息子の手掛かり side.朔(???side)
「朔さん、お昼にしましょうか」
「あぁ。そうだね」
翠の呼び声に、自転車の修理の手を中断して作業場から居間へと歩を進める。
もう二年前になる、あの日。
あの青年と会ってから、彼女は徐々に元気を取り戻していた。
息子なのでは、と感じてしまう程に、私に良く似た青年。
彼は慶じゃない。
だけど、あんなにも息子に重ねてしまう若者の存在は、翠には大きな活力になったみたいだった。
「今日は豪華だね」
「あら、いつもは質素だって言いたいの?」
「違うよ。ほら、トマトに炒め物だっていつもより多いじゃないか。何か良いことでもあったのかい?」
微妙に主菜の量が多いだけでも、翠の機嫌の良さが伝わって来る。
けれど翠は、ふふ……と楽しそうに微笑んで、私の質問には答えない。
「食べながら話すわ。さぁ、食べましょ?」
そうして、テレビも無い静かな居間で、いつも通りの食事を始めた。
窓からの、初夏の爽やかな風に撫でられ、食事を始めてから少し経った頃。
翠が折り目が付いた、一筆箋を取り出して差し出して来たんだ。
「これは?」
彼女と一筆箋を交互に見れば、読んで見て、と促される。目を落として読み進めてみれば、何故翠が嬉しそうだったのか、納得がいった。
“お久しぶりです。框矢です、俺を憶えておられますか?”
短い前振りだけれど、それだけでも心が温かくなるのが分かる。
食い入る様に一筆箋を見つめ、その細々と綴られている文の先を読んだ。
“あの日から、瞬く間に二年も経ってしまいました。俺は少しばたばたしていましたが、今は暫くの間だけ恩師と過ごしています。
そんな日々にあなた方の事を思い出しました。あの時、大したお礼も出来ずに去ってしまって、何処かで気になっていたのかもしれません。
またいつか、全てが収まった時にでも、改めてお礼に伺いたいと思います”
一筆箋目一杯に書かれた手紙に、頬が弛む。
「いつ届いたんだい?郵便の配達はまだだろう?」
「二年前のあの時、別れ際に隼が框矢の所へ飛んで来たでしょう?あの隼が持って来てくれたのよ」
びっくりしちゃった、と笑う翠に、目を丸くした。
隼が手紙を運んで来たって事か?そんなまさか。
「あの隼は、飼育されている様には見えなかったけれど……」
「でも本当の事よ?
脚に銀筒が付いていてね、縁側に居た私の近くで羽を畳んで、開けて、って言わんばかりに銀筒の脚を出して来たの」
「……」
「それで銀筒を開けたら、その一筆箋が入っていたの。蓋を閉めた途端、飛んで行ってしまったけどね」
そう言えば、作業場から遠退いて行く何かの鳥の影が見えていたな。
特に気にはしていなかったけど、もしかしてそれがあの隼だったのかもしれない。
「朔さん」
「ん?」
私を呼んだ翠に、一筆箋から彼女へ焦点を移す。
「良かったわ、あの子が元気そうで。私ほっとしちゃった」
そうだね、と彼女に笑みを見せる。
「だけどね翠。框矢は年齢から見ても、立派な成人じゃないか。子供じゃあるまいし、あの子、と呼ぶ歳じゃないだろう」
「良いのよ、本当の息子みたいだもの。朔さんだってそうでしょう?」
確かに、と胸の内で苦笑してしまった。
一度しか、それも一晩共に過ごしただけなのに、框矢は本当の息子の様に感じたんだ。
あの青年は、慶じゃないのに。
框矢からの便りが届いたのは、初夏の一通だけ。
