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ご覧いただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでもらえれば嬉しいです。

皇女といっても、そんな扱いを受けたことなどなかった。

他の皇子、皇女は皇后もしくは力のある側妃の子であったが、アイリスは皇帝が気まぐれに手を出した侍女から生まれた子だった。

侍女は皇后の側近であり、皇后の気質をよく分かっていた。何より、侍女が身ごもったのは皇后が流産した時期であった。身の危険を予測した侍女は、皇宮から脱出して密かに皇女を産んだ。それがアイリスだった。そのまま母娘で静かに暮らせれば良かったのだが、どこからか情報が漏れ、二人は見つかってしまった。皇帝の血を引く子を市井に置くわけにはいかず、アイリスは皇宮に連れ戻され、侍女はその場で殺された。皇帝の手前、皇宮での生活は許されたが、皇室の一員としての身分は与えられなかった。使用人と同じ部屋で、使用人と同じ仕事を物心ついたときから行ってきたアイリスにとって、あるとき同僚に教えられた、自分は皇女であるという噂は信じられなかった。冗談半分で侍女頭に尋ねてしまったことが、アイリスにとって最大の不幸であった。それまでは、使用人として忙しい日々を送っていたが、それなりに平穏な日々であった。しかし、皇后の収まっていた怒りは、アイリスの不要な一言で再燃し、アイリスは過酷な境遇に置かれることとなった。

「汚らわしい子」

それが皇后の口癖だった。流産という苦しい経験をした時期に、自分を裏切った皇帝と侍女への怒りはすべてアイリスに向けられた。アイリスの顔立ちが、侍女に似てきたことも、皇后の怒りに油を注いだ。今までの使用人の業務に加えて、アイリスは皇后とその子等の理不尽な命令に答えねばならなかった。少しでも粗相をすれば、窓のない真っ暗な部屋に閉じ込められ、鞭を打たれ続けた。皇后が直接手を下すことはまれだったが、第二皇子と第一皇女は日々の不満を発散するおもちゃができたと、嬉々としてアイリスをいたぶった。

そんな日々に耐えること5年、アイリスに見向きもしなかった皇帝から、突然命令が下った。大公への降嫁、という勅命にアイリスは一瞬希望を抱いた。今の使用人以下の扱いから抜け出せるのかもしれないと心が躍った。しかしすぐに、帝国と並ぶ由緒ある大公国の公妃に、名ばかりの皇女である自分が選ばれることへの違和感が頭をよぎった。何か裏があるのではないだろうか、と。そして、それは現実となった。

勅令が下った日から降嫁まで、アイリスは毎日皇后の部屋に呼ばれた。大公に嫁ぐための花嫁修業と題して、実際には厳しい折檻が待っていた。侍女に鞭を打たせながら、皇后は鼻で笑うように言った。

「大公もそなたも、気に入らない者同士の婚姻なんて、陛下も面白いことを考えるわ」

新しい大公が即位し、年々軍事力を上げている大公国は、帝国にとって脅威であった。今まで気にもとめない、大公国とは名ばかりの弱小国であったからこそ、先の戦での戦功を称える褒賞をあちらの求めるままに与えるのは気に食わなかった。他の公国に一目置かれる存在になっては、帝国の統治に影響が出るかもしれない。大公国の求めに皇室が応じなかったとして、大公国の食料権を握っている帝国にあちらは逆らえない。結局、大公国はただの弱小国であることを他の公国に見せつけるためにも、嫌がらせのような褒賞を与えることを、皇帝は決定した。そして、その嫌がらせとして選ばれたのがアイリスであった。

(わたしはきっと、大公国でも嫌われ者ね)

嫌がらせとして降嫁するという事実を皇后から聞かされ、アイリスの心は深く沈んだ。自分が大公国でどのような扱いを受けるのか想像するのは容易かった。何より、大公には既に公妃も子もいるという事実が、アイリスを苦しめた。

