15.で、でっかいですね。
「で、でっかいですね。」
「そうだな。でかいな。」
「見慣れちまってたけど、あらためて見ると、確かにでかいなぁ。」
わたしは、何度か話には聞いていた、マルセイ——生活なんたらかんたら調整ホニャララ会議——の、事務局の前に立っていた。
正確には、事務局の入っている建物というだけで、他の機関もいろいろ入っているそうなのだが、それにしても立派な建物だった。
ここは辺境の街だとカタツムリから聞いていたし、実際、全体の雰囲気としてはそうなのだが、マルセイ事務局の入っている建物だけは違った。
全面がガラス張りで、壁や柱、床は大理石だ。高さこそそれほど高くはないものの、周囲の建物からは頭抜けているし、何よりとにかく、面積が広い。そして、どこもかしこもぴかぴかに磨かれ、輝いている。
まるで、砂漠のど真ん中に、唐突に近代高層建築物が現れたかのような違和感だった。この違和感は、わたしが勇者だというのと同じくらい凄まじい。
「ま、これで分かるだろ。勇者用の宿舎なら、たぶん、かなりいいとこ用意してくれると思うぜ。」
「勇者じゃなくて、卵らしいですけどね。」
それにしても、この建物を見ていると、なんとも薄ら寒くなるような恐怖を感じた。
これだけの建物を運営するのに、一体どれだけの労力が費やされているのだろう。
ピラミッドなどもそうだが、およそ人の目を驚かすような建築物を造れるのは、大量の人間を酷使できるだけの巨大な権力だと相場が決まっている。そんな権力とうまく関わっていくことができる自信は、わたしにはなかった。
わたし自身に、本当に、その権力をねじ伏せるような実力があるならいい。
しかし、レッサーパンダの一件から察するに、わたしができるのはただ一つ、洗うことだけである。通販の洗剤とさほど変わらない。なんなら、職業をクリーニング屋とか清掃業とかに書き換えてほしいくらいだ。
わたしができることといえば、この無駄にきらきらぴかぴかした建物を、ときどき洗ってあげることくらいだろう。
うん、やっぱり、清掃業者である。
ビルの窓拭きとかは、一度やってみたかった気もするのでいいけど、これ全部は嫌だ。何枚ガラスがあるのか数えるのすらイヤになるレベルである。
「えーと、やっぱりなんか怖いんで、わたしはいいです。なんか、何されるのかわからなさそうだし。」
カタツムリが、にゅん、とその目をねじってわたしを振り返った。にっこりとその目が弧を描く。
「よし、わかった。それなら次だな。俺の知り合いのホテルは、このすぐ近くなんだ。行ってみようぜ。」
◇◇◇
カタツムリの知り合いのホテルは、本当に近くにあった。
ガラス張りの巨大な建物の裏、大きな通りを挟んだ向かい側の、こぢんまりしたレンガ作りの建物が、そのホテルだった。
一階はカフェレストランになっているようで、カフェの入り口のドアは大きく開放されていた。
テラス席もあるようだったが、もう日が暮れているからか、赤いパラソルは畳まれ、テーブルもわきに片付けられている。
外に立てられたイーゼルっぽい看板には、コーヒーやケーキのような絵が描かれていた。すごく、おいしそうだ。
物欲しそうな顔をしていたせいだろうか。開け放されたままの広いドアから、一際鮮やかな青い羽のちょうちょが、ふわりと舞い出てきた。
「いらっしゃいませ。お食事ですか? 今でしたら、トマトとほうれん草の冷たいスープがおすすめですよ。」
背が高く、すらりとしたちょうちょだった。彼——いや、彼女だろうか——は、きらきらとその複眼をきらめかせながら、上品な微笑みを浮かべた。ちょうちょがふわりと美しい青の羽をはためかせると、何やらいい香りのする風が漂ってくる。
これは、すごい。
つい、言われるがままになんでも注文してしまいそうだ。
しかしカタツムリは、動じることなく微笑みを返した。
「ありがとな。でも今日はやめとくよ。マダムはいるかい?」
「おや、マダムのお客でしたか。」
ちょうちょは、全身からふりまいていたきらきらの雰囲気を、ふいに引っこめた。
「先ほどはいらっしゃいましたが、今は、どうでしょうか。どうぞご自身でお確かめを。」
ちょうちょは、優雅な手つきで店の奥を指し示した。
カタツムリは、ちょっと触手をあげると、にゅるにゅると奥へと進んでいく。
「きれいなちょうちょでしたね。」
こそっと囁くと、カタツムリは笑った。
「そうだな、まあ確かにな。でも蝶ってやつは、大体あんな感じだからな。」
アルマジロも頷く。
「なんか、ふわ〜っといい気持ちになっちまうんだよな。あれは、スゲーよなぁ。
でもお前、気をつけろよ。奴らの羽に触ったら、終わりだぜ。」
カタツムリは、レストランを抜け、奥のフロント・デスクへと真っ直ぐに進んでいった。
フロントにいたのも、やはり白い羽が美しいちょうちょだった。顔のまわりに生えた毛がふわふわと優雅だ。
「ようこそ、いらっしゃいませ。」
複眼を煌めかせながら微笑む蝶に、カタツムリは何やら名刺のようなものを差し出した。
一瞥して、蝶はふわりと奥の方へと飛び去り、またすぐ戻ってくる。
「しばらくこちらでお待ちください。」
慇懃な微笑みとともに、蝶は小さな鍵を差し出した。333と刻印されたタグがついている。
「ありがとな。」
そしてわたしたちは、クラシックなオープンタイプのエレベーターに乗り、3階の、一番奥の部屋へとたどり着いた。
次回の更新は、11月2日の予定です。
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