もし本当に、翠の言う通りにあの時の隼が手紙を運んで来てくれたのなら。
私達には隼を待つしか、連絡手段が無い。
框矢の住所を知らない私達には、彼宛に返事を返す事など出来ないのだから。
けれどその後、秋になっても冬を過ぎても、框矢からの便りは無いまま。
それでも。たった一通でも、彼がどうして居るのかが分かっただけで、麗らかな春の様に心が暖かかった。
息子の慶でなくても、まるで慶が居た頃みたいに、あの青年は妻に明るさを取り戻してくれた。
ずっと心奥で痛めていた、翠の弱く脆い姿。漸くその影が薄れてくれた事に、ただ感謝するばかりだ。
「また会えると良いわね、朔さん」
「ん?」
不意に、畑仕事の手を止めて翠が私を見る。
「なんだい、急に」
硬くなった身体を伸ばしながらそう返せば、愉しそうに笑った。
「朔さんだって、今、框矢の事考えていたでしょう?」
どうやら顔に出ていたらしい。そんな私に、翠は笑みを深めて澄んだ青空を見上げる。
「私ね、何だか良い予感がするの。きっと近い内に、また框矢に会えるんじゃないかって」
近い内に、彼に会える気がする。
そう言った彼女に小さく微笑み、私も青空を見上げる。その青く澄んだキャンパスに、框矢の姿が浮かんで消えた。
まさか、と思う反面、そうなればどんなに嬉しいだろうかと思う。
良く、自分と瓜二つの人間はこの世にあと二人居ると聞くけれど。それでもここまで親近感が湧くのは、やっぱりあの青年だけな気がする。
止めていた鍬を握り直し、畝作りを再開させた。時々、框矢の事を翠と話しながら。
***************
そろそろ梅雨明けかという頃。その男は現れた。
「こんにちは。初めまして、清洞さん」
長身の、ハーフを思わせる少し日本人離れした彼は、玄関で顔を見合わせる私達ににっこりと微笑んだ。
「朔さんの知り合い?」
「いや」
どうやら翠の知人でもなさそうだ。そもそも、私達を訪ねて来る人間がいるはずが無いんだ。
周囲からあれ程に結婚を反対され、その中で駆け落ちし逃げて来た私達には。
「……どちら様でしょうか」
恐らく高級品だろう、品の良いスーツ。
男にしては長過ぎる髪を細く束ね、それがまた似合っている。
けれど。
この彼の後ろに見えるのは、この高齢化の進む集落には余りにも不釣合いな、黒塗りの車体。
「これは申し遅れました。僕はこう言う者です」
しなやかな動きで、彼が差し出して来た名刺。そこには、誰もが知る有名な食品会社の社長だと銘打ってあった。
だけど、名刺を見せられたからと言って、社長本人だとは俄かに信じ難い。
テレビを見ない私達には、本当にあの有名企業の社長なのか確信が持てなかったんだ。
「……失礼ですが、本当に青馬衣社長ですか?テレビなどを見ないので、ご本人かどうかが分かりません。
社長自ら、この様な集落に来られる理由が見当たらないのですが」
新手の詐欺って可能性も無くは無い。
そんな私達に、彼は穏やかな笑みを見せる。
「確かに、仰る事はごもっともです。名刺一枚で信用しろと言うのも、虫の良い話でしょう」
突然のご訪問の無礼を……と丁寧に告げて来る彼に、緩々と警戒心も薄れていく。
「実は、微力ながら人のお役に立てればと思い、様々な立場の方の支援や相談に乗ったりしておりまして」
「はぁ」
「そんな折に、清洞さんの事を知り、確認しにお伺いしたのです」
確認?
一体何の確認だ?
