084 【絶対零度の殺戮者】吹雪を統べる白き花、魔神が導きし復讐の果てに結ぶ血の契約
■死の沈黙を纏う雪の巫女
北の凍った都市――かつては賑わいを見せていたであろう街並みは、今や音のない墓標と化していた。降り積もる雪は純白のカーテンではなく、全てを覆い隠すための死装束だ。
そんなホワイトアウトの嵐の中から、現れた影。長い黒髪が吹雪に舞い、白装束に身を包んだ女性が、地面に足をつけることなく滑るように浮遊している。彼女の周囲だけ、空間そのものが凍りついているかのような錯覚。
俺たちの前に立ち塞がったその姿は、かつて日本で語られた伝説の怪異「雪女」を彷彿とさせた。
異世界から召喚された風の大精霊であり、今は俺の契約下にある魔神、バズ(パズズ)が、俺を庇うように一歩前へと歩み出た。彼の巨躯が吹雪を切り裂く。
「都市ヲ襲ウノハ止メタ。魔族ノ軛ヲ断チ切ッテ、我ハ、コノモノ達ト契約シタ。精霊ノ泉ヲ出ル。雪ヨ、オ主モ自由ダ」
バズの言葉には、かつて同じ鎖に繋がれていた者への憐れみと、戦友としての敬意が混じっていた。しかし、白装束の女性――ユキは、冷ややかにその細い唇を歪めた。
「もう遅いのでありんすえ。こちの都市は、とうに滅亡しんした」
その言葉は、凍てつく風よりも冷たかった。
ユキは花魁言葉を使いながらも、その瞳には凍てついた硝子のような死の色が宿っている。
「わちきは、こちの都市をベースに召喚された魔族に復讐いたしんす。あやつらの血を凍らせ、魂を氷塊へ変えるまで、わちきの怒りは決して消えんのでありんす」
「復讐スレバ良イ。オ前ノ自由ダ」
バズはそれだけを言うと、表情を消した。
二柱の精霊の間に流れる、重苦しい沈黙。俺はこの一触即発の空気の中に、割り込む必要を感じた。
「なあ、バズ。……彼女も、俺たちと同じように魔族に人生を狂わされたってことか?」
俺はバズとライヤを背後に引き連れ、ユキの正面へと躍り出た。
ユキは俺を射抜くような視線で凝視する。その目は、獲物を探す捕食者のそれだ。
「ぬしは、どなたでありんす?……魔力も何も感じん、ただの人間に見えんすが」
しまった。自己紹介がまだだった。
俺は苦笑し、バズの横に堂々と並ぶ。
「失礼。自己紹介が遅れたな。俺はショータ。バズとライヤを契約下に置いているエルフ、エリの……まあ、主みたいなもんだ」
俺の後ろで、エリが小さく「うむ、その通りじゃ」と誇らしげに頷いている。
「そうでありんすか……。わちきはユキでありんすえ。ふふ、魔力もない人間に、大精霊が付き従うとは。……冗談でありんしょう?」
ユキの嘲弄するような微笑み。彼女にとって、魔力を持たない俺は、踏みつぶすべき蟻にも劣る存在らしい。だが、バズはその態度を見ても怒るどころか、ニヤリと不敵に笑った。
「ハハハ、甘ク見テルト痛イ目ニ遭ウゾ。我ガエルフト契約シタノハ、ショータ様ニ負ケタカラダ」
「……それがまことなら興味深い事でありんすが、世迷い言でありんしょう?」
「フハハ、試シテ見レバ良カロウ。ショータ様、ガツントヤッテ下サイ!」
バズの自信満々で煽るような物言いに、俺は思わず額に手を当てる。戦うのは俺だぞ、バズ。……まあいい。どうやらこいつは力で教えないと、話を聞く耳すら持たないようだ。
ユキはその俺の態度を見て、獲物を見つけた狩人のように不敵に笑った。
「もし、わちきが負けたら、精霊契約してもいいでありんすえ」
ああ、バズの狙いはこれか。最初からユキを仲間に引き入れるために、俺を挑発材料に使ったわけだ。全く、食えない魔神だよ。
「そこまで言われたら、しょうがないねぇ」
俺は一歩、雪を踏みしめて前に出る。ユキの表情が、侮蔑から驚愕へ、そして鋭い警戒へと変化する。彼女は身構え、全身から絶対零度の冷気を溢れさせた。
周囲の空気が凍りつき、氷の粒子が舞い上がる。
「いつ来ても、良いでありんすえ」
ユキの喉の奥から漏れるような吐息。彼女の魔力感知能力は極めて高いはずだ。俺の動きを、その精緻な魔力の網で捉えようとしている。
