意地と執念 side.ダナニス
「最近は、あまり良く眠れてないのではないですか?」
医師にそう言われ、緩慢に頷く。
そんな事は分かっている。原因はたった一つだけだ。
折角、次の人質となる者を我が手にしたと言うのに。
病院からの帰りの車内で、深く、身体に溜まった疲労を吐き出す様に溜息を吐いた。
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「彼を返して欲しいなら、僕の軍門に下りなさい。そうすれば、彼の身の安全、そして君の隣に居る彼の安全も保障しましょう」
怪我などさせれば、框矢がどうなるか分からない。だから丁重に捕らえておけ、と部下には命じた。
だが、僕の軍門に、と告げたのと同時に、彼の表情が変わるのも分かっていた。
青筋を立てたのでは、と錯覚する程、顔が怒りに染まっていく。
隣の、框矢の友人であろう青年に何か言うと、その青年は框矢の荷物の側に腰を下ろした。
と言うよりは、へたり込んだ。
瀧宗一つで立つ框矢が瞬間的に放ったものは、すっかり僕の部下を怯えさせてしまった。
そして案の定。
一度も反撃出来ぬまま、部下は全滅してしまった。
やはり、力不足だったか。
内心嘆声を漏らすと同時に、ダイルへと目を向ける。
彼はまだ後ろ手に縛られたまま、何故か大人しい。
80歳に届こうとする年で、未だ刀工として現役ならば……僕の手から逃れようとしてもおかしく無いのに。
……仕方ないか。所詮、部下では框矢に太刀打ちは出来ない。
部下が全員倒された後では、僕が動くしか無い。嘆息を一つ、ダイルへと近付いた。
「危害を加えられたくなければ、僕の下に来なさい。框矢、君にとって、彼は大事な師なのでしょう?」
彼の恩師であるダイルは、框矢の親にも等しい存在である事は判っていた。
そのダイルが、自分が攻撃する事で危害を加えられるかもしれない立場に居る事は、框矢にだって分かるはず。
そうなれば、彼には僕の軍門に下るしか道は無い。軍門に下りさえすれば、彼の恩師ダイルと、後方に居る友人の安全は保障されるのだから。
それは再度、軍門に下らなければ……と宣告した刹那の事で。
それまで一言も発しなかったダイルが、有無を言わせぬ鋭い言葉を叫んだ。
“影人、耳を塞げ!”
僕はナイフをダイルに向けていた為に反応に遅れ、框矢の後方の青年は反射的に両耳を塞いだ。
直後。
僕は襲われた。身体中を突き抜ける、濃い、濃過ぎる殺気の渦に。
そして見てしまった。
架空の化物……龍が、僕の目の前に存在しているのを。そのギラギラと血の様に紅い双眸で、僕を非情に冷たく見下ろして居るのを。
そして。
これ以上は無い敵意を剥き出し、その恐ろしい程に鋭い牙を剥き出しにして叫んだのを。
“殺す……ッ!!!”
バサバサッ……と一斉に飛びだって行く鳥群の羽音に、現実に戻った。
目の前に龍なんてものは居らず、仁王立ちの框矢が居るだけ。
けれど……違和感があった。正面から見ていれば、框矢の後方に腰を抜かした青年も気付いただろう。
その双眸は凡そ、人のものでは無い。
瀧宗も、あれはまともでは無い。
オーラと言えば良いのか、あれは。
細く、微かに赤紫がかった煙に似て非なるもの。蠢く様な、はたまた蛇がのたうって居るかの如く、刀身に纏わり付いている。
……所謂妖刀か。
それに気付いた時には、僕の視界は回転し、空を見上げていた。
叩きつけられた背に、じわじわと痛みが近付く。
腹にのし掛かられ、呼吸がし辛い。
ピタリと喉に刃が当たり、動く事すら出来ない。
“……言ったよな?
