極秘話 side.鮫島
「これが瀧宗の許可書だ。常に持ち歩いていてくれ」
「ありがとうございます」
あの日、框矢を見失ってから数日後。何事も無かった様に警視庁に現れた彼に瀧宗の許可書を手渡した。
その時、俺は初めて框矢の嬉しそうな表情を見たんだ。とは言ってもほんの僅か唇の端が上がっただけなんだけどな。
「それで、肝心の瀧宗は?今日から勤務だぞ」
どう見ても手ぶらにしか見えないんだが。框矢にそう問うと、同じ室内にあるロッカーからそれを取り出した。
SPは各チーム一部屋小部屋が割り当てられている。Sチームももちろん例外では無くて、個人一人一人に自由に使えるロッカーもついているんだ。
まるで杖みたいに反りが無く、とても軽い。漆黒で、柄には朱い蔓の様な模様。何より目を引くのは、下緒も鍔も無いこと。これでは片手で鯉口を切ることも出来ない。
これが、瀧宗。
不便そうにも見えるが、それを差し引いても素晴らしい刀だと分かる。
「抜刀、してみても?」
「どうぞ」
今まで刀なんて持ったことが無い。剣道なら中学高校とやっていたが。
短く応えた彼から瀧宗を受け取り、両手で柄と鞘を持った。が、抜けない。角度を変えたり力加減を変えたりしてみたが、抜刀出来なかった。
「框矢……これ、本物なんだよな?」
まさか刀身が無い偽物……?
「もちろんです」
彼は即答し俺から瀧宗を取る。そして、俺と同じ様に柄と鞘を握った。俺が見ている前で框矢はチャキ……と小さな金属音と共にいとも容易く抜刀したんだ。
俺があれ程やっても抜刀出来なかったのに。
「本物かどうか、疑われるのなら。何か斬ってみましょうか?」
瀧宗と俺を交互に見て静かにそう聞いてくる。いくら俺でも、抜刀した刀身が本物か偽物かの判断は出来る。
いや良い、と言うと、彼はスッと納刀した。
「今日から一ヶ月、俺達Sチームは陸上自衛隊長官で在られる鍵重長官の護衛にあたる事になった。状況によっては期間が延びる事もある。心してくれ」
「「分かりました」」
揃った部下の声に、一つ頷くと皆を引き連れて鍵重長官の元へと出向く。俺を含め全員が腰に38口径のSIG SAUER P230を装備する中で、一人だけ長刀を手にしている框矢は目立つ。もちろん框矢もSIG SAUER P230を腰に下げている。けど本人は使う気が無いようだった。
長官の居る部屋に着くと、コンコンとノックをする。
「入りたまえ」
その声に従い警視庁内のある部屋の扉を開ける。その部屋はこの国の重鎮であったり、重要な官職に就いている者しか入れない部屋。
「やぁ、君かね。鮫島君」
明るい口調に思わず苦笑が漏れてしまう。
「お久しぶりです、鍵重長官。まだ俺を憶えておいででしたか」
「当たり前だろう。六年前、20代でありながら親父を護衛する一人だったのだから」
六年前に26歳で抜擢され、長官の父……当時の陸上自衛隊長官のSPとして護衛した。
あの頃の君は初々しくてなぁ、と昔話をしようとする長官をやんわりと止める。憶えてくれてたのは素直に嬉しい。だけど、これでは部下に示しがつかないじゃないか。
「長官。俺は今班長なんです。憶えて頂けていたのは嬉しいですが、これでは示しがつきません。俺達は仕事でここに来たんですよ?」
「なんだ、堅苦しくてつまらんな。昔の君は面白かったのに」
つまらんと言われてもな。こっちは仕事なんだぞ?
苦笑でその話題を流して本題を切り出す。
「本日より一ヶ月、鍵重長官の護衛を我々第一班Sチームが仰せつかりました。日本は比較的平和ではありますが、全力でお護り致します」
俺が右拳を胸に当てる敬礼をすると、背後の部下達もカッと床を鳴らして敬礼するのが分かった。
「うむ。君が率いるチームならば精鋭揃いで間違い無いだろう。後程、私のスケジュールをそちらにも回しておく。把握しておいてくれ」
「承りました。失礼致します」
退室し、俺達Sチームの部屋へ戻る。
「班長、班長の若い頃ってどんな感じだったんです?教えて下さいよ」
あーぁ、やっぱりそう来たか。長官のせいだぞ、絶対!
