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第39話 悲惨な末路

【紗枝視点】


 四月。


 翠星市《すいせいし》に吹き抜ける風は、すっかり春の暖かさを帯びていた。

 大通りから一本入った広場に停められた、黒とウッド調の真新しいキッチンカー『|CraftBurgerTRINITY《クラフトバーガー・トリニティ》』。

 本日の営業を終え、「完売御礼」の札を窓に掲げた私は、熱を落とした鉄板の前で静かに息を吐き出した。


 私が新たに立ち上げたこのキッチンカーは、ありがたいことに連日大繁盛を記録している。

 新メニューとして正式に発売した「トリプルサンドバーガー(三種の濃厚チーズ味)」は、瞬く間に店の看板メニューとなり、毎日多くのお客様の笑顔を作っていた。


「……ふぅ。今日もよく焼いたわ」


 私はエプロンを外し、誰もいない静かな車内で、自分で開発したその看板メニューの残りを一つ、まかない代わりに紙に包んで持ち上げた。

 大きく口を開けて一口かじると、サクッとした特注バンズの食感の後に、粗挽きパティの力強い肉汁が口いっぱいに溢れ出す。そこに、チェダー、モッツァレラ、ゴルゴンゾーラという三種のチーズの濃厚なコクが絡み合う。


 肉、チーズ、バンズ。


 三つの素材が、お互いを殺し合うことなく、完璧なバランスで引き立て合っている。

 それをゆっくりと咀嚼しながら、私はふっと自嘲気味に微笑んだ。


 かつての私は、この『3』という数字に異常なまでに執着し、完全に心を壊していた。

 自分勝手な傲慢さで私を利用し、私が血反吐を吐いて稼いだお金を使って、自分が面接で雇ったパートの女三人全員と不倫旅行を繰り返していた元夫の潤。


 そのおぞましい事実を知った時の絶望から逃れるため、私は精神的なパニックに陥り、狂ったように夫に尽くす道を選んでしまったのだ。

 ハンバーガーも、お釣りも、シャツの枚数も、すべてを『3』に揃えなければ気が済まない異常なトランス状態。あの頃の私は、料理人としての魂も、自分自身の心すらも完全に殺していた。


「姉さん。今日もすごい行列だったね。お疲れ様」


 声に振り返ると、妹の七海が、売上金の計算を終えてタブレット端末から顔を上げていた。

 彼女は、キッチンカーの立ち上げから広報、マーケティングに至るまで、すべてを完璧にプロデュースしてくれた私の最強のパートナーだ。


「完全に立ち直ってくれたようね。私、うれしいわ」


 七海の優しい声に、私は手元のハンバーガーを見つめながら、苦笑交じりに首を横に振った。


「えぇ、あの時は本当にどうかしていたわ。……サレラリぬ、ってところかしら」


「何それ?」


「サレ妻がラリッた『サレラリ』に、完了の『ぬ』を付けて、「自分の意志とは裏腹に、そうなってしまった」という、どこか悲哀や無常感を含むニュアンスを込めてみたわ」


 自分の崩れた精神状態を少し客観的に、哀愁を込めて自虐する私の言葉に、七海はふふっと小さく笑ってくれた。


「そういえば、例の三匹の寄生虫たちだけどね」


 七海は、かけていたブルーライトカット眼鏡を中指でクイッと押し上げ、手元のタブレットの画面をスワイプした。

 その仕草は、彼女が冷徹な『戦闘モード』に入っている証拠だ。


「どうなったの?」


「冷淡で損得勘定に長けていた仲根涼子は、あの男に買わせたブランド品を全部売り払って慰謝料の足しにしたみたいだけど、到底足りなくて。今は夜の街で働き詰めらしいわ。

 SNS依存症だった渋谷莉乃は、自分でアップしたあのバイトテロ動画が完全にデジタルタトゥーになって、どこにも雇ってもらえなくて引きこもり。

 責任転嫁ばかりしていた依存体質の杉浦桃華は、実家に内容証明を送りつけてやったら、両親から勘当寸前で毎日泣き喚いてるそうよ」


 七海の氷のように冷たい報告を聞いて、私は短く息を吐いた。

 彼女たちが味わっている地獄は、すべて自業自得だ。私からすべてを奪い、嘲笑いながら貪っていた代償なのだから。


「キッチリ慰謝料の清算が済むまで追いかけるわよ」


 七海は一切の容赦がない声で、タブレットをパタンと閉じた。


 その徹底した有能さと執念には本当に助けられている。けれど、私は彼女の横顔を見つめながら、少しだけ申し訳なさを感じていた。


「ねえ、七海。私の復讐やこのキッチンカーの立ち上げにずっと付きっきりだけど……本業のWebデザインの仕事は大丈夫なの? 私、あなたに無理させてるんじゃないかって、心配で……」


 私が眉を下げて尋ねると、七海はきょとんとした後、明るく声を上げて笑った。


「心配無用よ、姉さん。私、こっちの仕事の方がずっと楽しいの」


 七海は、スマートカジュアルの袖を少し捲り上げ、真っ直ぐな瞳で私を見つめ返した。


「今までパソコンの画面に向かって、一人で黙々とデザインを組んでたでしょ? でも、こうやって姉さんの作る本物のハンバーガーをどうやって世の中に広めるかプロデュースして、目の前でお客さんが笑顔になっていくのを見るのが、最高に面白いの。姉さんに、仕事の本当の楽しさを教えてもらったって、心から感謝してるくらいよ」


「七海……」


「だから、まだまだ私の手腕に期待しててよね。それに……そろそろ、メインイベントが始まる頃なんだから」


 +++


 二ヶ月後。


 慰謝料と損害賠償の支払いが滞ったことで、契約通り『|SunSunDiner《サンサン・ダイナー》』の店舗と経営権は、合法的に完全に私のものになることとなった。

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