第七十三話 窮鼠猫を噛む
最初は小さな違和感だった。
いつもより刀が重く感じるとか、足運びが遅いとか、魔法を発動する速度が遅いとか、そんな小さな違和感を感じる人達がそこらかしこから現れた。
第三区画の門を守っているミオリ達も、第二区画で一般人を避難誘導している兵士達も、避難場所に行こうとしている人達も、誰も彼もがいつもよりも調子が悪いと感じていた。
それは敵の側も同じで、第二区画を襲撃している賊達も、何だか自身の様子がおかしいことに首を捻っていた。
唯一例外だったのが、第三区画の門を襲撃している黒ずくめの賊達で、彼等は調子が悪くなるどころか寧ろ、ミオリ達から見たら動きが良くなってるように感じた。
誰もが、上空から降り注ぐそれが淀みの魔力だとは気付いていなかった。
ただ一人を除いて。
(……やはりおかしい……)
タマヨは賊の鎮圧と避難民の誘導をしていた手を、急に止めて降り注ぐ魔力の灰を、手の平で受け止めてじっと見詰める。
「……団長? どうされましたか?」
上級兵長の一人が、急に動きを止めたタマヨを訝しんで声を掛ける。
するとタマヨは風魔法と水魔法を発動して、自分の口の周りをそれで覆った。
タマヨは昔から魔力の制御が得意だった。なので中級魔法で口の周りを覆うくらい朝飯前だ。
そして、何故そんなことをしたのか分からない上級兵長は不思議に思ったが、きっと何か理由があっての事なんだと思い黙ってそれを見ていた。
「……魔力の制御に長けている者は、今すぐ自分の口の周りを覆いなさい」
「……はい?」
「……恐らくこの灰は毒です。体内に入れば何らかの悪影響を及ぼす可能性があります……。…………いいですかっ! 魔力の制御に長けている者は口の周りを覆いなさい! それが出来ない者は布か何かで口を覆いなさい! この事を全兵士にっ! 一般市民、病院関係者にも今すぐ伝えて下さい!」
「り、了解!」
タマヨの指示にバタバタと掛けていく兵士達。
「…………これで少しは間に合うといいのですが」
魔力の灰が降り注いでもう十分近く経つ。
既にかなりの灰を体に吸い込んでいるだろう、それでも今ここで予防しないかするかは、重要だとタマヨは思った。
それでもかなりの人間がこの灰を吸い込んだ事は間違いない。現にタマヨでさえも吸い込んでいる筈だ。
(……ミオリ達はこの事に気付いているのかしら。……いえ恐らく、誰も気付いていないでしょう。誰かがこの灰を止めないと…………。…………潤平君)
タマヨは延々と黒いそれを吐き出す、空を睨み付けるかのように見る。そして例の少年のことが頭に過る。
そこに他の上級兵長から声を掛けられる。
タマヨは一瞬で意識を現実に戻すと、自分が今やるべき事を思い出す。
そして兵士達と共に都を救うため奔走するのだった。
(何だっ……!? こいつらっ!? 急に動きが良くなっているっ!!)
門の上で、賊に向かって魔法を狙い定めているミオリが、賊の動きがどんどんと速くなっていることに疑問を覚える。
見れば他の兵士も魔法を当てるのを苦戦していたり、魔法の発動が難しくなっていたりする者もいた。
いきなり変わった敵の動きにこの場の兵士達は、とても戦いづらそうにしていた。
「ミオリさんっ!」
そんな戦場にいきなりルリが現れた。
「はあっ!? ルリちゃん!?」
タマヨの指示で部屋の中で待機させていた人間が、何故か危険な戦場の中にいる。
何故そんなことをしているのか、ミオリは彼女の護衛を任していた兵士を、問い詰めようとルリのところに行くと、彼女の様子が少し違うことに気付く。
見れば彼女だけではなく、足下にいるピー君も後ろに控えているフミ達も、ましてやルリの護衛を任していた兵士達も、皆一様に口の周りを魔法で覆っていた。
「……どうしたのそれ?」
問い詰めるつもりが、ルリが何だか変な事をしている事に気付いて、ミオリは思った事と違うことを聞いてしまう。
「あのですねミオリさん」
ルリはミオリの質問に答える前に、自分の意見を喋りだす。
「……恐らくですがこの灰は我々人間にとっては毒です。呼吸や皮膚から体内に入れば、体調を崩す恐れがあります。既に十分近く吸い込んでいるはずです。これが良いかは分かりませんが、予防出来るのならば口の周りを覆うのが良いと思われます」
「……この灰が毒だって?」
「恐らくは」
ルリの真剣な目付きにミオリも信じざるを得ない。
この子はこんな所で冗談を言う子じゃないのは分かっている。
それにミオリもこの灰について嫌な気持ちを感じていたのも事実だ。
それに賊がこの灰が降ってから動き出したのも気になるし、急に動きが良くなったのも気になる。
ミオリは一瞬悩むとすぐに行動に移した。
