436 肉料理:レーヴェ・フロムダール(30)
『すまない、大きい事を言うのは私の癖なのだ。人には"なんでも取り澄ました顔で決めたがる奴"と見える。愚か者にはなりたくないと常々思っていたが、知りたいと思う欲の止め方を知らん。死の淵でも変わらんとは、フン、いっそ清々しい』
「……詳らかにしたいと願うことは悪いことだと思う?」
たまらず問いかけた。口から細々とこぼれた言葉はいやに大人し気だ。
『妻がいうには良くない。あれは文句も言わぬやさしい女だったが、余計なことまでつついた私に堪えきれず泣いたことがあった。あの時の狼狽、居心地の悪さは忘れようにもこびりついている。泣きながら怒るのだ。見えるものの更に奥を見ようとしてこじ開けられてはたまらない、あなたといると息が詰まるとな。ずしりと響いた』
「そのあとはどうしたの…?」
『情けないことに口がきけなくなったわ。余計なことを言わんとしたが、そうすると普段の会話さえなくなる。また私の顔がな、こうだ。毎日険悪な雰囲気だった。妻はちらちらとこちらを窺うが黙々といつも通りに動いている。段々とどうして私が怒られなければならんのだと苛立ってきた。妻はうさぎだ。ちょこまかと動くが、寒いのに外でずっと立っていたり、飯のときは草を食む動きひとつでさえ遅い。向かい合って飯を食べていると、一口の小ささや遅さにじれったくて見ていると鼻がひくひくとしてくる。目が離せないのだ。みればみるほど面白い。私とまるきり違う。いうことも考えも、体の大きさも動きも。よい女をつかまえたのだとしみじみ思った。異様にすんなりと言葉がでたのはそのあとだ。すまなかったと一言謝ると、また大泣きだ。私はまた狼狽したが……、気づいたのだ。たかだか謝罪一つで大泣きさせるほど苦労を強いていたのだと。まあ、よくある話だ。照れくさいわ』
「……奥様は」
『死んだ。だいぶ前に病気でな。まあ、いい。しかし、その顔は貴方にも心当たりがあるのだな……それも忍耐を強いた方に』
「私はいつも正しい言葉を探している。気持ちを言葉にしてくれる人に魅かれるのは、自分にできないことをする人だからなの。私は私の不足が許せない。貴方が奧様を愛おしく思うように、私も私からかけ離れていればいるほど愛おしく思うのに……窮屈に感じてしまう………」
『もっと自在に生きたいのだな』
「…………とても難しいことだわ」
『ふはは、生きるとは難しいことだ。私は死んだ。何も変えられずに死んだ。だが変えようともしていなかったのだ。なにせ自分が好きなのだ。貴方もそうならねばならん、使者よ』
「……………………」
『なに心配はいらん。心と体は臼に杵よ。私とてなんでも内に秘める妻に辟易することもあった。好いた物ひとつあげることができない。自分というものがどこにもない。だがそれが良いと思えるときの方が多かった。何よりこんな私を受け入れる懐の広さがあるのだからな。考えて考えて考え尽くしても、好かぬやつは好かん。理屈ではない―――ははッ! 理屈ではないとな。私の口からそんな言葉がでるとは!』
死んでみるものだ、と魂は飛び跳ねる。本当に嬉しいのだろう。
「……訊いても?」
『時間をつくってやれんでもないぞ』
「もう……」
『冗談だ。だが、使者よ。自在に空を飛び、天地万物と会話をし、死者にさえ言葉を告げられる貴方が、どうしてそこまで卑下しなくてはならない。おかしいことだ。そうだろう?』
「私は……」
『……耳を傷めたついでに、つまらない話を聞いてもらえないか』
リーリートが頷くと、淡く光る魂は目があるような体でヴァンダールの地を振り返った。
『……話した通り、私はいい夫ではなかった。ましてや、いい親でもなかった。家族に看取られながら、不安や焦燥から逃れて安心して死ねるとは思ってはいなかったが、このまま生きることの何たるかを知らずに死にたくはなかった。自ら贄となる道を選んだのは娘や同胞たちの為ではあるが、それがすべてではない。私はただぼんやりと生きるのではなく、意味があって死にたかった。そう、自分の為に死んだのだ。死が私に報いるはずだと思うからだ。家畜同然に扱われ、怨念に蝕まれたことも無駄ではなかったと思えれば、死ばかりが近づいてくる日々に意味があったと胸を張れる。すべては自分の為なのだ』
嘲りの短い笑みを己に向けるも、彼はとても穏やかな声色をしていた。海上から眺める陸地は隆起し、ひとつの大きな島に見える。海際に白い家々が張り付いていて、あのひとつひとつで無数の命が共同生活を送っている。海は青と白を掻き混ぜて、ヴァンダールへ押し進んでいく。泡のひとつひとつに善悪を封じ込めて。飛沫が風に舞う。眼前に散った水泡は、俗人に何を教えるだろう。




