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こりすま日記  作者: らいどん


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194/195

アーサー・マッケン 恐怖

「恐怖 アーサー・マッケン傑作選」(平井呈一訳、創元推理文庫)


『パンの大神』(1894・明治27年)

『内奥の光』(1894・明治27年)

『輝く金字塔』(1895・明治28年)

『赤い手』(1895・明治28年)

『白魔』(1904・明治37年)

『生活の欠片』(1904・明治37年)

『恐怖』(1917・大正6年)


 上に挙げた本書収録作の発表年に、日本の年号を添えてみた。マッケンの出世作となった『パンの大神』が発表された明治二十七年は、ちょうど泉鏡花が『義血侠血』を発表した年でもある。平井呈一の解説によると、それ以前のマッケンは詩や随想、翻訳など「しょせんは戯作であり、現実逃避の遊び」、あるいは生活の糧を得るための文筆を手がけていたのだが、「戯作的態度ときっぱり決別して、近代文学に参入する決意を固めたように見受けられる」態度で書かれたのが『パンの大神』だったわけで、マッケン(1863生)と鏡花(1873生)は十の歳の差があるものの、小説家としてのデビューはほぼ同時だった。


 とはいえ、書く内容までが同じだったというわけではない。徐々に怪談に傾倒していった鏡花とはちがって、マッケンは当初から恐怖を主題に据えている。西洋における、ロマン主義の延長、啓蒙主義への抵抗の先にゴシック・ロマンスが生まれ、自然主義の対抗勢力として先鋭化したホラー小説がジャンルを成すという流れに目をつぶって、いきなり海外の自然主義文学を模範とした日本の文壇で、あるべき文学史の空白を埋めるという役割を鏡花はただ一人背負わされたわけで、恐怖小説にたどり着くまでは、それなりの時間が必要だった。

 ――そう思うと、鏡花が怪談を好んだことにはそれなりの必然があり、晩年のホラーチックな諸作こそ評価されるべきなのかもしれない、などと、また鏡花びいきの空想に浸ってしまいそうになるのだが、そう、マッケンを読んだのだった。


 マッケンのホラーの代表作を集めたこの作品集を読んで興味ぶかいのは、まず巻頭の『パンの大神』が採った朦朧的な記述――会話や記録、告白による断片的な情報で徐々に核心に迫りながらも、核心そのものを描くことはない――が、その後の鏡花が孤軍奮闘で切り開いた技法とほぼ同じものだということだ。叙述の方法だけに注目すれば『パンの大神』は、鏡花の『式部小路(しきぶこうじ)』(明39)のような錯綜した語り口の作品と、とてもよく似ている。

 郷里の風土や土着の神に材を取った主題を展開し尽くした後は、身辺雑記のような随想的日常世界が、いつの間にか異世界に浸食されるといった作風に変化したことも、この東西の作家に共通する。


 本格的な創作活動のデビュー作でもあり、生涯の代表作でもあるマッケンの『パンの大神』が、発表当時に汚らわしい、狂人の作品だと非難を浴びたのだという衝撃は、百三十年余後の現在読んでも衰えを感じさせない。思い返しても気味が悪い、真の恐怖を描き尽くした、ホラー小説の傑作である。

 ただし、小説としてはやや薄っぺらい。叙述を錯綜させるために登場することがあからさまな、誰であろうと交換可能な男たちが次々と現れて、無機質に結びついた結末を迎える。この段階では、どう書かれているのかよりも、何が書かれているのかが重視される、ジャンル小説史に資するものの方が大きい。執筆順に並んだ収録作品を読んだ限りでは、小説らしい肉づきを獲得するのは『白魔』あたり以降だと感じられる。小説の豊かさと内容の衝撃を兼ね備えたものとなると、ジャンル小説的には無視されてしまいそうな異色作『生活の欠片』だというのは、少々皮肉なことに思える。

 このあたりの、(本人の資質と執筆のタイミング的な理由で)どこか意を尽くしきれていないと思わせるところが、ボルヘスからはマイナー作家(ただし、よい意味での)だと、平井呈一からも二流(マイナー)作家(ただし、純粋の精神と情熱がある)だと、いったんの留保を経てから称賛される理由なのかもしれない。


 好きな作家なのに、ついクサすようなことを言ってしまったけれど、本作の収録作はどれも、愛おしくなるほど面白い。アンソロジーの表題を知名度の高い『パンの大神』にすればもっと売れただろうに、あえて小説的に充実した『恐怖』を掲げた創元推理文庫の姿勢もあっぱれで、付録として平井呈一の『アーサーマッケン作品集成』の解説すべてを収録したことや、編集注記に記された編集方針にも、作品と訳業に対する敬意が感じられる。

 旧作を売るという目的ならば省かれただろう『恐怖』という、多少一般向けではない箇所はあるもののユニークきわまりない作品をここで読めたことは、本当にありがたい。


『恐怖』は、第一次大戦下のイギリス国民の頭上にのしかかった不安を描いた作品で、それを目に見える形にするものとして、連続惨殺事件が発生する。ホラーでもあり、類例のないミステリーでもある。陰謀論が跋扈する第一次大戦の泥沼の様相だとか、都市部と田舎の生活意識というか空気の違いだとか、英仏がドイツ人をフン族呼ばわりしていたことだとか、当時のインテリがホッブズを「薔薇色の感傷主義」だとみなしていたことだとか、戦時下のイギリスを肌身に感じさせるエッセイとしても読み応えがある。

 ミステリーとしての謎解きでいえば、ダフニ・デュ・モーリエのあの作品のあれ――いや、ネタバレになってしまいますね――なのだけれど、私はむしろ、ヘレン・マクロイの素晴らしいミステリー『逃げる幻』を想い出した。こちらも戦争(第二次大戦)が色濃く影を落とす作品なのだが、答は目の前に差し出されているのに、読み手はあらぬ方向にミスディレクトされてしまう。

『恐怖』の場合、マッケンだからすべては「(いにしえ)のもの」の仕業だと片づけるのではないかと思ってしまうのは、先に読んだ他の収録作品がミスディレクションの役目を負っているからで、本書の作品の並びそのものが『恐怖』の結末を際立たせる効果を帯びているのだけれど、これは偶然ではあるまい。マッケンの作風の、過去作品を内包しつつ凌駕しようとする変遷の過程そのものが、すなわち内に謎を秘めるかたちを作っているのだから。

 本書は作家の生涯というミステリーを一望できることにおいても、優れたアンソロジーである。


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