(仲睦まじい夫婦にとって、わたしの存在は邪魔以外の何物でもないわ)

アイリスは家族を知らない。父と異母兄弟は他人よりも遠い存在だった。だからこそ、温かい家族というものに触れてみたいと思っていた。その温かい家族に自分が水を差す存在になってしまうことが、驚くほどアイリスの心を暗くした。

(母と同じような道を辿るのね)

母の存在は、皇帝と皇后の関係を悪化させた。そして、関わる者みなを不幸にした、自分を含めて。

皇后の高笑いの中、鞭を打たれ続けたが、身体よりも心の方が痛かった。どこに行っても不幸しか生み出さない自分は、一体何なのだろうと思うことしかできなかった。


* * *


「ごめんなさい」

自分の呟いた言葉で、アイリスは目を覚ました。ぼんやりと天井を見ていると、自分が寝台の上に寝かされていることに気がついた。背中に痛みを感じ、仰向けの状態からゆっくりと身体を動かすと、枕元にいた人物と目が合った。

「お目覚めですか? 良かった! 部屋に入ったら倒れ込んでいらっしゃって、驚きましたよ」

屈託のない笑顔が特徴的な少女だった。アイリスより少し若い、まだ世の中をあまり分かっていなさそうな表情をしていた。だからこそ、アイリスの部屋にやってきたのだろう。

「…ここへは、どうして?」

アイリスの問いに、少女は明るく答えた。

「あたし、ミルといいます。まだこのお城に使えて間もなくて、できることは何でもやろうと思ったんです。誰も皇女さまのお部屋に行っていなかったから、下っ端のあたしがすぐに動かなくちゃと思って」

「誰かに命令されて来たわけではないのね?」

「はい、言われる前に動くことがやっとできました! 皇女さま、床で寝ては駄目ですよ、こんな寒い部屋で凍死してしまいます。今、暖炉に火をつけますね」

「やらなくて結構よ」

アイリスは冷たく言った。ミルの驚く顔を見つめて、アイリスは続ける。

「あなたのような身分の低い者が、皇女であるわたしの部屋に入って良いと思っているの? なれなれしく口をきくなどあってはならないことだとわからない? 早く出て行ってちょうだい」

「そんな、あたしは…」

「あなたがこの部屋にいることが知られたら、わたしの恥だわ。皇室の恥にもなる。誰の目にもつかないように早く出て行って」

目に涙を浮かべながら、ミルは走って出て行った。後ろ姿を見つめながら、アイリスは息を吐いた。

(誰にも見られていないといいけれど。わたしの世話をしたことが知られたら、あの子がつらい思いをするから)

皇宮での日々の中、使用人の一部の者はアイリスの境遇を憐れんで手助けをしてくれたことがあった。自分にも味方がいることが何よりうれしかった。しかし、アイリスに手を貸した者はささいなことで次々に処分を受けた。アイリスの味方になることは、皇后の敵になることと同じだった。目の前で味方してくれた者たちが鞭打たれ、アイリスに対して恨みの目を向けることが繰り返され、アイリスの心は折れた。自分は味方を作ってはいけないのだと実感した。

それは、この王城であっても同じこと。自分と関わった者は処分されるだろう、スミールや侍女頭によって。

(親切にしてくれたのに申し訳ないけれど、冷たくしないとああいう子はきっと毎日この部屋を訪れてしまう。これで良かったの)

あの無邪気な笑顔を、涙で染めてしまったことへの罪悪感が渦巻く。けれど、どうしようもなかった。ただ自分を助けようと寝台に寝かせてくれたあの少女が処分を受けるところも、自分に恨みの目を向けるところも見たくなかった。

そう言い聞かせながらも、アイリスの目から涙がこぼれた。もう、涙を流す気力も体力もないと思っていたけれど、まだ人の温もりを欲しているのかもしれない。

涙をぬぐう体力も惜しみながら、冷たい部屋の中でアイリスはゆっくりと目を閉じた。


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