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マガイモノ〈未改訂版〉  作者: 海陽
マガイモノ
24/60

“マガイモノ” side.鮫島

「捕らえますか」


「一人で行けるか?」


「はい。あの高さなら行けます」


信じられなかった。框矢が過激派はあの部屋だと指した部屋。直線距離でもここから2.5kmはあるその部屋は、俺は双眼鏡無しでは分からなかったんだ。そんな遠い一部屋を、框矢は肉眼で的確に指した。


高さだって軽く30階よりも上。なのに彼は行けます、と言い切った。今、自由に動けるのは框矢だけ。この状況では彼に、彼のその身体能力(未知要素)に賭けるしか無かったんだ。


「1を押せば俺に繋がる。十二分に気を付けて行け」


俺の言葉に一つ頷き、手渡した小型無線機を手にダッと駆け出した框矢。トンと簡単に高い信号機の上に着地した瞬間に彼の姿は消えてしまった。

微かに揺れる信号機を残して。


「は、班長?框矢は一体……」


ざわりとどよめいた部下達に框矢の事は何も伝えず指示を繰り出す。


「神宮、秋本はパンクの修理を、残りは周囲を警戒しろ。框矢の事は気にするな!現状を把握して任務を全うするんだ」


はい、と困惑しながらも返事をした部下達に更に細かく指示を与える。


「鮫島君。彼は一体何だね?」


窓を少し開け俺を見てくる長官。彼に近付き顔を寄せた。


「申し訳ありません。……今は申せません。全て収まった時、彼が良いと言えばお話し出来るでしょう」


俺の口からは言えない。約束したんだ、框矢と。


“秘密を守れますか?全てを聞いても、見ても、俺を普通の人間として見れますか。例えそれがどんなにあなたに親しい人でも、堅く口を割らないと誓えますか”


事実を聞いた時、框矢が一番最初に言ってきた言葉が脳裏に響いた。

……俺が興味を持たなければ。俺がしつこく聞かなければ、框矢は話さずに済んだしその能力を外で使う事も無かったのに。


「君は、彼が何者なのか知っているんだな?私が言っても話せない事なのか」


「申し訳ありません。これは彼のと誓い(約束)ですので……」


誰が何と言おうと、こればかりは絶対に俺からは話せない。


そんな決意を感じ取ってくれたのか、長官は良かろう、と答えてくれた。だがほっとしたのも束の間。


「全てが収まった時、私が直接彼に聞こう」


「!!」


済まん、框矢。


他人を信用する事が出来なくなってしまったお前が、やっと俺を信用してくれたのに。……俺はもう、お前からは信用されなくなるのかな。警察はお前の友人の信用も失ってるのに。お前の信用までも失うのか?


かつて、先輩SPから聞かされた教訓。


“警察官は非情で無ければならない。SPなら尚更。この国を、護るべき者を護るために、敵は容赦無く倒さなければいけない。情は捨てろ”


勿論敵なら情は必要無い。油断すればこちらが殺られるだけだから。だけど。どうしても、俺は非情にはなれなかったんだ。


警察は巨大組織だ。それ故に至らない所もあるだろうし、現に警察官による事件なんかも起きてる。だからと言って、框矢みたいな若者達の信頼信用が失われていく事を見て見ぬふりなんて出来ない。


框矢に誓った事を守れないかもしれない、と思うと心臓に嫌な痛みが走る。それが例えごく僅かな人数でも。自分に近い人間なら尚更に。非情で無ければならない、と言われた中で俺は結局非情になり切れなくて。


30歳を越えた今となってはこれで良かったと思える様になった。20代の頃はあんなに悩んでたけど。


「どうだ、パンク修理終わったか?」


「それがスペアが無くて。今、銃弾を除いて穴を塞ぐ作業をしてます」


「そうか、分かった」


秋本の返事に頷き、框矢から借りっ放しだった双眼鏡で彼が向かったはずの窓を探す。だけど彼の姿は見えない。


大丈夫なのか、無事なんだろうか。一人で行かせるべきじゃなかったか?……框矢が行ってから十五分が経とうとしていた。


そして更に数分過ぎた頃。

框矢が行ったビル付近に、警察官らしき団体を見つけたんだ。窓からその団体に双眼鏡の視点を合わせればやっぱり警察官で。しかも海外テロみたいな外国人グループの犯罪を担当してるFSP(外国人専門部署)(Foreign Specialty Police)の連中だった。


