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公妃が目を覚ましたのは、事件から7日後のことだった。
「リリアン…、本当に良かった。生きていてくれて、ありがとう」
泣きながら自分の手を握る夫を、公妃は微笑んで見つめた。毒に犯された顔色は悪かったが、それでも公妃は美しかった。
「あなた…、アイリスさまはご無事ですか。アイリスさまも同じように苦しまれて…?」
こんな時まで、他人を心配する公妃の優しさに、大公は胸を打たれる。それと同時に、こんなにも慈愛あふれる妻が傷つけられたことへの怒りが再燃する。
「…あなたを傷つけたのは皇女だ。結局、帝国の手の者だったのだ」
「そんなはずありません。アイリスさまは、誰よりも公子たちを大事に思ってくださいました。わたくしを姉のように慕ってくださって…。あの方がそのようなことをするなど」
公妃は驚いたように否定する。しかし、大公の声は厳しかった。
「今、近衛隊が調査をしている。証拠はすべて、皇女を指していた。我々は、騙されていたのだろう」
「そんな…」
公妃には信じられなかった。あの屈託のない笑顔を自分に向けてくれていた、あの儚げな少女が、大公国を欺いていたというのだろうか。苦しい過去から立ち上がり、懸命に幸せをつかもとうとしていた彼女が、自らその幸せを手放そうとしたのだろうか。
公妃が言葉を失っていたそのとき、急に扉が開いた。
「先触れもなく申し訳ありません、閣下、お話よろしいでしょうか」
「スミール、どうした、そなたらしくない」
大公との面会は、侍従を通して事前に伝えることが原則だった。その原則を、スミールは誰よりも厳格に守る臣下だった。そのスミールが、息を切らしながら突然公妃の部屋に押しかけたことに、大公も公妃も戸惑った表情を見せた。
「申し訳ありません。急ぎ、お伝えしなければならないことがあります」
いつも冷静沈着なスミールがこのように狼狽した姿を見るのはいつぶりろうか、と大公は思ってしまう。それほど、いつにない様子であった。
「一体、何があったのだ」
「近衛隊とは別に、私の方でも公妃さまの事件を調べておりました。そこで…、真犯人が浮上しました」
「どういうことです」
公妃が顔を強ばらせる。スミールは息を整えながら、事の顛末を丁寧に話し始めた。
皇女の出迎えを怠ったと言うことで、スミールを含め、侍女頭、侍従長はそれぞれ処分を受けた。スミールと侍従長は罪を尤もだとして受け入れたが、侍女頭は納得していなかった。皇女への不満、そして皇女をかばう公妃への不満を漏らしているとの密告がたびたびあったため、スミールは侍女頭への警戒を深めていた。そして先日、帝国と内通している証拠の密書が見つかった。帝国側の内通者は、皇后であった。
「侍女頭は、皇后から毒を受け取っていたようです。そして、それを毎日皇女さまの食事に少量加えていました。皇女さまの身体を毒にならすために」
「そんな…。では、最近、アイリスさまが体調を崩しておられたのは」
「ええ、おそらくその毒が原因でしょう。皇女さまを診察していた主治医も、皇后の息がかかっていたようです。そのため、皇女さまは毒を飲み続け、中毒状態であった。だから、公妃さまがお倒れになった際、同じお茶を飲んでも症状が出なかったのです。公妃さまと皇女さまが二人になるときを見計らって、カップに毒を塗っておいたと証言はとれております」
「では、侍女頭は認めておるのだな」
「はい。証拠の密書と、部屋に隠されていた毒を暴かれ、もう逃げ道はないと悟ったのでしょう」
スミールはため息をつき、首をふる。
「皇后の狙いは、ただ、皇女さまを苦しめることにありました。大公国で、皇女さまが幸せに暮らすことをよしとしませんでした。そのため…」
そのため、公妃を巻き込んでこのような事件を起こした。
あまりにも稚拙な皇后の行いに、その場の皆が声を失った。ただ皇女を苦しめるためだけに、国交を揺るがせるような犯行を命令するのが帝国の皇后だという事実も、その命令に従ったのが大公国の侍女頭であったという事実も、信じられないものだった。
「皇女さまは無罪なのですね。あの方は巻き込まれただけ。いいえ、毒をずっと飲まされていた被害者です。あなた、皇女さまを早く侍医に診せなくては」
焦ったように公妃は大公を見る。しかし、大公は難しい顔をしていた。
「あなたを害した犯人が、帝国であるということには変わりはない」
「あなた…?」
公妃はまばたきをする。夫が何を言おうとしているのか、理解したくなかった。
「帝国を公に非難することはできない。悔しいが…、我が国には帝国に立ち向かうだけの力がない。反抗したら、食料供給を止められてしまうだろう。それは何としてでも避けなければならない」
大公は、公妃を見つめて、顔を歪ませた。
「あなたが傷つけられたことは、国中に広まってしまっている。そして誰もが、帝国の仕業だと思っている。ここで皇女を無罪にしては、民等は帝国への反発を深めるだろう。最悪、反乱が起こるかもしれない。大公として、それは防がねばならない」
「そんな、アイリスさまを生け贄にするとでも言うのですか。あの方は何もしていないのに」
公妃は信じられない、とでも言うように大公に詰め寄る。スミールが慌てて、二人の間に入った。