部下の軽い質問攻めをするり、するりと躱しつつ、ハッとした。“若い頃”って何だ?!
「お前ら!俺はまだ32だぞ?!若い頃って何だっ。お前らと同世代だろうが!」
「うわ!班長が怒ったッ」
やいのやいのと部下が騒ぐ中、ふと框矢の姿が無いことに気付いた。彼を目で捜し、壁に置いてあった椅子に座って居るのを見つける。右肩に瀧宗を立て掛け、左手でその鞘を持ったまま動かない。背を少し丸めて器用に椅子の上で半分あぐらをかいてる。
少し近寄ってみれば、スースー微かに寝息が聞こえた。
更に少し近寄り声を掛けて見る。まぁ、起きない気がするけど。
「框矢」
次の瞬間、ピタッと寝息が止まったんだ。未成年とは思えない、威圧の眼で俺を見る。まるで、敵が目の前に居るかのように。
「……鮫島さん、ですか。驚かさないで下さい」
俺が誰だか判ると、フッと威圧の色が消えた。
“それは俺の台詞だ”
そう口に出すのを寸前で引っ込めた。
「寝ていたんじゃ無いのか?」
代わりに出たのは、そんな当たり障りのない言葉。
「俺は目が覚めるのが早いんです。そばに来た人の気配で目が覚める事もありますから」
友人は別ですが、と付け加えるとまた目を閉じた。
人の気配で目が覚める?
どう言う事だ?どう見ても浅い眠りとは思えなかったのに。
もう一度聞こうとしたけど、框矢はさっきと同じ、静かな寝息を立てていた。
「班長。そいつ、人とわいわいやるのが苦手らしいですよ。そこに座る前に俺に言ってきたんです。人とあれこれ話すのは自分に向かない、だから参加しないって」
そう俺の隣に立って言ったのは唐丈。最近の若者らしくないですよね、と框矢を見やり、俺を喋っている翠川達の所へ引っ張って行く。
そのまま、その日は框矢と話す機会が無いまま終わってしまったんだ。色々聞いてみたい事があるのにも関わらず。
翌日から、あちらこちらを移動する鍵重長官に着いて彼を護衛した。長官は長距離を除いて車移動を嫌う。昔から車酔いに悩まされて、乗ると必ず酔うからだと言っていた。
免許を持たない框矢には幸運だったと言えるだろうな、これは。
彼を、若しくは彼が乗った車を囲みながら移動し護衛。だけどやっぱり平和な日本国内、一ヶ月経っても問題が起きる事は無かったんだ。
期間延期で二ヶ月に入ったあの日までは。
警視庁トップ層の面子から、その一報は飛び込んできた。
“海外の過激派グループが鍵重長官を狙い、日本に入り込んだ”
海外の過激派グループ?!