「この場にいる兵士に告げる!! 今すぐ口の周りを魔法で覆うように! 出来ない者は布か何かで口の周りを覆えっ!」
ミオリの指示に兵士は動きを止めると、すぐに理解したのかそれぞれの方法で口の周りを覆っていく。
「私、こうゆう細かな魔力制御はちょっと苦手なんだけどね」
そう言いながら、風魔法と水魔法を使って口の周りを覆っていくミオリ。
「情報ありがとう、ルリちゃん」
「いいえ、お気を付けてミオリさん」
するとそこに、魔法の隙間を縫って門の壁を上がってきたナオイエの手先の者が、ルリに向かって刀を振る。
刀がルリの元に届くかと思われたが、その前にヨリが刀を弾いて、ミオリが賊を切ってしまう。
賊は血しぶきを上げながら、門の外へと吹っ飛んでいった。
「少しずつああいう奴も増えてくるだろうから、ルリちゃんは部屋に戻るといい。頼もしい護衛もいるんだからさ」
ミオリの言葉にヨリは少し嬉し恥ずかしそうにする。
「はい」
ルリは苦笑いをすると、大人しく言われた通り部屋に戻っていくのだった。
ルリが部屋に戻るのを見送った後、ミオリも兵の指揮に戻っていく。
(……やまないか)
未だ降り注ぐ黒いそれを見て溜息を吐く。
ルリの一言で対策はしたが状況が良くなった訳ではない。灰は未だに降り注いでいるし、兵達の動きは鈍くなる上に賊の動きは良くなり続けるし、状況が好転した訳ではない。
あの少年は今どこで何をしているのだろうか。
出来るならこの降り注ぐ灰を止めて欲しいと、あの少年に願うのは酷だろうか。
ミオリはここにはいない、何処かで必死になって戦っているであろう潤平のことを想った。
————
「寒くはないかい……? アザミ」
「はいご主人様。アザミは大丈夫です」
「そうか、それなら私の上着を羽織るといい」
「はいご主人様。ありがとうございます」
「もう少し……、もう少しで私達の願いが叶うよ」
「はいご主人様」
直立不動を貫いている白蛇の頭の上に、ナオイエとアザミが身を寄せ合いながら語り合っていた。
既に魔法は起動している。この魔法は始めてしまったが最後、魔力が尽きるまで動くのをやめない。
ナオイエ達の頭の上に浮かんだ、黒色の球体はふわふわと浮かびながら、延々と魔力の灰を出し続けていた。
「……後少し、後少しで私の願いが叶うのだ」
ナオイエは強い決意を持った瞳で、暗闇の中で爛々と輝いているアズマの都の町並みを眺めているのだった。
————
「……ふう」
潤平は頬についた血を手の平で拭う。
どうにかラショウとワドウの手を潜り抜けて、三人組を始末することに成功する。
魔力ももう持ちそうにない、足元から淀みの魔力を浄化しながら魔力を補充してはいるが、どうにも回復が追い付いていない。
潤平は二人に向き直る。
ラショウは時間を掛けないと倒せないだろう。それまで俺の魔力が持つかどうか怪しいが。
なら狙うとしたらやはり手負いのワドウの方か。
転移のスキルがあるからといっても、俺の体に致命傷を与える術を奴は持っていない。
あいつの転移と毒にさえ気を付けていれば、致命傷は食らわないはずだ。
潤平は槍を持ってワドウに向かって、タタタッと斜めに走り出す。
どんな狙いがあるのかワドウには分からないが、ワドウは気にせずにラショウの後ろに隠れるように下がる。
またかっ。
先程からワドウが負傷しだしてから、戦い方を若干変えだした。
ラショウの後ろに控えるようになり、潤平がラショウと打ち合っているとまるで示し合わせたかのように、ちょこまかと転移して攻撃してくるのだ。
だが本来はその戦い方がワドウのスタイルなんだろう。
洞窟の時も奇襲を仕掛けてきた時も、あいつは何かで意識を逸らしてから攻撃してきていた。
負傷して戦い方が限定されたあいつは、元のスタイルに戻っただけなのだろう。
だが、いい加減その攻撃にもウンザリしてきた。
ラショウの攻撃を受け止めながら、潤平は背後に火球を幾つも待機させる。
『火球・十二』
ラショウとワドウ目がけて飛んでいくそれは、当たるかと思われたが、やはりワドウは転移のスキルで回避して、ラショウは全てを迎撃した。
その時、ラショウの後ろに現れたワドウが、おかしな動きを見せた。
手の平に持っていた小刀がいつの間にか消えていたのだ。
潤平は最初、それを特に気にして見ていなかったが、すぐに意図を察して横に飛んだ。
すると潤平の思った通り、潤平が立っていた場所に背後から、ワドウが持っていたであろう小刀が、転移して飛んできていたのだ。
潤平はすぐに立ち上がると、ラショウとワドウを視界に入れる。
そしてワドウが持っているであろう小刀の事について考える。
あいつが持っている小刀は、あと何本残っている……?
