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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~小品 その十七(麻を刈る)

『麻を刈る』(大正十五年九月-十月)


青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/50768_63869.html


「時事新報」夕刊に十三回にわたって連載された、長めの随筆。

 おもに人力車にまつわる、さまざまな思い出が語られるこの随筆は、誰もが楽しめるであろう、同時期に書かれた『真夏の梅』とは違って、鏡花初心者にお勧めできるようなものではない。

 理解できる範囲で、なんとなくの感想を抱くことは容易だろう。しかし具体的にいつの、どこの、誰との話なのか、なぜその話題を語るのかをふまえた味読の段階に踏みこむと、調べなければわからないことが多すぎる。手ぶらの状態で読んでも、どこまでも核心に至らない、朦朧とした霧に包まれてしまう。私も読むのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 とはいえ、この『麻を刈る』は、鏡花の小説作品や人生の謎を解き明かすための、鍵となるエピソードにあふれている。研究者や伝記作家にとっては、材料の宝庫のような得難い一篇になるのだろう。


 十三回にわたる、長さがまちまちの連載の切れ目が、(「新編泉鏡花集」第八巻の解題によれば、昭和三年刊の単行本『昭和新集』収録時から)一行空きで示されている。

 章題や章番号は付けられていないが、便宜上、十三の各部分に1)~13)の数字を振って内容を要約してみた。


1) 明治の頃、人力車に乗る愉悦。人力車をめぐる風俗あれこれ。

 「俥」という字と、尾崎紅葉の思い出。

2) 番町の家に越してきた頃、人力車の全盛期。

 三島神社の角を曲がって、一葉の住居前から新吉原への道中。

 自身の偏食ぶりをおどけて描く。

 乗り方が上手い、と車夫に褒められた話。

3) 自身が人力車から落ちた笑い話。

 一部俥を使った、若いころの金沢からの上京ルート。

 北陸線未開通の頃の、敦賀までの旧道。

 『蓮如上人縁起』からの地名連想。北陸の海路事情。

4) 汽船を使っての上京ルートもあった。

 吉田賢龍から聞いた上京の旅の武勇伝。

 鏡花も一度きり、伏木-直江津間の汽船を利用したことがある。

5) 汽船の旅の思い出。徒歩で倶利伽羅峠を越えて伏木まで。

 渡し船の船頭が食べていた糠鰊(こぬかにしん)から河豚の話へ。

6) 伏木の宿の女中と夜食の(なまず)。汽船で直江津へ。

 履いていた足袋の穴から連想で、上京後の放浪時代の思い出。

7) 樋口一葉の家を訪ねたときも、足袋に穴が空いていた。

 江戸の女の裸足の美意識。労働で使う足袋は汚れても良い。

 直江津から長野で一泊。紅葉宅に戻って柳川春葉と(はつ)対面。

8) 父危篤の報せで帰郷したときの思い出。

 柴田勝家の逸話を枕に、二十七里を一気に駆けた車夫の話。

 不忍池の長距離走で元加賀藩の飛脚が優勝した話。

9) 江戸の飛脚と車夫の能力。帰郷時の炎天の風景。

 かつて脚気を患っていたこと。

10) けんちん汁を吐き、医師から転地療養を勧められた。

 帰郷の旅の続き。自作の詩を唱えて、暑さに耐えた。

 栃の木峠の若い女房に砂糖水の情けを受けた。

11) 帰郷の旅の続き。武生の宿を転換点に、以前、雪中の道を、

 秋成の『青頭巾』を暗唱しながら、敦賀を目指したことを回想。

 大良(だいら)から俥に乗っての移動時の見聞。

12) 上の続き。街道沿いの趣ある風物。

 東京に戻ってからも、目的なく俥に乗って街々を眺めた。

 徳田秋声を(てい)として紹介。

13) 秋声の話の続き。若いころ、秋声と私がふられた話。

 秋声が岡場所で出された蕎麦に文句をつけ、女郎に嫌われた。

 作者近況。人力車が自動車に代わった時代に寄せる感慨。



 ――鏡花の文章の常とはいえ、叙述の密度が高く、時系列的な内容が錯綜している。私がわかる範囲で、以下、それぞれの内容を読み解いてみた。


1)

