第八十二話 歩く騒動
昨日はナオイエの屋敷。今日はランセイのいる第三師団。
馬車に揺られながら、潤平は膝の上に手を置いてぼんやりと窓の外を眺めていた。
タマヨは向かいに座り、背筋を伸ばしたまま静かに目を閉じている。
それが休んでいるのか、考え事をしているのか、潤平にはどちらとも判断がつかなかった。
馬のひづめの音が石畳を叩く。
一定のリズムが、何かを忘れさせてくれるようで……、そして何かを思い出させようとするようでもある。
やがて第三師団の兵舎が見えてきた頃、馬車がゆっくりと止まった。
潤平は先に出て、タマヨに向けて手を差し出す。
タマヨは迷わずそれを取り、音もなく馬車から降り立った。
兵舎の中に入ると、廊下を行き交う兵士たちの空気が、どこか前回とは違う気がした。
鋭いというよりは……、落ち着いている。
先日の騒動が一段落したからなのか、あるいは潤平たちを知っているからなのか、どちらにしても悪い感触ではなかった。
ランセイの部屋の前に立ち、扉をノックする。
「おおっ、来たかね!」
扉を開けた先にいたランセイは、思いのほか明るい顔でそう言った。
前回とはまるで雰囲気が違う。
奥に控えていた上級兵長たちも、どこか表情がほぐれているように見えた。
気のせいかもしれないが、潤平にはそう感じられた。
「それでは、他の者はすまないが席を外してくれんかね」
ランセイの一言で、部屋にいた全員が静かに立ち上がり、出て行った。
扉が閉まると、残ったのは三人だけ。ランセイと、潤平と、タマヨ。
「では、先ずは昨日の件から確認させてくれ」
ランセイは椅子に深く腰を下ろし、太い腕を卓の上で組んだ。
「ナオイエ様の件は、完全に極秘扱いとする。ご老公方にも、他の団長にも話すつもりはない。当事者と関係者の間だけで留め、外には一切漏らさない。それで構わんかね」
「……ええ。それで構いません」
タマヨが静かに頷く。その声に迷いはなかった。
「うむ」
とランセイは一つ頷いてから、話の流れを変えた。
「それと、潤平君が懸念していた件だが、第五師団から報告が上がってきている。どうやら奴は海を渡って大陸に渡ったようだ。第五が持つ鑑定スキルの使い手が、それらしい人物を港近くで確認したという」
「……本当ですか」
思わず、という感じで言葉が出た。
「ああ。ただ、上手く逃げられたらしい。今この国にはいないだろうな」
ランセイはそれだけ言って、手元の茶碗を持ち上げ一口飲んだ。
海を渡って大陸へ。
潤平は目線を床に落とす。
頭の中でぐるりと地図を描いてみても、この世界の大陸がどれほど広いか、自分にはまだ実感が湧かない。
「それと、奴が出国する直前に、誰かと会っていたようだ」
「それは誰ですか」
「分からん。第五の連中もそこまでは追えなかったそうだ」
ランセイの眉間に深い皺が刻まれた。
この場で名前が挙がっている「奴」とは、ハズシのことである。
潤平はナオイエの葬儀が始まる前に、タマヨとランセイの両名に対して報告していた。
ハズシはすでにこの国から逃亡しているはずだと。
ワドウの死体を持って逃げているとすれば透明化のスキルは使えないはずで、しかも人間の死体を運ぶとなれば相当な重労働だ。
つまり協力者がいると踏んだ潤平は、二人に捜索の協力を依頼していたのである。
「奴が最後に確認されたのはどこですか」
「……クシテテだ」
ランセイは立ち上がり、壁に掛かっているこの国の地図を指でなぞった。
その指が止まったのは、西の端、この国最大の港町の名前の上。
「……それでは、もう一つの方は」
潤平が続けて問うと、ランセイの表情がまた変わった。
先ほどとは違う、重い顔つきで。
「そちらはどうも情報が上がってこない。探してはいるのだが……ハズシと同様に、すでにこの国にはいない可能性が高い」
「……そうですか」
潤平は短く答えたまま、黙った。
もう一つの懸案とは、イチヨウのことである。
ラショウとの戦いが終わった後、その場にいたはずの彼女が忽然と消えていた。
タマヨとの戦いに敗れ、ピー男爵に応急処置を施されて縛り上げられていたにもかかわらず、気がつけば、どこにもいなかった。
いつ、どうやって抜け出したのか。それすら分からない。
だが探さなければならない理由がある。
これは昨日の会合でも話さなかったことだが、ナオイエが最期に残した言葉の中に、一つだけ妙に引っかかるものがあった。
『イチヨウ君を探しなさい』。
今際の際に、あの老人が選んだ言葉だ。
どんな情報を持っているかも分からない、あのくノ一をわざわざ名指しした。
それだけで、尋常ではないことが伝わってくる。
