031 猫王国の深淵に触れる覚悟――ニャルマル商会との密約と、スラムに潜む真実の楔
■黄金の檻で見る夢
猫王国の王都でも一際目立つ、白亜の塔のような超高級ホテル。その最上階にあるスイートルームで、俺は窓の外を流れる王都の夜景を眺めていた。
この宿泊先を手配したのは『ニャルマル商会』だ。王族が宿泊するようなこの部屋を、商会は俺たちパーティに「無料」で提供している。
「これ、本当に夢じゃないんだよな。……ショータ、このベッド、フッカフカじゃぞ!」
エルフのエリが、大きなダブルベッドにダイブしている。いつもの冷静な彼女からは想像できないほど、表情が緩んでいる。
俺たちのパーティは、俺とエリ、ハーピーのハルカ、そして無口で頼りになる獣人のペロの四人。かつてこの商会の奴隷部門から俺が引き取ったエリとハルカ、そして自由の身であるペロ。俺たちは今、商会の厚意という名の「先行投資」の下で、このホテルに滞在している。
シャルさんは俺が「転生者」であることを看破した。彼女ほどの切れ者だ、単なる善意で動くはずがない。俺という異端の価値を測り、未来を買い取ろうとしているのだ。だが、踊らされているとしても、今の俺たちにはこの贅沢を享受するだけの資格と、それ以上の覚悟がある。
「ふぁ~、お腹空いたなぁ……。冷蔵庫にある最高級のフルーツ、食べてもいい?」
ハルカが翼をパタつかせながら、ルームサービスで運ばれてきたばかりの果物を手掴みで口に運ぶ。
俺は苦笑しつつ、ペロに視線を送った。ペロは窓辺で外を警戒している。彼は、英雄と呼ばれた『闇猫』の娘だ。父の死の真相を知り、その無念を晴らすために戦いの中に身を置いている。この贅沢な環境でも、彼女だけは一度たりとも気を抜こうとしない。
「……ハルカ、食ってばかりいないで、明日の準備をしておけ。明日もまた、ニャルマル商会に行くんだ」
俺の言葉に、ペロが小さく、しかし力強く頷く。昨日に続いての訪問だ。俺たちの関係は、もはや単なる客と商人を越えつつある。
■シャム猫の瞳が見抜くもの
翌日、俺たちは再びニャルマル商会の重厚な応接室に通されていた。
昨日の今日だが、シャルさんは嫌な顔一つせず、俺たちを優雅に迎え入れてくれた。
重厚な扉が音もなく開き、その主が現れた。
艶やかな毛並みと、深く澄んだブルーの瞳を持つシャム猫の獣人。ニャルマル商会の主、シャルさんだ。
「いらっしゃいにゃ。ショータ様、昨日に続いての訪問、歓迎しますにゃ」
彼女の瞳は奥底で鋭い光を宿している。商売人としての嗅覚と、猫王国の裏側まで見通すような知性が同居する瞳だ。俺が何者であるかを知り、その可能性に賭けている彼女の視線は、昨日よりも少しだけ深みを増していた。
「……あら、エリちゃんにハルカちゃん、そしてペロちゃんも。皆さん、我が商会から旅立って随分経ちますが、見違えるほど立派な面構えになりましたにゃ。ショータ様、大切にしてくださっているようで何よりですにゃ」
シャルさんは俺たちの関係を値踏みするように見渡した後、ペロへ視線を止めた。かつて商談の席で見ただけの少女が、今や父である英雄の意志を継ぎ、俺の隣で剣を握っている。その瞳にはどこか商売人らしからぬ、重厚な感情が滲んだ。
俺は覚悟を決めた。ここで隠し立てをして後手に回るよりも、すべてをぶつける方が得策だ。彼女が俺を「転生者」として評価しているのなら、協力関係はより強固なものになるはずだ。
「シャルさん、相談したい事があります。……すべてを話します」
俺は喉に詰まった言葉を吐き出した。
英雄『闇猫』の娘であるペロのこと。王国が己の英雄をも排除し、己の村を壊滅させるという非道な隠蔽工作を行っていること。そして、俺たちが背負おうとしている過酷な運命のすべてを。
語り終えたとき、室内の温度が少し下がったように感じた。シャルさんは表情を変えず、ただじっと俺を見つめている。もし、商会に不利益が生じると判断すれば、ここで切り捨てられるだろう。
「……にゃるほど。とんでもない火種を抱えてきたものですにゃ」
沈黙を破ったのは、低く、しかし冷徹に響くシャルさんの声だった。
