準備 side.鮫島
「?!」
テーブル越しに座る框矢が、いきなり何かに反応した。
「どうしたんだ?框矢」
「……いえ、何でも無いです。ちょっと寒気が」
摩っていた腕を、彼の隣に座る影人が取り上げて目を見開いた。
「うっわ、すげぇ鳥肌!」
あいつか?……まさか、と話す二人を見ながら、電話が掛かって来た時の事を思い出していた。
***************
“相談したい事があるんです。乗って頂けませんか?”
いきなり、開口一番に聞こえて来たのは静かな框矢の声。
名乗らなくても、番号は登録していたから彼だとは直ぐ分かった。唐突に相談に乗ってくれと言われて、驚いたさ。
だけどそれを上回ったのは、純粋に喜びだった。
框矢が俺を必要としてくれた事に、彼の力になってやれる、って事が嬉しかったんだ。
でも丁度その時は、長官の予定が入り込んでいて、俺や他の長官直属の部下全員が慌ただしい日々を過ごしていた。
だからあと半月、六月末まで待ってくれと頼めば、あのカフェで待っています、と告げられた。
そうして、今、カフェの最奥の席に座っている。
「それで相談と言うのは?」
尋ねれば、鳥肌の話を打ち切り二人して顔を見合わせ、一つ頷いた。
「実は、鮫島さんと周价に手伝ってもらって眼の弱点を克服した後。
ダイルが出掛けるって言うんで、長野まで行ってきたんです。そしたら、またあいつに襲われました」
何だって?!
「だ、大丈夫だったのか?怪我とかは?」
「もちろん大丈夫でした。逆に圧倒的な勝利でしたよ」
「え、圧倒的……?」
そりゃあ框矢を相手にすれば、どんな相手だろうと圧倒されてしまうだろう。
影人の言葉に首を捻る。
そんな当たり前の事を、何でわざわざ言うんだ?
「正直、その時の事は良く憶えていません。……ダイルに危害を加えるぞと言われて、カッとなった所からは」
思い出したくも無い、と俯きになる框矢を横目に、影人は少し躊躇ってから口を継いだ。
「……以前、周价達と模擬戦をした時、鮫島さん聞きましたよね。“框矢の能力を見て、恐ろしいと思った事は無いのか?”って」
「あ、あぁ」
「あの意味、漸く俺にも分かりました。……初めて、框矢を怖いと感じました。今、目の前に居るのは……框矢の皮を被った、人ならざるモノだ、と」
何年も、俺なんかより長い時間を共に過ごして居る影人すらも、恐ろしくなる框矢の姿。
それでも、影人は彼の隣に居る。
「ダイルを人質にし、配下に入らねば彼を害すると告げられたその瞬間。ダイルの咄嗟の判断で、俺は救われました」
影人が紡ぎ出したのは、当時の出来事。
ダイルの指示で両耳を塞いだ影人が眼にし、感じたもの。
大気を震わす、声ならざる無音の絶叫。……けれどそれは、恩師を人質に取られた悲痛な叫びと言うには、程遠い咆哮だったらしい。
耳元で、肉食獣に吼えられたものよりも耳を劈く、怒りと威嚇に満ちた号哭。
ダイルは大丈夫だったものの、あの男が框矢を見る眼は、人を見る眼では無かった、と。
……まるで、魔物でも居るかの如く。
「ダイルのお陰で框矢は人に戻った。それに少し時間は掛かったけど、俺も框矢を受け入れる事が出来ました。
恐かったんですよ。今までに、経験した事が無いような恐怖を味わった事よりも、この一件で、框矢が俺の所から去ってしまう事が」
俺もつくづく馬鹿ですよね、と自嘲すると、漸く顔を上げた框矢が本題に入った。