青馬衣社長と名乗る彼は、静かに笑みを浮かべるだけ。
「……突然のお伺いで、さぞ驚かれたでしょう。また明日、お伺い致します。信用頂けるまで何度でも。それでは」
そして優雅な仕草で軽く腰を折り、踵を返す。結局、何の確認に来たのかは告げずに去って行ってしまった。
「……一体、何だったのかしら?」
「さぁ……?」
玄関から、車が去って行った方角を眺め、二人して呆然としていたんだ。
翌日も、確かに青馬衣社長は私達を訪れた。昨日言った通りに。
「こんにちは、清洞さん」
「ああ、昨日の……」
彼は他愛も無い話をして、去って行った。
そしてその翌日も、そのまた翌日も彼はやって来た。ある時は有機肥料を、ある時は上品な和菓子を携えて。
一向に、何の確認をしに来たのか不明確なまま、次第に警戒心も硬い態度も解けていったんだ。
そんなある日、客間代わりの居間に彼を通すと、今までとは打って変わった真剣味の帯びた表情で私達を見て来た。
「実は僕は、政治家の方とも少し親交がありましてね。たまたまなのですが、政府機密とも言える事項を耳にしたのです」
「はぁ」
政府機密?それが一体、どうしたというのだろう。
私達には関係の無い話のはずなんだが……。
「少し話はずれますが、清洞さんはこの国の、戦時の史実をご存知ですか?」
戦時の史実?
思わず翠と顔を見合わせる。
「列国の強さに苦戦しながらも、多大な犠牲を経て辛くも勝利した……、と習いましたが」
学生時代の授業を記憶の隅から引き出し、そう言えば、静かに首を振ったんだ。
「実は、そうではないのですよ。手短にお伝えしますが、少なからずショックを受けられるかもしれません。お聞きになりますか?」
「……」
一体、彼は何が言いたいのだろう。
習って来た史実が例え違った所で、それはもう、私達には関係の無い話。
新しい発見によって、歴史が書き換えられるのは、仕方ない事じゃないか。そうだろう?
「その真の史実が、私達と何の関係があるのでしょうか?」
「……清洞さんの、未だに行方不明の息子さん。彼と、関係があります。そして……清洞朔さん、貴方ご自身とも」
「!!」
何故……どうして、彼が慶の事を知っているんだ?!
慶だけで無く、私にも関係がある?
不意に、テーブルを挟んだ目の前の彼が恐ろしくなる。大企業の社長だという事は横に置いても、本当は、彼はもっと恐ろしい男なんじゃないか、って。
「あなたは……一体、何者なんですか」
「以前申し上げた通り、一企業の社長を務めています。……突然現れ、開口一番に貴方方のご子息の事を告げて、信用が得られるはずがありません。
散々警察から突き放され、不信を持っている貴方方にきちんとお話を聞いて頂く為には、こうするしか無かったのです」
隣の翠の手が冷たくなっている事に気付き、そっとテーブルの下でその手を握る。
信用を得る為、と言う彼のその瞳は真摯そのもので、じっと見つめても逸らす事もしない。
今までどんなに手を尽くしても、分からなかった慶の行方。
それを、目の前の彼は知っている。
何故、どうして?