俺は忠告したはずだ。次に何かすれば、容赦はしないと。
なあ?ダナニス・青馬衣”
框矢から初めて呼ばれた名前は、震えも起きない程に冷たく突き刺さった。
視界の端に動きが見え、垣間見れば後ろ手に縛ってあるはずのダイルが、自由に動いてあるのが認識出来た。
驚愕したのも束の間。
“余所見をするな”
実態無き槍と共に、倒され押し付けられた瀧宗の鎬。
更に息苦しさは増し、框矢のあの眼が僕を覗き込んだ。
框矢は……人か、魔か。と問われたら、間違い無く後者。
“お前の面の皮を剥ぎ、喉を潰してやろうか?二度と人として生きられぬように”
冗談でも言えぬ、魔物の宣告。
“今ここで、その首刎ねてやろうか”
死ぬ。
直感が、本能が警鐘を鳴らすも、僕は何も出来ない。
指一本動かす事も、瞬きすらも。
死神が、その鎌が眉間の数cm先にあった。
そんな、死に目前に迫られた僕に、生還の道を示したのは皮肉にもダイルで。
框矢を人へと戻し、僕に後始末をしろと告げると框矢と青年を連れ、山道をゆっくり下って消えて行った。
動けずに居る僕を、部下の惨殺体が散らばる山道に残して。
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「……長。社長」
「……」
隣の秘書の声に、夢だったのか……と更に疲労で重くなる頭を手で支える。
「お疲れの様ですし、本日はもうお休みになられては」
スケジュールは調整致しましたので、と僕の顔を窺う。
「……そうですね。
折角貴方が調整してくれたのですから、今日はそれに甘えましょうか」
「はい」
運転手に行き先を自宅へ、と指示し、背凭れに脱力し寄り掛かった。
けれど家で寛いだ所で、この疲れが取れるわけでは勿論無い。
横たわり、瞼を閉じようものなら魔物と化した框矢が現れる。
起きている所で、ふとした瞬間に、視界の端に部下の惨殺体が掠める。
これはいつ、治まるのだろうか。
僕の夢の為に、振り払わなくてはならない悪魔の幻。
框矢を手に入れ、実質支配を成し遂げれば、もしやこの幻は消えるのではないか。
そうだ。そうに違いない。
思えば、この時から既に、歯車がずれて来ていたのかもしれない。
エリザ・クルーが入手し渡して来た、政府コンピュータ内の生物兵器のリストとその関連情報。
翌日からその書類を手に社長室をうろつき、策を練り上げ、手にした人質。
若くして子供をつくり、一年と経たぬ内にFARMに我が子を取られた夫婦。
夫は、生物兵器の直系尊属の五代目。つまりは玄孫に当たる。
妻は普通の人間。だが息子を失った後、子宮癌により、子宮の全摘出を余儀無くされている。
FARMに取られた子供は男児だと判っている。
その男児は、夫婦にとって最初で最後の血の繋がる息子と言うわけだ。
しかも妻は子宮が無い。と言う事は二度と二人の間に子供はつくれない。
夫婦は絶望感のどん底に居ただろう。警察はあてにならず、息子の手掛かり一つ見つからず、二十年以上経ってしまったのだから。
息子の名前は慶、と言うらしい。
僕がFARMの、框矢の存在を知り得たのは、きっとこのリストが裏にあったからだろう。
当時はこんなリストが本当にあるとは信じ難かった。僕に生物兵器の事を漏らした政界のツテが、出任せを言っているのではないか、と。
だが、生物兵器の子孫のリストは確かに存在し、今、この手にある。
当時の記憶とこのデータを比較すれば、自ずと道が見えて来るんだ。繋がりが。
「FARMの人体実験……急増した死亡や行方不明の子孫……駿と呼ばれた成功例」
自宅に戻っても、書斎で書類を片手に考えを巡らせる。
「33番……生物兵器の血筋……慶は行方不明の表記……框矢……清洞朔との類似点」
余りにも、リスト上の清洞慶と框矢には類似点が多い。
慶の生年月と、框矢の凡その年齢から弾き出す生年。
性別は勿論、血液型や慶の父親である朔との外見上の類似した特徴。
まさか、あの時FARMの職員から貰った33番……框矢の身体診断書が今更役に立つとは。
慶の特徴は定かでは無い。だが、框矢は清洞朔と同じ物を持っている。
漆黒の髪に鋭めの目つき。そして体格も細身で、下半身の割合が多い。余り感情を表に出さない所も似ているのかもしれない。
……框矢は出会い始めの頃よりも感情が豊かになっている気がするが、僕がよく見るのは怒り、憤り、不快感といったものばかりだ。
僕の下に引き寄せ、真に理解し合えば少しは笑みも見れるだろうか。
スーツの内ポケットから、ミニチュアのプラスチック製試験管を取り出す。
蓋付きの試験管に収まっていたのは、一枚の血塗れの爪。……恐らくは框矢のもの。