「これでもう四回目なんですよ。……良い加減、俺も嫌になってきました。いつまで、この手この腕で瀧宗を振るわなきゃいけないのか。……いつまで、瀧宗を血に染めなきゃいけないのか」
「……」
直接言わなくても、それが社長と相対した回数だって事は直ぐに分かった。
框矢は影人との間に置いてある瀧宗を、ケースの上から触りながら呟く。
「瀧宗を使うのは、俺にとっても……なんて言うか、気持ち良いんです。けれど、いつまでも際限無く振るうわけにはいかない。俺だって、平穏に過ごしたいんです。どこか行くにしても、あいつの目を気にせずにはいられないこんな状況を、打破したい。
飛行機や新幹線、高速バスだって乗ってみたいんです」
「……へっ?」
思わず間抜けな返しをしてしまい、慌てて手で口を塞いだ。
まさか、彼の口から新幹線や飛行機なんて、男の子が口にするような言葉が飛び出るなんて、思ってもみなかったから。
框矢の隣じゃ、影人が口を押さえて笑いを堪えてる。
そんな彼に肘鉄を喰らわせると、苦い顔で俺を見て来た。
「俺がそう思ったって、おかしくないと思いますけど?」
そりゃあ年齢的には遅いでしょうけど……と文句たらたら。
「何で新幹線や飛行機なんだ?」
込み上げる笑いを抑えつつ、そう尋ねると。
「ああいう交通機関で切符などを買えば、調べようとすれば身元なんて直ぐばれますから。あいつに捕まらないように、全国を見て回るには乗れなかったんです」
その答えを聞いて、おかしく思う気持ちなんて、吹き飛んでしまった。
「しょうがないじゃないですか。あいつの手下って結構多いんですよ?しかもまるで洗脳されたかと思うぐらい、何の疑いも疑念も無く、従ってるんですから。
多分、色んな面子を揃えてるんだと俺は思ってます。武力だけじゃない、知能面でも。影人みたいなハッカーも居るでしょうし」
そう、一息吐くと、げんなりした顔で俺に言う。
「次もまた来るでしょうね。あいつならやり兼ねない。俺達の恩師を人質に取るくらい、卑劣な奴だから。
その次で、俺は最後にしたいんです」
その為に俺にはまた迷惑を掛けるだろうから、先に伝えとくべきだと判断した、と影人と頷く。
「俺に出来る事は無いか?またお前達だけで突っ走って、俺は後から知らされるなんて事は勘弁してくれよ」
いつもそうだった。
俺が負傷し、伏せってる間に全国に飛び出して行った。
約束したはずの、携帯を影人に預けて。
そんな全国巡りの間にまた社長に狙われた上、助かったと思えば眼の負傷を後から知らされた。
しかも勝手に香港に行ったかと思えば、抗争で敵組織を殲滅したと言う。
万を超える相手の大半を、框矢一人で。大人数を彼一人で相手にさせる事なんて、もうさせたく無いと願っていたのに。
だから次こそは、どんなに二人が反対しようと付いて行く気でいたんだ。
これ以上、彼らを助けられなかった、なんて言う歯痒い思いなんかしたく無いから。
どんな反対の言葉が降って来るかと思っていたのに、框矢から出たのは予想とは反対の言葉だった。
「鮫島さんは、顔が広いと長官から聞きました。それならば、警察の中にも知り合いが居るかと思ったんです。……一人、手を借りたい」
「え?……警察の奴を?」
まさか、警察のその名前が二人から出て来るなんて、全くの予想外。
特に影人は、警察なんて未だ憎んでるはずなのに。
「良いのか?……影人、お前まだ警察嫌いなんじゃ?」