そんな疑問は頭を渦巻き、離れてはくれない。
けれど……23年間忘れた事は無かった愛息子の、慶の事を知りたい。
その思いが恐怖に勝った。
「……聞かせて、もらえますか」
漸く押し出せた言葉に、彼は一つ頷くと話し出した。この国の、真の史実を。
「この国が世界規模の大戦、それも強列国に勝てたのは、当時から他国に優る物があったからです。それが化学。化学の方です」
「か、化学?」
てっきり愛国心とかかと思っていたのに。
「そうです。国は、徴兵令で集められた若者達、男女問わずある事を行っていました。各国に優る化学力で生み出されたワクチンで、若者達を実験台に生物兵器を創りあげたのです」
隣で、翠が息を飲んだのが分かる。さっきよりも握る力が強くなる一方で、更に手の温度が冷えた気がした。
「生物兵器にされてしまった彼らは、拒否権も無く前線へ送り出された。彼らには、他国の兵とは違う点があります。一つは超人的な身体能力。もう一つは、ほぼ不死身と言う事。
戦闘に特化された彼らの唯一の弱点は、頭部への致命傷のみ。その他の傷は時間と共に治癒され、傷を負う前に戻ってしまう」
静かに語りながら、青馬衣社長の手は自身の側頭部を軽く叩く。
「倒したはず、死んだはずの敵が、翌日には平然と現れる。各国からは、ゾンビを相手にしている様だと恐れられたと言います。
大戦終結後、日本は武力は持たない、戦争はしないと法改訂し、彼らは全国へ散り姿を消した……これが、真の史実です」
「……」
言葉が出ない。頭が、ついて行かない。
この平和な日本が、まさか国がそんな事をしていたなんて、信じたくない。
けれど。
目の前の彼が嘘をついている様にも見えなくて、気持ちの切り替え、整理に暫く掛かった。
「落ち着かれましたか」
申し訳なさ気に眉を曇らせた彼は、私から翠へと視線を移した。
「お伝えした後でこの様な事を言うのは可笑しいでしょうが……。顔色が優れない様にお見受けします。奥様はお休みになられては」
隣を覗き込めば、確かにあまり顔色が良くない。翠にはショックが強過ぎたんだな……。
「翠、奥で休んでおいで。後は私が全て聞いておくから」
「……大丈夫。私も最後まで聞くわ」
フルフルと首を振り、動こうとはしない彼女の手を握り直して、分かった、と頷いた。
「次にお伝えする話は、今お伝えした史実を頭に置いて、聞いて欲しいのです」
「はい」
彼が一呼吸置いて、徐に口を開く。彼の口から出て来たのは、一番最初に口にした政府機密の話だった。
「政府には、専用のコンピュータが存在します。政治家の知人に少々無理を言って、見せてもらいました。その中には実に様々な情報が収められていますが、その一つに、あるリストがありました」
「リスト?」
「はい。それはもう万以上にも及ぶ膨大な人数のものですが、その中には、清洞さん、貴方の名前が入っていました」
「え、……?」
私が、政府のリストに入っている?そもそも何のリストなんだ?
罪を冒した事は無い。そもそも、政府に目を付けられるような事もしてはいないはずなのに。
「その一覧には、生物兵器にされてしまった若者達と、その子孫が延々と連なっていました。……清洞朔さん。貴方は、生物兵器になった兵士の子孫なんですよ」
そんな馬鹿な。
言おうとしたけれど、口が渇いて何も言えない。
「生物兵器にされてしまった兵士は、ほぼ不死身。つまり死なない。死なないと言う事は、年も取らないと言う事なんです。けれど今現在、彼らは全て死亡した事になっています。事故死した者もリストには居ましたが、そうでない者もたくさん居ました。
……ここからは僕の推測ですが、恐らく、子孫を残すと衰弱死したのではないかと思うのです」
血の繋がった子供を産むと、親が死ぬ?
もし……もし、彼の言う通り、私が子孫なら。父さんか母さんは、翠と駆け落ちする前に死んでいたはず。
そして私も、翠が慶を産んだ時に死んでいたのでは?