――だが、俺には「魔力」がない。
俺は気を全身に循環させ、雪原の冷気と一体化させるように気配を完全に消失させた。
刹那。
氷の風が吹き荒れる中、俺の足が雪を蹴った。
魔力による瞬間移動ではない。純粋な身体能力と、気の操作による爆発的な加速。
ユキの視界から、俺が消える。
「なっ……!?」
彼女の瞳が揺れた。精霊としての高い感知能力を持つ彼女にとって、「魔力のない存在」を捉えることは最も困難な作業だったのだ。彼女が俺の気配を探そうと視線を巡らせた瞬間、俺はすでに彼女の死角、真背後に到達していた。
――無防備だ。
俺は容赦なく、彼女の背に掌を触れさせる。
そして、発動。
「『生命力吸収』」
「あ――っ」
彼女の魔力とは異なる、根源的な命の力が俺の中に流れ込んでくる。これまで味わったことのない、強大で純粋なエネルギー。
その瞬間、ユキの表情から余裕が消え失せ、激しい苦悶に歪んだ。絶対零度の吹雪を操っていた魔力が、まるで制御を失ったかのように霧散していく。
「あ、あああ……っ!」
ユキは膝から崩れ落ち、両手を雪原についた。彼女を包んでいた氷の鎧が砕け散る。
力の源を直接蝕まれる恐怖。彼女にとって、それは魔術的な攻撃よりも遥かに恐ろしい体験だったはずだ。
「ショータ様、ソコマデニシテ下サイ。殺してはなりませぬ」
バズの冷静な声で、俺は魔力の供給を止めた。雪原に倒れ伏したユキは、肩で息を喘いでいる。
「はぁ……はぁ……、あちき……、あちきの力が……」
今の彼女は、かつての威厳を失い、ただの冷たい雪に震える少女のように儚い。俺は彼女の左手を掴み、気を流し込む。冷え切った生命力に、俺の気を循環させ、強制的に活力を与える。生命が戻るにつれ、彼女の青白かった頬が、少しずつ朱色に染まっていく。
数秒後、ユキはゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳には、先ほどまでの冷酷な殺意はなく、代わりに言いようのない「畏怖」と「憧憬」が混ざったような熱が宿っていた。
「……あちきは、ぬしさまの従魔になりんす」
静寂が訪れる。
俺は思わず耳を疑った。
「従魔? 精霊契約じゃないのか?」
ユキは伏し目がちに、恥じらうように答える。
「そちらのドラゴンはぬしさまの従魔でありんしょう。強き者の背中を追い、その隷下に入ることこそ、わちきが真に求めていた……、いえ、強者の側で、わちきも強くなりたいのでありんすえ」
俺はエリを見た。彼女は呆れたように肩をすくめながらも、否定はしなかった。
「妾の契約精霊でも、主様の従魔契約でも、どちらにせよ戦力増強になるのは間違いあるまい。……しかし、純粋な精霊というよりは、異界から召喚されたことで存在が魔物と精霊の中間で曖昧になっておるようじゃな。主様、試してみる価値はあるぞ」
「そうだな……。お前の意志がそうなら、やってみるか」
俺はユキの額に指を当て、契約の紋章を刻む。魔力ではない、俺の魂の深淵にある「気」の繋がり。それが彼女の全身を駆け巡った瞬間、彼女の背後に氷の紋章が浮かび上がり、俺の身体の中に彼女の力が溶け込んでいくのを感じた。
「――契約成立だ」
雪原に、静かな風が吹く。
雪女、ユキ。
かつて復讐に囚われ、凍りついていた魂は、今、俺という「主」を得て、新たな居場所を見つけたのだ。
「……あちき、これからは、ぬしさまの影となり、盾となりんす。何があっても、離しはしんせんよ」
ユキの瞳は、雪の中に咲く一輪の華のように、妖しく、そして情熱的に輝いていた。北の吹雪はまだ止まない。だが、俺たちの旅路に、絶対零度の冷気はもう邪魔をしないだろう。
新たな仲間を加え、俺たちは次の目的地――妖精国の西、炎の狐が待つ場所へと歩みを進めることになった。
復讐の鬼は、今や俺たちの最強の盾となったのだ。
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