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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~小品 その十四(湯どうふ)

『湯どうふ』(大正十三年二月)


青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/50786_44690.html


 鏡花の好物である「豆府」をはじめとする食材にまつわるエッセイ。

 豆腐にちなんで想い出す、叔父、松本金太郎のこと。そしてやはり、尾崎紅葉のこと。婦人雑誌の料理ページで肉団子のレシピを読んで「あゝ、待って下さい、もし/\……その手は洗ってありますか、爪はのびて居ませんか、爪のあかはありませんか」などと、潔癖症を露わにするのも可笑しい。


 鏡花の食事の好みを見ると、まるで西洋中世の王族貴族のようだ、と思う。贅沢なものを食べているということではなく、食材をイメージとして食べているという点において、である。

 歴史学者の池上俊一によると、中世では人間は食べた食材のイメージに影響されるという考え方が、食事の基本にあったそうだ。高貴な人たちは地を歩く豚や鶏、土にまみれたキャベツ、ネギ類、根菜や豆などを嫌って、華麗な孔雀や空高く飛ぶヒバリなどの「高貴な」食物を、高価な香辛料、着色料を大量に使って食べていた。ハチミツを神聖視して、新生児に食べさせたり、ハチミツ水で口をゆすいだりしていたという。チーズは農民の食べ物だとして、口にしなかった。虚弱な人、早逝する人が多かったのも当然である。

 一方で庶民は羊、山羊、豚、牛、鶏や、豆類、野菜スープなど「下等な」(けれども実際は栄養満点で美味しい)食事をしていた。中世末期になると、さすがに貴族たちもだんだんと自分たちが愚かな思い込みをしていると気づいて、庶民が食べているものを口にするようになったそうだ。

 鏡花の食材の好き嫌いも、栄養よりもイメージ優先であり、調理法も煮沸や塩気の効果を盲信していた。ただし脚気治療のために豆腐を含む豆類を多く食べていたのが、健康維持のためには幸いだったのかもしれない。晩年になると医師の勧めもあって、普通にこってりした食事も採るようになったという。


 鏡花は極度の潔癖症であり、明治三十七年十月に赤痢に罹患したことをきっかけに「豆腐」を「豆府」と書くようになった――などと一般に言われることも多いのだが、これは間違いで、明治四十三年四月発表の『楊柳歌』でも、豆腐は豆腐と表記されている。

 全作品中「豆府」の表記が使われた作品は以下の通り。


『寸情風土記』(大9.7)

『朝湯』(大12.5)

『湯どうふ』(大13.2)

『九九九会小記』(昭3.8)

『木の子説法』(昭5.9)

『白花の朝顔』(昭7.4)

『燈明の巻』(昭8.1)

『神鷺の巻』(昭8.1)

『薄紅梅』(昭12.1)

『雪柳』(昭12.2)

 および俳句(制作年不明)


 これ以前の作品(つまり全小説の85%以上が書かれた時期)では、すべて豆腐は豆腐と表記されている。

 それがいつの間にか、


 ▶私たちが鏡花の文章の中にどこを探しても見つからない文字が二つだけある。それは「もみじ」を意味する「紅葉」と「豆腐」という言葉である。◀(吉村博任『泉鏡花 芸術と病理』)


 ――などという極端な言説がまかり通ることになる。実際は「もみじ」を意味する「紅葉」は(全作品中この一箇所のみなので、見逃しか誤植かもしれないが)『南地心中』(明45)で使われているのだし(能の『紅葉狩』や紅葉館など、固有名詞として表記される例は多数ある)、「豆腐」に至っては「豆腐」以外の表記を探すのに全集の終わり近くまで読み進めなければならない。


 はじめて「豆府」の表記が登場した大正九年といえば、その二年ほど前から世界的に流行していたコレラが日本に上陸して多くの死者を出した年である。きっかけというのなら、赤痢ではなくこちらがあてはまりそうだ。

 また、明治四十三年一月発表のエッセイ『松の葉』に登場する根岸の豆腐料理店笹の雪(笹乃雪)では、豆腐を「豆富」と表記しているから、ここから字の書き換えを思いついたのかもしれない。なぜ「府」の字を当てたのかは、愛用の煙草「水府」から採ったという話もある。

 続く使用例の『朝湯』では、作中で豆腐老人と綽名された能楽師が、自分の呼び名に「腐」の字が入ることを嫌って自ら豆府老人と称したという、潔癖症とは直接結びつかない理由で「豆府」表記が使われている。

 鏡花の弟子だった寺木定芳が『人 泉鏡花』で、「(しか)し豆腐の腐という字が嫌いで、豆府〳〵と書いておられた」と軽く書いている様子からしても、当初は自分の好きなものに「腐」の字が入るのが嫌だったので「豆府」と書いてみた、という程度だったのかもしれない。その表記が本作『湯どうふ』の頃から定着し、周囲から潔癖症と結びつけて捉えられるようになった、と考えるのが妥当ではないか、という気がしている。


 さて、このエッセイの結末は、ちょっとした謎かけになっている。


 ▶しぐれは、いまのまに()んで、薄日がさす……(かへで)の小枝に残った、五葉(いつは)ばかり、もみぢのぬれ色は美しい。こぼれて散るのは惜しい。手を伸ばせば、狹い庭で、すぐ屆とゞく。

 本箱をさがして、紫のおん姉君の、第七帖を出すのも仰々しからう。……炬燵(こたつ)(すべっ)てあるきそうな、膝栗毛の続、木曾街道の寝覚めのあたりに、一寸(ちよっと)はさんで。……◀


 書斎の窓から手の届く楓の木に残った楓の紅葉を本の(しおり)にしようと思い立った鏡花は、「紫のおん姉君の、第七帖」を引っぱり出すのも大げさだから、こたつの上に積んである『木曽街道続膝栗毛』の、中山道から寝覚の床へ向かう入口にある寝覚蕎麦越前屋のことが書かれているあたりに挿んでおこう、と言っている。

「紫のおん姉君の、第七帖」とある、『源氏物語』の第七帖とは……「紅葉賀(もみじのが)」の巻のことだった。

 鏡花は紅葉(もみじ)ということばを書くにあたり、師の紅葉の名前を当てることをはばかって、もみじ、緋葉(もみじ)錦葉(もみじ)となど書き換えたのだが、ここではその習慣が婉曲なレトリックにまで発展している。


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