「当たり前でしょう?嫌いに決まってますよ。でも鮫島さんの知り合いなら大丈夫です」
間髪入れない返答に、やっぱり、と項垂れる気持ちと、俺の知り合いなら、と嬉しい気持ちが半々。
「次にあいつから接触して来た時、俺は比較的大人しくあいつの所へ出向くつもりです。その時、あいつの野望をあいつの口から吐き出させます。
それを、あなたの連れて来る警察官に傍聴していて欲しいんです。俺達の言葉だけでは、警察は絶対に信用しませんから」
“俺達の言葉だけでは、絶対に信用しません”
やっぱり、二人は警察を信用していないのか。
元警察官として。それが淋しい様な、悲しいような、暗い色の渦が胸中に渦巻く。
「……何人か知り合いが居るが、どういう人間が好ましい?」
俺の問いに、そうですね……と影人と指折り何かを相談し始めた框矢。
そんな二人を見ていて、つくづく思うんだ。
凄いよなぁ、って。
親を知らない、ないしは失ったに関わらず、立派に生きてる。
二人とも高卒者ですら無い。なのに、この東京で暮らしている。
地方より地価が、物価が高いこの都会で、生活保護を受けずにそれが出来る人間は極めて少ない。
まあ、それが影人の情報屋の稼ぎのお陰だとしても、だ。
十代からこの都会で、指針になる大人も居ないのに裏社会の闇に飲まれたりもせず、まともに成長してさ。
親の下で育ち、高校卒業間近で漸く進路を決めた俺とは大違いだ。
時々、お前達は俺には眩し過ぎる。目を背けたくなる程に。
「鮫島さん?」
影人の怪訝な声音にハッとし、物思いに耽っていた事に気付いた。
「しっかりして下さいよ、何度も呼んでるのに」
「その年でぼけ始めてるなんて勘弁して下さい」
「ぼけ始め……?!」
框矢の冷たい言葉に、凝視すれば溜息が返って来た。
「四十路前で痴呆が入って来てるなんて、洒落にもなりませんよ」
それはあんまりだろ!
そりゃあ、呼び掛けに反応しなかったのは悪かったけどさ?
俺は未だ三十代なんだぞ?!
「お、前ら……ッ」
一発ずつお見舞いしてやろうかと拳を作った瞬間、二人が笑い出した。
「冗談ですよ、じょーだん」
なあ?と影人から相槌を求められた框矢も、うんうん、と頷く。
「今日の鮫島さん、何か変でしたから。からかえば元に戻るかと思ったんです」
「は、い?」
俺をからかっただけ?……ちょっとたち悪いぞ。
「じゃ、鮫島さんが元に戻ったので話を戻します」
あっさりと話を打ち切られ、俺の拳は行き場も無くテーブルの下へ下がっていった。
ちくしょう……いつか絶対、仕返ししてやる。
出来るはずも無い事を、胸の内で密かに呟きながら。
「口の堅い人間である事が絶対条件です。出来る事なら、意見の言える地位にある、公明な人間だと嬉しいです」
意見の言える地位と言われると、それなりの地位に居なければならないことになる。
うーん……。居るっちゃ居るんだが。
「長官じゃ駄目か?」
「彼は本当に良くしてくれますが、警察に強いツテが無い。……それに表面上、あいつとは親しい事になっています。勘付かれる可能性が無いとは言い切れません」
「……」
「それから、機械を通した上でも、あいつの声だと確実に聞き分けられる人をお願いします」
難題に内心唸りつつ、頷いた。
「まあ……罪に問われるのは俺かもしれませんが」
「?!……どういう意味だ?」
何で框矢が罪に問われなきゃいけない?
悪いのはあの社長じゃないか!
