないけど。
カタツムリは、呆れたように両目をにゅるにゅると横に振った。
「あのな。
今は、細かいことは、全部忘れな!
あんた、また突然変異種みたいな色合いになってきてるぜ。
人間らしい色に戻るまで、とにかく、寝な。」
確かに、言われてみれば、心なしか頭がふらふらする。
「ほら、行った行った。」
カタツムリは、ぷにゅぷにゅと触手でわたしの背中を押して部屋に入れると、扉のそばのクロゼットから、パジャマを出して渡してくれた。
つるつるした、アイボリーのパジャマだ。
これは、もしかしてシルクだろうか。
シルクのパジャマなんて生まれてこのかた着たことなんてないが、とにかくつるつるして、しっとりしている。
「さ、着替えて、寝な。」
もう一度、ベッドに向かって背中を押された。
ふらふらと、言われるがままにベッドまでたどりつくと、背後で静かにドアの閉まる音がした。
振り返ると、もう誰もいない。
ひどく、静かだ。
こつ、こつ、と、時計の針が時を刻む音だけが、妙に大きく響いている。
部屋全体が、ゆらゆら揺れているようだ。
だが、そんなはずはない。
たぶん揺れているのは、わたしの方なのだろう。
ふらふらしながら、服を脱いだ。
つるつるしたパジャマを着て、ベッドにもぐりこむ。
サイドテーブルの灯りを消す暇もなかった。
わたしは、するすると眠りの中にすべり落ちていった。
◇◇◇
あたたかな暗闇の中に、ふわふわとわたしは包まれていた。
ところが、何の拍子にだろうか。
突然、どしん、という衝撃とともに、わたしはしたたかにしりもちをついた。
「いったぁ!」
確かに、痛い。
だが、声をあげたのは、わたしではなかった。
「ちょっと、アンタ!
飛ぶなら、ちゃんと前見て飛んでよね。
一体どこ所属なの?
苦情入れてやるんだから!」
目をあけると、きらきらした大きな瞳が、至近距離でこちらを見つめていた。
まるで真夜中の湖のように、深く、黒い瞳だ。
全身を覆う、きらめくふわふわした白い毛が、いっそうその黒さを際立たせている。
すごく、きれいだ。
一体これは、なんの生き物なのだろう。
ぼんやりしたままのわたしに、その生き物は、さらに苛立ちをつのらせたようだった。
「アンタ、ほんとなんなの?
信じられない。
そんなざまで、どうやってここまで生き延びてきたわけ?」
苛立たしげに地団駄を踏むと、きらきらした白い鱗粉が、ふわふわとあたりを舞った。
鱗粉?
あとずさり、改めて、その生き物の全身を観察する。
わたしの視界全体を覆うような、大きな白い羽根。
頭から伸びた、うさぎの耳のようにふわりとした触覚。
蝶——に似ているが、蝶ではない。
これは、蛾だ。
きれいな蛾は、はっと何かに気がついたように、羽根を震わせた。
「もう、いいわ!
こうしてるだけ、時間の無駄ね。
あんたみたいなポンコツ、どうせすぐ見つかるか、死ぬかするに決まってるんだから!」
早口に捨て台詞を残し、きれいな蛾は、青く澄んだ空へと飛び去っていった。
比喩でなく、ぽかんと口をあけながら、わたしはそれを見送った。
一体、何だったのだろう。
というか、そもそも、ここはどこだろうか。
あたりを見回すが、どこにでもありそうな、没個性的な森の景色だ。
どこかで見たような気がしなくもないが、気のせいな気もしなくもない。
どうも、頭がうまくはたらいていないようだ。
だが、不意に聞こえてきた、ぱきりという音に、わたしは我にかえった。
何かが、地面に落ちた木の枝を踏んだような音だ。
耳をすますと、かすかに話し声のようなものも聞こえてくる。
わたしは、慌ててもう一度あたりを見回した。
生い繁る背の高い木々のほかには、隠れられそうな場所はない。
だが、その木の幹は、わたしが身を隠すには少し細すぎた。
冷たい汗が、背中をつたい落ちた時だった。
「しゃべったら、今度こそただじゃおかないから。」
低い囁き声とともに、誰かがわたしの襟首を引っ掴んだ。
そして次の瞬間、わたしの体は宙に浮き、生い繁る木の葉の中へと隠されていたのだった。
「それで、ユーシャは、本当にもう寝たの?」
聞き覚えのある声に、思わずわたしは口を押さえた。
「間違いないわ。
今も、客室のカメラで、確認している。
あの子は、たしかに、眠っている。」
マダムの声だ。
「相当、疲れてたみたいだからな。
気の毒に。」
この声は、カタツムリだ。
生い繁る木の葉の隙間から、こっそりと様子をうかがう。
森の中の細い小径を、連れ立って歩いてくるのは、今ホテルに滞在している、わたし以外のメンバーだった。
言葉は発していないが、アルマジロと、クワガタムシもいる。
急に、不安が湧きあがってきた。
こんなふうに、わたしを除け者にして、一体何を話すというのだろうか。
小リスが、口を開いた。
「まず、確認しよう。
みんな、覚悟は変わっていない?
おりるなら、早めに申し出てほしい。
かわりを探すには、時間がかかるから。」
沈黙が流れた。
どうやら皆、何も言わずに頷くなどしたらしい。
よし、という小リスの声が聞こえた。
「僕の見立てでは、今のところ、すべてうまくいっている。
マルセイの選んだ勇者の奪取は、成功した。」
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
次回の更新は、10日の予定です。
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