「私と妻が……生家を離れた当時、まだ私の父母は生きていました。
もし、あなたが言う推測が正しければ。私の親はこの世に居ないはず。私も、息子が生まれた後に死んでいるはずでは……?」
彼はごもっともです、と一つ肯く。けれどその後に然し、と付け加えた。
「確かに、生物兵器とされてしまった本人や、その子供は早死していたのかもしれません。
ですが更に孫に曽孫と子孫を残すうちに血も薄れ、不死身や身体能力などの特異な力も失われていったのだと思います。清洞さんの代にはほぼ完全に、普通の人間に戻ったのではないかと」
「……」
私が、生物兵器の直系尊属。超人的な能力を持った、人ならざる能力者の子孫……。
翠はどう思うのだろう。駆け落ちまでして共に暮らして来た伴侶が、そんな者の子孫だと知ったら。
知らなかったとは言え、やはり嫌うのだろうか。
握った手をそっと離そうとしたら、翠の手に、私を離すまいとする様に力が加わった。
「……例え、恐ろしい生物兵器の子孫だとしても。
今まで一緒に暮らして来て、私に見せてくれた優しいあなたが嘘だとは思わない。これからも、私はあなたと一緒に生きていく」
その口調、表情から本音なのだと解り、目頭が熱くなる。涙が出そうになるのを必死に耐えた。
駆け落ちしてまで、翠と生きてきて良かった。
指を絡めて、彼女の手を強く握り直す。そして、社長にもう一度目を向けた。
「……お待たせしました。続きをどうぞ」
彼は少し私達を見つめていたけど、分かりました、と頷いた。
「朔さん。あなたが子孫ならば、当然息子さんも子孫として登録されます。生物兵器とその子孫の方々のリストに。
あなたの名前の下に、慶、と名前が連ねてありました。慶……は息子さんの名前では?」
慶……!やっと、お前に繋がる情報が……。
漸く息子の名前が出て来た事に、嬉しさのあまり翠と顔を見合わせる。
「そうです。慶、は息子の名前です」
そうですか、と心なしか彼の顔色も明るい。
「実は、このリストに連ねられている名前の語尾には、必ず二文字、ないしは四文字が付け加えられています。
一つは“生存”、二つは“死亡”」
彼は指折り数え、三つ目を口にした。
「三つは……“行方不明”です。
朔さん、貴方の語尾には生存と表記されていました。現在亡くなっている兵士やその子供は死亡、となっています」
まさか。
嫌な予感がする。
まさか、慶は……死亡、になっている……?
ここまで来て。
若しかしたら、と光を見せておいて、彼は私達をどん底に突き落とすつもりなのか。
「息子さん、慶君は行方不明となっていました。
……生存で無い以上、確実に生きている、とは言い切れません。然し死亡ではありませんから、死んでいる訳では無い」
「何故、死んで居ないと言い切れるのですか……?」
行方不明、の言葉にどん底手前まで行ったショックから少しだけ気持ちが浮上する。
「膨大なリストを調べている間、表記が自動的に変わった時が何度かありました。生存が死亡に、行方不明が生存に、という風に。急いで情報確認をしてみた所、行方不明だった者が保護されたり、入院中の者が息を引き取ったりしたという事が判ったのです。
“生存”は存命という事は勿論、居場所も把握済みの者を指し、“行方不明”は単に、死んではいないが居場所が特定出来ていない、つまりは確実に死亡者とは言えない者を指すようです」
政府が、生物兵器の子孫を逐一管理していると言う嫌悪感よりも、政府に対する不信よりも。
慶が生きている。その事に何とも言えない安心感が生まれる。
「……じゃあ、慶は生きているんですか......?」
翠の細い声に、彼女に顔を見せるとはい、と答えた社長。
「若しかしたら、と思われる青年が居ます。その為、僕は貴方方をお訪ねしたのです。……まだ完全に息子さんと確定した訳ではありませんが、慶君である可能性が濃いです」
一呼吸置くと、明るくなっていた彼の表情が不意に曇った。
「次のお話は、慶君の事です。ショックを受けられる内容になります。奥様はどうか、席をお外し頂けますか」
「どうしてですか?慶は……生きているのでしょう?」
何故翠には聞かせられない?慶が生きている、それならばこんなにも嬉しい事は無い。
それなのに、ショックを受ける話と言うのは……どう言う事なのだろうか。
「……どうか、心を落ち着けてお聞き下さい」
翠が頑として動こうとしないのを見て取ると、彼はワントーン声音を下げた。
「戦時の、国の生物兵器の人体実験。この実験に魅せられた人間がいたのです。
……自分達の手で、あの頃と同じ様に生物兵器を創り、生物兵器となった者達を未だに内戦や戦争をしている国に輸出すれば、巨万の富を得る事が出来る、と狂気に狂った者達が」
「……!!」
そんな、恐ろしい人間が居るなんて。
人を人と思っていない者。でもそれが慶に何の関係が......?