正直、あいつらとは関わりたく無い。

FSPの連中と俺達SPは仲が良いとは決して言えない間柄で、俺個人は気にしてないけど、何かと競ったりしてるらしいから。


連中がビルに突入した、丁度その時だったんだ。無線機に反応があったのは。


“鮫島さん”


ザザ……と機械音が交じるが、紛れもない框矢の声。


「框矢!無事か?!」


バッと無線機を口元に持ち性急にそう言うと、いつもと変わらない静かな声が返って来た。


“全員捕らえました。怪我をさせてしまいましたが”


怪我をさせてしまった、と言う事は死なせては無いと言うことだろう。


「いや、良くやった。今から別動隊が行くから、戻ってきて良いぞ」


框矢を労うと同時にそう告げる。


“一応、自滅しない様にリーダー格には猿轡も嵌めてあります。武器類は破壊、手榴弾を持ってましたので没収しました”


武器の破壊に手榴弾の没収、そして一番重要なリーダー格には猿轡?何て要領が良いんだろうか。


「分かった。没収した手榴弾は持ってきてくれ。……実はな、さっき言った別動隊、俺達SPとはあまり仲が良いわけじゃないんだ。出来れば接触は避けたい。見つからない様に戻って来てくれ」


さっきのFSPが気に掛かる。だけど框矢に“FSPが……”と言った所で、彼には理解は出来ない。


だから別動隊がと伝えたんだ。あいつらはもうビル内に入ってる。框矢に鉢合わせし無ければ良いんだが……。


けどそんな心配は杞憂に終わった。


ふとあの部屋の窓に人影が見えて双眼鏡を覗いた。窓に身を乗り出す形で座って居るのは紛れもなく框矢で。


「何やって……」


思わず口にしてしまっていた。だって30階より上の階なんだぞ?あんな所から降りたら死んでしまう。無線機で止めろ、と言いたかった。だけど手が動いてくれないんだ。そんな俺を他所に、框矢はひょいと右手右腕でビルの外壁にぶら下がると足を壁に着ける。そして少し部屋の中を見てから何か言うと、思いっきり壁を蹴って宙に舞った。


その先は、双眼鏡無しでも良く分かった。


直ぐ近くに建っていたビルの壁を蹴り、信号機の上に着地する。また姿が消えたと思ったら、逆方向から彼の声が聞こえたんだ。それも直ぐ近くで。


「鮫島さん」


パッと振り向くと、俺の元を離れる前と全く同じ静かな表情の框矢が立っていた。


「框矢……お前、脚は何とも無いのか」


あんな高所から飛び降りるなんて。普通なら即死、良くて両脚の複雑骨折を負ってしまうのに。


「別に異常はありませんが」


少し脚が痺れましたけど、と呟きウエストポーチから何かを取り出す。


「?」


「俺の手には余ります。鮫島さんにお預けします」


手渡されたのは、アメリカ製の卵型手榴弾。


「相手は二つ持っていました。一つは安全ピンを抜かれてしまいましたので、窓から上空に投げ、飛散させてしまいました」


申し訳ありません、と頭を下げる彼の頭を撫でる。何が申し訳ないだ。同じ状況だったら俺だって恐らくそうした。誰も被害が受けない所へ放るだろう。框矢の判断は正しかったんだぞって事を伝えたくて、肩を軽く叩いて労った。


「君。ちょっと来なさい」


突如聞こえた長官の声に、ハッとして車を見る。框矢も長官の方へ顔を向けたけど、その表情は静かなまま。


「鮫島君、君もだ」


「はい」


框矢と並んで車内の長官へ近付くと、俺と框矢を交互に見てくる。


「君は、一体何だね?私の問に答えられるか?」


「……」


その瞬間、框矢の目の鋭さが増した。だけど俺の方はチラッとも見ない。


「俺は俺です。それ以上でもそれ以下でもありません。何、と問われても答え様が無いです」


そんな彼の返答に、キョトンとしたが長官はそうか、とそれ以上は聞かなかった。


「この一連が終わったら二人とももう一度話がある」


「……はい」


その日の護衛は何とか無事に済んだんだ。




「……」


長官が乗る車を護衛しながら宿泊先へ向かう間、ずっと本野が框矢を見ていた事に、俺は気付かなかった。


宿泊先での長官の護衛には唐丈と神宮、秋本が担当となって彼について行った。

残った俺と框矢、本野、白峰、青生そして翠川は控え室でもある宿泊部屋に居た。


翠川や白峰、青生は談笑していた。框矢と言えば、相変わらず壁にもたれかかるように一人離れて座って居たんだ。俺はそっと框矢の近くに腰を下ろした。




「俺は、間違いを冒しました。あなたに明かすべきじゃ無かった」


ぽつりと小さく聞こえた科白。ぱっと框矢を見ると顔を俯け瀧宗を抱えた姿があったんだ。その顔は無表情で、頑なに自分の事を話すのを拒んでいた頃の彼に戻ってしまったみたいだった。


