第八十九話 鎮魂祭、其の一
いつもより人で溢れる往来。
朝から良く晴れて、気温はこれからじわじわ上がっていきそうだ。
鎮魂祭、一日目。
都民達はとっくに浮き足立っていて、あちこちで今か今かと開始を待ち侘びている。
合図は鐘。
それが七回鳴れば鎮魂祭が始まる。
一日目はナオイエの一族が神器の剣を陽に晒して神社に奉る。
二日目の朝はキクナガの一族が清めた水を決められた場所に撒く。
そして締めくくりは、八回の鐘のあとカグラザカ家の弓を空に十二回放つこと。
それで鎮魂祭は終わる。
今日は一日目。
帰ってきた魂と、いまだ彷徨っている魂を、盛大に、それでいて厳かに送り届ける日だ。
一ヶ月前からこの日を楽しみにして都に留まっていた潤平は、今、とんでもない忙しさの渦中にいた。
御三家であるルリの屋敷は、この二日間だけはとんでもなく忙しくなるらしい。
今年も例に漏れず、屋敷の中を人が忙しなく出入りしていた。
都民がこの二日で飲めや歌えの大騒ぎをしている間、御三家の面々にそんな余裕はない。
準備、補給、配膳、化粧、着付け、警備、打ち合わせ、移動、奉納、役目。
この二日間で一気にこなさなきゃいけないのだ。おまけに二日が終わっても将軍への挨拶が控えていて、ゆっくり出来るのはまだ先の話。
では何故御三家でもない潤平がこの渦中にいるのかと言えば、話は単純だ。
潤平が神器の大弓であの桜色の灰を降らせたから。
あの奇跡を目にした者達は、潤平以上に大弓を扱える者はいないと考え、鎮魂祭の締めくくりを託すことにした。
言い出したのはタマヨとルリ、ルリの学友でもある同じ御三家のカリン、それとカントウさんだ。
「父に代わってやって来てくれないか」
そう頼まれ、鎮魂祭の中身をまるで知らない潤平は、二つ返事で引き受けてしまった。
きっと楽しい祭りで、美味しいものが沢山食べれるんだろうな~。
そんな呑気な予想だけを胸に、タマヨとルリの思惑など知る由もなく、潤平は大事な締めくくり役をホイホイと受けてしまったのだった。
「………………疲れた、………………お腹減った」
屋敷の部屋の中、潤平は手足を投げ出して天井を死んだ目で見詰めていた。
着付け、化粧、打ち合わせ、入念な準備、移動の話、警備の話――もう一日目の午後だというのに、休まず何も食べずに動き通しだった潤平は、全部投げ出したい気持ちで自室にぐでっと転がっていた。
あと数時間もすれば、一日目の締めくくりが始まる。大事な儀式だから、御三家とそれに連なる者はもちろん、貴族の一部や一般客の一部までもが参加する。
潤平も出なきゃいけないとタマヨに言われている。今すぐにでも支度に取り掛かるべきなのに、体と心がまるで動かない。
「………………まだワドウやラショウと戦っていた方が、やる気があった気がする」
ポツリと呟いた言葉は、潤平以外の誰の耳にも届かず、そのまま虚空に溶けて消えた。
こんな時に限って、一緒に馬鹿騒ぎしてくれるはずのピー男爵が来ない。
ミオリさんも姿を見せない。
ルリとフミには会うが、真面目な話しかしないから正直飽きた。
スミレとヨリは朝から別件で忙しく、まだ会えていない。
つまり今日だけは、潤平の話し相手が誰もいないのだ。
だらけていると、廊下から二人分の足音が近付いてくる。
現れたのはフミを連れたルリだった。
二人とも最低限の化粧と着替えを済ませていて、どこへ出しても恥ずかしくない格好をしている。
薄化粧のルリは普段より魅力が倍増して見えて、潤平の目にはただただ眩しかった。
「潤平さん、後数時間もすれば儀式が始まります。準備をしましょう」
「……着替えを手伝います」
「…………もう疲れました、…………お腹も減りました」
空腹で弱っているのか、それとも潤平の中で距離が縮まりつつあるのか、潤平は弱音をルリの前で吐いた。
