第三十二話 地を這う
暗く空気の淀んだ空間に、一人の男が地べたにゴザを敷いた状態で横になっている。
腐臭が漂っている中、虫と鼠だけと男だけがこの空間で生活している。
碌に食べ物も食えてないのか、男の手足は枯れ木の様に細く、体を洗えないので異臭を放っているが、この空間のせいで鼻がおかしくなり、自分の匂いは気にならない。
カチャリ、キィィッと遠くから鍵を使い、扉を開ける音が聞こえて来たが男は特に反応はしない。
最初の頃はいちいち反応していたが、不思議とこんな劣悪な環境でも慣れとゆうモノが存在し、それからは特に気にならなくなった。
タン、タン、タン、タンと規則正しい足音が近付いて来ると足音が急に止まる。
足音は男が寝ている部屋の前で止まると、しばらく何もせずに無音が続いた。
ただ部屋の前には、誰かがいるとゆう気配だけは感じられ、何者かが部屋の中を覗いているのは分かった。
「これがこの国に身命を捧げた者の末路か……」
扉の前の人物が、重々しい口を開いたかと思えば、部屋の中に寝ている男を見て嘲笑うかの様に吐き捨てた。
部屋の主は、扉の前の人物に背を向けて横になっているから表情は伺えないが、言葉尻から嘲笑してるのは分かった。
「どれだけ頑張ろうが報われず、事情も知らない間抜けな貴族共からは責任を追及され、守るべき民達からは後ろ指を指されている。そして自分が仕えている主にまで危害を加えた。これはもう終わっていると言っても良いではないか」
ペラペラと良く喋るものだ、と男は横になりながら耳に入ってくる言葉を不快そうに聞いている。
だが決して反応はしない、少しでも反応を見せれば部屋の前の人物は喜んで、更に饒舌になり不快さが増すからだ。
こうゆう奴を相手にするのは時間の無駄なので、完全に無視をした方が良い。
それがこの糞みたいな環境でも、平穏を与えてくれるからだ。
「ふむ」
部屋の前の男は、横になっている男の反応がいつも通り、無視を決め込んで無反応を貫き通しているのを見て、顎を軽く撫でる。
ここに来たばかりの頃は、新鮮な反応を見せてくれたとゆうのに、随分とこの環境に慣れてしまい、つまらない反応しか見せなくなった。
見た目とは裏腹に、目の前の男は以外と肝が座っているのだろう。流石あの男の血を継いでるだけはある。
だが今日は違う。
扉の前の人物は、唇の端をニヤリと愉快そうにあげると、部屋の主にとって途轍もない爆弾を落としていく。
「今日お前の屋敷にもう一人の娘が帰って来たそうだ」
横になっていた男はその言葉を聞きガバッと起き上がる。
扉の前の人物からは中が暗くて顔を伺えなかったが、間違いなく此方を睨んでいるだろうと考えた。
その反応が男を興奮させる。
「上の娘と合わせてもう一人の娘も罪にかけて捌いてやる。この国を貶めそれだけでは飽き足らず、我が主君を護る事も出来なかった、娘二人だけでは足りぬな。屋敷にいる者も屋敷も全てこの国から消し去ってやる。それがお前達の一族の業だ」
興奮しすぎているのか、トビラノ前の人物の口から勢い良く唾が飛んでいる。
「民の苦しみを背負うがいい。我が主君の痛みを知るがいい。この国を護る三羽烏等と言われたのも今日までだ。お前ら一族はここでお終いよ、この腐った空間で惨めに滅びるが良い」
扉の鉄格子に掴み掛かって、部屋の中の男に呪いを浴びせるかの様に言葉を投げる。
何がこの男をそこまで焚き付けるのか、それはこの二人にしか分からない因縁とゆう繋がりが有る。
これだけ騒いでいるととゆうのに、誰もここに様子を伺ったりしに来ない。何故ならばここは普通の囚人が入る牢屋ではなく、特別な囚人が入るための地下深くに設置された、それも魔法で厳重に封鎖された牢屋だからだ。
衛兵や看守なんて者はおらず、死ぬまでこの空間に置き去りにされるのだ。
これだけ言われてるのに、男は部屋の前の人物を睨み付けるだけで、何も発せず言い返したりもせず、やがてまた同じ様に壁の方を向いて横になる。
「くふふ、待っていろ。三羽烏の恥知らずは我が手で必ず滅ぼしてやるからな。そして神器の大弓もいずれ回収してやる」
部屋の前の人物は、狙い通りの反応が見れて満足したのか、踵を返すとタンタンタンと来た時よりも早足で、扉の方に歩いて行き鍵を閉めて帰って行った。
音が遠ざかりやがて、この空間にまた静寂が訪れると、男の心臓の鼓動の音だけが自分の耳に届く。
思わぬ爆弾を落とされて、鼓動の音は早くなるが男は自分に大丈夫だと言い聞かせて落ち着かせる。
「タマヨ……、ルリ……」
壁に向かって愛する妻が残してくれた、最愛の娘の名前を呟くが何かが帰って来る事はなく、腐った空間に溶ける様に消えていく。