「我が第三師団は、しばらくの間はタマヨ君と連携して都内の活動を優先する。それが落ち着いたら、魔獣対策に切り替える予定だ。盗賊がごっそりいなくなった分、魔獣どもの生息域が人里に近づくのは目に見えている。しばらくは人よりも獣の相手をすることになるだろうな」
「……魔獣、ですか」
「まあ、昔から似たような仕事をしていた。少し規模が大きくなるだけよ。盗賊だって数年もすればまた湧いてくる。その時はまた同じことをするだけだ」
そう言うランセイの顔には、どこかわずかに楽しそうな色があった。
本当に好きなのだろう、こういう仕事が。
それと先日の盗賊騒動以来、この国の盗賊に対する圧力が一段と強くなった気がするのは、潤平の気のせいだろうか。
その後も三人は数十分、細かな情報と今後の方針について話し込み、それから第三師団を後にした。
帰りの馬車の中でタマヨが、ふと思い出したように口を開いた。
「私も引き続き、彼女の情報を集めておくわ」
タマヨが自分から戦って、自分が負かして、それでも逃げられた。
その事実が、静かに彼女の中に刺さっているのだろう。
潤平は何も言わなかったが、タマヨの言葉が本気だということは分かった。
馬車は都の石畳を進んでいく。二人は他愛のない話をしながら、屋敷への帰路についた。
————
結局、潤平は一ヶ月近く都に留まることにした。
テッケツに依頼していた出力媒体の完成まで、まだ二週間ある。
どうせならと考えたとき、その先に控えている鎮魂祭までいればいいではないかという結論に辿り着いた。
それに加えて、タマヨからある頼みごとをされ、潤平はそれを快諾していた。
となれば護衛の任務で後回しにしてきた、都の観光でもしようかと思い立った。
折角ならとルリたちを誘おうとした、が。
「大変申し訳ないのですが、今回はご遠慮させていだきまた」
ルリは申し訳なさそうにそう言った。
父親の看病があるのだ。
ルリが動けないとなればフミも同じ。
ヨリはルリの護衛を離れるわけにいかない。スミレもルリから離れられない。
タマヨは仕事に日夜追われている。
潤平は内心で悔し涙を流した。
都の観光をするならルリたちと一緒がいい。
それだけを楽しみにしていたわけではないが、その夢がすっかりしぼんでしまって、しばらくは立ち直れない気分だった。
その代わりと言うべきか、観光にはピー男爵が付いてきた。
さらになぜか、ミオリも一緒に行動することになった。
副団長がそれでいいのかと思いはしたが、ミオリは町の警備責任者でもあるので、都を歩き回っていても何もおかしいことはないらしい。
こうして三人での都の観光が始まった。
ピー男爵の案内は、ほぼ全て食べ物屋だった。
もう腹がはち切れる、というところまで引っ張り回された。
ミオリさんが以前に紹介してくれた店のリストを参考にしてみたら、兵士向けの酒屋と大人の店ばかりだったので、そちらには足を踏み入れなかった。
たまに動物と触れ合える店に当たることもあったが、ごく稀だった。
それでも三人で笑いながら歩き回った都は、思いのほか楽しかった。
ただ一度だけ、ミオリとピー男爵に半ば強引に引きずられるようにして入った大人の店がある。
そこで潤平は酒を飲まなかったし、べつに何かやましいことをしたわけでもなかったのだが、なぜかそれがタマヨとルリに知られていた。
タマヨには静かに怒られた。
あの静かに怒っているのがいちばん堪える。
ルリは数日、まともに口をきいてくれなく、その事も精神的に堪えた。
そしてその日、三人には揃って面倒な雑用仕事が押し付けられ、三人ともそれを黙って真面目にこなした。
それとは別に、第三師団から依頼が来た。
ランセイ直々の声掛けで、魔獣の討伐に同行することになったのだ。
付き添いは以前、第二師団に死体を持ち込んだ際に顔を合わせた上級兵長。
その班と共に、郊外の魔獣を狩って回った。
素材は好きにしていいと言われたので、潤平は喜んで全て回収した。
そして翌日、魔法ギルドの門を潜った潤平を出迎えたのは。
「いらっしゃいませ」
またしても、あの快活そうな女性職員だった。
なぜか毎回この人が担当になる。
潤平には何かそういう引力でもあるのだろうか。
「魔獣の素材の買い取りをお願いします」
その瞬間、女性職員の目が光ったのとそれを聞いていた、周りの職員がザワつきだした。
だが潤平はそれに気付かず、収納から魔獣の素材を受付に並べていく。
(来た来た来たっ! 今日こそは私の本領を見せてやるわ……! あの屈辱の日からどれだけ勉強したと思ってるの! 先輩から血の滲むような特訓を受けて、私はここに座っているのよ! 何を出されようが、今度こそ動じないわ!)