框矢の呟きに問い直せば、これ見よがしに盛大に慨嘆した影人。
「鮫島さん。あなたは曲がりなりにも、元警察官でしょう。憲法だって少しは齧ってるはずです」
半ば呆れた様に俺を見る。
「あいつは、自分で国の自治をしたいと言う野望の為に、部下を集めてます。その巧みな話術で、彼らに一種の洗脳に近い事をし、己の野望を正当化し更に崇高させている。
だけど框矢には効かなかった。阿呆らしい、と一蹴されて今に至るんでしょうが」
クッと小さく笑い、框矢へと話し手を交代した。
「仕掛けて来るのはいつもあっちです。けど、仕方ないとは言え……俺は瀧宗で応戦した。各回、あいつの部下を全滅させています。俺は瀧宗の所持許可を貰ってますから、そこは問題無いでしょう。
でも。あれはもう、正当防衛とは言えません。過剰防衛です」
その先は言わずとも分かるでしょう?と静かにアイス烏龍茶を啜る。
「……」
確かに、正当防衛と認識を受ければ防衛した本人は罪には問われずに済む。
だがあくまで、それは正当防衛と判断された場合の話。
責任能力も十分。精神安定剤等、精神や思考に関わる薬を服用しているわけでも無い。
素手で相対したわけでは無く、瀧宗は立派な刃物。
彼が相手を敵と定めれば、そこに最早躊躇は微塵も無いことは分かっていたはずじゃないか。
過剰防衛、下手をすれば殺人。……框矢は有罪を免れない。
せめて、相手を全て峰打ちに留めておけば……、なんて思ってももう遅い。
それでも。
「有罪になんかさせない、絶対に。……俺が、何とかしてみせるさ」
不敵に框矢達に笑い掛けた。
大事な人なんか俺には居ない。そう思っていたのに、お前はずかずかと俺の心に入って来て。
その框矢が入って来た穴から、影人までが侵入して来て、穴を塞いでしまった。
俺の心から追い出す策を全て、封じて。
俺の大事な人間になったのに、俺が護ってやるどころか、逆に護られて立場はもう既に無いけれど。
今度こそ。
次こそは、俺が護ってやるんだ。
それで全てが収まった時、前から決めていたことを言おう。
“俺と暮らそう”
男同士だから結婚は勿論出来ないし、養子縁組だって難しい。
それでも良い。きっとこの二人とでなら、楽しく過ごせるだろうから。
その時、俺は長官の下を去ろう。全ての職歴も、地位も捨てて。
***************
「どうも初めまして。榊原浩輔です」
更に二ヶ月程経って、漸く掴まえた彼をあのカフェへと連れて行った。
以前から親交はあったものの、俺が警察を辞めてから会う事すらままならなかった男。
正直、この“榊原浩輔”が本名なのかどうかも明確では無い。こいつがそう名乗ったから、ずっとそう呼んでいるだけ。
“一体何なんだ?郊外まで俺を連れ出して”
怪訝な顔で俺を睨む彼を、昔の誼で、とカフェの奥で待つ框矢達に引き合わせた。
「鮫島さん、彼は?」
「榊原は、公安警察官なんだ。だけど口の堅さと理解力はピカイチだ」
「この二人は?」
「框矢と影人だ。……これからする二人の話を聞いてやってくれ」
二人に促せば、框矢が語り出した。
「榊原さん。あなたは、GBPをご存知ですか」
「……?!」
隣の彼がギョッとしたのが分かった。一般人にしか見えない青年が、政府直轄の極秘警察の存在を知っているなんて、普通は有り得ないからな。
殲滅された孤児院FARM、その本当の理由。
人体実験により成功例として生き残った自分の素姓。
政府により隠された、この国の真の史実と国家主体の生物兵器開発。
未だに管理され続けている、生物兵器の子孫。
最低限に、必要な事だけを告げていく框矢の話。彼がそこまで話した時、榊原が話を遮った。
「何故、そんなにも詳しいんだ?!
