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16.りん、とエレベーターのベルが鳴った。




 りん、とエレベーターのベルが鳴った。

 3階に着いたのだ。

 赤い絨毯の敷かれた廊下の角を、いくつも曲がる。ところどころに、色鮮やかな大きな花や、明るい風景画が飾られている。

 どれも華やかだが、決してけばけばしくはない。全てがほどよく調和している。

 なるほど、カタツムリが賞賛するだけのことはある、素敵なホテルだった。


 333号室のドアの前には、黒い蝶ネクタイを首に巻いた、巨大なクワガタムシが立っていた。

 全身が、黒光りする見事な装甲に覆われており、いかにも強そうだ。

 わたしたちの姿を認めると、クワガタムシはゆっくりと頭を下げた。反射的に会釈を返したが、わたしが頭をあげても、クワガタムシは姿勢を変えない。

 遅ればせながら気づく。


 あ、これ、お辞儀じゃない。

 めちゃめちゃ警戒されているだけだ。

 

 つやつやと輝く大きな一対のクワは、いつでもわたしを挟みこめるように突き出され、その付け根で光る目は、ぴたりとターゲット——つまりわたしだ——の上で静止している。

 この目の感じ、知っている。ちょっぴりサイコな殺し屋の目つきだ。前に映画で見た。


「よお、クワガタの旦那。」


「お久しぶりですね。今日は、随分と()()()なお連れ様がいらっしゃるようだ。」


 カタツムリは、クワガタムシとは旧知の間柄らしかった。それなりに気安く声を掛け合っているようだが、内容は緊張をはらんでいる。


「心配しなくても、こいつはそこまで危険なやつじゃねえよ。」


「どうだか。どうやってあなたをそれほど簡単に信用させたのか、私は余計に不安になりますよ。」


 えーと、よく分からないけれど、とにかくめちゃくちゃ疑われているようだ。

 どうしてだろう。人間だからだろうか?


 助けを求めてアルマジロを見たが、アルマジロは、普段の賑やかさが嘘のように、わたしの後ろで黙りこくっている。

 アルマジロが静かだと、なんだか落ち着かない。

 わたしは、一歩下がってアルマジロの脇腹をつついた。

 ぐっ、とアルマジロの喉が鳴るが、驚くべきことに、アルマジロは口をかたく閉じたまま、無言を貫いている。あられもない喘ぎ声を期待していたのに、一体どうしてしまったというのだろうか。


「ねえ、ねえってば。」


 小声でささやく。アルマジロは、横目でわたしを見ると、きりっとした目つきで首を横に振った。

 その目は饒舌に何かを語っているようだが、残念ながら、わたしたちはそこまでツーカーの仲ではない。ちゃんと言葉で語ってもらわなくては困る。


「なんでしゃべらないの? どこか調子でも悪いの?」


 小声で訊ねると、アルマジロは信じられないようなものを見る目つきでわたしを見た。


「お前、この状況でよく喋れるよな。人間って、恐怖感じないの?

 クワガタのクワって、体重の50倍の力出るんだぜ。あと、この旦那はさ、挟んだ相手が死ぬまで離さないってんで、この界隈じゃ超有名なんだ。」


「へえ。すごいんだね。」


 やけにクワガタの生態に詳しい。小学生男子みたいだ。

 感心していると、アルマジロがため息をついた。


「もじゃもじゃのときも思ったけどさ。お前、マジで緊張感ないよな。なんだかお前見てると、気が抜けるぜ。」


「奇遇だね。実はわたしもずっと、同じこと思ってたよ。」


「んだとぉ?」


 アルマジロが気色ばむと、カタツムリがわたしたちの頭を、ぷにゅ、ぷにゅ、と小突いた。


「お前ら、そのへんにしときな。

 で、だ。旦那。そろそろマダムに取次をお願いしたいんだがな。」


「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。次はあなただけでお越しください。」


「理由は?」


「それが私の職務だからです。マダムの安全をおびやかすものを、マダムに近づけるわけには参りません。」


 クワガタムシは、依然として臨戦体制を崩さなかった。

 よほどマダムが大事なのだろう。敵視されるのは不本意ではあるが、その毅然とした態度には、わたしとしても感じるものがあった。


「あの、わたしだけ外で待ってましょうか?」


 提案してみたが、カタツムリはすぐに却下した。


「だめだ。あんたを一人にしておくと、トラブルが起きる可能性がある。」


 なるほど。確かに、否定できない。


 頷くと、ふわりと、甘く濃密な香りが漂ってきた。頭がくらくらする。くすくすと、可愛らしい笑い声が耳をくすぐった。

 それまで微動だにしなかったクワガタムシが、目に見えて動揺する。


「マダム。久しぶりだな。」


「そうね、会いたかったわ、ハンサムなマイマイちゃん。」


 細くしなやかな褐色の腕が、後ろからわたしの首にからみつく。


「それにあなたにもよ、可愛いニンゲンちゃん。いろいろお話聞きたいわ。」


 柔らかな風が、頬を撫でる。一気に濃度の上がった甘い香りに、頭の中心が痺れた。


「ほどほどにしといてくれよ。みんなが俺みたいに耐性あるわけじゃないんだから。」


 カタツムリの声が、遠くに感じる。


「あら、ごめんなさいね。——ねえ、ドアを開けてくれる?」


 マダムと呼ばれた蝶がお願いすると、クワガタムシが目にも止まらぬ早さでドアを開けた。


「ありがとう。」


 蝶の声は、鈴を鳴らしたように可憐で、すきとおっている。その微笑みは、固く凍りついた永久凍土さえとろけそうなほど、甘く、愛らしい。

 ぼんやりしているうちに、わたしは蝶につれられて部屋に入り、ふわふわとしたきらびやかなソファに座らせられた。


「さあ、早く聞かせて。」


 蝶は、わくわくしたように言った。


「あなたが今代の勇者なんでしょう。一体どうやって、神の庭の動物たちの穢れを祓ったの? それに、わたくしは連れて行ってくれないの?」


 えっ?

 色々と、えっ?





次回の更新は、5日の予定です。

ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます!

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