第七十四話 窮地
潤平は自分が何処かの屋敷にぶつかった事で意識を取り戻した。
ガラガラと崩れてきている屋敷の一部が、潤平の顔と体に瓦礫を積もらせていた。
…………あー…………? …………ここは…………?
毒と痛みと出血のせいでぼーっとする頭を働かせて、自分が置かれている状況を確認する。
どうやら何処かの屋敷に突っ込んだらしく、屋敷の庭と部屋を破壊している様子だった。
…………駄目だー…………、…………体が動かん…………、…………ははっ…………。
起き上がろうと体に力を入れるが、どれだけ足掻いても指一本まともに動かせない状態。そんな状況でワドウの言葉を思い出し、乾いた笑いしか出なかった。
…………あいつはここまで読めていたのか…………。
あいつの、ワドウの死に際の強がりだとばかり思っていたが、その言葉通りの展開になった事に笑いたくなってくる。
…………たまたまか…………。
向こうからは、ラショウの地鳴りのような足音と淀みの魔力が、こちらに向かって近付いてくるのが聞こえる。
…………やばいなー…………、…………まじで死ぬな…………。
刻一刻と迫り来る死の音に、潤平は気力も体力も魔力すらも尽きかけていた。
こうしてこの場でそれが向かって来るのを、ただ黙ってじっと待っているしかなかった。
意識を失いかけていると、庭にある茂みがざざざっと音を立てる。
警戒しようにもそれを対処するだけの力が残っていないので、潤平は視線だけをそちらに向けた。
茂みから音を立てて出て来たのはただの猫であり、猫はいか耳になり全身の毛を逆立てて、こちらを人睨みするとどこかに行ってしまった。
……そう言えば、前にもここで猫を見た気がする……。
いつぞやも見た覚えがする猫の記憶を思い出していると、そう言えばルリの屋敷で前にも猫を見た気がするのを思い出した。
……あの時はまだ屋敷に来たばかりで、客間でピー君とご飯を食べていたんだっけか……。
客間でピー男爵と飯を食べて、ルリに呆れられた。
ほんの一ヶ月も経っていないはずなのに、その光景が妙に遠く感じた。
…………もしかして…………。
首だけを動かして、潤平が吹っ飛んできて崩れてしまった屋敷の確認をすると。
…………やっぱりここはルリさんの屋敷だ…………。
偶然にも自分が寝泊まりしている屋敷に吹っ飛んできてしまった事に気付いてしまう。
恐らくだが、ここは皆でご飯を食べていた広間だろうなと当たりをつけていると、ラショウが近くに来たのか、足音の地鳴りと淀みの魔力の気配が一層強くなる。
…………皆と食べたご飯、美味しかったな…………、…………また皆で食べたかったな…………。
大勢で賑やかにルリ達とご飯を食べた事を思い出し、潤平の目尻に涙が溜まる。
…………ごめん…………、……ルリさん……、……タマヨさん……、……ピー男爵……、……フミさん……、……スミレさん……、……ヨリさん……、……ごめんなさい……。……ごめんみんな……。
瞬きを繰り返す。
それでも視界の滲みは消えない。
だが潤平にはもう起き上がる力が残ってないのだ。
拳を握ろうとするが力が入らない。
爪だけが掌を掻いた。
いずれは魔力の灰が、皆を蝕んで殺し尽くすだろう。
潤平はその光景を想像した瞬間、奥歯が軋んだ
ラショウの足音が近付いてくる。
潤平は奥歯をガキリッと噛み締めた。
喉からは血の味がしてくるが、こちらに向かってくるラショウからは視線を逸らさない。
――本当にこれで終わりか。
指先がぴくりと動いた。
…………まだだ…………。
庭は不気味なくらい静まりかえってる。
つい先程まで激戦が繰り広げられていたとは思えないほど静かだった。
崩れた屋敷の柱が庭石へ倒れ込み、割れた瓦が砂利の上に散らばっている。
空からは雪のように灰が降っていた。
だが温かさも美しさもない。
死そのものを撒き散らす灰だった。
その灰の中を、ラショウが歩いてくる。
ずしん。ずしん。
ラショウの巨体が揺れるたび地面が震える。
潤平はその音を聞きながら立ち上がった。
太い庭木は見事にへし折れ、綺麗だった池は濁り、皆で眺めた縁側も半ば崩れている。
