2
ご覧いただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでもらえれば嬉しいです。
サナヒ帝国の建国神話は、700年前に遡る。砂漠の広がる草原を抜け、険しい北部の山嶺を越えて、一族と共に今のサナヒ帝国の中心地に居を構えたのが、帝国の初代皇帝、アムーロだった。アムーロは、元々一族が住んでいた土地と比べて遙かに豊かな土壌を持つこの地を賞賛して、サナヒ(神の祝福)と名付け、この地を統治した。民への思いやりに満ちた制度を確立し、争いのない平和な世を作ったアムーロは人々から尊ばれ、賢君として今なお語り継がれている。アムーロには、4人の子がいた。アムーロの血を受け継いだ彼らは揃って優秀であった。第一皇子は後継として皇太子に任命され、第二皇子、第三皇子、第一皇女は帝国内にそれぞれ大公として領土を持つことを許された。拡大していく帝国領を、4人の子で広く統治するためであった。しかし、ここで1つ問題が生じた。それは、アムーロの弟であるジグロの存在であった。ジグロはアムーロの統治における第一の立役者であり、アムーロと同等の尊敬を集めていた。皇子らもまた、ジグロを敬い、彼こそ次の皇帝にふさわしいとアムーロに進言するほどであった。ジグロと甥姪との仲は大変良好であったが、この状況によって皇子派と皇弟派という臣下の分裂が起きてしまった。自分の存在が内乱の原因になることを察知したジグロは、自ら進んで皇室を出、北部に移住することを進言した。かつて一族で越えた山嶺の麓である北部の地は、厳しい気候によって作物が育たないだけでなく、遊牧民が時折侵略しようと暴れ回る地でもあった。そのような地を治め、帝国の平和を守ることこそ、皇弟である自分の役割だという弟を、アムーロは強く引き留めたが、最終的に折れたのはアムーロであった。アムーロは何よりも帝国の平和を望む弟の清らかな心に深く感謝し、ジグロが治める地を大公国とし、未来永劫、食糧を中央から優先的に輸出することを約束した。こうして、サナヒ帝国は皇帝の統治を1つの大公国と3つの公国が支え、お互いに協力し合う体制となった。その後、サナヒ帝国は領土を次々に拡大し、姻戚となって同盟関係にあった3つの国を吸収して公国とし、更に戦をして占領した3つの国も公国として吸収され、サナヒ帝国は三代皇帝の時に1つの大公国と9つの公国を統べる、大帝国となった。この頃には、政治体制も固まり、9つの公国は自分の領地を統治する他に、中央で大臣として皇帝に仕えることが定められた。フリター制というこの制度では、大臣は宰相・軍務大臣・法務大臣・財務大臣・農政大臣・産業大臣・民部大臣・治部大臣・環境大臣という9つの大臣に分かれることになった。大公の適性によって担当する大臣は決められ、皇帝の代替わりの際に大公家の総入れ替えが行われる。しかし、実際は強い権力を持つ宰相・軍務大臣・法務大臣は建国の祖であるアムーロの子が始まりである3公国の大公が務め、それらの大公との関係性によって、他の大臣は半ば強制的に決定されるのが常であった。戦に負けて吸収された公国の立場はやはり弱く、9公国の中でも格差は大きかった。そして、特権的な待遇を与えられていた大公国も、時代が降るにつれて力は弱まり、皇室からも邪険に扱われるようになった。それが、今のマミア大公国であった。