そんな框矢に俺は何も言えなかった。

そんな時だったんだ、ずっと黙っていた本野が口を開いたのは。


「框矢。お前……マガイモノじゃないのか」


その瞬間、部屋の一切の音が消えた。


「……」


スッと顔を上げた框矢の表情はやっぱり何の感情も現してない。


「……“マガイモノ”?何だよ、それ」


青生の声に本野は彼の方に顔を向ける。


「青生は知らないのか?昔からこの国で流れてる古い言い伝えみたいなものなんだ」


そして一つ息を吸うと低く言った。


「“何時の時代にも彼らは必ず存在する。突然変異であれ人為であれ、あり得ぬ超人的能力を持ちし生きる者が人に紛れて暮らしている”

それが……マガイモノ」


ジッと框矢を見据え、目つきを鋭くする。


「昼間のお前は明らかに人間を超えてた。一体何を隠してる?」


「……」


框矢は無表情を崩さず、その眼の焦点も何処に向いてるのか分からない。身動き一つしなくて、本野の問いに応える様子も無い。


「何とか言えよ。お前は一体何なんだ?!」


「お、おい……本野、落ち着けよ」


声を荒げる本野に白峰が声を掛けるも落ち着く様子が無い。


「言ったら、あなたは信じてくれますか」


やっと口を開いた框矢から出たのは、静か過ぎる声。


「確かに俺の身体能力は人を超えてるんでしょう。……だけど、俺だって、なりたくてこんな身体になったわけじゃない。出来る事ならこんな身体能力なんか捨てたいんだ。普通に働いて、普通に年を取って普通に死にたかったんだ」


「……」


「あなたには俺が、俺達がどれだけの激痛を耐えて来たかなんて想像も出来ないでしょう?俺は別にマガイモノ呼ばわりされたって一向に構わない。だけど。だけど、俺達実験台にだって感情はあるんだ。何も知らずに勝手に悪く言わないで下さい」


声の調子は全く変わらない。けれど眼の鋭さが急速に増していき本野を見据える。その鋭さは首元に刃先をつけられたと錯覚してしまう程。

殺気すら感じられる怒りがそこにはあった。


「俺の他にも同じ目に遭った(仲間)は沢山居て、勿論俺みたいに生き残った奴も居ます。だけど、その数倍以上もの奴が死んだんです。何度も繰り返し実験台にされて耐え切れずに苦しんで死んだ奴が毎日何人居たと思いますか?」


いつの間にか低く、唸る様な声音に変わっていた。表情は変わらずそれが更に凄みを増幅させる。その怒りを向けられた本野は青ざめ、座ったまま後退りする。そばに居た白峰や青生も蒼白になって居た。


「毎日五、六人は苦しんで悶え死にしたんです。それを俺達は物心付いた時からずっと目の前で見ながら生きて来たんだ。身勝手な大人の所為で、俺達が生まれたんです」


想像も出来なかった框矢の言葉に本野達から彼に目を移す。横顔のその眼の怒りの激しさに、ぞわっと全身が粟立ったんだ。


「あの暮らしは思い出したくも無い。辛うじて生きていけるだけの粗末な食事を与えられ、四日に一度は必ず実験台モルモットにされるんです。あなたに耐えられますか?」


死んだ方がマシだと本気で思う様な激痛が全身を襲い、何時間も苦しむんですよ?と框矢の眼には冷たい光が宿り、その口元には冷笑が浮かぶ。


それは俺も初耳の事で。体験した事が無いから想像も出来ないけど、彼の年不相応な目つきや態度の訳が漸くわかった気がした。


「よく、そんな目に遭って……」


生き延びて……と微かに聞こえる声で本野が返した刹那。冷たい框矢の声が部屋に響いた。


「俺はね、本野さん。同情(憐れみ)なんて欲しくないんですよ。経験者でもない人間に俺達の苦しみやこんな目に遭わせた憎しみが解るとは思わない。理解も求めません。真に理解した上で、俺達を普通の人間として見てくれる人なんて両手で数える程も居ないでしょうから」