ツグミは笑顔の仮面の下でそう気合を入れながら、潤平が素材を出すのを今か今かと待った。
「……えと、今回はこれなんですけど」
もりっと出された素材は、どう見ても前回よりも少なく、その量に女性職員は拍子抜けする。
(……あれっ? これだけ?)
狼の魔獣の素材が七体分。どこかキラキラと光る、見たことのない亀の素材が三体。苔のついた甲羅が鈍く光るカニが四体。それと小さいきのこの魔獣が十二体。
「よろしくお願いします」
「……は、はい、少々お待ちくださいませ」
狼はまだいい。
だが亀もカニも、ツグミには見覚えがなかった。
机の下からカタログを引っ張り出して、ページを捲り始める。
最初は丁寧に、次第に早く、最終的には勢いよく……バンッ!!
ツグミはカタログを勢い良く閉じると顔を上げる。
その顔は、とても引きつっている。
そして、ぷるぷると震え始めたではないか。
「せんぱーーーーーーーーいっ!!!!! 助けてーーーーーーっ!!!!!」
「どうしたっ!!! ツグミ!?」
まるでそのために待機していたかのような勢いで、奥からカラスマが飛び出してきた。
そして対応中の客の顔、潤平の顔を見るなり大きく長い溜息を吐いた。
「……それで、お客様。本日はどのようなご用件でしょうか」
ぱっと切り替えて、満面の営業スマイルを向けてくる。
「先輩っ! これっ! これを見て!!」
ツグミが差した方を見て、カラスマは固まった。
次の瞬間、ワナワナと震えながら、その素材を両手でそっと、しかし大切そうに持ち上げた。
「……お客様……? 本当に、こちらの素材をお売りになるつもりですか?」
「? はいそうです」
あっさりと言い切られて、カラスマは倒れそうになった。
「……はうっ、……畏まりました……。それでは数十分ほどお時間をいただきますので、あちらでお掛けになってお待ちください」
「……分かりました」
よろよろと危うい足取りで素材を抱え、ツグミを引き連れて奥に消えるカラスマ。
残された潤平は、ぼんやりとロビーを眺めながら時間を潰す方法を考えていた。
そして一つ、思いついた。
「あの~、すみません」
「はい、何でしょう?」
潤平は別の窓口、マナカードの更新を担当している受付に声をかけた。
「自分の魔力量の更新って、ここでできますか?」
「……はい、できますが」
少し不思議そうな顔をしながらも、受付の担当者は案内してくれた。
「では、こちらに手を置いてください」
前に測定した時と同じ要領で、両手を機械の上に乗せる。
すると、機械が金色に光り始めた。
そして……。
突然、まばゆいばかりの光が、建物ごと包んだ。
「きゃあっ」
「ぐあっ」
「うあっ」
担当者も、潤平も、隣にいた利用客も、後ろに並んでいた気の強そうな女性も、皆が揃って声を上げた。
光は一瞬ぷつりと途切れ、あとには静寂だけが残った。
機械は手を乗せたままなのに、もう何の反応も示していない。
「うあっ、クラクラする……」
直接光を受けた者も、遠巻きに眺めていた者も、建物全体がざわめいていた。
「何があったのかね!?」
眼鏡をかけた年配の男性職員が奥から現れ、女性職員の説明を聞き、潤平を別室へと連れて行った。
聴取の最中、男性職員はひどく深刻な顔でこう言った。
「……機械が、壊れていたよ」
潤平はその一言に衝撃を受けた。
その後、ルリとタマヨに連絡が飛んだ。
身元を引き受けに来たのはピー男爵とルリで、騒ぎを起こしたことへの謝罪と、機械の弁償を約束することになった。
ちなみにその機械、魔力測定専用の特注品とかやらで、弁償額は、かなりの高額だったと付け加えておこう。
「……ほんとすみません」
潤平は椅子の上でひどく小さくなっていた。
後にそれを見たピー男爵が、
「あんなに縮んだ潤平は初めて見たにゃ」
と語っていたほどである。
なお、肝心の魔獣素材の買い取り代金は、後日受け取ることになった。
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