一気に慌ただしくなった。詳しく聞いたものの、良い情報は得られなかった。犯人の特定はまだ出来ていない、その目的も定かになって無いと。
部下達も初めての緊迫した雰囲気に落ち着かない様子を隠しきれて無い。ただ一人、框矢を除いては。
いつもと同じ様に、皆から少し離れて無表情を崩さない。年齢から言えば框矢が一番オロオロしそうなものなんだがな。
「新しく入った情報は?!」
「相手は五、六人の複数、内二人は相当の射的技術を持っている様です」
「何だって?!その精度は?」
「高層ビルの中層から地上をピンポイントで狙えるとの事です」
「…….ッ」
齎されたその情報に、思わず歯を噛み締める。
高層ビル中層から地上をピンポイントでの腕前。それは相手はライフル、それもNATO弾という代物を所持してる可能性が高いと言う事。今の自分達にはそれを止められる能力が無い。
視力は良いとは言えど直線距離200m以上先の物を肉眼で捉える事は出来ないし、持っている拳銃もそう射距離が出る物では無い。そもそも、日本警察の拳銃は犯人の反抗抑制程度に使われる物。威力は劣るのだから。
そして何の対策も立てられぬまま、長官の護衛は続いた。
一報が届いてから三日目。交代で休憩に入った時、偶然にも框矢と二人だけになったんだ。
「お疲れ様です」
相変わらずの物静かな、と言うか物静か過ぎる口調で俺に声を掛けてくる。これはチャンスだと、そう思った。彼に色々聞きたい事は、あの後、中々聞くタイミングを逃していたから。
「ん、お疲れ。……なぁ框矢、俺前からお前に色々聞きたい事があったんだ。この機会にちょっと良いか?」
俺の科白に何の感情も浮かんで無い、無表情な眼で俺を見てくる。
「お前の友人の少年の事はもう突っ込んで聞く事はし無いからさ。何でそんなに話すのを拒むのか、聞いても良いか?」
俺の言葉に少し目を伏せて黙り込む。だけど、二、三分して再度俺を見てきた。
「どうして、鮫島さんはそんなに俺の事を知りたがるんです?あなたと俺は仕事の上下関係までのはず」
どうして、と言われてもな。俺も知りたいよ、何でこんなに気になるのか。
「それなら俺も聞きたい。何でそんなに自分の事を話すのを嫌う?他の翠川や神宮なんかは皆、話してくれたぞ」
「……」
別に責めるつもりじゃない。だけど、框矢の自分の殻と言うのか、オープンにしない姿勢は頑な過ぎる気がするんだ。
「鮫島さん。あなたは秘密を守れますか?全てを聞いても、見ても、俺を普通の人間として見れますか。
例えそれがどんなにあなたに親しい人でも、堅く口を割らないと誓えますか。……難しいなら、この話は二度と持ち出さないで下さい」
その口調は淡々としているが、有無を言わせない雰囲気を醸していた。他の部下と違い、俺を班長とは呼ばずに“鮫島さん”と呼ぶ。敬語は使うがオブラートに包まない言い方をする。
上層部が聞けば確実に異端と見なされるだろうな。上下関係がはっきりしてる職だから。
「絶対に漏らさないと誓っても良い。教えてくれないか」
元々他人の秘密を漏らすことは嫌いだからな。信頼して打ち明けてくれた事を漏らすと言う事は、その人を裏切る事に等しい。
暫く俺を見定める様に見ていた框矢はわかりました、と漏らした。
「俺の事は話せる所は全て言います。ですが、友人の事は一部分だけで勘弁して下さい」
一つ頷いて見せれば、ゆっくりと口を開いた。
「俺と、俺の友人……Eは、親が居ません。俺は元々顔すら知らないし、Eの親は轢き逃げに遭って即死だったそうです」
初っ端から聞かされたのは、家族が居ないと言う重たいもの。
「轢き逃げ……?」
犯人は捕まったのか?
「はい。Eは警察を恨み嫌って居ます。犯人が国会議員だと判ると警察は大した捜査をせず、有耶無耶に揉み消したからだそうです」
ニュースにも話題にも上がらなかった、と聞いて愕然とした。
「その国会議員がどうなったのか、俺は知りません。彼は元々綺麗では無く、賄賂など色々に手を染めていたそうです。現在は失脚して表舞台から消えたとEから聞きました」
犯人が国会議員だからと言って、有耶無耶に事件を揉み消した?そんな事があって良いはずが無い。幾ら犯人が社会的地位が高くても、その事件は傷害致死になるはずなんだ。
「裏の実態を知り、結局は金で左右される。Eは警察を毛程も信用してません」
俺も正直信用はしてません、と框矢は付け足す。
「ただ……彼は確かに警察を恨み嫌ってますが、根に持って警察に何かしようとは思って居ません。そんな事をする価値すら無いと考えている様ですから」
それは、警察の隠蔽によって独り残されたその少年の信用、信頼を失ってしまったと言う事。
更に聞けば、そのEと言う少年が14歳の時に起きた事件。今更謝罪に行った所で彼の信頼は決して戻らない。
「Eに関して明かせるのはここまでです。これ以上はどう頼まれても言えません。俺の、数少ない信用出来る奴ですから」
抑揚の無い口調のまま淡々と話す框矢。その表情は静かで、何の感情も読み取れない。大事な友人の親の死を聞いて、彼が警察にどんな感情を持っているのか。
それもはっきりとは分からない。
「……框矢の事を教えてくれ」
一言短く頼むと、微かに頷いて口を開いた。
「鮫島さんは、GBPと言う組織をご存知ですか」
「?!」
何故、框矢がその名を知ってるんだ?!