君達が今口にしたのは全て、政府の最重要機密事項だぞ」
鉄仮面の異名を取っているはずの彼の顔には、色濃く不信と驚愕が見て取れた。
「それは、俺が調べました」
そう、榊原の言葉に被せたのは影人で。
「俺はハッカーを生業の一つに、暮らしています。最初は信じられませんでしたよ。
親友の異常な身体能力の高さに、その原因が違法な人体実験だったことに」
「……」
「GBPは極秘警察ですから、国民が知らないのは無理も無いでしょう。でも、そんな組織を隠しているくらいですから、絶対に他にも何か隠していると踏んだんです」
「そして発見したのが、生物兵器の子孫のリスト……」
“ええ、そうです”
榊原を見据えたまま、僅かに点頭。
言葉としては聞こえなかったが、肯定したのは言うまでも無く理解出来た。
ひたりと眼を逸らさない様は、宛ら蛙を見据える蛇の如く冷たく彼に巻き付いている。
「榊原さんは、この国の伝承をご存知ですか?俗に“マガイモノ”と呼ばれているそうですが。……框矢は、マガイモノ扱いされた人間です」
「!」
「現在彼は無職ですが、前の職場では同僚からマガイモノ扱いされ、自分から辞めました。あなたの隣に居る、元上司の鮫島さんに迷惑を掛けない為に」
影人、と框矢が彼を遮り黙させる。
「俺の過去はどうだって良いです。あなたに聞いて頂きたい本題はここからですから」
二人の眼は真剣そのもので、ギラギラと相手を圧すエネルギーが溢れて俺と榊原を包む。……そこに明るい光は一切無い。
「どうだって良い、だと?身体は資本でも有るんだぞ」
「物心付いてから思春期まで、中身を構築する期間全てを実験台にされて、今更資本がどうのなんて思いません」
榊原の言葉を、框矢の冷水が押し流してしまった。
冷房が効き過ぎている気がしてならない。
俺も榊原も、熱い飲み物を頼んだ筈。
それなのに一向に身体が温まらないのは、きっと、目の前の彼らが肺に入る空気まで冷やしてしまったから。
「……俺は一人の男に追われています。その男は、この国では有名人です。俺自身で手を下すことが出来ない」
「誰だ?」
「ダナニス・青馬衣」
框矢がその名を口にした瞬間、榊原の顔色が変わった。
「……何故だ。
何故、秘密裏にしている事柄ばかりが、こうも簡単に露呈している……?」
その呟きに驚いたのは言うまでも無く。
「どういう意味だ、榊原。公安でも社長の事を調査してるのか?!」
「……」
額に手を当て俯くと、苦汁を舐めた表情を見せる。
「あの男は、俺を戦力の為に手に入れたがっています。俺が下に付けば、今までの部下、数十人分を俺一人で担えるから。
近隣国の実質統治が夢だとも言っていました。日本は祈りの象徴が居るから難しいが、と。公安ではどうなのですか。彼を詮索するに当たった要因は?」
「……」
逸何時もポーカーフェイスを崩さない。表情から感情も、何ら情報も読み取れない堅物。
そこから付いたのが、“鉄仮面”の異名。
どんな策を講じても、決して彼からは中身を引き出す事が出来ない、と言われた榊原の仮面を、框矢達はいとも簡単に外させた。
「公安は、外部には情報を漏らせない。例えそれが身内で有ろうと、同僚で有ろうとな。
……だが、こうまで知られていては、もう黙秘するのも無意味だろう」
淡く首を振って嘆息すると、表を上げて影人、そして框矢へ目線を移す。
「框矢と言ったな。……君が今挙げた動機で間違いない。判明したのは、他国の実質支配を目論んで居る、その線が濃くなったと言うだけだ。