初めてそんな事を言われたので、ルリとフミは目を丸くして驚きつつ、潤平のそんな様子に微笑んでしまう。
「フミが軽食を持ってきてます。今はそれで食べて頑張れませんか?」
「…………でも、疲れました…………」
「……小さい頃のルリ様もこんな風にいじけている時がありましたよね」
尚もぐだっている潤平を見て、フミの頭の中に幼少の頃のルリが思い出され、思わず口に出してしまう。
「……それはもういいのです、忘れなさい……」
「……すみません」
フミの話を聞いて、潤平は小さいときのルリと比べられるのはちょっと嫌だなと考え、ムクリと体を起こすが、どうにもやる気が湧いてこない。
「…………」
そんな潤平を見て、ルリは少し体をモジモジさせると潤平の目の前に膝をつく。
そのまま口元を耳元へ寄せた。
花と、化粧と、ほんの少しの体温。髪先が頬をかすめて、潤平の心臓が跳ねる。
「……………………」
「えっ!」
ポショポショと囁かれた言葉は、少し離れて控えるフミの耳にも届かない。
潤平だけが驚いた声を上げ、ルリは顔を紅くして元の位置に戻った。
「……頑張れますか?」
「はいっ! 頑張りますっ! めっちゃ頑張りますっ!」
ルリがどの様な事を潤平に呟いたのか、離れていたフミには聞こえなかったが、潤平のこの変わり様を見ると、何か重大な事を言ったのではないかと思った。
ルリの顔は後ろからなので良くは見えないが、耳が紅く染まっているので、とんでもない事を言ったのではないかと勘繰ってしまう。
「……それではすぐに食べて着替えて下さい」
「はいっ!」
まあ潤平がやる気になったのならそれで良いか、フミはそう思いあまり深く考えないようにした。
この後フミの手も借りて、潤平は着替えて軽く化粧をすると、儀式のために神社へとルリと一緒に移動するのだった。
その際スミレの馬車に乗り、ここで今日初めてスミレとヨリと会うことになった。
神社に着いた潤平はルリの後ろを歩いて行くと、ユウタロウとタマヨの団体に合流する。
ユウタロウとタマヨも正装になっており、特にタマヨはいつもの服装と違って清楚な和服に着替えており、それが潤平の目に新鮮に映り、思わず目を奪われた。
…………いかんっ。
タマヨさんは俺を嵌めた人だぞっ、そう簡単に心を許すなっ。
……………………でも、タマヨさんってやっぱり美人だよな~。
ルリさんのお姉さんだから当たり前だけど、ルリさんも年を重ねたらあんなに綺麗になるのかな。
化粧のおかげで、いつもは頬にある傷跡も隠れており、美人な顔が良く映えていた。
…………ん?
その時タマヨの周りにいる人物が目に入り、潤平はそちらに意識を向ける。
潤平と目が合ったその人達は、てへっといった動きをすると、タマヨの後ろに隠れてしまう。
潤平はそんなタマヨの元に行き、後ろに隠れた二人を捕まえる。
「……ちょっと今までどこにいたのさ」
「……にゃ~、見つかっちゃったのにゃ」
「……まあここに集まるのは分かってたからね、こうなるとは思ってたよ」
申し訳なさそうにするピー男爵とミオリは、潤平に捕まった事で逃げ場がないと悟ったのか素直に出て来る。
「ごめんね潤平君、私がこの二人を連れて行ったの。あまり責めないであげて」
「…………そうですか」
そこにすかさずタマヨのフォローが入り、潤平は引き下がるしかなかった。
「……ごめんにゃー」
「……ごめんね潤平君」
「……まあいいですけど」
潤平がどこか腑に落ちない様子でいると、タマヨは涼しい顔で隣に並び、肘で小突きながら声を落とした。
囁くというより、悪戯っぽくニヤけた顔を近づけての内緒話だ。
「でも潤平君は頑張ったら良いことが待ってるんだもんね。こんな事気にしてる場合じゃないよね」
「はっ……、何でそれを……」
