17. 一体何のことだか、わたしには、よく……
「一体何のことだか、わたしには、よく……、」
気を抜くと閉じそうになる目蓋を懸命に押し上げながら、わたしはマダムと呼ばれる蝶に答えた。
「あら。あらあら、そんなこと言わないで。話してくれたっていいじゃない。わたくし、壁の向こうのことに、ものすごく興味があるのよ。」
なんだか全てを知っているような言い方で、マダムは細い首を傾げる。
美しい蝶だが、よく見ると、その羽や体には、無数の小さな傷がついている。さまざまな色で彩られた鮮やかな羽の端は、わずかだが、破れてしまっているところもあった。
目の前のきらきらした複眼には、目も口も半開きになったわたしの間抜けな顔が、いくつも映りこんでいる。
正直わたしとしても、こんなものをお見せしたくはないし自分でも見たくはないのだが、なぜだろう、どうしても自分を取り繕うことができない。
部屋の中央には、豪華なガラスのシャンデリアが垂れ下がっている。
その周りにも、まるでダイヤモンド・ダストのように、無数の光の粒がまばゆく光っている。
それらを背に微笑むマダムは、まるで女神のようだった。もう少し派手さが控えめだったなら、観音菩薩と言われても信じられたかもしれない。
「ねえ、お願い。可愛いニンゲンちゃん。」
マダムの長く渦を巻いた口吻が、伸びたり縮んだりする。なぜだろう、なんだか妙にいけない気分になってくる。
例えるなら、お向かいのお姉さんの着替えを、たまたま開いていた窓から垣間見てしまったときのような感じだろうか。
「い、いけません……、」
息も絶え絶えに、いやいやと首を横に振る。
気がつくと、わたしはソファの背からずるずるとずり落ち、ほとんどあおむけの状態になっていた。マダムは、わたしの頭のそばに腰かけ、上からにっこりと覗きこんでいる。
お互いに、手を伸ばせばすぐに触れられる距離だ。
やばい。
なんだかよくわからないけれど、本当にやばい。
わたしの生物としての本能のようなものが、頭の中で赤く警鐘を鳴らしている。
どうしよう。一体、どうすればいい?
首を動かそうとしたが、体が痺れたようにうまく動かせない。懸命に目だけを動かし、あたりの様子をうかがう。
カタツムリは、少し離れたドアの前に立って、困ったようにこちらを見つめている。
その隣では、クワガタムシが、苦虫を噛みつぶしたような顔で、射殺すような目をこちらに向けていた。
なぜだ。
わたしはむしろ、捕食されようとしている側だと思うのだが。
いや、あれか。クワガタムシも捕食されたいのだろうか?
憧れの近所のお姉さんに優しくされて、みたいな。
口に出したら、今度こそクワで挟まれそうなので、言わないけど。
——あれ、でも、おかしい。一匹足りない。
「アル、マジロ……、」
そうだ、アルマジロはどこに行った?
そう思った瞬間、首が動いた。
広くなった視界で見回すと、なんと、アルマジロは、体をボールのように丸くして、カタツムリの影に隠れているではないか。
こ、このアルマジロめ、一人で安全な場所に避難して……!
半ば八つ当たり気味に、そう思った時だった。
ふ、とわたしの体を覆っていた、甘ったるく重たい何かが薄らいだ。
わたしは、弾かれたように跳ね起きると、転がるようにしてアルマジロのもとへ突進した。
「ちょっと! ずるいでしょ、自分だけ!」
丸まったアルマジロの継ぎ目——しっぽのあたり——に指をかけ、無理やり体を伸ばしてやろうとする。しかしさすがはアルマジロ、そう簡単にはいかない。
苛立ったわたしは、本能のままに叫んだ。
「おへそ出してよ! 指つっこむから!」
「何言ってんだお前!? ダメに決まってんだろうがぁ!」
アルマジロが、くぐもった声で叫び返す。
「なんだか変なんだもん! ここ、やばいんだもん! だから
あなたのおへそが必要なの!」
「だから何言ってんだお前!?」
わからない。
だがわたしは必死だった。
「助けて! 自分が自分じゃなくなっちゃう!」
どうして自分がそんなふうに叫んでいるのか、自分でもよくわからなかった。
クワガタムシが、唖然とした顔でこちらを見ている。
マダムは胸の前で両手を握り合わせ、顔を輝かせている。
カタツムリが、困ったような顔で目と目の間を触手で押さえるのが、最後に見えた。
「だから、言ったでしょう。本物だって。」
そしてわたしは、333号室の中へ出現した壁に、激しくぶち当たった。
次回の更新は、9日の予定です。
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