この男の名はユウタロウと言い、タマヨとルリの父、ミツナリの孫。この人物こそカグラザカの当主であり、国家転覆罪等とゆう大それた罪で捕まっている男である。
ユウタロウは頭の中で自分の未熟さを痛感する。
国を救えず、自分の娘にまで世話を掛けてしまった。
その気持ちが湧き上がって来て、自分の身を掻き毟りたい程嫌になる。
いずれ自分の首は飛ぶだろう事を覚悟しながらも、娘達に何も起きなければいいと思うのは虫が良すぎるか。
だがこんな所に置かれた身では、娘の安全を祈る事しか出来ない。
神様が居るのならばどうか、娘達だけでも救ってはくれないかと、ユウタロウは牢屋の中から必死に願い続ける。
※
「魔法を出す感覚なんてものは皆違うのにゃ。物を投げたり蹴ったりするのと同じで、力の調節なんてその人によって違うにゃ。潤平は魔法が使える様になった子供と同じなのにゃ、まだ微妙な調節が出来ない状態でコツなんてものはないのにゃ。下手くそなんだからどんどん場数を踏んでいくしかないのにゃ~」
「なるほど、様は習うより慣れろの段階って事ね」
「そう言う事にゃ、因みに僕は一年かかったにゃん。スミちーはどれ位で感覚を掴んだにゃん?」
「一年は早いですね、私は六つの頃から始めて感覚を掴んだと思ったのは十一歳の時ですかね。なので五年掛かった事になりますね」
「まあ僕は妖精の血も混じってるからにゃ、これでも妖精俗の中では普通な方だと思うにゃ。ルリちーの五年も一般人からしたら十分早い方だと思うにゃ。普通の人は平均八年位だと思うにゃん」
「八年も!?」
「うん、学校に通わず教えて貰うだけだとそれくらいだと思うにゃ。分かったかにゃ幾らコツを聞いたとしても、慣れないとどうしようもないんだにゃ、なのでとっとと訓練するのにゃ」
ピー男爵は横になりながら、尻尾をゆらゆらと揺らして練習しろと急かしてくる。
「そっか~、コツを聞こうと思ったけど、そんな段階を踏んでもいないのか、さながら俺は魔法の赤ちゃんなのか~」
「そうだにゃ、潤平は赤ちゃんにゃ」
手の平にまだソフトボールサイズ迄にしか納まらない水球を出す。
ここからどんどんと小さくしていくためには、場数をこなしていくしかない。
一体自分は何時になったら感覚とやらを掴める様になるんだろうと考える。
そんな潤平の横で何故かスミレが仕切りに赤ちゃん、赤ちゃんと小さな声で繰り返していた。
「じゃあコツを聞く段階ではないってのは分かったけど、皆がやってた練習方法を教えてよ。正直俺がやってる練習方法が合ってるのかすら分からないからさ」
「練習方法~?」
潤平はずっと、水球を出しては消して出しては消してを繰り返しているが、実際の所それが正しい訓練方法なのかすら分からない。
他に上達の近道になる方法が有るんだとしたら、それを聞いといて損はない。
ピー男爵は潤平の言葉に、自分が昔やっていた練習方法を思い出す、しかし殆どが普段生活の為に使用していたので、これと言った練習方法は直ぐに思い付かない。
「ん~、大抵は生活の中で覚えてく事だからにゃー、料理の為に火を興したり、生活や排水の為に水を出したり、周りを温める為に火と風魔法を混合させたり、何でもするんだにゃー。だから今潤平がやっている事も間違いとは言い辛いにゃ、まあコントロールする位だから、常時出しとくのも良いかもしれないにゃ」
「常に魔法を発動させておくって事?」
「そうにゃ、出し続けておく事で感覚も常に掴んでおけるにゃ。後は~複数出しておくとかにゃ?」
そう言って、ピー男爵は片手で魔法を二つ発動させる。
「複数出すのは、相対的にその人の総魔力量が関係してくるけど、普通の人でも三つは出せるから潤平の魔力量なら余裕だろうにゃ」
小さな風の玉を五個出して、片手で器用に操ると潤平の額に順番に全部当てる。
ペン、ペン、ペン、と潤平の額に当たる度に、小さな衝撃と風で前髪が揺れる。
ここで潤平は前に気になった事をピー男爵に質問する。
「前にさー、魔法を複数出そうとした事が有るんだけどさ、その時は十個までしか出せなかったよ?」
「それはにゃ多分、その時はそれ位しか魔力が残ってなかったんじゃないかにゃ?」
(んん~? なる程あの時は十個迄しか出せない、と制限が掛かってると思ったけど魔力がその位しかなかったのか。休んで回復したとは言え、日本が丸々入る程の収納を作ったんだからそりゃそうか。でも魔力を使ったのに使い果たした時みたいに、物凄い疲労感と虚無感が来なかったぞ。もしかして、急激に規模の大きい収納魔法を作ったからあんな事になっただけで、普通は魔力の使いすぎは勝手に体がセーブしてくれるのか?)