GBPは政府直轄の警察。その存在は政治家でも数人しか知らないし、俺達日本警察だって僅かしか知らないはずなのに。
「な、何故その名を?」
「俺は、GBPに追われ逃げ切った事があるからです」
GBPに追われて逃げ切った?
あの組織は、精鋭揃いなんだぞ?!彼らが任務に失敗しただなんて聞いた事が無い!
でも、目の前には追われた当人の框矢が居る。そしてどう見ても嘘を吐いているようにも見えないんだ。
「一から話してくれ。何故GBPに追われたのか、何故……」
最後まで言葉が続かない。喉がカラカラで、無意識に何度も唾を飲み込んだ。
「……」
俺を見ていた框矢は、徐に立ち上がると自販機で水を買って俺の前に差し出してくる。
「何か飲んだ方が良いです、鮫島さん。その状態でまともに思考が働くとは思えない」
素直にそれを受け取り、ペットボトルの蓋を捻る。一気に半分程飲み干し彼に話の先を促した。彼は少し疑いの眼で見ていたが、一息吐くと再度口を開いた。
「俺は物心ついた時からFARMと言う孤児院に居ました。彼らがFARMを殲滅した事は?」
「知っている。だが理由は知らない」
「あの施設は表は孤児院ですが、裏では入所していた子供に人体実験を繰り返していました。だから殲滅されたんです。
実際、俺も実験台にされていましたし」
感情の薄い声音で淡々と語る。でも何だか他人事の様でもあった。
「俺達実験台には名前がありません。全て番号で呼ばれ、ギリギリ生きていけるだけの教育と食事を与えられる。何度も白衣の大人に連れていかれては、実験台として何かの液体を身体に打たれていました」
他人事の様に語り続ける框矢の眼は、どんどん冷えていく。それはその大人達に対する敵意では無く、絶望でも無く。ましてや自分への哀しみでも諦めでも無い。もう大人は信じていないと、口で語るより雄弁に語っていた。
……物心ついた時から人間扱いされず、楽しい事も嬉しい事も何一つ知らずに生きてきたのか。
「信じられないと言う顔ですね。まぁ、人間を実験台に色々やってるのは滅多に無いでしょうから」
聞くのを辞めますか?と問い掛けてくる彼に首を振り、先を促す。
「皆、あの全身を貫く苦痛を、死ぬんじゃ無いかって位の痛みを乗り越え生きてきたんです。中には耐えきれず死亡した奴もたくさん居ました。あの大人は“失敗作”と言ってましたけど」
死んだ子供は“失敗作”?
「……なら、框矢は成功と言う事か?」
「ええ、俺は成功例でしょうね。数え切れないほどあの液体を打たれ、今、ここに生きているんですから」
框矢の眼は俺を見ているが、人としての温かみが無い。
“信じ難ければ、別に信じなくても良いんですよ”
そう言っている気がした。
「成功例は皆、特異な能力を持たされてしまいました。もちろん俺もですが。
自分自身を対象物に自在に姿を変える能力を持たされた奴も居るし、森羅万象を操る能力を持たされた奴も居ます。施設が火事に遭い、皆散り散りに逃げました。その殆どがGBPに捕まりましたけど」
GBPに捕まったなら、もう命は無いだろうな……。あの組織は国や政府にとって有害な者や施設を殲滅する事が任務だから。
「同じ苦痛を乗り越えて来た俺の仲間だったのに。でも……もう生きて無いでしょう。GBPの大人の眼は情が欠片もありませんでしたから」
漸く、框矢が自分も警察は信用してないと言った意味が分かった。
「信用してないなら、何でSPの採用試験を受けたんだ?」
「給料が良いからです」
俺の投げた疑問に即答する。
「俺は今、自分の持ち金が少ないんですよ。いつまでもEに家賃も食費も多く負担してもらうわけにはいかない。だから金が欲しいんです」
「……」
淡々と語るけど、Eと言う友人の事はちゃんと彼なりに思って居るんだと分かった。
でも、Eが警察を恨み嫌っているなら。框矢がこの警察で働くのは反対だったんじゃないのか?