あの日、長野の山中で彼が去った後、僕のスーツに血糊で付着していた物。
僕にのし掛かった時。
余りの勢い、スピードに爪先がぶつかり、衝撃で剥がれたに違いない。
そのまま僕の胸倉を掴んでいたから、彼が僕から離れた後も剥がれた爪が残っていたんだろう。
「国際第一ホテルへ」
「はい、社長」
試験管を内ポケット奥深くへ戻し、自宅の玄関に待機していた運転手にそう告げた。
国際第一ホテルには、清洞夫婦を住まわせている。
初めての東京で、初めての最上階のスイートルームの生活。
最初はぎこちなかった彼らも、何度か様子見に行く度に緊張が解れていくのが見て取れた。
そうで無ければ困るんだ。僕を信用し、緊張を、警戒心を解いてもらわなければ、計画に支障が出かねないのだから。
「清洞さん。どうですか、この部屋での暮らしは」
「これは社長。
……いえもう、何から何までして頂いて、何だか夢でも見ている気分です」
なあ?と隣の夫人と小さく笑い合う。普通なら、微笑ましいとでも思うのだろう。
……。
そんな姿を見た所で、僕は何とも思わないけれども。
「体調は如何ですか?いきなりの都会の暮らしで、崩されてはいませんか」
表面に穏やかな笑みを貼り付け、そう聞けば。
「……実は、少々妻の体調が崩れ気味なんです」
朔さん?!と彼女の制止は間に合わず、彼の言葉ははっきりと耳に届いた。
何も今言わなくても、と小声で夫を咎める彼女の顔は、確かに少し赤い。
「……もしかして、熱があるのでは無いですか?」
「ええ、数日前から微熱がありまして」
これは運が良い。
彼の言葉に頷きつつ、内心ほくそ笑んだ。これで上手い口実が出来た、と。
「それはいけない。すぐ病院へ行きましょう。折角息子さんが見つかっても、弱った姿では彼もきっと悲しみますよ」
車を手配しますから、と下に待機させている運転手に連絡を取った。
「しかし治療費が……」
「以前にもお伝えしましたが、これは僕が好きでしている事です。金銭面は心配なさらなくても良いのですよ」
穏やかな笑みを貼り付けたまま、渋る夫婦を連れ、総合病院へと向かう。
「朔さん」
「はい」
「貴方は、今は体調は崩されてはいないようですが、チェックはしておいた方が宜しいかと思います。
費用は僕が払います。健康診断を受けられては?」
「え?で、ですがそれは余りに……」
申し訳ない、と首を振る彼に畳み掛ける。
「あと少しで、目星を付けている青年が慶君だと、確定出来そうなのです。その時に貴方方が健康でなくては、お互い気を遣ってしまうでしょう?
久しぶりに息子さんと会えるのですから、体調は良くしておかないと」
「……それもそうですね」
ずっと、未だに申し訳なさ気な表情は崩さなかったが、僕の申し出を受けてくれた。
これで、あとは病院に手を回しておくだけだ。
先ずは奥様を、と夫婦を内科の方へ連れて行き、受付を済ませる。そして健康診断の受付をして来ます、と僕は二人から離れた。
「……そうですか、分かりました。採血した彼の血は、一部別の容器でお渡ししましょう」
「ありがとうございます、助かります」
本人の合意の上で、代理で親子関係を調べる為に採血した朔の血液を欲しい、と頼んだのだ。
相手の医師は、親しくしていた事もあり、渋りながらも了承してくれた。
「しかし社長。幾ら人が良いからって、何もここまでするメリットはあるのですか?
そのうち社長の人の良さを逆手に取ろうとする連中が現れ兼ねませんよ」
「その時はその時です。良いのですよ、僕の好きでしている事なんですから。
DNA鑑定の費用も、彼らの喜ぶ顔が見れるなら安いものです」
「そんな事を言っているから、心配なんです。お人好し過ぎますよ」
半分呆れの入った表情の医師と笑って別れた。
本当に安いものだ。
たかが十数万円で、框矢が手に入れられるのなら。
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暫くして、僕の手元には、書類が届いていた。
清洞朔の血液と、框矢の物である、血塗れの剥がれた爪。
そのDNA鑑定の結果だった。
“清洞朔、そして提示された爪の所有者は99.97%の割合で親子関係にある”
つまりは、清洞朔と框矢は親子。
あの夫婦がFARMに取られた息子、慶と、框矢は同一人物。
エリザ・クルーからの生物兵器のリストと関連書類で、大体の予測は付いていた。
やはりな、と思う反面、安堵の溜息を吐いたのも事実。
これで、全ての準備は整った。
さあ……、次で最後にしようではないですか。ねえ、框矢?