そう考えると、収納魔法を日本が丸々入る程の規模にしたのは、やはり馬鹿な選択だった言わざる終えない。
未だに魔力が回復しきってないのを考えると、馬鹿な考えだったと頭を抱えたくなる。
潤平が心の中で葛藤してるとも知らずピー男爵は話を続ける。
「スミちーはどんな事をしたんだにゃ?」
「私ですか?」
潤平の隣で話の成り行きをじっと聞いていたスミレは、急に自分に話を振られて戸惑う。
こめかみに垂れた髪を触りながら、スミレは自分の昔の事を思い出す。
「私も特にこれといった事はしてませんね、同じ様に生活の為に使ったり、遊びで複数出したり」
他の人と同じ様に特に変わらない練習方法を例に上げていく。
「ああ。後は色んな魔法を混ぜて遊んだりはしましたね。火と水、火と風、火と鉄とか、自分が使える魔法は大体混ぜて遊んでましたね」
「ああ、僕もやったにゃ。適当に色んな魔法を混ぜたりして遊ぶやつにゃ」
皆経験してるようで、魔法を遊びに使ったりしてるらしい。
「まあ、潤平は総魔力量が多いようだし? そんな簡単に魔力が尽きる事はないと思うから、限界までやってみるといいにゃ」
ピー男爵はまだ陽光を浴びたりない様で、日の当たる所でまたゴロリと横になった。
「限界まで出す……」
潤平は出したばかりの風球をじっと睨み付ける。
水球で練習するのをやめた理由は、またそこら辺を水浸しにするわけにはいかないと思ったからだ。
「まあ~、気長にやるにゃ。そんな簡単に慣れたら皆苦労してないにゃ~。スミちー体をブラッシングして欲しいにゃ~」
「良いですよ。いつもの櫛で良いですか?」
「うん。済まないにゃ~」
ピー男爵はどうやら飽きて来たようで、魔法の講座より自分の身だしなみを優先した。
スミレが立ち、ピー男爵のブラッシング用の櫛を取りに行くと、ピー男爵と潤平の二人きりになる。
(生活の為に魔法を使う、常時魔法を発動させとく、複数魔法を発動させる、色んな魔法を混合させる。とにかく魔法を身近に置いておく事が大事なのか)
風球を縮小させようと意識してコントロールする。
だがどう頑張っても、ソフトボールサイズ迄にしか縮まらず、潤平は苦い顔をする。
そして複数魔法を出してみようと試みる。
風球を一つ出してもう一つ出す、これが以外と簡単に出す事に成功する。
複数出すのは難しいと勝手に思っていたが、そんな事はなかった。
しかし二つ目を縮小しようとしてみたが、これがかなり難しい。
一つ縮小するのも上手くいかないのに、二つ目をコントロール出来る訳がない。
「んぎぎぎぎぎぎぎっっ」
歯を食いしばり、額に汗を垂らしながら魔力のコントロールに集中する。
けれども一つ目はソフトボールサイズに迄縮むが、二つ目は何も起こらない。
「良い調子にゃ~、その調子で頑張るにゃ~」
横からだらけきった応援の声が飛んで来る。
「ぶへぇーーっ」
集中して疲れたので、体から力を抜いて大きく息を吐く。
魔力のコントロールをするだけだと言うのに、結構な体力を使う。それでも何の変化もない二つ目の風球を見て、がっくりと片を落とす。
「そんなに気を落とす事ないにゃ、結構良い感じに行ってると思うにゃ」
「……それ本当?」
「うん。無駄にはなってないにゃ。只一つ言うとすれば、そんなに力んじゃ駄目にゃ、普段通り魔法を使うんだから、普段通りにすればいいにゃ」
「オケ、分かった」
普段通りに……普段通り。
潤平は大きく深呼吸をして、いつも通りに風球のコントロールをする。
すると徐々にだが、二つ目の風球も縮小していく。
