鏡花読書~小品 その十三(春着)
『春着』(大正十三年一月)
青空文庫
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▶ あら玉の春着きつれて醉ひつれて
少年行と前がきがあったと思う……こゝに拝借をしたのは、紅葉先生の俳句である。◀
冒頭に尾崎紅葉の俳句が掲げられた本作で語られるのは、五十二歳(満五十歳)になった鏡花が振り返る、師の紅葉と硯友社周辺の人々の思い出だった。
俳句の前書きだという「少年行」とは「若者のうた」というような意味(日記内「鏡花読書~少年行、胡蝶之曲」2025/05/10参照)。「あら玉の」は「春」にかかる枕詞。「春着」は新年の晴れ着。「きつれて」ということばはないが、長唄『元禄花見踊』の歌詞に「連れて着つれて行く袖も」というのがあって、それと同様に、晴れ着を着て連れ立って歩いているさまを調子よく言ったのだろう。
ほろ酔いで、晴れ着の美人を連れて歩く自分を詠ったのか、と思ったら、そうではなかった。続く本文によると、鏡花がまだ牛込区横寺町の紅葉宅にいたころ、若い弟子たちが呉服屋で紅葉の名を出してツケで仕立てた新年の晴れ着姿で、娘たちの目を意識しながら「神楽坂の通りをはしゃいで歩行く」微笑ましい姿を、家の二階から眺めていた紅葉が詠んだのだという。
他にも文中、まさに青春の一場面といった懐かしい日々が、紅葉がそれをどう見ていたかを思いめぐらす鏡花の思いを通して振り返られる。
話はいきなり、水上瀧太郎や久保田万太郎が登場する、作者の近況に飛ぶのだが、すぐにまた紅葉の思い出に引き戻される。文章は読みやすいのだが、南榎町の家だとか、神楽坂下の新宅だとか、連想があちこちに飛躍して、意外とわかりにくい。
読解のために、以下、鏡花の住居に的を絞った略年表を作ってみた。
[鏡花住居年譜]
1)(明6.11.4)石川県金沢町下新町の父清次宅に生まれる
2)(明22.6)富山の友人宅に泊まり塾講師を始めたが、三ヶ月ほどで
金沢に戻る
3)(明23.10.28)金沢より上京し31日新橋着。
以後、湯島女坂下、浅草田原町、神田五軒町、本郷四丁目、
鎌倉乱橋妙長寺、本郷龍岡町、湯島新花町、湯島嬬恋坂と放浪生活
4)(明24.10.19)牛込区横寺町の紅葉宅を訪れ、住込の玄関番となる
5)(明28.2)紅葉宅を出て小石川戸崎町の大橋乙羽宅に寄宿
6)(明29.5)乙羽宅を出て小石川大塚町の長屋に転居
7)(明32.9)牛込区南榎町の李の樹に囲まれた二階屋に転居
(紅葉が二階露台にいる写真と祖母、斜汀との写真、二葉あり)
8)(明35.8)逗子桜山で家を借りて九月上旬まで療養
9)(明36.1)斜汀が見つけた神楽町二丁目の新築二階屋に転居
(明36.9.30)尾崎紅葉死去
10)(明38.7.21)療養のため逗子に赴く。逗子と東京を往復していた
ようだが、神楽町の家がどうなったのかは不明
11)(明39.1)田越村大字逗子に転居して療養に専念と新小説誌上で告知。
ただし逗子逗留期にも東京へは頻繁に通っていた
12)(明42.2)逗子療養を切り上げ、麹町土手三番町へ転居
(『くさびら』の家)
13)(明43.5)終の棲家となった番町の家(麹町下六番町十一番地)に転居
(昭14.9.7)逝去
本作で回想される「少年行」時代は、4)~7)の頃。
5)の大橋乙羽は、博文館支配人というものものしい肩書きをもつ人ではあるが、じつは山形出身の硯友社の元同人で、鏡花より四つ年上の人物。紅葉の媒酌で、当時の大出版社、博文館の主人大橋佐平の娘の入婿になったのだという。内輪の人であり、当時は博文館の『日用百科全書』の編集や執筆のアルバイトもしていた鏡花にとっては、それほど気兼ねをする相手ではなかったのだろう。4)の時代、鏡花はたびたび金沢に帰省するのだが、明治27年9月に東京に戻ってみると、新入りの弟子の柳川春葉が玄関番に納まっていたから、紅葉宅から押し出されるかたちで乙羽宅を頼ったのだと思われる。
柳川春葉は泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉とともに紅葉門下四天王の一人と言われているのだが、四人のなかでは最も振り返られない存在になっていて、私も短文のようなものしか読んだことがない。けれども「家庭小説」と呼ばれるジャンルの先蹤者であり、松竹の脚本部でも活躍し、その松竹は蒲田調、大船調と呼ばれるホームドラマ路線で日本映画全盛期を担っていくわけだから、もしかすると経済効果的には、四天王のなかで最強だったのではないか。……いや、話が脱線してしまった。
本文中にある、紅葉と弟子八人の俳句の会が開催されたのは、7)の南榎町の家の二階。「新潮日本文学アルバム 泉鏡花」のp30では、祖母、斜汀とともに縁側に並ぶ有名な写真に 6)の「小石川大塚町の家」とキャプションが付いているが、正しくは南榎町の家のようだ。
9)の神楽町の家についてはよくわからないのだが、『春着』では珍しくもその家が登場する。鏡花が出た後を引き継いで南榎町の家を借りた「田中萬逸君」が、化け猫が出たと言って神楽町の家に駆け込んでくる、という逸話である。
この田中萬逸は、鏡花門人の田中花浪の本名だと、吉田昌志『泉鏡花年表』にある。寺木定芳の『人 泉鏡花』には、鏡花の弟子として橋本花涙、寺木定芳(花門)、岩永端、田中萬逸、原口春鴻、泉斜汀――「以上が鏡花門下生のすべてである」と書かれている。弟子といっても、(弟の斜汀は別にして)熱心な愛読者の作家志望者を来る者拒まずで認めただけだから、作家として名を成した人はいない。寺木定芳はのちに歯科医になって、泉家お付きの口腔医師を自認することになる。
『春着』は、紅葉にまつわる思い出を語りながらも、鏡花の住居遍歴の思い出話でもあった。