それを聞くと、框矢は一つ頷いた。
「声を荒げる事があまり無いあいつが、俺がSPの求人に応募するって知った時俺に声を荒げたんです。“俺の気持ちを知ってて、何で警察なんか選ぶんだ?!”ってね。でも俺の本心を聞いて渋々だけど納得してくれました」
E少年の事を話した時、ふっと框矢の硬い表情が和らいだ。
「楽しい嬉しいって事を全く知らなかった俺に、最近楽しみにしてる事が出来たんです。あいつの作る飯なんですよ。あいつの飯、凄く美味いんです」
目の前の彼の和らいだ表情に内心ホッとした。元々感情の薄い框矢の表情を、更に硬くしてしまったのは俺なんじゃないか、って心苦しくなってたから。
「框矢も能力を持たされたんだろ?何の能力か聞いても良いか?」
今、一番気になっている事をそっと聞いてみる。
森羅万象を操るとか、自分を対象物に姿を変えられるとか。どこのファンタジー小説だなんて思ってしまいそうだけど。框矢がそう言うなら、本当にそんな能力があるんだろうと思ってしまうから不思議だ。
「超人的身体能力です」
押し出すように一言。一瞬、え?ってなった。もっと突拍子もない能力かと思ってたんだ。例えば空を飛ぶ、物をすり抜ける、みたいな。
「俺は順位は気にしてませんでしたが、採用試験で二位との差があったのでしょう?俺、全力の十分の一も出してません。極力抑えていたんです」
何だって?!
「嘘、だよな?あのコースは筋力がそれなりに無いと、完走すら難しいコースだったんだぞ?」
途端に胡乱な目付きになる彼は、ここまで来て嘘を吐くメリットがありますか?と静かに俺を見据えてくる。
「俺は瞬時に眼に捉えた物との距離を測定出来るし、視力、瞬発力や脚力、腕力、握力があります。ですが体力、持久力、忍耐力、聴力や嗅覚は人並みです。後は……暗視も出来ます」
そう、框矢は自分の事をつまらなそうに口にする。
「GBPから逃げた後、ある老人が助けてくれました。俺の恩師である彼の事は口が裂けても言えません。彼は表に出てくるべきじゃなかった俺に、生きろと言ってくれた。但し表で生きるなら、特に日本で暮らすなら俺の能力は見せてはいけない、と」
框矢の恩師。一体誰なのか、どんな人物なのか。会ってみたい、知りたい気持ちもあるが框矢は絶対に話しはしないだろうな……。
「俺の身体能力はプロスポーツ選手を軽く凌駕するので、バレれば人間では無いと怖れられる。日本では暮らしにくくなると言われました。そんな俺の能力を知っても、恩師とEは俺を対等な人間として見てくれる。だから信頼、信用してるんです」
「視力どれ位見えるんだ?」
気になって聞いた事に、少し動きを止めると俺をもう一度見てくる。
「軽く2kmは」
2kmだって?!
「そ、それじゃ走った時の最高速度は?」
「そんなの測った事ありません。知った所で役に立つわけでも無いですし」
「握力も脚力も、腕力も測った事無いのか?」
「ありません」
超人的身体能力。それを表に出さない框矢の恩師の判断は確かに正しい。そしてそれを守り、あれ程頑なに自分の事をオープンにしなかった彼自身も。
視力だけでも、それだけの長距離を見れる事が知られたら、間違いなく騒がれるだろうな。それが良い方でも悪い方でも。框矢がこの国で平穏に過ごす事は困難になる。
俺が頼まなければ、框矢は話さずに済んだ事なのに……俺が話させてしまった。彼の上司と言う身分を使って。
けれど聞けば尚更、框矢の能力が詳しく知りたくなってくる。彼の本気の力が。
「あの日……」
「?」
不意にぽつりと漏らした框矢に目を向けると、無表情に戻ってしまった彼の眼と視線が合った。
「班分けをされたあの日。鮫島さんに駅まで送って貰いましたよね」
「あ、あぁ」
「あなたの尾行に気付いて、あなたの所に戻って。もう一度別れて俺が路地に入った時。……鮫島さんは、俺の能力を見てるはずなんです」
「え?」
俺が、框矢の能力を見てる?