澤村(さわむら)田之助(たのすけ)曙双紙(あけぼのそうし)』(初~五篇)は、早稲田大学図書館の古典籍総合データベースで閲覧できるが、文中にある芸妓と人力車の口絵は確認できなかった。

 〽好いたお方と/相乗り人力車、という唄(「おつだね節」)は、国立国会図書館近代デジタルライブラリー『近世俚謡歌曲集』で閲覧できる。

 https://dl.ndl.go.jp/pid/946317/1/28

 また、この唄は岩波文庫『近代はやり唄集』にも収録されている。

「弓を学ぶぶものの、三年凝視の瞳には的の(しらみ)も其の大きさ車輪である。」という記述は、『術三則』(明39)で採り上げられた故事による(当日記「鏡花読書~小品 その三(山の手小景、術三則)」2026/04/01参照)。

 人力車を表す「(くるま)」という国字は「紅葉先生の創意であると思う」と書かれている。この字を紅葉の発明だとするのは俗説だという説も読んだが、私にはどちらとも判断できない。いずれにせよ「俥」の字は、『金色夜叉』でさかんに使われたことで、世に広まったのだろう。

 当時の統計データなども引かれて、幅広く資料を渉猟した人力車論になっている。 


2)

 浅草を走る人力車を語るにあたって、樋口一葉が登場するのには理由がある。

 東京都心から俥で新吉原を目指す場合、おそらくは現在の地図にある金杉通りを北上して、三島神社を目印に右折したのだろう。右折後に大音寺の前を過ぎてすぐに樋口一葉住居址の案内板があり、その先にかつての新吉原地区がある。人力車が頻繁に行き交う通りの様子を描いた引用部分は、『たけくらべ』の一節である。

 同じルートは、『白花の朝顔』(昭7)の六章でも、ヒロインの夫の大野木元房(モデルは梶田半古)がいかに近づきがたい堅物であったかを述べる部分で、次のように描かれている。


 ▶もっともそれでなくっても、上野の山下かけて車坂を過ぐる時ンば、三島神社を右へ曲るのが、赤蜻蛉と(ひと)しく本能の天使の翼である。根岸へ入っては自然に背く、という哲人であったんですから、つい近間へも寄らずにいました。◀


3)

 人力車から落ちるのも技術がある、という滑稽な自慢話。

 矢場七(やばしち)土場六(どばろく)とあるのは、滝亭鯉丈『和合人』の登場人物のようだが、読んだことがないので「茄子(なすび)のトントン」というのが、どんなものかわからない。

 なぜ乗るのが上手いかといえば、若いころの金沢帰省の際に、しばしば俥を利用したからだと、話題を転換する。

 鏡花は、紅葉に弟子入りしてから、紅葉宅を出て小石川の長屋に居を構える期間中、五度にわたる東京-金沢間の往復をしている(もし間違いがあれば、気づき次第、適宜修正します)。


 A 明治25年12月10日-18日(実家火事の報せを聞き)

  上り、福井-武生-春日野峠越え-敦賀-鉄道利用の通常ルート。

 B 明治26年8月-11月1日(脚気療養のため)

  金沢への往路は通常ルート。

  東京への復路は京都旅行中の紅葉を訪ねて同行。

 C 明治27年1月-9月上旬(父逝去のため)

  金沢への往路は通常ルート。

  復路は友人、中林知時と汽船を利用して直江津から鉄道。

 D 明治28年5月31日以降-10月(脚気療養と祖母見舞のため)

