13
ご覧いただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでもらえれば嬉しいです。
「アイリスさま、今年は大公国でもきれいなお花が咲きましたよ」
リリアンは、ゆっくりと語りかけた。かつて、アイリスは不思議そうな顔でリリアンに聞いてきた。どうして、大公国は色がないのかと。そう指摘されるまで、大公国で咲く花の少なさに、リリアンは気づかなかった。寒いから、あまり花が育たないのだという侍女の言葉に、それならば、寒さに強い花を植えましょう、華やかになれば寒さも和らぐはずです、とアイリスは笑顔で提案した。その提案をもとに、公子達と城の庭園に花の苗を植えた、あの時間を思い出す。どんな花を咲かせるか予想しながら庭いじりをしたあの空間は、かけがえのないものだった。
(あの時間を、あの笑顔を、守りたかった…)
そして、共に植えたたくさんの花が咲き乱れる、このきれいな景色を見せたかった。
リリアンはそっと目を伏せる。何度も読み返した、アイリスからの文をまた広げて、あのときの騒動に思いをはせた。
* * *
リリアンが地下牢に駆けつけたとき、アイリスの命は風前の灯火だった。毒に犯されて弱っていた身体は、地下牢の寒さと尋問の際に受けた暴行により、極限の状態にあった。すこし丸みを帯びてきた身体は一層痩せ細り、艶を取り戻した髪は抜け、傷からの熱も出ないほどに身体が冷え切っていた。侍医と共にリリアンは懸命に看病をしたが、地下牢から助け出されて3日後、アイリスは静かに息を引き取った。苦しかっただろうに、最期の顔は微笑みを湛えていた。
なぜ、アイリスが微笑んでいたのか、リリアンは分からなかった。自分たち大公国の者は、無実のアイリスを何度も痛めつけた。一度謝罪をしたにも関わらず、また手のひらを返した大公国に、アイリスは何も思わないのだろうか。
そんな疑問を抱えながら、リリアンはアイリスの部屋の整理にとりかかった。アイリス宛てのナミル公国からの国書の背景については、ナミル公国からの使者によって概要は分かっていた。アイリスが帝国にいた頃、ナミル公国の公女が帝国の人質に取られていた。公女は少々世間知らず気味で、たびたび皇后や第一皇女、その他他の人質から嘲笑をかっていた。あるとき、茶会でナミル公女が誰かに転ばされ、皇后のお気に入りの茶器を割ってしまったことがあった。ナミル公女は死を覚悟したが、その罪をアイリスがかぶった。痛ましいほどに鞭打たれ、ふらついているアイリスは、それでもナミル公女を守り、決して責めなかった。その時の恩を忘れなかった公女から、アイリスに度々文がくるようになり、それをきっかけに食糧提供の提案が出たようだった。
アイリスらしい、とリリアンは思う。どんなに逆境の中で育っても、アイリスは気高く誠実だった。そんなアイリスだからこそ、最期の時に何の恨みも見せなかったのだろうか。実際の思いはどうだったのだろうか。アイリスの心の内を知る手がかりが欲しかった。彼女がどんな思いでこの世を去ったのか、知らなくてはいけないとリリアンは思っていた。
アイリスの部屋は、驚くほど何もなかった。帝国から持ってきたものが僅かだということは分かっていた。何回か訪れたこともあったが、部屋の中の収納にほとんど何もないとは思っていなかった。その事実にも、胸が痛んだ。自分がアイリスについて何も分かっていなかったことを実感する。
そんな中、机の引き出しから1つの冊子を見つけた。冊子には、大公国が食糧を安定的に確保するための策がびっしりと書き込まれていた。アイリスがこんなにも、大公国の行く末を考えていたのだと思うと、手が震えた。同時に、自分たちの無能さを実感した。一人の少女が、帝国に立ち向かおうと必死になっていたとき、自分たちは何をしていたのだろう。確かに、ナミル公国とのつながりを大公国は持っていなかった。けれど、動こうと思えばいくらでも動けたはずだった。他の公国との接点を作り、助けを求めることなど、考えればいくらでもできただろう。それをしなかったのは、大公国であるという驕りが無意識にあったのかもしれない。他の公国に頼るという発想がなく、ただ帝国のやり方に不満をもつだけだった。結局、その態度が領民を苦しめる元になった。
リリアンは後悔をにじませながら、冊子を次々にめくった。そのとき、冊子から便せんがこぼれ落ちた。宛名をみると、自分宛の文だった。
「アイリスさま…?」
リリアンは慌てて文を開いた。そこには、アイリスの言葉が綴られていた。
リリアンさま
最近体調が思わしくなくて、心配をかけてしまってごめんなさい。
いろいろ考えるんです。もしかしたら、わたしのことを皇后さまは忘れていないのではないか、わたしはそう長くここにいられないのではないか。
そう思ったら、わたしの気持ちを直接伝えることができない可能性もあるのではないかと思ってしまって、こうして文を書いています。でも、絶対に直接お伝えしたいから、この文をリリアンさまがご覧になっていないことを願っています。
わたし、この国にやってきて本当に幸せです。今まで、わたしには家族がいませんでした。むしろ、家族の仲を壊してしまう存在でした。わたしを産んでくれた母も、皇后さまも、皇帝陛下も、わたしの存在で皆不幸になった。それは、大公閣下とリリアンさまにとっても同じです。仲睦まじい大公ご夫妻の絆を、わたしの存在が壊してしまうのではないかって、罪悪感でいっぱいでした。恨まれるのも、蔑まれるのも、当然だって思っていました。特にリリアンさま、あなたには何を言われても仕方がないって思っていました。謝罪しても拭いきれないくらい、辛い思いをさせてしまっていると思っていました。