いや……、それよりも警戒すべきはあいつの転移そのものだ。
潤平は槍を握り直すと、新たに自分の背後に火球を作り出す。
『火球・四十』
先程よりも、大きく強く魔力を練り上げた火球は、夜の闇の中に轟々と桃色の光を放ちながら、存在感を放っていた。
少し目が霞んできた、それに体もだるくなってきた気がする……。
潤平が、この攻撃で決めようとしているのが、ワドウに伝わったのか奴の顔付きも変わった気がした。
潤平は駆け出すとラショウに向けて火球を飛ばす。
半分以上飛ばされた火球は、流石のラショウも全て迎撃することが出来ず、何発か体に食らっていた。
浄化の魔力も籠もっているので、ラショウは思わず膝をついて苦しそうにしている。
爆煙の向こうにワドウの姿はない。潤平は即座に鑑定魔法を発動した。
視界の斜め上にワドウの反応があった。
――上かよっ!
背後にはまだ火球を残している。あの反応が本体なら、飛び出した瞬間に焼けるはずだ。
そう判断して前を向いた瞬間だった。
目の前に、宙へ浮いたワドウの右手が現れる。
「っ!?」
反射的に意識がそちらへ向く。
だがそれは囮だった。
次の瞬間、潤平の右脇腹のすぐ横に空間の歪みが生まれる。
そこから黒い小刀が現れた。
気付いた時にはもう遅い。
ずぶり、と肉を裂く嫌な感触。
「――ぐぶっ!」
脇腹に深々と小刀が突き刺さる。
それと同時に全身へ毒が駆け巡り、潤平の口から血が溢れた。
目の前ではワドウが笑っていた。
まるで最初から、この瞬間が見えていたかのように。
「……お前は反応すると思ったよ」
そこには潤平の右脇腹にワドウの小刀が刺さっているのだった。
深々と刺さった小刀は勿論毒が塗られており、刺された箇所から出血していた。
「…………やるな、右手と本体は囮か…………」
「……おうよ。決死の一撃だったが届いて良かったぜ」
そう言ったワドウの顔は何処か諦めた顔をしていた。
「……だがこんなもんは回復魔法ですぐに治るぞ」
「…………いや俺の読みだとそうはいかねえ」
「…………死ぬ奴が何を言っているんだ?」
「…………精々苦しめ…………サムライ」
潤平は、握っていたワドウの左腕をそのまま一本背おいで地面に叩きつける。
地面が割れて、メキメキといいながらワドウは地面に沈んでいく。そこに余った火球を放つと、爆煙と共にワドウの体が燃え上がる。
終わった……。取り敢えずワドウは片付けた…………。
潤平は痛みに耐えながら、右脇腹に刺さった小刀を抜くと、回復魔法と解毒魔法を自分にかけようとする。
その時たまたまラショウに目がいったのだが、潤平は信じられないモノを目にした。
ワドウの右手がフワフワと漂いながら、淀みの塊をラショウの胸に突き付けていた。
それを突き付けられたラショウは、潤平の火球で沈んでいたのが嘘みたいに、いきなり立ち上がった。
そしてラショウの体から、淀みの魔力が勢い良く迸り、先程よりも圧倒的な存在感を放っていた。
「…………マジかよ…………」
潤平はそれを見てポツリと言葉が漏れてしまう。
はあ-マジか…………。
まさかここに来て強化ですか、そうですか…………。
もう魔力もほとんど残ってないのに、敵が強化されて強くなるんですか…………。どんなギミックですか…………。
潤平は新たに生まれ変わったラショウと、戦うために先ずは自分に回復魔法と解毒魔法を掛けようとする。
………………あれ………………?
その時視界がぐらついて地面に倒れてしまう。
………………まさか…………、ここで魔力切れ…………?
待機させていた火球も鑑定魔法も、強化魔法も何もかもが魔力切れで切れてしまい、潤平は槍を落としてその場に倒れてしまう。
…………………ははっ………………、………………やべぇー………………、……………………魔力切れで動かねぇー………………。
潤平は地面に伏しながら、魔力が切れたタイミングに乾いた笑いが出る。
…………不味いな…………、…………お腹の出血は止まらないし…………、…………毒は残ったままだし…………。
魔力切れ、それと腹部の刺し傷それと全身に回った毒。それらの事を潤平が考えていると、ズゥゥン、ズゥゥンとラショウが潤平の元にやって来る。
ラショウはそのまま潤平の頭を掴んで持ち上げると、ギリギリと頭を握り潰すように力を込める。
…………せめて…………。
潤平は残った力で、せめてもの反撃としてラショウの腹に蹴りを入れる。
だがラショウは微動だにしない。
潤平の行動が気に障ったのか分からないが、ラショウは振りかぶると潤平を思いっ切り投げる。
ナオイエの門を破壊して暗闇の中を飛んでいく潤平は、自分が死ぬことについて考えていた。




