第33話 Xデー 前編
【紗枝視点】
Xデー当日。
固くシャッターが下ろされ、『臨時休業』の貼り紙が出された『|SunSunDiner』の店内は、異様な静寂に包まれていた。
フロアの中央に並べられたテーブル。そこに座っているのは私、妹の柚木七海、そして七海が手配してくれた高木弁護士だ。
私たちの対面に座っているのは、仲根涼子、杉浦桃華、渋谷莉乃の三人。彼女たちは「来月からの給料3倍についての重要なミーティングがある」と私に呼び出され、何も知らずにのこのことやって来たのだ。弁護士の姿を見て訝しげに顔を見合わせているが、もう逃げることは許されない。
正午過ぎ。勝手口の重い鉄扉が、乱暴に開け放たれた音がした。
「おい紗枝! 何なんだ表の休業の貼り紙は! 社長の俺に無断で勝手なことしやがって……!」
出張という名の不倫旅行から帰還した夫の潤が、高級な出張カバンを引きずりながら、顔を真っ赤にして怒鳴り込んできた。
彼はフロアに足を踏み入れ、元の内装に戻った店内と、そこに集まっている異様な面々を見て、ピタリと動きを止めた。
「な、なんだお前ら……なんで君らが全員揃ってるんだ? それに、その男は誰だ……?」
戸惑う潤の視線が、最後に私を捉えた。
その瞬間、彼の傲慢な顔からサァッと血の気が引くのがわかった。
この数ヶ月間、私が彼に向けていたのは、顔の筋肉がひきつるほどの『バキバキにキマった満面の笑顔』だった。しかし今の私は、一切の感情を排した、冷徹で底知れぬ『獲物を仕留める目』で彼を真っ直ぐに見据えている。
得体の知れない違和感と、これまで舐めてかかっていた妻の真の姿に、彼は本能的な恐怖を覚えたのだろう。出張カバンを持つ手が、微かに震えていた。
「座りなさい、潤」
私の低く、一切の温度を持たない声に、潤は操り人形のように力なく椅子に腰を下ろした。
そして私は潤の目を睨みつけ、言い放った。
「信じていたあなたに裏切られたショックで、一時は現実から目を背け、狂気に逃げ込んでいたわ。でも、もう一ミリの迷いもない。完全に目が覚めたの。私の労働と会社の金に寄生して王様気取りだった……あなたの底の浅さには、今はもう呆れと軽蔑しか湧かないわ」
私からの突然の告白と嫌悪宣言にうろたえた潤へ、さらに追い込む。
「単刀直入に言うわ。私はあなたに離婚を要求します。そして、不倫による慰謝料と、会社の資金を横領したことに対する損害賠償を全額請求させてもらうわ」
宣告された潤は、一瞬大きく肩を揺らしたが、すぐに持ち前の見栄と傲慢さで虚勢を張った。
「り、離婚!? 慰謝料!? 狂った『3』の強迫観念で、とうとう完全に頭がおかしくなったのか!? 俺は社長として視察に行っていただけだ! 浮気だの横領だの、証拠がどこにあるって言うんだ!!」
その言葉を待っていたかのように、七海がブルーライトカット眼鏡を中指でクイッと押し上げ、冷たく鼻で笑った。
「ありますよ。言い逃れのできない、完璧な証拠の山がね」
七海が分厚い茶封筒から、大量の写真をテーブルの上にバサバサと並べた。
高級旅館に涼子と入っていく姿。テーマパークのホテルで桃華と腕を組む姿。温泉街で莉乃の腰を抱く姿。
さらに、バックヤードに隠されていた裏帳簿の完全なコピーが、その横に叩きつけられた。
「あ……、あ……っ」
潤の口から、間抜けな空気が漏れた。彼は目をひん剥き、ガタガタと震え始めた。
そして、それ以上にパニックに陥ったのは、対面に座っていた三人の愛人たちだった。
自分たちも完全に包囲網の中にいたことを悟り、三人の間にあったかりそめの『秘密の同盟』は、醜い音を立てて崩壊した。
「わ、私は関係ありません!」
真っ先に立ち上がったのは、冷淡な涼子だった。彼女は血の気を失った顔で、潤を指差した。
「この人が社長の権力を使って、無理やり私を誘ったんです! 断ればクビにすると脅されて……そう、完全なパワハラです! 私は被害者よ!」
「はぁ!? よく言うよ涼子さん!」
その言葉に噛み付いたのは、桃華だった。彼女はいつものぶりっ子を完全に捨て去り、夜叉のような形相で自分のスマートフォンをテーブルに提示した。
「店長、見てください! これ、私たちのグループLINEのスクショです! 涼子さんも莉乃ちゃんも、社長のことを『都合のいいATM』だって馬鹿にして、限界までお金を搾り取ろうって言ってたんです! 社長を本当に愛していたのは、モモだけだったのに! 店長と社長が別れるなら、これで私たち一緒になれるね潤君」
「はぁあ!? も、桃華てめぇ、いつの間にスクショなんて撮ってただよ!!」
自分の悪事が完全に露見した莉乃が、パニックを起こして泣き喚き始めた。
「やだ、やだ! 私お金なんてない! 慰謝料なんて払えない! 全部社長が悪いんでしょ!? 私関係ないじゃん!!」
嘘泣き、裏切り、責任転嫁。
金と欲だけで繋がっていた女たちの、見苦しく醜い三つ巴の地獄絵図が、静まり返っていた店内に響き渡る。