その言葉に部屋が、彼の言葉を聞いた全員が凍りついた。


「別に信じてもらわなくて良いです。今言った事は全部忘れてもらって構いません。全て、本野さん次第です」


不意に、重苦しく部屋を支配していた框矢の殺気が消えた。その呪縛から解放された瞬間、ぶわっと寒気と共に汗が全身から出るのを感じたんだ。それはきっと白峰や青生も同じだろうと思うし、殺気を向けられた本野は尚更そうだろう。


「俺はもう大人は信じません。信じちゃいけないんですよ……そうで無ければ生きていけませんから」


何の感情も浮かんでいない眼を本野から反らし、再度壁に寄りかかって目を瞑る。最後の言葉だけは、俺には何故か哀しみが混じってる気がしてならなかった。


その日を境に本野は框矢を避ける様になった。框矢も気にしていない様で、その後の長官の護衛も何事も無く任務終了を迎えたんだ。だけど俺は班長として、Sチームのリーダーとしてそんな本野は放ってはおけない。


「本野、ちょっと良いか?」


「はい」


警視庁のSチームの部屋に誰も居ない時を見計らって、俺は本野を呼び出した。


「お前、框矢の事を避けてるだろ。何でだ?」


瞬間、本野の身体が硬くなった。


「あの一件が原因だって事くらいは俺にも想像はつく。向こうは本当に気にしてないようだから触れないでいたけどな、あからさまに分かる避け方はやめた方が良い」


上層部にチームワークを疑われる原因にもなり兼ねない。そうでもなれば、Sチームはあっという間に解散させられてしまうだろう。それだけは避けたかったんだ。


「班長は何とも思わなかったんですか?……あんな人間離れしてる框矢が、俺達一般人とは違う奴が自然に紛れ混んでて、怖いとは思わないんですか」


「……!」


「あいつに殺気を向けられて、俺は心臓を鷲掴みにされた気がしたんです。班長も白峰や青生も殺気は感じたでしょうけど、あれは俺だけに向けられたものだった。殺気だけでもあいつはきっと人を殺せる。本気でそう思える威力だったんですよ?!」


きっと、これが普通の人間の反応。自分達とは違う一線を引いた所に立つ框矢のような者は受け入れ難くて、畏怖に値する存在。

その与えられた力を能力を悪事に使うのはごく一部。大半は框矢のように不要と感じてる奴だと俺は思うんだ。だけど今の本野みたいに、噂の一人歩きで勝手に怖がり避ける……日本人の特性(国民性)みたいなものだ。


「本野は、框矢が語った事は嘘だと思うんだな?」


「そうは言ってません。だけど……信じ難いのも事実です。生身の人間を実験台にするなんて明らかな違法なんですよ?そんな非道が、この日本で起きてるなんてそうそう信じられる事じゃないんです」


俺から目を反らし、床を見る本野の口調は本気で言っているのだと良く分かるものだった。


「……班長は何で平気なんですか?あんな得体の知れないマガイモノが、こんなに近くに居るのに。どうして平然としていられるんですか」


何で、どうしてと言われてもな。

自分でも良く分からなかった。今の本野の反応が世間一般の反応だとしても、俺には框矢の能力は興味をそそられるものでしか無くて。本野や白峰達が知らない、GBPの事を知っているから?それとも一部始終を彼から聞かされ、全てを知っているからか?考えてもピンとは来ない。でもこれだけは言えるんだ。框矢だって、その身体能力さえ外せばただの人間なんだって事。


「俺は框矢から全てを聞いたからな。前の一件で聞かされた事はそのごく一部に過ぎない。あいつは俺達を見抜いてるんだよ、本野。自分の事が表沙汰になれば十人中十人(見聞きした全員)が自分から離れてくって事も、今のお前みたいに言い伝えを信じて勝手に怖れられてしまう事も」


だから、框矢はいつも一歩引いた所に立っていた。あの一件以来、框矢の行動の意味が前より理解出来るようになった気がするんだ。


どうしていつも一人で居て、他の奴らの談笑に混じらないのか。


どうして大人を、周りの人間をもっと信用し頼らないのか。


「怖がるなと言われる方が無理です。俺は、班長ほど出来た人間じゃ無い」


「……」


無意識にしていた腕組みを解く。框矢を擁護する訳じゃなかったけど、本野と話しているとやっぱり俺は框矢側に立って話してしまう。


「あいつだって人間だよ、本野。ただ単に身体能力が高過ぎるだけで。ただ、年不相応な早さで中身が大人になってしまっただけだ。流石に空を飛べるだの魔法を使うだの、そんな事が出来るなら俺だって避けてしまうかも知れないけどな」