つい先程、君はあの男が“日本は祈りの象徴が居るから難しい”と言ったと口にしたな?」
「ええ」
「祈りの象徴=皇族の事だ。現天皇皇后両陛下の事を指す。だが、実際に政治を動かすのは政治家、内閣。……他国は大統領だったりするだろうが、国のトップが入れ替わる事は稀では無いからな。任期然り、叛乱然り」
榊原は緩くなったコーヒーを啜り、砂糖を加えるとそれをかき回した。
「近い未来に、日本の政治の糸を引こうと目論んで居るとすれば……内乱罪に匹敵する。これは未遂罪にも当たるんだが、決定的な証拠が挙がらない。
せめて、本人がそうするつもりで事を企てているのだと証拠が掴めれば、取り押さえられるんだが……」
その一瞬、框矢達の目がキラッと光った気がした。
「榊原さん。それは、音声でも証拠になりますか」
「勿論だ。録音さえ取れるのであれば、十分な証拠になる」
パッと榊原の眼に光が宿り、それが強い灯火へと変わった。
「俺は既に、有罪でもおかしく無い身上。四度に渡りあの男に狙われ、全てにおいて彼の部下を倒してしまっています。過剰防衛はもとより、殺人罪にも問われ兼ねない。
彼は未だ俺を諦めていないでしょうから、近い内に接触して来るはず。俺は次で最後にしたいんです。この手で、他人を殺めることはもうしたく無い」
「……」
「手を組みませんか。その後は、俺を煮るなり焼くなりして貰って構いません。俺は次で最後にしたい、あなたはあの男を捕らえたい。利害は一致しているのではないですか」
そんな、と口を挟みそうになったが、影人に無言で遮られた。
次こそは俺が護ると決めたのに。
社長の件に片が付いたら、何をされようと甘んじて受け入れると言った框矢。
結局、俺は何も出来ないのか?
「半月、猶予を貰えませんか?」
全員が黙ってしまった中に、場違いにも感じる影人の明るい声が広がった。
「猶予だと?」
「ええ。その間に準備を整えます。録音機能を備えた、小型の盗聴器。法に触れるかもしれませんが、それに近い事は公安だってやっているはずです」
にやりと挑発的な笑みを口許に浮かべ、試すかの様な瞳を彼に向ける。
「もう少しで三個目が完成します。あと一つ位、増産するのは容易い事。完成度は高いと自負していますよ、最長録音時間は七十二時間です」
「七十二時間!」
軽く眼を白黒させるが、直ぐに落ち着きを取り戻した。
そうして不意に、影人がテーブル上に置いた物。
それは、細長く鈍銀の光を放つ板飾のイヤリングと、手の平にギリギリ収まる薄い箱。丁度スマートフォンに似た薄さだ。
そしてそれとは別に、一回り小さな箱を自身のウエストポーチから取り出し置いた。
「これは?」
「盗聴器兼録音機です」
何の衒いも無く言ってのける。
「部品さえ揃えば作れます。運良く、あと数人分は揃ってますから」
影人は涼しい顔で笑い、簡単な説明をし始めた。驚きで何も言えない俺と榊原を残して。
「イヤリングは右耳に着けて貰い、一度叩けば盗聴を開始します。更に二回叩く事で録音も同時に出来ます。そしてこちらの二つも携帯してもらう事になります」
そう示したのは、大小のあの二個の物体。
「……この二つは何だ?」
「大が蓄音機、小は周波装置です」
周波装置?
そんな物、聞いた事もなければ見た事も一度も無い。
「どういう物なんだ?周波装置って」
漸く開いた口で尋ねれば、そうですね……と考える素振りを見せる。
「時に鮫島さん。人間の声の周波数が、何Hzかご存知ですか」
声の周波数?
