012 『黒猫の影と、気功の狩人』~気配を消す者同士の邂逅。森の魔境で育まれる、気紛れな友情。~
脚に『気』を流し込み、森の静寂を縫うように駆ける。
腰に固定したウエストバッグ――かつて雑貨屋の親父から奪ったアイテムバッグ――は、走っても揺れず、衣擦れの音すら立てない。この装備は俺の暗殺術的な狩りにおいて、もはや体の一部となっていた。
気配検知のレーダーに反応がある。
ターゲットはアルミラージ。巨大な一角兎だ。
黄色い体毛に覆われた体長1mの巨躯。額から突き出た黒い螺旋の角は、成人男性の胴体すら貫通する凶器だ。俊敏で、その跳躍力はまさに弾丸。並の冒険者なら一瞬で食い殺される魔物だ。
だが、今の俺には死角はない。
俺は呼吸を同調させ、全身から放たれる生命エネルギーを完全に遮断した。
(静かに、影のように)
アルミラージは、獲物を探して耳をピクリと動かしている。
俺はその背後、風さえ揺らさない足取りで接近した。
右手に『気』を集中させ、手刀を硬度限界まで練り上げる。
「……終わりだ」
空気を切る音すらさせない一閃。
アルミラージは悲鳴を上げる暇もなく、その首を胴体から切り離され、力なく地面に崩れ落ちた。
「ふぅ。これで今夜の食い扶持は確保したな」
狩りと野宿の生活も3日目。俺の気の操作は、もはや呼吸するレベルで熟練していた。
……その時だった。
「――魔法を使わずに、見事な狩りをするにゃ。」
頭上の木の上から、鈴を転がすような声が降り注いだ。
俺の反射神経が限界まで跳ね上がる。腰の砥石で研いだナイフを抜き放ち、気配のあった方向へ指弾を構えた。
そこには、黒い毛並みの二足歩行する猫――ケット・シーが座っていた。
「戦うつもりはにゃい。アタシはケット・シーのペロだにゃ。」
ペロと名乗った黒猫は、両手を広げて敵意のないことを示した。
だが、油断はできない。俺の気配検知には、今この瞬間までペロの存在が全く映っていなかったのだから。
「俺はショータ。……ペロ、何故ここに来た?」
「アルミラージを狙ってたにゃ。でも、狩る寸前に急にショータが現れて、アタシも驚くにゃ。」
ペロの瞳は宝石のように輝いている。獲物を横取りしたわけではないと分かり、俺はわずかに警戒を解いた。
だが、やはり気になる。
「……ペロ。お前、どうやって俺に気付かれずに近づいた?」
「凄いにゃろ? アタシの得意魔法、闇魔法『影潜り(シャドウダイブ)』にゃ。」
ペロは得意げに笑うと、足元の影にスーッと沈み込んだ。
視界から完全に消える。気配検知にも引っかからない。
次の瞬間、俺の足元の影から、ポンとペロが飛び出してきた。
「こうやって影を渡るにゃ。気配なんて消し放題だにゃ。」
「……なるほど。魔法か。便利だな」
「にゃはは! それで、ショータのその『気』を消す技はなんなのにゃ? 教えてにゃ~。」
「……秘密だ。不用心に手の内を明かすほど、この森は甘くないからな」
「う~、ずるいにゃ~!」
ペロはジト目で俺を睨んだ。だが、その瞳には悪意よりも、深い好奇心が宿っている。
不意に、ペロの小さなお腹がグゥと鳴った。
張り詰めていた空気が、一気に緩和される。俺は笑みをこぼした。
「……腹が減ってるのか。アルミラージ、解体するから一緒に食うか?」
「いいのかにゃ!?」
その日から、俺たちの奇妙な共同生活が始まった。
ペロは気紛れだ。影に隠れて姿を消す日もあれば、こうして森のどこからともなく現れる日もある。
「昨日は見つけられなかったにゃ。ショータ、気配を消しすぎて気配がなさすぎにゃ!」
困り顔でそう言うペロに、俺はつい苦笑いする。
一人で生きる森の夜は、寂しくないと言えば嘘になる。
ペロと獲物を分け合い、他愛もない会話を交わす時間だけは、この殺伐とした日々における唯一の安らぎだった。
「さあ、次の獲物を探すぞ。……ついて来いよ、ペロ」
「任せるにゃ!」
俺たちは影と『気』を武器に、森の奥深くへと歩みを進める。
迷宮都市は近い。俺とこの相棒がいれば、どんな試練も乗り越えられる。そんな予感がしていた。