「勿論違法な人体実験ですから、発覚すれば重刑に処せられます。……そこで彼らが取ったのは、カモフラージュ。孤児院を創立し、全国から幼い子供を入所させ、最低限の食事と教育を与え、裏では実験台にしていました」
……彼らは、鬼か悪魔か……?幼い子供達を、そんな目に遭わせるなんて……。
けれど社長の話はそこで終わりじゃ無かった。
「その中に、慶君が含まれていたと思われます」
バタン、と突如耳を貫いた音に、ハッとして隣に視線を移せば、翠が真っ青な顔で倒れていた。
「翠?!……翠!翠、しっかりしろ」
口ではそう、翠を介抱するものの……正直、私も限界に来ていた。
慶が、そんな酷い目に遭っていたなんて。
知りたくなかった。
自分達の愛息子が、実験台にされ、人間扱いされていなかった。
その事実は、いつか、慶と再会して暮らせるものだと夢見ていた一欠片の明るい希望を……絶望の深淵へはたき落とすには十分過ぎた。
「奥様!……奥様、しっかりなさって下さい」
彼も一緒に翠を介抱し、寝室へと運ぶ。
そして、何とか絶望感の深淵で落ちるのを踏み留まっている私に、深々と頭を下げた。
「奥様をあの様な状態にさせてしまい、お詫びのしようもありません。もし、お話した事を奥様と話し合われた上で、それでも息子さんの慶君と、と思われるのでしたら、こちらにご連絡下さい。
......それでは、失礼致します」
再度、深々と詫びと共に頭を下げ、彼は去って行った。
名刺の裏に記された、他県の市外局番で始まる番号をぼんやりと見つめ、アドレス帳に挟む。
ふらふらと緩慢に寝室へ戻ると、ベッドの傍に座り、翠の蒼い顔を撫でた。
「聞かせるんじゃなかった……」
すまない、翠……。
子供を産めなくなってしまった君の、唯一の希望だった慶。
会えなくても、忘れた事は無かった。
何処かで生きていると信じ、側に居られなくても愛していたのに。
その慶は、非情にも……人間扱いされていなかった。
ずっと同じ空の下で生きていながら、誰からの愛も、喜びも知らずに成長してしまった。
「慶……」
私達の顔を覚える前に、私達を親と認識する前に攫われてしまった慶。
会った時。
お前はどんな顔をするだろう。
私達を、親だと……父さん、母さんと呼んでくれるのだろうか。
それとも、赤の他人として私達に接するんだろうか……。
怖い。
お前にどんな顔で、どんな眼で見られるのかと考えるだけで、心を氷の手で握られる様な痛みが走る。
どんな理由を言った所で、私達は慶を救う事は出来なかったのだ。何故助けてくれなかったのか、と罵倒され、憎まれても仕方ないけれど。
「慶……一目でもお前と会えたら……」
元気な姿が見られたら。
翠の髪を梳き、未だ蒼白い頬に触れる。
翠と、良く話さなくては……。
それを最後に、私も限界を超えてしまった。
「……さん、朔さん」
遠くから聞こえる呼びかけに、薄っすらと目を開ける。
「大丈夫……?」
明かりの付いた天井を背景に、それよりも近い、心配そうな翠の顔が飛び込んで来た。
「……」
重い腕を持ち上げ、彼女の頬に手を滑らせれば、その手を包むかのように翠の手が重なった。
何も聞かなくても、答えなくても考えている事は同じ。
……慶……。
「……晩ご飯にしましょうか。手伝ってくれる?」
「ああ、もちろんだよ」
無理矢理話題を変え、何もかもをノロノロとした動作で終え、その晩は口数も少なく床に付く。
お互いがお互いに背に腕を回し、心の穴を埋めるかの様に。
翠を胸に隙間無く抱え込み、暗く重い闇に、身を沈めた。