「……班長は、框矢の肩を持つんですね」


「本野。元々あいつをマガイモノ呼ばわりしたのはお前だろう。その科白はおかしい。それに俺は肩を持つというよりも、あの身体能力に興味があるんだ」


一体どれだけの可能性を秘めてるのか、自分の眼で確かめたいだけで。


「俺が框矢に興味を持って過去を聞き出さなければ。あいつはあの身体能力を表に出さずに済んだんだ。それにあの時。框矢に指示し、彼がそれに従ってくれたから過激派の拿捕に成功した。全ての責任は俺にあると言ったって過言じゃないんだ」


「……」


「内心はどうなのかは知らんが、あの後、框矢を避けてるのはお前だけだぞ?白峰も青生も一緒に話を聞いていたけど、普通に框矢に話しかけてる。秋本や唐丈達は話を聞いてないから態度が変わってないだけかもしれないけどな」


「……そんなはずは」


小さく本野が呟いた時、かちゃっとドアを開けて入ってきたのは框矢だった。


「框矢……」


まさか、今の話を聞いていたのか?!


無表情で近寄って来ると鮫島さん、と俺を呼んだんだ。


「鍵重長官が俺とあなたに話があるそうです。来ていただけますか」


「あ、あぁ。すぐ行く」


正直ほっとした。今の話については何も言ってこなかったから。


「框矢?」


長官の元へ行こうとドアへ向かったけど、框矢がついて来ない。彼はじっと本野を見ていたんだ。それに気付いて本野の動きが止まる。本野さん、と静かな声で呼んだ瞬間、本野の身体が一瞬震えたのが分かった。


「俺を避けるのは一向に構いません。だけど、鮫島さんを困らせる事はしないで下さい」


「……」


静かに、それでも良く通る声でそれだけ告げると、框矢は本野に背を向け俺の近くに寄って来た。


「お待たせしました」


「あぁ」


一言も発しない本野を置いて俺と框矢は長官の元へ歩く。俺を困らせる事はするなとはどういう事なのか。それを聞いてみても良いのか、歩きながら悶々としていると、隣の框矢が歩みを止めた。


「……鮫島さん、俺に何か言いたい事でもあるんですか。そんな顔、鮫島さんには似合いません」



そんな顔ってどんな顔してるんだ、俺。


ふっと唇の端が持ち上がった彼を見る。超レアな框矢の笑った顔だった。


「行きましょう。長官が先程からお待ちですから」



***



「おぉ、待っていたよ二人共」


「お待たせ致しました」


長官は後任のSP全てを人払いすると、俺達にもっと近寄れと手招きする。その一番の関心は框矢に向いているようだった。


「……さて、改めて聞こう。確か框矢だったな。君は一体何者か?」


聞かれた瞬間、框矢が俺に目を向けて来た。


「鮫島さん。……信用していたのに、あなたは破ったんですか」


その声、表情、眼の色全てが俺を冷たく見ていた。


「いや、彼は何も言ってはくれなかった。SP一、口が堅い男だからな鮫島君は」


俺が答えるより先に、長官が口を開く。


「何度聞いても“申し上げられません”の一点張り。私が何故聞いたのかと言うとな、車内から信号機の上に着地した瞬間に消えた君を見ていたからだ」


「……」


その言葉に合点がいったのか、漸く俺を見る框矢の眼の冷たさが弛んだんだ。


「出来ればお話はしたくありません。これ以上、俺の過去を知る人間が増えて欲しくないんです」


「話さなければ、SPを辞めさせると言ったら?」


「それでも良いです。別に表でなくても、日本で無くても俺の生きる道はあるでしょうから。裏で、俺の腕が必要とされるなら。そちらで生きる事も出来るでしょう」


何の感情も篭ってない声。その声を聞いて、ズキッと胸が痛んだ。せっかく“実験台にされて生きてきた”と言う闇から抜け出して、明るい世界で生きて行けるのに。框矢は自分から戻ると言うのか?その身体を、裏社会の闇に染めてしまうと言うのか。俺が、框矢から過去を聞き出したが為に。


「……」


俯いた俺の前に少し影がさして、鮫島さん、と静かな声が聞こえた。


「もしかして悔やんでるんですか。俺の過去を知った事を」


過去を知った事を悔やんでるんじゃ無い。聞いて、その能力を使わせてしまった事を悔やんでるんだ。


「框矢は俺を恨んでるか?俺の所為で今、こんな事になってる事を」


口を次いで出たのはいつもの俺からは遠く離れた弱く小さい声で。それを聞いた彼の目が微かに見開いた。


「感謝はしてますが、恨んではいません」


感謝だって?俺は框矢に感謝される事は何もしてないのに!