それでもまだ、この屋敷は残っていた。
ルリ達の帰る場所が残っていた。
だから。
ここで終わるわけにはいかなかった。
「…………まだ終われないよ」
こちらに向かってくるラショウを見据えると、一歩一歩と歩いて庭に降りる。
これ以上ルリさんの屋敷を壊すのは気が引けるからだ。
だがラショウとやり合う力と魔力は残っていない。
ならばどうするか。
「……よお」
「………………」
淀みの魔力に染まったラショウは一言も喋らない。
その代わり腕を前に出すと潤平の首を掴んできた。
物凄いラショウの力に首が軋み、呼吸がし辛くなるのを感じるが、潤平はそれでもラショウから目を離さない。
「…………ぐぎっ…………!!」
潤平の首に、万力のような力が食い込む。
骨が軋みだす。呼吸も止まる。
視界の端がじわりと黒く染まってくる。
それでも潤平は目を離さない。
震える腕を持ち上げると、ラショウの手首へと手を伸ばす。
潤平の指先が届く。
次の瞬間、その丸太のような手首へ爪を立てるように掴みついた。
ぶわり、と。浄化の魔力が勢い良くラショウへと流れ込む。ラショウの全身を覆っていた淀みの魔力が剥がれ落ちるように崩れ始めた。
それと同時に、膨大な魔力が循環されて潤平の体へ雪崩れ込んでくる。
「――――ッ!!」
喉から声にならない悲鳴が漏れた。
熱い。苦しい。
胃の中を掻き回されるような感覚に吐き気が込み上げる。
だが潤平は離さなかった。絶対に離さない。
ここで手を放したら全部終わる。
ルリさんも。
タマヨさんも。
ピー男爵も。
みんな死ぬ。
ラショウの指がさらに潤平の首に食い込む。
ぐしゃり、と嫌な音が耳の奥で響いた。
首の骨か、筋肉か。それすらももう分からなくなってきた。
目の前がグラグラと揺れ出してくる。それと同時に膝も笑い出す。
足元の庭石が何重にも見えた。
それでも手首からは決して手が離れなかった。
爪が肉へ沈む。血が流れる。構うものか。吸え。
もっと吸え。
全部吸い尽くすくらいの気持ちでやれ。
浄化された魔力が潤平の体内を駆け巡る。干上がっていた魔力回路へ水が流れ込むように力が戻ってくる。
だが潤平の首は限界だった。
息ができない。頭がガンガンと音が鳴り響き割れそうに痛い。
意識が沈み、暗闇が迫る。
もう駄目かもしれない。
そう思った瞬間だった。
ラショウの瞳から、濁った光が揺らぐ。
ラショウの体を巡っていた淀みの魔力が崩れ、巨体がわずかに震える。
そして。
ふっ、と。
潤平の首を掴んでいた指から力が抜けた。
巨大な腕が垂れ下がる。
同時に潤平も膝から崩れ落ちた。
地面へ倒れ込みながら、ようやく肺に空気が流れ込む。
「がっ――――!!」
焼けるような喉へ空気が突き刺さる。
死ぬほど痛い。
それなのに、それがどうしようもなく嬉しかった。
「げほっ……! えげっ……! うええっ……」
潤平は咽せながらも取り敢えず、ラショウから吸った魔力で自分に回復魔法をかけると、続けて解毒魔法も自分にかける。
「えほっ……! ーーーっ、はぁ-っ! 間に合って良かったーーっ!! まじで死ぬかと思った!!」
潤平は地面の上に大の字になる。
肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
ただそれだけで涙が出そうになった。
生きている。
本当に生きている。
「……っと、まだ終わってないからね」
潤平は立ち上がると、地面に片膝を付けているラショウの事を見る。
ラショウは何も言わずじっと動かず地面に視線を落としているだけだった。
これ以上戦う気がないようなので、潤平はラショウの体に残った淀みの魔力を浄化して、浄化された魔力を全て吸い尽くした。
「っよし! 魔力回復っ!」
痛みはまだあるが腹の傷は塞がったし毒も消えた、それに魔力もほぼ回復した。
とりあえずは大丈夫なラインに戻ったということだ。
体を動かして大丈夫な事を確認すると、地面に座ったまま動かないラショウを見る。
とりあえずは魔力も吸い尽くしたし、戦う気配もないからここに置いておいて大丈夫かな?