  往路は通常ルート。

  復路は福井県が大水害に見舞われた影響で旧道ルート。

  上り、今庄-虎杖(いたどり)-栃の木峠-敦賀-鉄道利用。

  弟豊春を伴っていた可能性もあるという。

 E 明治29年6月-同月(祖母を東京に迎えるため)

  往復、通常ルート。


 文中では、やむを得ず採ったDの旧道ルートのことも回想される。このときの経験は、『栃の実』(大13)でも描かれている。

 嫁おどしの道場、吉崎の港、小女郎(こじょろう)三国(みくに)とは、蓮如上人が布教のために各地に開いた道場がある場所らしい。嫁おどしの道場には、その名の由来となった奇跡譚がある。


4)

 金沢から東京へ向かう通常の道程とは別の道筋として、金沢から倶利伽羅峠を越えて伏木港から汽船で直江津、そこから信越本線で東京へ(上野・直江津間、明治二十六年開通)、というルートが紹介されている。

 間には「広島師範の閣下穗科信良」という人物から聞いた、


 ▶一夏は一人旅で、山神を驚かし、蛇を()んで、今も人の恐るゝ、名代の天生峠(あもうとうげ)を越して、あゝ降ったる雪かな、と山蛭(やまひる)を袖で払って、美人の孤家(ひとつや)に宿った事がある。首尾よく岐阜へ越したのであった。◀


 という話が挿入される。

 これは『高野聖』(明33)の素材になったエピソードとして、しばしば引用される箇所である。

 穗科信良とは、鏡花の知り合いで広島師範と呼ばれる人物は彼しかいないという理由で、同郷の親友、吉田(よしだ)賢龍(けんりゅう)(当時、広島高等師範学校校長)のことを指す。穗科信良という変名がどこから出てきたのかわからないのだが、吉田昌志『泉鏡花素描』に収録された論文「瓔珞品の素材」には、賢龍は、正しくは「けんりょう」と読む可能性があるという指摘があって、けんりょう、しんりょうという音の繋がりはあるようだ(吉田賢龍は『瓔珞品』(明38)の主人公のモデルでもある)。

「私も下街道(しもかいどう)を、唯一度だけ、伏木から直江津まで汽船で渡った事がある」とは、上記Cの明治27年の東京への復路のこと。


5)

 汽船の発着所がある伏木(ふしき)までの陸路と、道中にある庄川を渡ったときに世話になった船頭の話。

 この話と、続く汽船乗車の経験が、直後に書かれた『取舵』(明27)の題材になったのだろう。

 船頭が食べていた糠鰊(こぬかにしん)からの連想で、尾崎紅葉が土産にもらった糠河豚(ぬかふぐ)を、当たりはせぬかと心配しながら食べた話が挿入される。このとき、東京人の河豚に対する臆病さを知ったことが、『X(エツキス)蟷螂(かまきり)(ふぐ)鉄道(てつどう)』(明29)に反映されているのかもしれない。


6) 

 Cの上京の話の続き。伏木で一泊したときのこと。宿の夜食に(なまず)が出たという逸話は、何かの短篇に取り入れられていた記憶があるのだが、今のところ思い出せない。

 宿の女中を描写して、明治の浮世絵師、富岡永洗と水野年方の、妖艶、清楚の作風の違いを使った喩えがある。

 汽船での海路を無事に乗り切り、鉄路の途中で長野に泊まったときのこと。足袋に空いた穴を女中に見られて、若き鏡花は恥じる。そこからの連想で、上京後の放浪時代(明23年10月末-明24年10月19日に紅葉に入門するまで)に浅草田原町の医学生の裏長屋に居候していた頃を想い出す。穴の空いた白足袋を片方だけ履いた姿を、遊女から「白足袋の兄さん」と声をかけられて、これも恥ずかしい思いをした。

 田原町に住んでいたころの経験は、『売色鴨南蛮』(大9)や『古狢(ふるむじな)』(昭6)で描かれている(本日記「鏡花読書~小品 その十三(春着)」2026/04/18に書いた「鏡花住居年譜」を参照)。