慶の事は、今日はもう考えないでおきたい。今考えてしまうと、きっと私達は……壊れてしまう。
翌日。
一晩寝て、少し落ち着いた私達は、慶の事をどちらとも無く口にした。
「翠は……会いたいかい?」
「……朔さんは?」
私は……。
「会いたいよ、愛息子だからね……。でも」
次の言葉が喉に閊えて出てこない。
「怖い……?」
テーブルの上で、私の手をそっと握る彼女に眼を向ける。
「私達を、どんな眼で見るのか……それを考えると恐ろしいんだ。
酷い目に遭って、成長してしまった慶の心がどうなっているのか。人としての温かみが無い青年になってしまったんじゃないか、ってね……」
翠の眼に動揺が走るのを感じながら、そっと彼女の手を握り返す。
「翠はどうしたい?……それでも、会いたいかい?」
「……」
長い事黙し、俯いていた翠。手の力が抜け、考える事を放棄した様にも見える彼女を、じっと待っていた。
「それでも……」
ぽつり、と耳に届いた声。彼女を見つめて次の言葉を待った。
「私、会いたい。……嫌われても良い、憎まれてても良い。最初で、最後のお腹を痛めて産んだ子なのよ?あの子は、私と朔さんの子供なの。
一目で良いから、会って……抱き締めてあげたい」
「翠……」
最初で最後の出産。
二度と、二人の血を引く子を生む事が出来ない身体になってしまった翠の言葉は、とても重くて、心に響いた。
そして、私達は決めたんだ。
彼が、青馬衣社長が慶を見つけます、と言ってくれた言葉に賭ける事を。
彼に貰った連絡先に電話を掛けると、秘書だと言う男が出た。
“清洞様ですね、青馬衣から伺っております。生憎、青馬衣はたった今、会議に入った所でして……。会議が終わり次第、お掛け直し致します。本日中にはお掛け直し出来ると思いますが、宜しいでしょうか”
「繋がった?」
通話を切ると、翠からの問いに首を振る。
「会議中だと秘書の人が出たんだ。終わったら掛け直してくれるそうだよ」
「……本当に、社長なのね」
彼女のぽろっと漏れた呟きに、思わず吹き出しかけた。
「あ!朔さん今、笑ったわね?!」
何で笑うの!と剥れ顏の彼女に本当に笑ってしまい、翠を宥めに入る。
まあ、私も半信半疑だったんだ。大企業の社長なんて要職に就く人が、昨日、この家に居たなんて。
未だに詐欺なんじゃ……なんて思いが、頭の隅に居座ってたんだから。
その晩。私と交代で翠が風呂に入った時、掛かって来た電話。
取ると、相手はあの青馬衣社長だった。
“遅くなりまして申し訳ありません。ご連絡ありがとうございました”
そんな詫びから入り、迎えを向かわせる、と言われた。
“少しずつ、慶君には近付いておりますが……まだ保護するには至っていないのです。
清洞さん方には僕の所までお出で頂き、過ごして頂こうかと考えております。彼が見つかった時、直ぐにお会い出来る様に、と。
金銭面についてはご心配無用です。僕の好きでしている事ですので、全て僕が負担致します。奥様とこの事を相談して頂き、お心が決まりましたら明後日の晩までにご連絡下さい”
彼の好意に甘えて、妻と相談します、と通話を切った。
「……何だか申し訳ないわ。こんなにして貰って」
「そうだね。でも、これでやっと、慶に会えるよ」
「そうね」
結局の所は私も翠も、心は決まっていたんだ。
翌日社長に電話をすると、そこからは何もかもがトントン拍子に進んでいった。
迎えに来る日時やその手段、向こうに着いてからの宿泊先全部。
そして。
「清洞様、お迎えに上がりました」
私達は、東京に向けて秋田を離れた。