框矢はスッと長官に向き直ると、長官は鮫島さん()同様に秘密を守って頂けますか?と聞いたんだ。


それがどんなにあなたに親しい方でも口を割らずに沈黙を貫いて頂けますか、と。長官が誓いを立てよう、とまで言って立てると彼は一つ頷き語り出した。


あの時俺に語ってくれた内容と全く同じ事を。


「……俺は、追われているようです。GBPでは無く一人の男に」


それは、また俺には初耳の話だったんだ。


「追われている?誰に?」


「ダナニス・青馬衣と言う男。ご存知ですか」


その名前にどれだけ驚いたか!

ダナニス・青馬衣と言えば、日本では知らない者は居ないくらいの著名人じゃないか!


「彼は日本では知らない者は居ない程、有名な人物。30歳半ばにしてたった一代で食品事業を起こし、大企業へと成長させた凄腕の社長なんだ。何故彼に追われていると思うのかね?」


信じられない色を滲ませ、框矢に前のめりに尋ねる長官。俺もその理由を聞きたくて框矢に近寄った。


「以前俺は小さな部品製造の下請会社で働いてましたが、そこにあの男が現れたんです。元自衛隊員だとか言う部下を二人つけて。彼は俺を手に入れたいと言ってきた。だけど俺はそれを拒んだんです。そしたらあの男……俺が居た下請会社を潰すと言い放ちました」


最低な奴だと吐き捨て、お陰で俺は職を失いました、と付け加えた。信じられなかったんだ。だってダナニス・青馬衣と言えば、凄腕の社長であるばかりか、海外支援もしてる慈善家なんだぞ?!


だけど、長官は微動だにしなかった。厳しい顔で何かを考えていると一言そうか、と呟いたんだ。


長官が何を思ったのか俺には分からない。彼はそれ以上何も言わなかったから。


「鮫島君、この事は口外は無用だ。それから、君と框矢はいつでも連絡を取れるようにしておいてくれたまえ。……何かあった時、力になれる様に」


「ありがとうございます」


「……」


框矢は何も言わなかったが、黙って頭を下げた。もちろん無表情だったけど。その後、框矢がプリペイド携帯を持っていると知って俺の携帯番号を教えた。


メールアドレスも教えたかったけど、メール機能は付いてないんです、と言う彼の言葉に諦めざるを得なかったんだ。

元々バイト探しの為だけに使っていた物だから、と。


「新しい携帯買ってやろうか?」


そう言ってみたけど首を振った。


「恩師からもらった物です。俺はこの携帯で良いんです」


その言葉に無性に妬いてしまったんだ。俺も框矢が恩師と仰ぐ彼みたいに信頼されたい、って。


「框矢は恩師って言うその人を、ずいぶん慕ってるんだな」


俺の妬いてしまうな、って言葉に不思議そうに首を傾げる。


「慕う?俺の恩師に対するこの気持ちはそういう感情なんですか?」


妬くって何ですか?と框矢は本当に知らない様で驚いた。


「でも……そうですね。彼は俺を孫みたいだって言ってくれましたし。それに、俺を人間扱いしてくれた初めての人ですから」


俺の為に色々してくれましたし、と懐かしさが滲む目をする。


「同じって言ったら図々しいかもしれないけど。俺も、その恩師みたいな関係になれないかな。周りがどう思おうとお前はお前だ。その身体能力さえ除けば、お前だって普通の人間なんだからさ」


今の俺の、正直な気持ち。楽しい事や嬉しい事を一切知らずに成長した凍ったままの框矢の心を、少しでも溶かしてやりたいんだ。


「……ありがとうございます」


呟く様に答えた彼は、初めて俺に年相応の青少年らしい笑みを見せてくれたんだ。


「あなたも俺の恩師と同じ事を言うんですね」


あなたとなら良い関係になれるかもしれない、と言ってくれた事に凄く嬉しくなった。それから俺と框矢は少しずつだけど信頼関係を築いていった。上司と部下として、一人の人間として。

それでもやっぱり彼の恩師や友人の事は教えてくれなかったけど、別に良かった。



彼から、あの言葉が出るまでは。

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