彼女は机の上のティーカップを指先でなぞりながら、ふっと笑みを浮かべた。
「情報屋、紹介しますにゃ。……いいえ、寧ろこの件、私が知りたい情報ですにゃ。商会でお金を出して、徹底的に調べて貰いますにゃ。……それに、ショータ様が絡む話であれば、我が商会も損はしませんからね」
「え……! いいんですか?」
俺の驚きの声に、彼女は真剣な眼差しを返した。
「英雄の末裔が、何故殺されなければならなかったのか。また王国が……自らの同胞である村を壊滅させるなんて、到底信じられにゃい。この真偽によって、我が商会も王国との付き合い方を考えざるを得ないのですにゃ。……これは、商売以前の問題。そして、ショータ様の『可能性』を見届けるための投資ですにゃ」
その言葉には、ただの損得勘定を超えた、確固たる矜持と、転生者である俺に対する期待が宿っていた。かつてエリやハルカを「商品」として扱っていた彼女の中に、今は商人としての「誇り」と、王国に対する不信感が強く光っているように見えた。
「なる程、宜しくお願いします、シャルさん。だが、忘れないでください。この道は、ただの調査では終わらない。最悪の場合、『光猫』、『土猫』、『風猫』、『水猫』、『炎猫』……。王国最強の五人と敵対する覚悟が必要です」
「そうなるでしょうにゃ」
シャルさんは椅子に背を預け、少し考えている。その表情は、これから起こる嵐を予感させるように険しい。
「ショータ様。私と貴方たちの関係は、このまま変わらず継続させていただきますにゃ。……その上で、お願いがありますにゃ」
「なんでしょう?」
「行動を起こす前に、必ず一声かけてくださいにゃ。私たち商会も、色々準備したいにゃ。情報を流すタイミングや、防衛策の準備に時間がかかりますにゃ」
「分かりました。できるだけ善処します。但し、想定外の事態で敵から襲われた時等、こちら側からアクションできない場合もありますので、その際はご容赦ください」
「それは当然ですにゃ。死んでしまっては元も子もないですからね。……念の為、通信の魔道具をお渡ししますにゃ」
シャルさんが懐から取り出したのは、繊細な銀細工が施された腕輪型の魔道具だった。俺は痛いほど自覚している。俺は『魔抜け』だ。魔力がないから、こんな便利なものも使えない。
「……悪いですね、俺にはこれを使える魔力がないんだ」
俺が苦笑して告げると、彼女は妖艶に微笑み、俺の隣にいたエリに視線を向けた。
「エリ様がいらっしゃいますにゃ。彼女にお渡ししておけば問題ありませんにゃ」
エリはゆっくりと頷くと、シャルさんから差し出された腕輪を恭しく受け取った。
「承知したのじゃ。この道具、大切に預かるのじゃ。万が一の時は、これを使って必ず連絡するのじゃぞ」
「ボクも、お腹が減ったらすぐ呼ぶから……って、今は緊急事態だね。了解、何かあればしっかり連絡するよ!」
ハルカが真剣な顔で頷く。ペロもまた、俺の決意を後押しするように強く拳を握りしめた。その姿に、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。俺一人の力では何もできないかもしれない。だが、俺には信頼できる仲間がいる。そして、かつては奴隷として売買された相手さえも、今や協力者として味方につけることができたのだ。
「さあ、行きましょうかにゃ」
応接室の重い空気を切り裂くように、シャルさんが立ち上がった。
◇◇
その後、俺たちはスラム街にある情報屋の元へと向かった。
高級な香水の香りが消え去り、路地裏の湿った土と、腐敗した生ゴミの匂いが充満する場所へ。シャルさんは『闇猫』の件の調査だけでなく、追加で『闇猫』が知ったと言う「王国の秘密」についても調査を依頼してくれた。
父の死に隠された王国の秘密。
それを暴いたとき、俺たちの運命は大きく動く。
俺たちは、猫王国の底知れぬ深淵へと、確かな覚悟と共に一歩を踏み出した。
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