そりゃ、その鱗片が見れたらと思って追いかけて行ったけど。路地に入った瞬間に框矢は消えてしまったんだぞ?
姿を捉えたと思ったのに、霞んでその場から消えたんだ。まるでマジックでも見たのかと思った。
……。
……。
……霞んで消えた?普通、人間は消える事なんて出来ないはず。
「気付きましたか?
路地に入って、行き止まりになっているのが分かって。このままじゃあなたに追いつかれる、そう判断して……俺は全力で逃げる事に決めたんです。
あなたのあの一言で、この人は興味を持った事は掘り下げて聞いてくると感じたから」
“全力で逃げる事に決めた”?
俺から逃げる為に。
「鮫島さんは、俺を路地まで追い掛けて来たでしょう。一瞬でも、俺の姿を捉えたのでは無いのですか?」
「もちろん捉えたつもりだったさ。だけどお前は目の前で霞んだと思ったら消えてしまって、その後どこを捜しても見つからなかったんだ」
そう答えると、初めて彼の眼に興味が湧いた色が浮かんだ。
「へぇ。普通の人間には、全力を出した俺の姿はそう見えるんですね」
良い事を聞きました、と何か考えて居るような素振りを見せていた。暫くして俺が何故?と聞くと、俺に目線を移す。
「目の前にビルが立って居たでしょう?低めの三階建ての。俺、そのビルの屋上に居たんですよ。鮫島さんが俺を捜しているのも暫く見て居たんです」
「ビルの屋上に?まさか、どうやって……」
梯子なんて無かったし、よじ登ったならそれは俺にも分かるはずなんだ。
「どうやって?って決まってるでしょう。跳んだんですよ」
それは……決まってるでしょう、じゃない!低めとは言え、三階建てだぞ?!ジャンプ程度で地上から屋上へ行けるはずが無い!
けれど框矢はなんて事は無いという風に、ジャンプして屋上に行ったのだとあっさりと言い切る。
信じられない。
だけどあの路地で框矢が消えて見つからなかった理由は、彼が今言った事が一番筋が通る。
目の前に俺達一般人では、いやアスリートですら到底追いつけない身体能力を持つ框矢が居る。
それがとてつも無く凄い事に思えてしまうんだ。じわじわと興奮の熱が湧き上がって来るのが、自分で良く分かる。
人間では無いと怖れるよりも、益々興味を持ってしまう俺はおかしいのか?
「お前凄いんだな!益々お前の事が知りたくなったよ。今度、お前の全力を測らせてくれないか?」
そんな俺に框矢は微かに目を見開いた。
「随分と変わった人なんですね、鮫島さんは」
変わった人、か。まあそうかもしれないな。翠川達はきっと受け入れられないだろうから。
「もし鮫島さんさえ良ければ、過激派の奴らを捜すのに専念する事も出来ますが。ビルが林立する所なら、ある程度は高い位置まで自力で行く事も可能ですし」
「それは願っても無い事だかな。専念では無くて、割合を多くしておいてくれないか。状況によってまた指示を出す。周りの反応は気にしなくて良い、俺の指示に従ってくれ」
俺の言葉に一つ頷く框矢。いつ全力を測らせてもらうか聞こうとした時、部屋の扉が開いた。
入って来たのは神宮。
「お疲れ様です、班長。それと框矢、二人共交代です」
「あぁ、分かった。すぐ行く」
休憩時間は一時間。あんなに長い事話していた気がするのに、たった一時間しか経っていなかったなんてな。
「じゃあ行くか、框矢」
「はい」
神宮と入れ違いに長官の元へと向かう。神宮が入って来た時、框矢の表情があっという間に無表情に戻ってしまったのが残念な気がした。