「いや、知らない」
いきなり人間の声の周波数は?なんて聞かれても、パッと思いつく訳が無いだろうが。
「平均で、男性が300~550Hz、女性で400~700Hzと言われています。人間が聞こえる音域は約20~20,000Hz。ただ、地声で20,000Hzもの音域を持つ人間は稀ですから、200~1,500Hzに絞って音を拾えるよう設定してあります」
周波装置と呼んだ小箱を軽く指先で叩く。
「イヤリング、蓄音機、周波装置。どれか一つ欠けても機能しません。
イヤリングで盗聴した、ないしは録音した音声は、音声では無く周波数で蓄音機へ記録されます。その録音したものは、後々パソコン繋いで聞くことになります。周波装置は離れた所に居る、これらの機器を持っている人間にも内容が盗聴出来るようにする為のもの。無線機と考えて下さい」
淀む事無くすらすらと言い終え、あ、そうだ、と俺と榊原を見る。
「周波装置や蓄音機で設定してある周波数には、他の周波数割込み防止の為にある物を加え、一元化して特殊な物にしてあります。素人には扱えませんし、例え周波数を合わせていても傍聴される事は無いと思います」
元より俺は既に話について行けてないが、俺より頭が切れる筈の榊原ですら、影人と間に置かれた機器を瞳に写したまま茫然としていた。
影人はすみませーん、と店員を呼び、ミルクティーとカフェオレを頼むと機器を仕舞う。
そして框矢と笑いながら、彼はそれを、框矢はカフェオレを啜った。
「框矢は甘党だもんなぁ、その顔に似合わずさ」
「煩い、お前だって砂糖何杯も入れてんじゃねーか」
そんな二人の表情は、たった今、この場所で、盗聴や法に触れる様な事を会話していたなんて、到底思えない程に明るい。
「……影人、だったな?」
「え?あ、はい」
榊原が重い口を開き、色んな事を詰め込まれてぐったりした眼で彼を見据える。
「君の本業は何だ?ハッカーを生業の一つに、と言っていたが、本当は何をしているんだ?」
「……」
ミルクティーのカップから口を僅かに離し、動きを止めるが、それも一瞬。
平然とした表情でまたミルクティーを口へと運んだ。
「それだけ博識なんだ、大企業に勤めているんじゃないのか」
それを聞いた瞬間、くっくっと愉しそうに笑う。
「生憎、俺は企業には勤めてません。言うなれば自営業ですね。俺には学歴がありませんから、学歴社会のこの日本では……まあ世界でもでしょうが、入社出来る企業なんてありはしませんよ」
「何?」
「俺は中学中退の人間。仕事柄、色んな分野を調べるので作れただけです」
中学中退だと……?!
信じられないといった色を濃く滲ませ、影人を凝視する。
榊原は某有名大学の理学部を出ているからな、驚くのは無理も無いだろう。
「では、君は?」
框矢へ視線を向ければ、目も合わせず一言。
「俺は小学校すら出てませんよ」
当たり前でしょう、と嘆息を一つ落とした。
「公安の榊原さんは大卒者でしょう。……こんな低い学歴の人間と組むのは、プライドが許しませんか?」
スウッと框矢の眼から温かみが消えて行く。摂氏なんて瞬時に超えて、氷点下も負けてしまいそうな冷たい瞳。
頼むから、こんな所で殺気を放つなよ。
思わず、そう願った。
「……っ」
隣で、榊原が冷えた視線に狼狽える。
「そう睨んでどうするんだよ、框矢」
ぽんぽん、と彼の肩を叩き、框矢とは対象的な柔らかい笑みを浮かべるのは影人。
「俺達は、貴方と手を組むつもりで会っていました。でも。
貴方にその気が無いのであれば、話はここまでです。今日の事は全て忘れて下さい」
影人のそれは、表情を歪めるよりも畏怖を与えるには効果的。
柔らかい笑みを浮かべながらも、眼は欠片も笑っていない、恐ろしい顔。
框矢にも劣らない非情な感情が、その内面に見て取れた。
「……俺は、あの男を縄に掛けたい。それ以外の事は、取るに足らない小事に過ぎん」
押し出された榊原の言葉に、一気に框矢達の圧が消滅した。
その後暫く、周波装置の使用可能範囲や、社長の動きの予想などを話し合った。
その話題の殆どで、俺達は框矢達の博識さや予測能力の高さに驚かされたんだ。
「……では、こちらの準備が整い次第、鮫島さんを通してご連絡します」
今度は本当の穏やかな笑みを見せ、一礼する。そして、自分達のドリンク代を支払って去って行った。
彼らが去っても、俺達の間には少しの間、沈黙が横たわっていて。
先に口を開いたのは、榊原だった。