「良いっ! 今が成長のチャーンス!」
少しづつだが、魔力のコントロールに変化が現れた事に手応えを掴め始める。
ゆっくりと確実に縮まり始める二つ目の風球、やがて一つ目の風球と同じ様に、二つ目の風球もソフトボールサイズに迄縮まった。
「良しっ!、良しっ! いけるぞこれっ」
まだソフトボールより小さくは出来ないが、手応えを感じ始めた事に嬉しくなる。
この調子で行けばきっと魔力のコントロールも上手く行く、そんな気がした。
「ふあ~っ、その調子でガンガンやるにゃ~」
その時潤平の頭に突然の閃きが走る。
常時魔法の発動、複数の魔法の行使、色んな種類の魔法とそれの混合、もしかしたらこれを今潤平が出せる分だけ出したら、もっと早く感覚を掴める様になるのでは?
今ある魔力をありったけ風球に使う、そしてそれを空中に浮かして常時発動させる。そして出した風球を火球に変えたり水球に変えたりする、そしてそれらを全て縮小する。
馬鹿みたいに聞こえるが試す価値はあると思う。
潤平は立ち上がると中庭の真ん中に歩いて行く。
そこで大きく深呼吸をすると、ありったけの風球を出す。
十、二十、三十、四十……、と今持ってる魔力を全て出し尽くして風球の発動に全力を注ぐ。
やがて空中に風球が物凄い数浮かぶ。その数約五百個。
それら全てをソフトボールサイズに迄縮小するイメージをする、人の頭程のサイズの風球五百個を小さくしていく。
それは並の人間には出来る事ではなく、潤平の体と魔力量があってこそ成せる荒技であった。
「ぬうぐぐぐっっっ、いげるはずっ」
横になって見守っていたピー男爵も、いきなり中庭に五百個もの風球が浮いた事にびっくりする。
驚いて毛が逆立って尻尾が立ってる。そして言葉が出て来ない。
ブラッシング用の串を取りに行き、ついでにとお茶と小腹が空いた様のお団子を持ってきていたスミレも、この光景を見て驚いて足を止めてる。
「もうっずごしっ、あどちょっどなんだっ!」
汗が頬を伝って足下に落ちていく。
集中しすぎなのと魔力の欠乏で、視界が暗く狭まってくる。それでも魔法の行使をやめない、ここでこの感覚を逃したら勿体ない気がしたからだ。
「ごいっ!」
やがて一つ目の風球が縮まると、さっきと同じ様に二つ目の風球も縮まり、そして四つ目、五つ目、六つ目と徐々に縮小する数が増えてくる。
それはゆっくりとだが、空中に浮いている全ての風球に変化が訪れていた。
最後の一つがソフトボールサイズ迄縮むと、五百個全ての風球がソフトボールサイズに迄納まった。
この光景にピー男爵とスミレは息を呑む。
まさかこれだけの数を、こんな早く魔力のコントロールが出来るなんて、今二人は奇跡を目撃したのだ。
そして当の潤平は、風球から意識を外さないでいた。
水球大爆発事件の時は、集中を欠いていたからあんな事になったけど今は違う。
これだけの魔法の暴走は危ないので、最後まで集中力を切らさない、五百個全ての風球の行使を止めたのを見届けると、大きく息を吐く。
そしてピー男爵の方を向くと、そのまま白目をむいてバタンっと地面に倒れ込む。
倒れた潤平の耳に聞こえてきたのは、ピー男爵のにゃああああっっとゆう声とと、潤平の名前を呼ぶスミレの悲鳴の様な声だった。
これで魔力が欠乏して倒れたのは二回目かな? 何て潤平は下らない事を考えながら、意識を急速に手放して行く。
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