「落ち着いてください。閣下、公妃さま、おそらく、帝国の罪は問えるかと思われます」
「何だと」
目を丸くする大公に、スミールは書簡を手渡した。
「ナミル公国からの書簡です。大公国への食糧供給を約束すると」
思いがけない言葉に、大公は信じられない思いで書簡を開いた。そこには、ナミル公爵の名で大公国へナミル公国から食料を定期的に供給することと、大公国に滞在する第二皇女への感謝の言葉が綴られていた。
「これは一体…」
「私も詳しくはよく分かっていません。皇女さまから受け取るように頼まれたという侍従からこの書簡を先ほど受け取ったばかりでして」
困惑の表情を浮かべながらスミールは言った。スミール自身も、急にこのような書簡が送られてきたことがよく分からなかった。大公国にとって利でしかない内容であり、かつ皇女が関係しているという。寝耳に水の話で、良い知らせのはずが戸惑いの気持ちが先に来てしまっていた。何か、裏があるのだろうか。
「これが本当の国書であった場合、我が国は帝国の機嫌を伺う必要がなくなる…」
書簡を持つ大公の手が震えた。これまでの大公家の悲願が、叶うかもしれなかった。しかし、逆に帝国の罠という可能性もあった。迂闊に動くわけにはいかない。
「あなた、皇女さまに話を聞きましょう。何より、皇女さまを早く侍医に診せなくては。自室にいらっしゃるのですよね?」
「ああ…、いや、皇女は…」
歯切れの悪い大公の様子に、公妃はすべてを察する。大公の制止を振り切って、部屋着のまま、公妃は地下牢へと向かった。
* * *
(一体、何なんだ…)
サナノの頭の中は、疑問でいっぱいだった。大公国を脅かす憎き帝国からやってきた、第二皇女がすべての元凶のはずだった。そう思えれば、楽だった。
しかし、皇女の反応は、いつもサナノの予想を裏切る。公妃さまを慕い、大公国を案じ、帝国に立ち向かいたいと言う。そう言った皇女の眼は、とても嘘をついているとは思えなかった。
そして、皇女の言うとおりに、皇女宛てに密書が届いた。封を開けると、それはナミル公国からの国書であった。この国書が、大公国の最大の弱点である食糧不足を救ってくれる者であることは、一介の侍従であるサナノにでも分かった。
(皇女はなぜ、大公国のために動いたんだ、どうやって…)
今頃、宰相が大公に報告に行っているだろう。皇女が助け出される前に、自分の口で聞きたかった。皇女の本心を、皇女の言葉で直接聞きたかった。それが、自分の役目のような気がした。
手に持っている松明を、皇女がいる牢に近づける。皇女は、牢の隅の方で横たわっていた。何度か声をかけるが応答がない。嫌な予感がして、一応持ってきた鍵を出し、牢の中に入る。
「…どうしたんだ…?」
皇女の肩に触れると、それだけで痩せ細っているのが分かった。身体はひどく冷たく、生気を感じられなかった。
「おい、しっかりしろ」
慌てて皇女を揺さぶる。しかし、皇女からは何の反応もなかった。
「アイリスさま!」
そのとき、背後から女性が飛び込んできた。地下牢には似つかわしくない、声の主を見ると、自分が敬愛する公妃さまだった。
「なぜ、こんなところに…、こんなにお痩せになって…」
公妃さまはサナノから皇女をはぎとり、冷たい頬を撫でながら抱きしめた。その涙を見て、サナノは自分がすべて間違っていたことを理解した。
(皇女が公妃様を害するはずがないじゃないか…)
「アイリスさま、すぐにお部屋へ参りましょう。わたくしがついています。ですから、どうか…」
公妃さまは皇女を抱き上げ、牢から出て行く。華奢な公妃さまでも抱き上げられるほど、皇女が小さく軽いことを改めて実感する。
(おれは、一体何を見ていたのだろう)
サナノは途方に暮れる思いで、小さくなっていく皇女の姿を見つめていた。
* * *
それからの大公国には、大きな変化が起こった。
ナミル公国からの国書によって、2国は正式に同盟関係を結んだ。ナミル公国は大公国に十分な食料を提供することを、大公国はナミル公国に遊牧民からの防御のための支援をすることを約束した。遊牧民の侵入が多くなり、防御に頭を悩ませているナミル公国には、広い耕地が広がり、潤沢な農作物があった。対して、厳しい寒さによって作物が育たない大公国には、北の騎馬民族をも退ける軍事力があった。両国の利害が一致し、同盟が結ばれたのだった。
この同盟は、大公国にとって帝国の圧力から逃れる1つの手立てになった。この機を逃すまいと切れ者の公宰相が動いた。今までの大公国への理不尽な要求を公表すると共に、皇后による公妃暗殺未遂事件について公に帝国の責任を追及した。他の公国からも、大公国への同情の声が広がり、帝国はこれまでの大公国への態度について謝罪した。絶大な権力をほこる帝国が己の責めを認めて謝罪することは、非常に画期的なことであった。また、皇后は今までの悪事も暴かれ、その責任を問われて側妃へ降格となった。
帝国からの圧力も弱まり、食糧不足への不安も解消されたことから、大公国は従来の輝きを取り戻した。帝国と並ぶ、建国以来の忠臣の国として、周りから尊敬を集めることとなった。騎馬民族から帝国全土を守る、唯一無二の存在として、どの国からも尊重される存在となったのである。
そして、大公国がこのように飛躍した背景に、一人の少女の尽力があったことは、ひっそりと語り継がれていった。




