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大公国の宮殿は、お世辞にも豪華絢爛な建物とは言えなかった。しかし、古くて質素ながらも、清掃が行き届き、皇室の宮殿とは違う温かみがあった。治める者の性格の違いなのかもしれない。少なくとも、自分にとっては生まれ育った皇室よりも好ましく感じられた。しかし、相手側にとって自分は最も好ましく来訪者だろう。この国を散々苦しめてきた皇室の血を引き、かつ領民に慕われる公妃の座を脅かすものなのだから。
(何とお詫びしたらよいのだろう。わたしの存在で、この美しい国が憎しみに満ちた国になってしまうかもしれない)
突き刺さる冷たい目線の中、第二皇女アイリスは兵の案内に従って宮殿の中に進んだ。応接室と思われる部屋に入ると、大公国の大臣等が待っていた。
「マミア大公国にようこそおいでくださいました、皇女さま。公宰相のスミールと申します」
中央にいる大臣が深々と礼をする。スミールという名は聞いていた。長い間大公家に仕える、切れ者という評判だった。
「出迎え、感謝します。急な輿入れとなって、苦労をかけました」
「とんでもございません。しかし、突然のことであったため、大公閣下は現在宮殿にいらっしゃいません。出迎えができなくて申し訳ないと言伝を預かっております」
部屋に大公が不在なのは気付いていた。宮殿にもいないとなると、やはり自分は招かれざる客なのだろう。政治的に必要だとしても、それでも会いたくないという大公の思いが伝わってくる。それも当然だ、とアイリスは頷いた。
「いいえ、突然の勅令でしたもの、仕方ありません。お手を煩わせてしまって申し訳ないのはこちらの方です。戦が終わってまだ間もないと聞いています。わたしのことは気にせず、業務に戻ってください」
アイリスの言葉に、スミールは少し眉を上げた。帝国の誇り高き皇女は、このような扱いを受けたら憤ると予想していたのだろう。しかし、アイリスにはそのような矜持も無かったし、何より憤るほどの気力も残っていなかった。
「それでは、お部屋にご案内いたします。奥に控えておりますのが、侍女頭でございますので、あの者がご案内いたします」
スミールが紹介した侍女頭は、美しい姿勢でアイリスに向かって礼をする。
「皇女さまにご挨拶いたします。モリノと申します。何か御用がありましたら、お申し付けくださいね」
柔らかく笑いかけるその顔には、他の者とは違って憎しみがなく、アイリスは少し安堵した。
「ええ、世話になります」
「皇女さまの身の回りのお手伝いは、この宮殿の侍女等が行います。皇宮から連れてこられた者にはお帰りになって頂きたいのですが」
スミールの部下と思われる臣下が強い口調で言った。間諜が紛れ込むことを危惧しているのだろう。
(こんな明け透けな物言いであったら、ベルナール様はさぞお怒りになるでしょうね)
姉の癇癪を思い出しながら、アイリスは微笑んだ。
「こちらに来たのはわたし1人ですから、ご心配なく。モリノ殿、お部屋までお願いできるかしら」
皇女が供の者1人付けずに嫁ぐことを不審がられるだろうか、とアイリスはふと思った。しかし、取り繕ったところで仕方が無い。何より、自分に侍女のような者などいたことがなかったのだから。
* * *
「何というか……、普通の女性でしたな」
皇女が去った後の、重臣達の意見は、一致していた。皇帝の娘というには、あまりにも地味だった。尊大でもなければ、悲壮的でもなかった。
「大公閣下がいらっしゃらないことに、ひどくお怒りになると思いましたが、あんなにあっさりと受け入れるとは。側の者もいないと」
まるで、自分が置かれる境遇を全て理解しているようだった。それでいて、どこか他人事で淡々と受け入れている、そんな様子に見えた。
憎しみの対象の態度に、どこか拍子抜けしてしまった重臣等を見回して、スミールは声を荒げた。
「何を言っておられる。最初から本性を見せるわけがなかろう。大公国をかき乱すために、これから動き出すに決まっている。警戒を怠らないように」
「そ、そうですな。閣下と公妃さまのためにも、しっかり動きを封じ込めねば」
慌てたように、皆が同調する。長年公宰相を務める重鎮のスミールの言葉には、大公と同等の重みがあった。
(侍女頭とも話はついている。皇女の思い通りにはさせまい)
先代大公を戦で早くに亡くし、今の大公は10で即位した。若く経験のない大公を、スミールは公宰相としてずっと側で支えてきた。立派に成長し、戦場でも政治の場でも堂々と活躍する大公は自分の誇りであり、愛おしい存在だった。畏れ多いが、息子のような愛情を感じている。そんな大公を苦しめる存在を、絶対に許すわけにはいかなかった。皇帝も、その命によって大公国をかき乱す皇女も、スミールにとっては仇敵だった。
(大公閣下を、大公国を軽んじた報いを受けてもらわねば)
スミールは、強く拳を握りしめた。
* * *
侍女頭に案内されて向かった自分の部屋までは、かなりの距離だった。おそらく、宮殿の隅なのだろう。大公にも公妃にも会わせないように。
(会わないですむなら、その方がいいわ。何より、公妃さまには申し訳なさしかないもの)
公妃は臨月を迎えていると聞く。自分のような者の出現で、母体に影響していないか心が暗くなる。
「こちらです」
案内された部屋は、狭く簡素なものだった。中にはベッドと小さな机が置かれているのみだった。使用人が使うような部屋を見て、自分が全く歓迎されていないことを改めて実感する。それでも、窓があるだけましだった。
「奥に、厠と井戸があります。食事は侍女がお運びします。それでは。」
応接室で見せた笑顔が嘘のように冷たい表情で言い放つと、侍女頭は静かに部屋を後にした。
(あの人も、やっぱりわたしを憎んでいるのね)
アイリスは諦めのようなため息をついた。傷ついたところで仕方ないが、それでもやはり悲しくはあった。持ってきた小さな包みを広げ、持ち物を整理しようとした時、めまいに襲われた。
背中の傷がじくじくと痛む。長い間治療せず放置していたから、もしかしたら化膿しているかもしれない。傷からの発熱も高くなってきたように感じる。重臣等の前で受け答えするために張り詰めていた気持ちが切れ、自分の身体が限界だということを察した。意識が遠くなり、アイリスは床に崩れ落ちた。