7)

 続いて、初めて樋口一葉の家を訪ねた際の話。このときも足袋に穴が空いていて、お邦さんの前で下駄を履くときに足がすくんだ。お邦さんとは、一葉の二歳下の妹で、一葉没後も残された作品を守った邦子のこと。幸田文は彼女のことを「西洋人のような美しい人」(『父・こんなこと』)と回想しているから、若い鏡花がどぎまぎしたのも無理はない。

 さて、Cの旅を終えて牛込区横寺町の紅葉宅に戻ると、鏡花不在の間に入門した柳川春葉が新玄関番に納まっていた。

 末尾では時間を遡行して、Cの旅の金沢への往路が回想される。


8)

 福井の武生(たけふ)といえばと、柴田勝家の逸話がこの章のマクラに置かれる。文中「此の城中」とあるのがわからないのだが、越前市にある今は城址となった小丸城という城のことなのか。

 その武生から俥で金沢を目指したところ、年配の車夫がなんと二十七里(約106km)を一日で駆け抜けた。

 そこから連想された「不忍の池で懸賞づきの不思議な競争」というのは、明治三十四年十一月に開催された、「十二時間長距離走」という催しのようだ。「明治開港資料館」のWebページに、当時の記事が紹介されている。主催者はこの随筆が連載されていた「時事新報」で、優勝者は元加賀藩の飛脚だった。内容は、ほぼ鏡花が書いている通りだが、「大略(おおよそ)十五時間」というのは記憶違いで、「一般から選ばれた選手が東京上野の不忍池を12時間周回し、その距離を競う」というイベントだったようだ。


9)

 話題を承前して、江戸の飛脚の脚力に驚き、二十七里を駆け抜けた車夫を讃える。――のはいいのだが、その直後、真冬の旅であったCの帰郷から、(まるで『高野聖』の場面転換のように)いきなり炎天の描写となる。


 ▶炎天の海は鉛を溶かして、とろ/\と瞳を射る。風は、そよとも吹かない。断崖の(いわお)は塩を削って舌を刺す。山には木の葉の影もない。草いきれは幻の煙を噴く。◀


「上京して、はじめの帰省で、それが病気のためであつた」とあるので、話題は時間を遡ってBの帰郷の往路に転換したようなのだが、Bは「上京して、はじめの帰省」ではない。鏡花はここでは、実家火事のための帰省であったAの旅との前後関係を間違えているようだ。

 ――ただし、うっかりした、というわけではなく、できるかぎり記述が曖昧に、朦朧となるように努めた意識の延長上にある、あえて正確を期さない姿勢が引き起こした間違いのように思えてならないのだけれど。

 さらりと流して、話題は脚気のことに移る。


10)

 おそらくは脚気による体調不良から、けんちん汁を吐いて、紅葉夫人に心配された話。明治二十六年の半ばのことなのだろう。

 医者から命じられた脚気療養のためのBの帰郷の途上、鏡花は暑さをまぎらわすため、人力車の車上で詩をひねって頭のなかで推敲する。創作に取り憑かれた姿が物狂おしい。

 終盤には砂糖水を飲ませてくれた、春日野峠の茶屋の若い女房のことが描かれる。このときの経験は、『雪霊記事』(大14)の描写にも活かされている(当日記『鏡花読書~雪霊記事、雪霊続記』2025/10/01を参照)。

 このエピソードは、Dの旅を描いた『栃の木』で、情けをかけてくれた茶屋の娘の話と混同しがちだが、別の話である。


11)