でも、あなたは違いました。こんなわたしのことを、宝物だと言ってくれた。どんなにうれしかったか。わたし、何度も聞いてしまいましたよね。嬉しくて嬉しくて、何回でもリリアンさまから宝物って言われたかったんです。それくらい、わたしのとって特別なことでした。やっと、自分の存在を認められた気がしたんです。公子さまや公女さまとも一緒にいられて、初めて家族のあたたかさというものにも触れられました。この時間がずっと続きますようにって、毎晩お願いしているんです。
わたしにとって、大公国での日々は、夢そのものです。そんなしあわせを与えてくれた大公国には、感謝しかありません。何か恩返しをしなくてはとずっと考えていました。最近、やっとそれが実現しそうなんです。わたしも、だてに帝国にいたわけではありません。顔見知りになった、他の公国からの人質の方も少しいたんです。あのときのちょっとした親切が、こんなことにつながるなんて、何でもやってみるものですね。わたしが考えたことが、少しでも皆さんのお役に立てていれば嬉しいです。
リリアンさま、これからもずっとわたしの大切な存在でいてくださいね。失礼かもしれないのですが、お姉さまのように思っているんです。いつか、お姉さまと呼びたいなって、そして、一緒にたくさんお出かけしたいなって。リリアンさまともっと仲良くなっていけたら嬉しいです。そして一緒に、公子さまと公女さまの成長を見守らせてください。
とても長くなってしまいましたね。でもこれが、今のわたしの気持ちです。書いていて思いましたが、やはりこれは直接お伝えしないといけませんね。少し調子が良くなってきたので、明日リリアンさまをお茶にお誘いしようかしら。そして、たくさんお話ししたいなと思います。
万が一にでも、この文だけリリアンさまが見ることがないことを祈って アイリス
途中から涙があふれて、まともに文が読めなくなった。何度も何度も読み返して、リリアンは呆然とする。
きっと、この文を書いたのは、あの事件が起こる前日だったのだろう。アイリスは自分の命の危険を何気なく察知し、文を残し、そして逝ってしまった。こんなにもリリアンのことを慕い、大公国を大切にしていてくれたのに、守ることができなかった。
「ごめんなさい…」
リリアンは文を抱きしめ、その場に座り込んだ。自分の無力感に打ちのめされる思いだった。
* * *
どれくらいそうしていただろうか、背後に気配を感じて振り向くと、大公がいた。
「あなた…」
「侍女があなたのことを探していた。ここだろうと思って」
大公は呟くように言った。そして、リリアンの横に座り込む。
「私は、大きな間違いをしてしまった。あなたもさぞ、私を恨んでいるだろう」
「…」
リリアンは答えない。最近は、夫婦の会話も少なくなっていた。
「帝国を憎むあまり、私は大切なことを見逃してしまっていた。まずは私から、帝国に立ち向かうために動かなくてはならなかったのに。そのためには、皇女を信じる必要があった…」
大公は天井を見上げる。そのまなざしには、深い後悔と贖罪の色がこもっていた。
「私が犯した罪は消えない。この過ちは、絶対に忘れない。そして、皇女への感謝と尊敬も消えることはない。彼女が残してくれた光を、次につなげていく。それが、私に課された責務だと思うのだ」
大公はリリアンに向き直り、手を取った。その手は、わずかに震えていた。リリアンに拒否されることを恐れている、そんな震えだった。
「リリアン、これまでの愚かな私に、失望していることだろう。だが、もう一度私と歩んでくれないか。皇女が導いてくれた場所へ、共に進んでくれないだろうか。大公国を、もっとよりよい国にできるように」
(この人は、過ちに向き合おうとしている)
大公のアイリスに対する仕打ちを、許せたわけではなかった。けれど、大公は自分の罪を真摯に受け止め、そこから前に進もうとしている。そんな彼だからこそ、婚姻を受け入れたことを思い出した。この人となら、一緒に歩んでいける、リリアンにはそう思えた。
「もちろんですわ。ここでわたくし達が立ち止まっていては、今度こそアイリスさまに失望されてしまいます。皆で話し合って、よりよい未来を作っていきましょう。わたくしたちのこども達がいつまでも笑っていられるように」
まっすぐ大公の瞳を見つめて、リリアンは答えた。強ばっていた大公の表情が少し緩む。
「ありがとう。本当に…、ありがとう」
「もう、泣き虫さんですね」
リリアンも涙を浮かべながら、大公の涙を拭う。
久しぶりに見る、夫婦の和やかな光景に、侍従等は安堵の表情を浮かべながら見守っていた。
* * *
(あれから、大公国は大きく変わった)
リリアンは花が咲き誇る美しい庭園を眺めた。城外から、明るくはしゃぐこども達の声が聞こえる。
この風景を一時のものではなく、当たり前のものにしていかなければいけない。
「まだまだ、これからですね」
アイリスの肖像画にリリアンは微笑みかける。
肖像画の中で、アイリスが笑い返した、そんな気がした。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!