「私がルリに言っといたの。流石に可哀想だから何かご褒美がないと駄目よねって。それに貴方は大事な人だから」
「…………えっ」
「……もしあれだったら、………………………………でも良いよ?」
潤平はさっきのルリの言葉を思い出してしまい、体が熱くなるのを感じた。
その上タマヨの言葉。
「頑張りますっ! ピー男爵とミオリさんなんかどうでもいいですっ!」
「呼び方変わってないよ?」
「ニャンさんとミオリちゃんは忘れますっ!」
「今日と明日頑張ってね」
「はいっ!!!」
何故急に潤平がやる気を漲らせたのかが分からず、ピー男爵とミオリや他の人も不思議な顔をする。
ただルリは何でそうなったのか理由を知っているので、顔を紅くして俯いていたし、タマヨも化粧の下が薄らと紅く染まっていた。
そして潤平は無駄なやる気を漲らせていた。
一日目の儀式はつつがなく進んだ。
大勢の前で剣が陽に晒され、神社に奉られる。潤平はそれをカグラザカ家に連なる者として、ただ静かに見守っていた。
剣が仕舞われ、皆が祈りを捧げて一日目は終わる。
パチパチパチ、静かな拍手とともに一般客が神社を後にする。
都民には食べて飲む楽しい夜が待っているが、御三家にその余裕はない。
神主の祈祷を黙って聞く時間がまだ残っている。
すべてが終わる頃には夜も更けていた。
潤平達の帰宅は遅くなり、夕食を皆で囲んだあとは早々に休むはずが、眠れずに日課の魔法の訓練をしてから、ようやく眠りに就いた。
翌朝、フミに起こされた潤平は早くに目を覚ました。廊下に出れば今日も雲一つない晴天で、気温はさらに上がりそうだ。
朝食を早々に済ませ、決められた衣装に着替えると、ユウタロウとタマヨの馬車に乗り込む。
今日はルリとは別行動。
ユウタロウの代役として儀式に臨む役目のため、この二人と行動を共にすることになっていた。
神社に行き、一度神器の大弓を奉納するとユウタロウがそれを受け取る。
潤平はまだ完全な一族の者ではないので、端の方で目立たないように過ごす。
それが終わるとすぐに杯の儀式が始まり、皆でそれを見届ける。
杯に入った清水を決められた場所に蒔く。見届け終わると、二日目の締めくくりまで時間が少し出来る。
ここまで来ると、流石に御三家の者達も少し疲れた顔を見せていたが、人前では決してそんな顔を見せないことに潤平は驚いた。
昼食は神社で、ルリ達と共に。
だがここに来て緊張してきて、食べた物の味が分からなくなっていた。
「潤平君これを渡そう」
ユウタロウは神器の大弓を潤平に渡してくる。
潤平はそれを緊張した面持ちで受け取ると、収納の中に大弓を仕舞い込む。
そして昼食に戻るが、緊張して箸があまり進まない。
「にゃー、潤平も緊張するんだにゃー」
「当たり前でしょっ、俺は普通の男の子なんだから。こんな大舞台に上がることなんて普通ないから。そりゃ緊張もするでしょっ」
「大丈夫だにゃ、潤平は弓を引くだけなのにゃ」
「まあこればかりは御三家の人間じゃないと分からないよね。私だってやれって言われたらあまりやりたくないし」
「まあ僕もあまりやりたくないのにゃ」
二人がふざけている会話も、今日だけは頭に入って来なかった。
「大丈夫。大筋は私がやりますから、潤平君は私の代わりに弓を引いてくれれば良いのです」
「そうそう。難しい所はお父さんがやってくれるから、潤平君は父さんに扮して弓さえ引いてくれればいいの」
「…………うす」
ユウタロウとタマヨのフォローも入るが、潤平はぎこちない笑顔で返すだけだった。
失敗したらどうしようとか、最後にめちゃくちゃにしちゃったらどうしようとか、色々な事を考えている内に時間は過ぎていき、いつの間にか時刻は夕方に近付いていた。
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