第4話 愛人との豪遊旅行
【潤視点】
社長である俺にとって、地方への「他店視察」という名の出張は、退屈な日常から解放される至福のバカンスであった。
新幹線のグリーン車の深く沈み込むシートに身を預け、俺は窓の外を流れる景色を満足げに眺めていた。
翠星市にある『|SunSunDiner』は連日大盛況で、売上は右肩上がりだ。それもこれも、すべては社長である俺の卓越した経営センスの賜物であると自負している。
妻の紗枝は確かに手際がいいし、味のセンスもある。だが、所詮は厨房にこもって俺の指示通りに動く「作業員」に過ぎない。彼女の才能をビジネスに昇華させ、この規模の店に育て上げたのは俺なのだから、社長特権として少しばかり羽を伸ばしたところで、誰に文句を言われる筋合いもない。
目的地の主要駅に降り立つと、改札の前でひときわ目を引く若い女が立っていた。
トレンドを取り入れた少し露出の多い服装に、派手なメイク。店のパート従業員である、渋谷莉乃だ。
彼女は俺の姿を認めると、手元のスマートフォンから顔を上げ、花が咲いたような笑顔で手を振った。
「社長ぉ、お疲れ様ですっ! 待ちくたびれちゃいましたよぉ」
「悪い悪い。莉乃ちゃん、今日も可愛いね。その服、よく似合ってるよ」
「えー、ほんとですかぁ? 僕、社長のために新しく買っちゃったんです♡」
甘えるように腕を絡めてくる莉乃から、安っぽい香水の匂いがふわりと漂った。俺は鼻の下を伸ばし、その細い腰に手を回した。
紗枝のような所帯染みた女とは違う、若さと軽薄さが心地よかった。
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夜。俺たちはタクシーで、観光名所として知られる巨大なイルミネーション公園を訪れていた。
何万球ものLEDライトが冬の夜空を彩り、光のトンネルや動物を象ったオブジェが幻想的な空間を作り出している。
「わぁっ、すごぉい! めっちゃ綺麗! ねえ社長、写真撮って! 僕の全身入るように下から煽ってお願い!」
莉乃はイルミネーションを楽しむというより、その光を背景にした自分自身の姿を記録することに執着していた。俺は苦笑しながらスマートフォンを受け取り、彼女の指示通りに何十枚もシャッターを切らされた。
「ちょっとぉ、盛れてないんですけどぉ。もう一回!」
周囲のカップルや家族連れの目など気にも留めず、ポーズを変えながら撮影を強要する莉乃。俺は「はいはい」となだめながら、大仰なポーズを決める彼女を撮影し続けた。
一通りの撮影が済むと、莉乃の視線は公園の入り口に出店していたキッチンカーに釘付けになった。
「あ、社長! あれ見て!『星屑のコットンキャンディ・パフェ』だって! めっちゃバエそう! 買って買って!」
メニュー表には、観光地価格の二千円という値段が書かれていた。俺は財布から躊躇なく札を抜き出し、莉乃に手渡した。
「わーい! 社長、大好き!」
渡された巨大なパフェは、青やピンクの綿菓子が山のように盛られ、その上に星型のクッキーとカラフルなシロップが毒々しいほどにかけられていた。莉乃はパフェを受け取ると、すぐさまイルミネーションの前で自撮りを開始した。
パフェを顔の横に寄せ、アヒル口を作っては様々な角度でシャッターを切る。
「んー、完璧っ♡」
納得のいく数枚が撮れたのか、莉乃は満足げに息をついた。そして、手の中にある重たいパフェをチラリと見下ろし、俺の方へ押し付けてきた。
「はい、これ社長にあげる」
「え? 食べないの?」
「こんなカロリーおばけ、夜に食べたら一発で太っちゃうじゃん。僕は写真撮れたからもういらない」
悪びれる様子もなく言い放つ莉乃に、俺は「俺も甘いものはそんなに……」と苦笑いで辞退した。
すると莉乃は、「ふぅん、じゃあバイバイしようね」と呟き、公園の端にある巨大なゴミ箱へ向かい、一口も手をつけていない二千円のパフェをあっさりと投げ捨てた。
ゴトッ、という鈍い音がして、俺が稼ぎ出した店の利益が、ゴミの山へと消えていったが、少額だから気にも留めなかった。
「あーあ、手がベタベタになっちゃった。社長、拭いてぇ」
「まったく、しょうがないな」
俺はハンカチを取り出し、莉乃の指先を優しく拭き取ってやった。金遣いは荒いが、これくらいなら愛嬌の範疇だ。機嫌を取っておけば、後でホテルでたっぷりとサービスしてくれるだろうという打算もある。
莉乃は手元が綺麗になると、すぐさまスマートフォンを操作し始めた。先ほど撮ったばかりの写真をSNSの裏アカウントにアップロードしている。
『今日は素敵な人と旅行♡イルミめっちゃ綺麗だったぁ✨』
そんなテキストと共に投稿された写真の端には、俺が身につけている特徴的な高級腕時計と、出張用に新調したブランド物のカバンのロゴが、不自然なほどはっきりと見切れるように写り込んでいた。
完全なる「匂わせ」であったが、俺は莉乃を咎めることもなく、ただ彼女の若い横顔を眺めて自己陶酔に浸っていた。
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【紗枝視点】
『SunSunDiner』は、夜のディナータイムのピークを迎えていた。
「お待たせいたしました! テリヤキエッグバーガー、ポテトセットです!」
私の声が、カウベルの音と肉の焼ける匂いが充満する店内に響く。本来なら三人いるはずのパート従業員のうち、莉乃さんは今日も無断欠勤に近い形でドタキャンし、残りの二人もさっさと帰ってしまった。広い店内を、私はただ一人で孤軍奮闘しながら回している。
フライヤーから跳ねる油の熱さも、フライパンを振るう腕の痛みも、今の私にとってはむしろ救いだった。
考えちゃダメ。今はただ、手を動かすのよ……紗枝。
ふとした瞬間に、バックヤードで見つけた裏帳簿とシフト表の不気味な一致が脳裏をよぎりそうになる。夫が、パート従業員三人全員と不倫をしているというおぞましい事実。そして今この瞬間も、莉乃さんは夫と一緒にどこかで遊び歩いているのだ。
その現実に向き合えば、私の精神は完全に壊れてしまうと本能で悟っていた。だからこそ思考を強制的に停止させ、狂ったようなスピードでオーダーをこなし続ける。
肉を焼き、野菜を挟む。忙しく身体を動かしている間だけは、胸の奥底で渦巻く絶望から目を背け、無理に気を紛らわせることができた。次々と来るお客様の波だけが、私をギリギリで現実世界に繋ぎ止めている。
私の血の滲むようなこの逃避の労働は、傲慢な夫と軽薄な愛人の間で、今日も無残に消費され続けていた。