 炎天下でのBの帰郷の様子から、武生の宿を起点に、記憶はいきなりAの帰路へと移る。大雪のなかでの決死の旅である。

 明治27年1月のCの旅も真冬なので、AかCか迷うところだが、明治二十五年十二月十五日付の父清次宛の書簡で、


 ▶今日はいのちがけにて無難に春日野の嶮所(けんしょ)を越え先刻よう〳〵敦賀に安着仕候道中の困難実に筆紙につくしがたく(ことごと)しくは着京の後申上べく候雪路の往来は子孫末代けしてさすましきものに候ひやあせ〳〵◀


 と、旅の途上から雪路の恐ろしさを訴えていることからして、Aの旅だったのだろう。このときの経験は『山中哲学』(明30)に活かされている。

 俥も使えない猛吹雪のなかで、道案内を頼んだ車夫と春日野峠で別れた鏡花は、全文を暗記していた『雨月物語』の「青頭巾」を朗読しながら、独り敦賀へと歩を進める。二つ目の峠の、海沿いゆえに雪の薄い大良(だいら)で、ようやく俥を雇えた。

 風を切って走る車上から眺めた、忘れがたい異郷の風景と人々の姿。

 文中にある尺八(ひとよぎり)とは、普通は一節切(ひとよぎり)と書く、尺八の前身となった縦笛のこと。


12)

「書生さん、東京へ連れてって――」と、土地の娘から声をかけられた思い出。この人力車道中の風情のすばらしさに、東京に戻ってからも、鏡花はわけもなく俥を雇って、街中を走る癖が残ったという。その贅沢は、豪勢な旅を誇った和蘭陀(オランダ)西鶴(井原西鶴の異名)にも勝る。

 章末には、次に話題とする(てい)という人物を紹介。


13)

 丁とは誰なのか。しばらく読むと丁のことを、「(かく)の如き量見で、紅葉先生の人格を品評し、意図を忖度して(はばか)らないのは僭越である」と書いてある。なるほど、丁とは、故尾崎紅葉に不敬を働いたからと不仲になった、徳田秋声の頭文字Tなのだろう。鏡花による徳田秋声殴打事件が起こったのは大正十五年の春だったから、本作から半年足らず前のこと。岡場所の「ばらがき」から嫌われた秋声の失態を晒すほど、鏡花はいまだ怒り心頭のようだ。

 ばらがきとは、日本国語大辞典に「(「茨垣」で、誰にでもひっかかるの意から) 性的に放埒なこと。また、そのさま。」とある。不見転(みずてん)(誰とでも見境なく寝る)と同じようなニュアンスで、ここでは流れの宿場女郎を指しているのだろう。


 ▶麻を刈ると題したが、紡ぎ織り縫いもせぬ、これは浴衣がけの縁台話。◀


 人力車は影をひそめ、自動車が路上を席巻する時代の移り変わりに思いを馳せて、全章を終える。



 場所も時代も錯綜して、おまけに人物は匿名で、鏡花の伝記事項を熟知していなければ、なかなか読み解けない。私の書いたことにも、勘違いがあるかもしれない。

 題名の『麻を刈る』とは、乱麻のようにもつれた過去の記憶を、人力車の話題から連想されるままに、刈り取ってみた、ということだと思われる。それを「紡ぎ織り縫いもせぬ」と言うのだから、錯綜や暈かしは意図的である。

 読者には、朦朧とした記述を必死で掻き分ける、マゾヒスティックな努力が要求されるのだが、辛抱強く読めば、鏡花とともに明治の旅をした気分になれるのだし、何よりも、鏡花小説理解のために得られる情報が豊富である。

 そんな、鏡花マニアのために書かれたかのような、鏡花マニアにとっての名随筆なのだった。



青空文庫誤植

・2)のエピソード。入谷(いりや)のルビが入谷(いのや)になっている(底本は正しく「いりや」)。

・真ん中あたりにある「後に――丸山福山町に、はじめて一葉女史を訪ねた帰り際に」で始まる段落の前にあるはずの、一行空きが抜けている。ここは底本の全集でページの変わり目にあたるので、一行空きがわかりづらい。結果、青空文庫では全十二章に改編されている。


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