それにここは………………。
ミツナリの生家だったんだしと思った直後、大事な事を忘れている事に気付いた。
「…………やばいっ!! ルリさん達のお父さんあそこに置きっぱなしだっ!!」
ナオイエの屋敷に置き忘れているユウタロウの存在を思い出し、潤平は急いで助けに戻るのだった。
そしてその途中、自分の体に莫大な魔力が戻ってきたのを感じて足を止める。
「…………ん?」
何故急に莫大な魔力が戻ってきたのか分からず首を傾げる。
手の平をグーパーして自分の体調を確認するが、この感覚はこの世界に降り立った時と同じ感覚だ。
「…………もしかして」
思い当たるのは、日本列島がすっぽりと入る大きさが欲しい、等と宣って作った『収納』魔法が、今正に完成したのではないか、そして今まで追い付いていなかった自然に回復する魔力が、今回復し始めているのではないかという考えが頭を過る。
「…はああああああっっっ!! だったらもっと早く完成してくれようっ」
そうすれば、わざわざあんな苦しい思いをして、戦わずに済んだものを。
まあいいやっ。
もう終わった事だし、気にしてもしょうがない!
潤平は顔を上げてユウタロウが転がっているナオイエの屋敷へと急いで走った。
ナオイエの屋敷に入り転がっている三人組やワドウを横目に、倒れているルリのお父さんの元へ行く。
彼はまだ息があったので回復魔法で治療しておく。
中級魔法で全快には至らないが、それでもないよりはましだろう。
それにユウタロウの顔色も良くなったので、効き目はあったと思おう。
「よいしょっと」
ユウタロウを背中におんぶして、ナオイエの屋敷を後にする。
結局また俺が勝っちゃったな。
お前の言うとおりにはならなかったぜ、べー。
最後まで嫌な奴だったけど、もう二度と会うことはないだろう。
転がっているワドウに対して心の中で舌を出す。
それでも一応は、この世界で命のやり取りをした中なので、敬意を持とうと思ったが、あいつと関わった経緯が勘違いから生まれた物なので、そんな考えは捨てる。
「……そういやこの人どこに置くのがいいんだ?」
背中におぶっているユウタロウをどこに預けるのがいいかと考え、思い付く場所が無かったので、ルリさんの屋敷に行って、潤平が寝泊まりしている部屋に置こうと思い付く。
それにグズグズしていると、魔力の灰が皆の体を蝕んでしまうので、潤平は背中に背負ったユウタロウを揺らさずに走り出す。
「……ん?」
屋敷に入ると、庭に座っているであろう筈のラショウの姿が見えないので、不思議に思ったがすぐに答えは分かった。
ラショウは広間の前の縁側で、ボロボロの体でボロボロのお饅頭を食べながら座っていた。
「…………」
潤平は一瞬その状況に迷ったが、ラショウに戦意が無いのが分かると、横を通って布団の上にユウタロウを寝かせてあげる。
「…………えと、ルリさんのお父さんをお願いします…………?」
何故そんな言葉が口から出たのか分からないが、潤平は一言もラショウに言葉を残しておこうと思った。
饅頭を持つ手は動いている。
だが視線だけはどこも見ていなかった。
まるで、自分が今どこにいるのかすら分からなくなった人間みたいだった。
潤平は沈黙が続く空気に耐えられずにいると、ラショウの奥に置いていたあるものが目に入る。
潤平はそれを見て、ピーンと閃きこれは使えると思って置いていたそれを手に取り、収納の中にしまい込んだ。
二人を屋敷に置いて潤平は屋敷から出ると、この魔力の灰が降り注いでいるであろう場所の反応を探った。
それと合わせて鑑定魔法でナオイエの居場所を走り回って探っていると、視界の斜め上でナオイエの反応があった。
そちらの方向に向かいながら、道路を走っていくとある場所に辿り着く。
そこは大きな鳥居がある神社だった。
鳥居の奥には階段が続いており、上まで何百段もありそうな階段が、鳥居の前にいる人に存在感を放っていた。
ナオイエの反応は上からする。
そして淀みの魔力の反応も階段の上部から強く感じる。
潤平は足を進めると階段を登っていくが、一歩ずつ登るのが面倒くさくなり、途中から階段を駆け上がるように登っていくのだった。
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